鼓動が意識の中で反響している、その響きは強過ぎてどれが最初の音なのか感じ取れないくらいだ、意味の無い疲労と焦燥の中で、その僅かな振動に糸口を見つけようとしていた、流れを変えるのはいつだってそういう感覚の操り方なのだ、それには形式が無い、むしろあってはならない、人間はしきたりやテキストによって生きるべきではない、意識は覗くくらいで止めておかなくてはならない、ぼんやりとそこになにがあるのか覗くだけでいい、集中などと言い始めるとまったく当り前のものではなくなってしまう、それでは装飾された現実となんら違いはない、見えるものをそのまま感じなければならない、ただ写し取っていれば必ずどこかで、それが持つ意味に気付くことが出来るだろう、そんなことに気付くまでにとても長い時間がかかった、でもそれで良かった、沢山の言葉を使うけれど、無駄なものは一切無い、そんな書き方を覚えることが出来たから…始まりのように生き続けることは出来ない、誰も彼も始まりにこだわり過ぎる、初期衝動をありがたがり過ぎるのだ、それは愚の骨頂というやつだ、それでいいのはパンク・ロックぐらいだ、そうじゃないか?俺は詩というのは人間の心の動きをそのまま記すものだと思っている、そこに意味がある、逆に、こう言うことも出来る、瞬間瞬間の感覚、感情をただ写し取っていく行為の中にあるのは、初期衝動でしか在り得ないと―矛盾していると思うか?それは浅はか過ぎる、初期衝動というものは文字通り衝動でしかない、だが、経験や修練によって、それは衝動であって衝動でないものに成ることが出来る、何を言っているのかわからないか?そんなに難しいことじゃない、ジャンルを問わず、ある程度キャリアを持った人間なら誰だってやっていることさ、そのまま吐き出すだけではない、様々なアクセスの手段が必要になる、幾重ものプロセスを持って初めて、初期衝動が生き続ける土壌が生まれる、ありがたがり過ぎる、と言った理由はこれだ、初期衝動とは、初めてそれが表出した時の手段にこだわっていては二度と生み出すことが出来ない、だから衝動なのだ、だから衝動と呼ばれるんだよ、いつだって衝動は生まれたがっている、そこに辿り着くまでの経路を、旅人のように見極めなければならない、旅人は同じ道をあまり歩かないものだ、そうだろう?旅人がするべきことはなんだ?歩き続けることだ、目的地を目指して歩き続けることだよ、詩人がするべきことは―?書き続けることだ、読書量や、技術論や、知識量をひけらかすことではない、書き続けることだよ、そんなこと出来ないって?そんな筈はない、俺は人生の半分以上、詩を書いて暮らしている、それは不可能なことでは無い、不可能なことでは決してないよ…まあ、誰にでも出来ることではないかもしれないけれどね、まあ、俺はあまり賢くないからさ、ひとつでも多く書いて、身体で掴んでいくしかないんだけどね、そんなことを何十年も繰り返して、ようやく気付いたんだ、初期衝動はまだこの心の中にあるって、もしかしたら誰だってそうかもしれないよ、そいつは手を染めた時に心の中に根付くんだ、ただ、初めてそうした時のようにすることが出来ないというだけのことなのさ、そうなんだ、考えてもみて御覧、衝動という以上、それは初期衝動と同じものでなければいけない筈じゃないか?初期以外の衝動なんて果たして在り得るのか?これを書きながら俺はいまそんなことを考えているんだ、いつだって初めてのように書きたいのさ、いつだって初めてのように読みたいんだ、慣れちまって、いろいろ覚えちまって、ただ良く出来てるだけのものなんか一生書きたくない、やり方を自分で作ることさ、テキストに従うだけじゃない、自分だけが持てるプロセスを模索することだ、そしてそれを生涯突き詰めてみるんだ、答えなんてそれをやり尽くした後にしかないんじゃないのか?