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レコードの溝の数

2024-08-24 21:43:59 | 

日々は痴呆症のように過ぎる、こめかみを強く押しながら昨日の夢を思い出そうとしている、連続する無、連続する退屈、ともすれば永遠にでも続きそうなそいつを断ち切るために今日になにかを残したくて叫び始める、小理屈や知ったかぶりじゃ満足出来ないんだ、出来る限りのことを存分に吐き出して眠りたいのさ、欲望は勝手に肥大する、生半可な覚悟じゃ追いつけないぜ、ほんの少しでいい、昨日より先に行くことさ、それは速度かもしれない、それは深度かもしれない、どちらかである必要はないし、両方である必要も無い、どちらも無くたって構わないかもしれない、特定のテーマに従って言葉を並べ立ててるわけでは無いのだ、ただその日自分が求めているものに忠実であればそれでいい、歳を取れば少しは落ち着くのかと思っていた、でもそんなことはないね、見えて来るぶんだけ余計に求めてしまう、御託を並べる暇もないくらい書き続けて来たからね、水の流れは増した、あとは流れ続けるだけさ、何を目指しているのかは知らない、そんなことは重要なことじゃない、ただただ欲望に従っていればいい、そうすればある時求めているものがはっきりと形を持って話し始めるだろう、いつかはそんな日が来るだろう、そんな日のことを語ることは出来ないかもしれないけれど、必ず一度はそうしてはっきり見える日が来るだろう、俺はそれを半ば確信している、だからいつだってこうして新しい一行を紡ぎ続けている、俺は知っている、でも認識としては、知らないと言っていいようなものさ、俺はそれをはっきり言葉にしようとは思ってはいない、ぼんやりと鳴っている音楽のようにそいつはいつも俺の中のどこかで喋り続けている、でももうそいつのことは知りたいとは思わない、在処を探したって無駄なのさ、そいつは絶対に捕まえることが出来るところまで出て来ることはない、それは捕まえる必要が無いからさ、知りながら追わない、そうしているとずっと、一定の距離を取りながらこちらを窺い続けている、それは関係性としては非常に希薄なものなのかもしれない、もしかしたら直接関係のあるものではないかもしれない、でも決して手が届かないと思えるほど遠くまで離れることはない、無意味にはなりきらない、ということは少しばかり関係があるんだろうさ、並行し続ける影、並行し続ける雲、そんな風に視界の端に止めておくくらいがちょうどいい、こだわり過ぎるのは駄目さ、ただでさえ自由が制限されるこの無自覚な世界で、わざわざ自分でさらに強固な縛りを作ることは無い、詩がこの世に生まれて来たころには、そいつを教えてくれるテキストはなかったんだぜ、上等な後追いをしたいだけならそれでもいいんだろうけど、果たしてそれで満足出来るのかね?まあ、それでいいんなら別にいいさ、皆安易に認められたがるからね、自分がどれほどの程度かなんて考えることも無しにね、まあ俺に関係のある話じゃない、俺は好きにやらせてもらうさ、誰かがそうやって居心地のいい場所でお決まりの言葉を並べている間にね、そう、たくさんの時間が過ぎた、俺は時間と共に、自分が何を描いてきたのかを学んできた、言語的な認識など大して当てにならない、特に俺の書くものに関して言えば余計に、フォローチャートなんか必要な世界じゃない、意識下でそれをきちんと認識する必要なんてない、要は口に入れたものを飲み込んだか吐き出したかさ、それが蓄積した内奥の部屋の中で意味が発酵して新しいイメージとなる、新しい、見たことも無い文章になる、書くことを躊躇ってはいけない、決して書くことを躊躇ってはいけない、少しでもブレーキをかけてしまうと水門は開き切らない、折角流れ出そうとしている水の勢いを殺してしまう結果になる、書くということは詰まるところ、自分自身の根源が刻まれたレコードを制作するということだ、そこに俺の意志がある、人生があるんだ、俺自身の軌跡がそこに残されていなければ、俺は自分のことを亡霊のように思うかもしれない、何も知らぬまま死んで、成仏すら出来ない哀れな亡霊だとね、何も知ろうとせずに書き続けるということは、見知らぬ森に何の装備もなく入り込んでいくことに似ている、位置も方角も分からぬまま、彷徨い続けることに似ている、でもそれは逆に言えば、どこに向かって歩いても構わないということでもあるのだ、迷い尽くして出口を見つけた時の喜びは、ただ順路に沿って歩くだけよりずっと楽しいに違いないぜ、とかく現代は、話が早いことが美徳とされる、結論が早い、行動が早い、でも、そんなものは本当に見るべきものを置き去りにするだけに過ぎないのさ、波打ち際の水を手で掬って、この海は暖かいとか冷たいとか言って満足しているようなものだ、息を止めて、自分に見られる限りの海中を覗いて、それで初めて海を知るんじゃないか、そしてそれは自分の限界を知り、動ける範囲で動くことの大切さを知ることも出来る、本当の意味で知るということを、いまの世界は舐め過ぎている気がするんだよ、俺の言ってること分かるかな、俺は、分かったような顔をしたいわけじゃない、自分がまだ知らないでいることを、もっと深く知りたいと常に考えているだけなんだよ。