たったひとつのもので良い、たったひとつのものをずっと追い求めていればいいのさ、本当のピリオドは死ぬときに一度打たれるだけなんだ、その時に気持ちよく息を吐き尽くしたいじゃないか、真実はどんなものでもない、真実はかたちのあるものではない、真実は誰かと共有出来るものなんかではありえない、真実はいつでも自分を追いかけて来るもののことを見ている、真実は追い求めるものにしかヒントを与えてくれない、俺にとってはそんなものでいい、納得したくてやっているわけではないんだ、これは本能的な行為なんだよ、俺はそう考えている、何かが俺にそちらを向かせるんだ、それはもしかしたら、昔俺の心を震わせた誰かなのかもしれない、俺を熱くさせた旋律なのかもしれない、忘れることが出来ないものが未来へと逸らせるのさ、寝惚けてんじゃねえよ、退屈な時間があるのなら思うままに指を動かせばいいんだ、そうすれば必ずその時、生まれようとしているやつが俺の手を引くんだ、肩が抜けるんじゃないかってくらい、もの凄い力でね。
擦過傷に滲む薄い血のような光が時折目の端にチラついていた、少し水分を取るべきなのかもしれないと思ったがまだそうしたくなかった、日曜の午後は果てしない熱と退屈の中で軟体生物のようにのたのたと過ぎ去ろうとしている、理やしきたりに従って生きるしか能の無い連中が年に一度の祭りで羽目を外している、こんなシステムを作り上げたやつにはまったく頭が下がる、いまやこの祭りに参加するためだけにこの街に越してくる人間まで出て来る始末、表現欲など微塵もない素人の歌と演奏が街を振動させ続けている、やってるやつらが楽しいだけ、それはこの街のアイデンティティを克明に反映している、ジョン・ゾーンを聴きながら新しい詩のことを考える、イメージはぼんやりとうろついてはいたがまだゴーサインは出なかった、インスタントのカフェオレを飲みながらパズルゲームをしていると知らない間に一時間も経っていた、いまどきは時間さえインチキをするのかもしれない、俺が見ていない間に駆け足で進んだりしているのだ、俺はタブレットを放り出しワードを立ち上げる、やることが無いのなら書いてみたほうがいい、書きたいから書く、という感覚を信用しなくなった、それはただの自己満足だ、書きたくなくとも書ける方が結果を出せる分ずっといい、俺が決めていることはひとつだけ、週末の休みにひとつは書く、ということだけだ、そうすれば感情に左右されることはない、書いている人間がどれだけ必死でも読んでる人間には関係のないことだ、酔っ払いの戯言のようにだらだらと言葉を並べてみたって好きだというやつは居る、要するに、食事のようなものだ、腹が減ったら食う、それぐらいのところまでモチベーションをナチュラルなところにおいてやればいい、それは義務でも権利でもない、特別声高に叫ぶようなこだわりでもない、ただある日そうした方がいいと思っただけのことだ、そう決めてやれば身体は勝手にそこに向かって調整をするようになる、リズムに迷うことが無いというのは重要なことだ、どんな思想を持っていてもリズムが無ければそれは上手く生まれてくることが出来ない、人間というのはリズムを含んでいる生きものだ、それは日常的に鼓動を聞いているせいだろう、リズムによって思考は整理されていくのだ、そしてそれがあまりにも込み入ったものになってくると人間は詩を書こうとする、未整理のまま吐き出すことによりそれは整理される、詩人たちは自分を知るために詩を書く、詩を書き、それがディスプレイに映し出されるのを見て、キーボートが立てる小さな音を聞いて、自分のリズムを知る、たったひとりで作り出すグルーブ、それが詩作だ、リズムと言葉の旋律は脳神経をトランス状態に連れて行く、俺は半ば呆けながら指先が次の言葉を描き出すのを最初の読者として眺めている、リアルタイムの自分をそこに刻み込むこと、それが俺がひたすら書き続けている理由だ、詩を綴る瞬間のすべてを残しておきたい、俺はそう望みながら詩を書いている、気温の高さも、外界の喧騒もいつの間にか気にならなくなっている、そうさ、俺は混沌でありたい、自己の混沌を、詩を書き綴ることによって育て続けたいんだ、一流家具店のインテリアみたいな言葉なんか並べたくないのさ、それは習えば誰にだって出来ることだから、俺は混沌を育て続けている、混沌とか、自己矛盾とか、そういうものをさ、後生大事に育て続けてきたんだよ、始め俺はそこから逃れようとしていたんだ、でもそんな行為にはどこか違和感が付き纏った、なぜクリアーに整理されなければならないのか?