沈没船の内訳は君のように俺のように

2024-08-22 18:10:04 | 

異国の船は沖の無人島の側で沈んだってノイズだらけのラジオが言ってた、本来はアウトドア用のロングチェアーにもたれながら、海水をたらふく飲んで死ぬのはどんな気分だろうと俺は考えた、大量に飲むと気がふれると聞いたことがある、だけどどうせ死んじまうんなら、正気か狂気かなんてどうでもいいことかもしれないな、そう、どうでもいい―どうでもいいことがこの世には多過ぎる、といって大事なものばかりが溢れていたとしても、そいつは結局味気ない日常の中で価値を失ってしまうだろう、人間が犯す最大の罪は無自覚に生きるということに他ならない、窓の外をヘリが何機か猛スピードで飛んで行った、何人が乗った、どれぐらいの規模の船なのかというようなことは結局分からないままだった、ラジオはお行儀がいいだけのヒットチャートを流していた、全身で歌をうたうシンガーが居なくなった、音符に沿って声が出ているだけの電子ピアノみたいな声のやつらばかり、昔はよかったなんて話をするつもりもないけれど―コンロに乗せた小さな薬缶が発狂する、火を止めてインスタントコーヒーを入れる、こういうものがあると欲求に関係なく、時間の隙間を埋めるみたいに飲んでしまう、それはもしかしたら中毒なのかもしれない、だけど、中毒なんて言えるほどの切迫感は微塵も存在していない、そういうことなのかもしれない、日常とは異常事態にすっぽりと被せられるフィルターみたいなもので、あらゆるものを「確かに少しおかしいなとは思うけれど、まあ、いいでしょ」みたいなところに収めちまう、コーヒーを飲んで、フランスの修道女が書いたとかいう詩集を読んでいると、異国の船の続報が流れた、乗客は全員死亡とのこと、お気の毒さま、様々な不慮の事故から死体を運び出す連中のことを思う、まったくどんな気分なんだろうね、仕事としてこなしているだけなのか、あるいは凄惨な現場に負けないくらいの使命感を持って働いているのか…それはきっと様々なんだろう、嫌々やっているやつだって居るかもしれない、でも、どんなやつがどんな気分でそれをしていたところで、不慮の死が滞りなく弔われるということは間違いじゃない、仕事なんて本来、モチベーションの問題ではなくいかに結果を残すかというのが正解だ、現状と行違うようなこだわりがある人間はたいてい役には立たない―なんの話をしてたっけ?マグカップを洗って伏せる、風水じゃカップや器は伏せずに置くと運気が上がるとかいう話、でも俺はそんな居心地の悪い真似はやろうとも思わない、ライフスタイルを捻じ曲げて幸せを望むという行為は、すでに幸せから大きく外れている気がする、どうして誰も彼も、単純や正直を簡潔であることと誤解してしまうのか?例えばそれが俺なら、複雑や混沌をそのまま吐き出してありのまま並べることが、もっとも単純で簡潔なことなのだ、それが理解出来ないのはもしかしたら、誰も俺のように書いていないからなのかもしれない、別に俺が唯一無二だとか言いたいわけじゃない、ただ俺は自分がどう書けばいいのかを知っていて、その為に邁進しているというだけのことだ、そしてそれをひたすら繰り返し重ねて来たから、これぐらいのことは言えるというだけの話なのさ、ニュースは終わり、ジャズが延々と流れた、極をセレクトしている渋い声の男は、プレイヤーの略歴を淡々と語るだけだった、それは懸命な態度に思えたけれど、同時に無責任にも思えた、俺なら素人のように、この曲のこんなところが好きなのだと煩いくらい語るだろう…まあ、それはただ俺には、ジャズというジャンルに取り立ててこだわる理由が無いというだけの話なんだけどね、でもひとつだけはっきりと言えることがある、俺がジャズを好きになったのは、コルトレーンの「コートにすみれを」を仕事帰りの車のラジオで耳にした瞬間だったよ、そう、もしも彼がプレイヤーじゃなくて詩人だったなら、きっと俺のような詩を書くと思うよ、いや、これはジョークじゃない、マジな話さ…あいつは自分自身の単純や正直について深く理解していたのさ、それもきっと本能でね、その点、音楽っていうのはもしかしたら、文章よりもずっと感覚的なものなのだろうね、言葉をこねくり回す必要が無いのだもの、そりゃ当り前だよね、もしも俺が映画を撮ったら、下手なゴダールみたいなものになるはずさ、だってあいつは「悪魔を憐れむ歌」を映画にしたんだぜ、分かるよね?つまり俺のやり方ならそれはこういうものになるって話だ、きっとこの話は凄く理解してくれるやつとまるで理解出来ないやつではっきり分かれるだろうね、入口を一度見落とせばもう閉じてしまうような話なんだもの―シャワーを浴びようと思った、気分を変えて死の匂いが猛烈に香る街を歩こう、人生は下らない雨に降られ続けている、でも俺は時々、傘を差さなくてもまったく濡れずに帰ることだって出来るんだ。