俺はその奇妙な義務感に民衆という嘘を感じたのさ、俺の狂気は俺を生かしている、そのことが長いことわからなかったんだ、俺はひとりしか居ない、なにがまともで、なにが狂っているかなんてそこではどうだっていいことだ、比較対象が必要な話じゃない、そいつをどう受け止めるか、それは大事なことだぜ、ひとつ間違えれば周囲に迎合して生きるだけの馬鹿になっちまう、貰った尺度は捨てることだ、自分が生きていくためになにが必要なのか、自分で見極めて選択することがなにより大事なのさ、俺は混沌を捨てたくないものがなにかを書いたり、歌や芝居で声を張り上げたり、沢山の色を使って絵を描くのだと思う、そしてそういうものこそが本当に、窮屈な真実に支配されている人間たちの心を動かすのだと思う、誰がそれをどう思うかなんてどうだっていいよ、俺が人生を通して感じてきたことはそれだし、俺はそれが自分のやるべきことだと思う、俺は目の前に居る君とは違うし、その辺をうろついている連中ともまるで違う、それは俺が詩を書き続けているからなんだ、詩を書き、自分だけの言葉を知り続けてきたからだ、祭りが終わり、街路は急に静まり返った、いつのまにかこんなに時間が経っていたんだ、俺は身体を伸ばす、目の前には出来上がったばかりの詩がある、それでどうにか今週も道化を続けることが出来るだろう。
歪んだ燭台の中の左手の小指の先端の骨はすでに黄色く、そこでどれだけの時間が流れたのか見当もつかなかった、一匹の大きめの蟻が意味ありげにそのそばに留まり、しきりに触角を揺らしていた、石で作られた建物は湿気を溜め込んでいてお世辞にも居心地がいいとは言えなかった、窓枠ごと朽ちて落ちてしまったがら空きの窓からは放置された庭園が見えた、ヨーロッパによくあるような迷路めいた庭、その一番奥にはタージ・マハールのように温室が設けられていた、すべてが荒れて色褪せていた、植物人間を見ているみたいだ、そこに在るすべてが死んだために生き続けていた、以前は噴水であったのだろう空っぽの池は凝った彫刻のついた石で囲われ、その中心には見開かれたまま白く澱んだ眼球のように水を吹き上げるためのノズルが取り残されていた、生きものだけが死を語るわけではない、死んで骨になる人間とは違い、建造物は運命の時まで延々と死に続ける、そして俺はずっとそんなものを眺め続けている、日本がまだ羽振りがよかった時代、どこかの社長が金にものを言わせて作った別荘とのことだった、動機としては悪趣味だったが、徹底された模倣としてはなかなかの出来だと言わざるを得ない、三階へと向かう階段にはペーパーバックが落ちていた、恐るべき子供たち、とタイトルが記されていた、失われた窓の空間には似つかわしくない細やかなガラス片が踊り場に散らばっていた、建物は壊れ始めてからの方がずっといろいろな言葉を聞かせてくれる、三階には鹿鳴館を思わせる内装の部屋があり、ソファーが円を描くように中心に向かって七つ並んでいた、長く降り積もった埃のせいですべてが酷くぼやけて見えた、巨大なオーディオ・システムのターンテーブルに乗せられたレコードのラベルは判別不可能なほどに剥げていた、もうすぐ西日に変わるだろう午後の陽射しが窓から忍び込んでいた、この時間の太陽がすべてを焼いてしまったのかもしれない、以前は分厚いカーテンで覆われていたのだろう、キャビネットに並んでいるレコードはどれもポップ・ソング以前の代物だった、ちゃんとしたオーケストラが、ちゃんとした感情を表現するために切磋琢磨していた時代の遺物だ、スピーカーはゴーレムのように沈黙していた、またいつか通電する日を待っているのか、それとももうすべてを諦めているのか、その佇まいから察するのは不可能だった、三階にはもうひとつ部屋があると聞いていた、ただその入口がどこなのかわからないという話で、なんとも釈然としなかった、建物の外観を思い返してみると、確かに三階にもうひとつ部屋があるべきだという気がした、もしも三階がこの部屋のみなら、外観は上部が少し痩せた形になっていなければならない、ではその部屋の入口はどこだろうか、この部屋から行くのか、それとも廊下のどこかからか、窓の外の景色からこの部屋のだいたいの位置関係を掴み、おそらく踊り場のどこかに扉が隠されているだろうと推測した、踊り場の壁に扉と、部屋へ上る階段が隠されている、部屋にあたると思われる位置には窓はないはずだったが、天窓などがあるのなら下から見上げてもわからない、その可能性は大いにあるだろう、隠し扉は簡単に見つかった、花の無い花瓶を置いてある小さなテーブルをどけ、そこの壁に手をついてすこし力を入れてみると難なく横にスライドさせることが出来た、案の定そこには上へと向かう階段があった、人ひとり歩くのが精いっぱいの狭い通路だった、ライトを用意し、階段を上ると十段ほどで扉に行き着いた、扉には鍵が掛かっていなかった、手前に開くとそこにあったのは無数の頭蓋骨だった、様々な真っ黒い眼窩がこちらを見ていた、あるものは正面から見据え、またあるものは多少の興味がある、という感じで、横目で眺めていた、素人目でどうこういうことは出来ないが、おそらく本物だろうという気がした、と同時に、これが部屋全部に詰まっているわけではないだろうと思った、頭蓋骨の壁の後ろ側から、締め切られていた部屋が持つ特有の空気が流れ出してきていた、この向こうには空間があるのだ、頭蓋骨の壁に蹴りを入れると簡単に崩れた、積み上げられていただけで固定はされていなかったのだ、あらわになった部屋の真ん中に椅子が一脚あり、そこには赤いワンピースを着た少女のミイラが一体腰かけていた、天井にはやはり天窓があり、少女にスポットを浴びせ続けていた、部屋の中をぐるりと歩いてみたが、その他にはなにも残されていなかった、俺は少女を見た、彼女を封じ込めるためだけに作られた部屋なのだろう、でもその理由を確かめるための材料はなにもなかった、すべてをそのままにして出て行くことにした、頭蓋骨をもう一度入口に積み上げようとしてみたが上手くいかなかった、御免よ、と俺は少女に詫びた、少女は微かに頷いたように見えた、踊り場に出るまでずっと、彼女の視線を背中に感じていた、建物の外に出る頃には夕焼けが始まろうとしていた、逆光にシルエットを浮かび上がらせる別荘は静かにその役目を遂行しつづけていたのだった。
明け方の悪夢が目を覚ましてからもずっと漏水のように滲んでいる、それは猛烈な夏のせいだけではもちろんないだろうし、まして狂いかけた脳味噌のノイズのせいだけでももちろんなかった、正気の方が狂気よりもずっと狂っていると感じることはないかい、なに、解釈の仕方はそちらに任せるよ、こっちで全部決めちまうようなやり方は好きじゃないんだ、タンブラーに満たした水の中に走馬灯が見えた、そんなもの俺は望んでは居なかった、昨日の新聞なんか読みたがるやつはいないって古いロックソングにあったっけな、喉を鳴らして水を飲み干すと過去は全部消えてしまった、俺は過去のない男になった、出来事なんかいつまでもストックしておく必要はないんだ、身体に刻まれたものは消えることがないんだから―俺はなにかの証明の為にこれを書いてるわけでもない、君の為でもないし、もしかしたら俺の為ですらないかもしれない、あるいはそのすべての為に書いているのかもしれない、ただそのことについて突き詰めるつもりがないというだけさ、つまらない定義に時間を割いてるくらいなら新しい一行を書き足す方がよっぽど有意義だからね、そうは思わないか?