Parasitic 【P】

2024-08-20 21:39:37 | 

色褪せ、解れ気味の痩せ細った卵巣に宿った鼓動は産まれる前から眉間に皺を寄せていた、それが俺、それが俺さ、俺の胸中は初めからポエジーに寄生されていた、やつは俺の視神経と血管の幾つかまで根を張り、俺の生まれを面倒なものに変えた、俺の右側が微かに歪んでいるのはそのせいさ、筋の無い舞台のような、決まりきった台詞と動作ばかりの毎日の中で、小学校に入る頃には俺は世俗的なものから乖離を始めていた、肉体はそこに置いたまま、魂はどこか余所にあった、だから違う言葉が必要だった、俺が言葉を綴る理由はただひとつ、俺自身が納得したいせいだ、俺はいつだって、当り前の日常というものを奇妙だと思う心を持って見つめていた、彼らの心にはポエジーが無かった、代わりになにか、新鮮な死体のようなものが隙間なく詰め込まれていた、まあ、彼らにしてみれば俺だけがおかしな人間に見えていただろうけどね、コンパスの針で爪の表面や歯を削りながら過ごす日々が続いた、若い頃にはその時の名残が爪に残されていたけどね、もうそんなものは見る影もない、人間の細胞は周期的にごっそり入れ替わっている、骨だってその例外ではない、奇妙なものを見つめながら生きていたら奇妙な病にかかり、長いこと薬を飲みつづけた、その時のものは完治したけれど、いまは違う名前の付いた病でまた薬を飲んでいる、どこかに落度があって、リテイクを命ぜられたような気分になる時があるよ、病院で問診を待っている時なんか、特にね、時間は多重人格者が見る夢のように、混濁して悍ましい姿を曝していた、いまだ俺はそれを救おうとは考えていない、徒労に終わりそうな気しかしないからさ、やつらはやって来て去るだけだ、それ以上を生み出そうと思ってみたってあんまり意味のないことさ、塵、塵、人生とは降り積もる塵を見つめているようなものだ、その中に時折、微かに光を放つものが混じっていることがある、それを見逃さないようにするかしないかっていう話なのさ、まるで砂金掘りだ、でも、錬金術じゃないだけマシかもね、人生が美しく、喜びに満ちているなんて信じない方がいい、そんな素敵な景色は軽薄なヒットチャートの中にしか存在しない、すべてを誤解して道を踏み外す前に、自分がどこに立っているのかしっかりと見届けておくことだ、人生とは降り積もる塵を見つめているようなものだ、それは間違いない、初めから手に入るもののことを考えていると気がふれてしまうよ、初めから何も持っていないことをまず知るべきさ、なにも持たない、なにも知らないことを自覚するからこそ人は自分が欲しいもののために躍起になるんじゃないか、そして手に入れたものを充分に検分して、その中に在るものを認識するんだ、きちんと理解しなければならない、初見の印象だけですべてを決めていたらそれ以上の情報はまるで無駄になってしまう、周囲に惑わされちゃ駄目だぜ、近頃は何でもすぐに答えが出ることが良しとされている、でもそんなもの凄く馬鹿馬鹿しいことさ、手に入れたものを充分に検分して認識するんだ、そうすることで初めてそいつは自分の血肉に溶け込んでいくんだ、ひとつひとつを時間をかけてゆっくりと理解して飲み込んでいくことだ、それが本来、成長と呼ばれるべきものだ、なにもかもあっさりと結論を出すやつらを見てみなよ、まったく進歩の無い、何年経っても同じことばかり言ってるような連中、彼らは一生成長することが無い、一生を同じ文脈の中で生きる、怖ろしい話だぜ、けれど、絶対数が多いのはいつだってそんな人間なんだ、ハリボテの真実に惑わされるなよ、大多数という安心の中で、馴れ合い、舐め合い、曖昧に生きるなんて愚の骨頂さ、ルーティンだけで食い潰される毎日になんかなんの価値も無いね、いや、俺はそのすべてを否定しているわけじゃない、そんな連中が居なければ社会というものは成り立たないんだ、ただそのイデオロギーを俺に背負わせようとしたって無駄だぜっていう話なのさ、もちろん、必要最小限の責任は負うけどね、必要最小限さ、上限が決まってる世界の中でドングリの背比べなんかしたくないんだ、たったひとりでいつまでも追いかけたいものがあるのさ、その結果野垂れ死にするような人生で終わったって、人生ゲームのコマみたいなものになるよりはずっとマシだってこと、ダイスを振れよ!知性と野性が喚きまくる最高の賭けをやろうじゃないか、俺は流動的な意識の塊になって、風のようにお前のところまで行って新しいフレーズを囁いてやりたいのさ、ロマンティックな話だって思うかい、誇大妄想狂の戯言みたいだって…だけど、いいかい、真のリアリズムってもんは、真のロマンティシズムの先にしかないもんなんだぜ、おや、笑っているね、くだらないことを言ってやがるって?ってことはあんたも一度はこんなことを突き詰めてみたことがあるんだろうね、無いってんならただの間抜けだけどね、ねえ、もしも俺の言ってることが理解出来るなら、あんたもきっとポエジーが身体の中でざわざわと蠢いているんだろうね…。