これまでに何度も書いてきた通り、俺は身体の奥底で燻っている野性の為に書き続けているんだ、インテリジェンスなんか糞喰らえさ、肉体と精神のスピードの調和から生まれてくるものしか信じないんだ、理屈抜きで語れるものが一番心地良いのさ、こんなこと説明しても無意味かもしれないが―それは継続する直感とでもいうべきものだ、継続する直感はすべてを上書きする、そうとも、俺が書いていることはすべて以前からずっと書いてきたことだ、けれどそれはリアルタイムという概念によって常に上書きされ更新されている、アップデートされ続けているんだ、OSはずっと昔のポンコツだけどね、でも、特定のテーマに沿って動き続けるには十分なスペックだよ、新しい船を動かすのは古い水夫じゃないかもしれないが、古い水夫は船の動かし方について一番詳しいだろう、そうは思わないか?早い話俺はとんでもなくアナログなんだ、でもデジタルにちょっと手を付けることくらいは出来るのさ、人間は一度しか生まれないわけじゃない、目覚める度に生まれているとも言えるし、何かひとつ書き上げる度に生まれているともいえる、何度生まれるかが勝負さ、その度に赤子のようになって周辺のものを取り込んでいくんだ、もしかしたら俺はそんなプロセスの中で生きていることが楽しいだけなのかもしれないな、それはもっとも原始的な知性で、成長なのさ…つまり俺はいつだって初めてそれを行うために無数の手段を覚えるんだ、たったひとつの事の為に沢山の回路を作るわけさ、本当に変わらないでいられるやつっていうのは、常に変化し続けているんだよ、たったひとつの道を走っているだけだとその道の走り方しかわからないわけさ、俺にはそういうのちょっと耐えられないからね、わざわざ不自由な場所に身を置くことがストイックだとは思わないぜ、俺にはそれは途轍もない怠慢に見えるよ、これは照準の定め方なんだ、広いところからだんだんと絞って行ってある一点を目指す、なにかを表現するって結局はそういうことなんだろう、そのきっかけになるのは例えば明け方の悪夢だったり、昨日の食事だったりするわけさ、すべてにフォーカスを定めたいのか、それともその中の一点なのか?それがはっきりしないまま指先を動かし続けていると、頭より先に身体がそれを理解し始めるんだ、脳味噌ではなく、肉体がそれを書かせるのさ、まるで腕や胸のあたりに脳味噌が移動して動いているみたいさ、俺はそこに入り込むのがたまらなく好きなんだ、ちょっとなんて言うか、幽体離脱みたいな感覚に陥って、好きに飛べるような気分になる、どこへでも動けるような気分になる、これはある程度のスピードの中で起こる出来事さ、だから俺はいつだってスピードを求めてしまうんだ、合法で純度の高い麻薬さ、その中でいつも思うことがあるんだ、ここに居るけどここに居ないって―俺であるけれど俺ではない、言葉にするとそういう感じさ、演劇なんかやってたやつには理解出来るんじゃないかな、魂は俺たちが思っているよりずっと自由なんだよ、もしも君が俺の言葉になにかを感じたとしたら、それは君が俺の魂に少しばかり触れたってことなんだ、俺は出来るだけ自分とは関係の無い場所で一篇の詩を書きあげたい、それをすると魂が凄く満たされて心地良く眠れるんだ、まあ、そんな風に眠ったとしても、悪夢で目覚める夜だってあるわけなんだけどね…でもそんなの当り前のことだからね、すべてを自由に操るなんて無理な話だし、そんな忌々しい話が小蝿のようにうろついているからこそ、そうじゃない領域の為に躍起になることだって出来るわけだから。
時間は降り続ける針の雨だ、すべてが的確に俺を貫いては床を鳴らして消える、概念的な血みどろ、底無し沼に踏み入ったかのように身動きもままならない、それは痛みには思えなかった、それは傷とも思えなかった、それは不運とも思えなかった、それは日常的に俺を弄り続けてきた感覚だったからだ、もはや耐えるという意志すらなかった、抗うという段階はすでに越えていたのだ、結局のところ、そんなことの繰り返しが俺という人間を作り続けてきた、俺の思考、感覚を構成し続けてきたのだ、だから俺はいつでも、そんな世界に落ち込んだとき感情を殺して現象として受け止め続けてきた、イメージの代物だ、それがすべてではない、一番印象深いものがそういう形をとって現れているだけなのだ、全身から血を吹き上げ、魚のように痙攣を繰り返しながら、その現象の裏にあるものを知ろうとした、知るべきだ―それ以外に何がある?嘆いたり呻いたりなど俺がやるべきことではない、もう俺はそんな場所には居ないのだ、どうせならお前も覚えておくといい、牙を剥く獣などみな臆病者なのだ、自分自身の内奥と闘う時こそ、殺意と憎悪をもって臨まなければならない、それこそが自分自身の、自己表現の根幹となる精神だ、わかっていたんだ、ずっと昔から、それこそが俺を現世に留めていたんだって、わかるかい、自己表現とは肉体を使って肉体から最も遠ざかる行為だ、肉体から離れる、それはつまり生きながら死の淵を覗くということなのだ、霊体である自分自身の為に肉体である自分自身が脈を打つのだ、俺はその回路を開くために書き続けてきた、だけどそれを理解したのは、ある程度開くことが出来るようになってからなのさ、半生を賭けて俺はそれを会得し、理解したんだ、理論ではない、学問ではない、体感を繰り返して掴んだものだ、いわば行だ、それは真実の為の行ではない、それは悟りの為の行ではない、それは完成に至る為の行ではない、行の為の行なのだ、行い続けるための…行なのだ、始めたばかりのころは真実を得ようとしていた、それにまつわる、様々な欲望を同時に果たそうと目論んでいた、でもそんなことに結局意味はないのだと気付いて、俺は行うためだけにそれをするようになったのだ、本当は、そうさ、シンプル・イズ・ベストなんて、極限まで振り切った人間が初めて気づくものだぜ、最初からわかったような口をきくなんて、馬鹿げてる、やればやるほどわからなくなって当り前なのさ、俺の言ってることわかるか?理解することが目的ではない、体感することさ…その集中を、昂ぶりを、どれだけはっきりと感じることが出来るのかという話なんだ、すべてを言葉にする必要など無い、どうせすべてを理解することなど出来はしない、それにはもの凄い時間が掛かるんだ、種が発芽して、やがて大樹になるようなものだよ、肉体の中に根を張って、芽を出して、大きく伸びて初めて気づくことが出来るのさ―そしてそんなタイムラグが、出来る限り生き続ける理由になるんだ、俺がずっと欲しがっていたのは結局のところそんなリアルな生だったのさ、これにはもっともっと長い時間がかかるんだ、そして、死ぬまで終わることがない、けれど俺は、例えどこか近い未来で俺がくたばる瞬間が来たとしても、俺のことを知っている誰かが続きをやってくれると信じているよ、なにしろこれまでいろんなところでたくさんのものをばら撒いてきたからね、それくらい信じたってバチは当たりゃしないだろう、時間は降り続ける針の雨だ、俺は貫かれ、血みどろになって、俺の血の赤さを知る、俺の血の熱さを知る、俺の血が含んでいる沢山の詩篇に気付く、お前には俺が頭のおかしいやつに見えているかもしれない、だけど俺はまともさ、俺という人生にとっての最適解を手に入れて解き続けているんだ、そこに果たして客観性なんて必要なのかね―?俺はこの言葉がどこまで続いていくのか見てみたい、ひとつ書き上げたあとに、どんなものが続くのかずっと見ていたいんだ、もしもいま神様がひとつだけ願いを叶えて下さるとしたら不老不死をお願いするだろうね、「人生は有限だからこそ詩人は美しいのだ」なんて、お前は言うかもしれないね、でもそんなこと、俺にとっちゃどうでもいいことなんだよ、だって、遥か昔にも、今現在も、おそらくは可能な限りの未来にも、俺はずっと同じものを追いかけているだろうからね…「俺の血にキスしろ」って、ライブ中に叫んだパンクロッカーが居たよ、俺もたぶん同じ気持ちなのさ、俺の血を見ろ、俺の血を感じろ、ってね―なあ、簡単に確信なんか得るもんじゃないぜ、なにも知らないままで居るやつの方が沢山のことを知っているなんて話は―そんなに珍しいことじゃないはずさ。