War is Ever

2024-08-17 23:35:27 | 

懐かしいロックンロールの残響がまだ耳の中で鳴り続けている、俺はなにも過去にすることがない、すべてが同じ密度で進行し続ける現在の中で生きている、分かるだろう、俺はただ書き続けるだけさ、自分が始めたことを最後までやり続けるだけだ、それをどう思おうとあんたの勝手さ、俺は注釈が必要な人生なんか生きてはいない、俺が言うべきことはすべて俺が書き続けてきたことの中に在るし、在り続ける、ある人間にとってはそういう生き方は変わらずに貫いているように見えるし、またある人間にとっては変わり続けているみたいにも見える、それはどちらでも正解と言えるし、どちらでも不正解と言える、どちらにせよそれはひとつの要素に過ぎないということさ、多少傲慢に思える言い方になってしまうかもしれないけれど、それをひとことで言い表す言葉はまだこの世界には存在していないというだけのことなんだ、俺はそういう種類の人生を生きている、よく居るだろう、聞いても居ないのに、自分はこうなんですよなんて話を延々し続けるようなやつ、あんな人間になるくらいならいますぐ人生を放棄するね、みっともないことこの上ないじゃないか、行く道があるなら示してみろ、そういうことさ、もう過去だ現在だなんてどうでもいいと思えるくらいには長く生きて、そしてなにかを掴みかけているんだよ、こんな表現を理解出来る人間だけが俺の肩を叩いてくれればいいけど、実際そういうわけにはいかないね、そもそもそんな願望を持つくらいなら、こんな田舎町に住むべきじゃない、重々分かっては居るんだけどね、なかなか上手い具合にはいかないもんだ、でもこんな掃きだめをあてがわれたこと自体にもきっとなにか意味があるんだろうさ、どこかのコミックじゃないけれど、俺は人間を見るためにこの世界に落とされたような気がしてるんだ、まあ、それにしても、ここ数年はずっと巻き戻しと早送りで同じ場面ばかり見させられてるみたいな気分になるよ、老若男女が揃ってテンプレ通りの言葉を吐き続けるだけさ、まるでゴールデン・タイムのドラマみたいな既視感で溢れているよ、あまりにも陳腐で、滑稽で陰惨だ、目を閉じて首を横に振るぐらいしか俺に出来ることは無い、知らん顔をしてやり過ごすにも限界があるしね、ほら、顔の周りをいつまでも小虫が飛んでいたらいつかは叩き潰そうとしてしまうだろ、あんな感じさ、ペイントソフトでコントラストを最大値まで拡大したような夏が続いている、そのせいなのかどうか分からないけれど、このところ微かな耳鳴りが消えることがないんだ、大地震が来るかもしれないなんて一部の人間が張り切っているから、もしかしたらそれもなにか関係があるのかもしれないね、なに、気にすることはない、気にすることはなにもないよ、大地震が来ようが来るまいが、人間いつかはなにかしらで死んでしまうんだから、死ぬことを怖がる前に精一杯生きるだけさ、たとえうんざりするほどの退屈が足元で転がっていようともね、意味を求めずに行動すればいい、そうすれば人生は少しだけ生きやすくなる、そして、真実だの真理だのというものに少しは近づきやすくなる、どうしてか分かるかい、頭で考えることは余計な足枷を増やすことに他ならないのさ、考えれば考えるほど道を誤り、がんじがらめになって動けなくなる、ほら、詩についてやたら熱っぽく語るやつほど、時折思い出したように短い詩を書くだけだったりする、ああいうことさ、さっきも言っただろう、行く道があるなら示してみろよ、それが出来ないのなら熱意なんて捨ててしまえばいい、まあ、誰が何を書こうが俺の人生には関係ないけどね、どこかでベクトルが捻じ曲がってるんじゃないのなんて考えちゃうんだよな、変な例えにもなるけどさ、もしもウェイトトレーニングについて熱く語っている瘦せ細った男が居たらあんたどう思う?っていう話なのさ、誰もそんなやつの話なんか聞こうとも思わないはずさ、本当に大事なことはスピリットじゃない、そいつをどんな方向に導いて動かしたかっていうことが最重要事項、そうじゃなきゃおかしいだろ、語ることなんて誰にだって出来るんだ、でもそれを証明し続けることは決して簡単なことじゃないかもしれない、どんな手段だっていい、ひとつでも多くそいつを証明してみせるのみさ、俺は時々辺りを見回して自分の近くを走っているのがどんなやつか観察する、時には罠にかけるような真似だってしてみる、そいつにどれだけの覚悟があるのか見たくなるのさ、拳を突き合わせるだけの価値があるかどうか見極めるんだ、もしも俺がくたばる時には君は後ろの方で笑っているかもしれない、だけどこれだけは覚えておいてくれ、その時俺が手にしているもののことは君のところからは決して見えることがないんだ、俺は勝どきを上げたりはしない、だってそれは自分の為だけの闘いなのだから、新しい血でも舐めながらもう1行付け足すことにするさ。


チューニング・ライフ

2024-08-15 22:04:23 | 

藍色の悲観主義が窓枠と一緒に錆びてる、デカダンスは周回遅れだ、何かを突き詰めて探そうとすると必ず時代遅れだと揶揄される、連中はどんどん頭を使わなくなっているのさ、初見で判断出来るものだけで現代社会は構成されている、これは御伽噺なんかじゃない、ただの現実だから始末に負えない、新しいビルは外観に凝るばかりで、中に入っているものはもう長いこと代り映えしないものばかり、でも誰もがそれを天国だと信じている、この街じゃ幸せとは、停滞の挙句の麻痺のことを言う、思えばいつだってそうだった、俺が子供のころからずっとそうだったよ、満足げな顔をしている連中は決まって、最終的な価値を自分以外のもの―時流や常識、そんなものに委ねて、ガイドラインに従って動くだけで一人前みたいな顔をしている、まったくどうしようもないね、そんなことだから社会はどんどん形骸化したもので溢れて、皆その抜殻の中に、寝袋にくるまるみたいに潜り込んでぬくぬくと暮らしているのさ、そこからなにかが生まれてくると思うかい、すぐに答えを言わせてもらうけど、なにも生まれてくることは無いよ、同じものが生まれて同じように死んでいくだけさ、死骸が積み上げられて、フレグランスの後ろに死臭が隠れている、ねえ、小洒落た店が立ち並ぶその通りでは昔結構な規模の通り魔事件があったんだぜ、もうみんな忘れているんだろうけどね、誰も気が付かなかった、気付けなかったのさ、その狂気はこの街に蔓延しているものだってことに、いつだってどこでだって、そんな事件が起こったってなんの不思議もないんだぜ、だってすべては疎かになっていくばかりなんだから、本当は皆もうどうしていいかとっくにわからなくなっているのさ、なにも思いつかなくなった場所で開き直って、すべてわかってるような顔をしているだけなんだ、見たことあるだろ、知ってるって素振りだけでみんなが自分を許してくれると思ってるやつ、まったくどうしようもない、一番安直な手段、本当にあちらこちらでそんなショーが繰り広げられているんだ、前にも見たことがあるような台本ばかりさ、人間、落ちるところまで落ちると、意識は横一線に並ぶんだ、覚えておくといいよ、そこには個が個である理由などなにも存在しない、ただ生まれて来て死ぬ、巨大な蟻のようなものになるんだ、俺はこれまでに何度も、そんな連中を見ては肩をすくめたものさ、大きな波が来たからって乗っちまうのは考えものだね、彼らはいつだって主流である自分たちの方が正しいとそういう顔をしているけれど、その実ただ数が多いってだけの話なのさ、考えてもみなよ、誰にでも信じられるようなものが真実であるはずがないじゃないか、俺たちは個体として生まれてくるんだぜ、わざわざ前が見え辛い眼鏡をかける必要なんかないんだ、自分が見つめているものをとことん突き詰めればいい、真実なんてゲーテの時代からずっとそういうものなんだぜ、俺はその中に潜んでいる微かな声の方がずっと魅力的に思えるんだ、自分の内にあるものを表そうとして言葉を選べば、それがオリジナリティになるのは当り前のことだと思わないかい、誰かの真実が自分の真実に触れる時、胸に訪れる得も言われぬ興奮は、ちょっと簡単に説明出来るようなものじゃないぜ、あー、誰にも似合わないバッド・インフルエンスのニオイで街は縫製工場のストックルームみたいな空気さ、こいつはどうもあまり喉に良くないね、俺は顔をしかめて目についた喫茶店に潜り込みアイスコーヒーを注文する、そしてそれを時間をかけて飲み干す、少しマシになった気がする、うろうろしている連中の自意識はまるでペンキ屋のマニュアルみたいさ、均一に、ムラなく、見映えよく―ってね、笑わせんな、そんなことの為に百年もの人生を生きるなんてまったく馬鹿げてるじゃないか、もっと楽しく生きる方法があるぜ、もっと生を実感するやり方はたくさんあるぜ、下らないものにとらわれてないで周りを見渡すべきだ、目を離せなくなるような出来事や人物はごまんとあるんだ、アンテナは常に張られているんだぜ、受信するかどうかは持主次第ってことになるんだけどね、他人の人生を良いの悪いの言うほど俺は暇じゃねえけどよ、そういうことが好きなヤツはどこにでも居るものさ、なあ、アンタの厳しい目で一度、自分の人生を眺めてみちゃどうだい、俺はよくそう問いかけるんだ、思うに、彼らがそうしたことを一切したことがないのは、あらかじめ肯定されているせいなんだろうな、酷いデザインになった新札で金を払って喫茶店を出る、フレディの歌声みたいなドギツイ太陽が世界を照らし続けている、俺は顔をしかめながら歩く、一瞬のうちに吹き出る汗に閉口しながら…だけどどうしてだろうな、どんなにウンザリするような時だって、歩くことを止めようと思ったことは一度もないんだよな、もうすぐ無口な午後がやって来る、もう少し詩を書こうと思った、こんな日々でも確かに生きていたとそう感じられるように。