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はじめに
0. 思想と行為
1. 第一次世界大戦の立て役者
1.1 第一次世界大戦の開始
1.2 シオニズムの推進
1.3 ロシア革命への干渉
1.4 第一次世界大戦の結果
2. 第二次世界大戦および、その後の世界への悪影響
2.1 ベルサイユ体制
2.2 経済実態に見合わない「旧平価(かなり前の為替レート)」での金本位制への復帰
2.3 ナチスへの宥和政策
2.4 原爆投下への関与
おわりに:「心性」についての補足
更新履歴と同カテゴリの記事
はじめに
いわゆる「大英帝国」とやらの悪と愚昧を体現した人物、それがチャーチルである。つまり、
彼はイギリスが他国にもたらした大災厄の契機をいくつも作った上に、イギリスの一般国民に
とっても多くの不幸の原因になっている。しかし、「ナチスへの宥和政策」に見切りをつけた
タイミングがチェンバレンより早かった事と自己宣伝に長けていた事によって、西側の標準的
言説上では、「偉人」扱いすらされている。まさに「巨悪」という名にふさわしい。:-(
# ↓ チャーチルを「最初のネオコン」と呼ぶ人がいる←少なくとも「ネオコンの偶像」ではある
# What are the neocons, really?
# 「William J. Luti, a leading neoconservative in the Pentagon,
# recently told me, “Churchill was the first neocon.”」
The Real Churchill
「It's not a surprise that this neoconservative administration and its
apologists in the tamed media laud and venerate Churchill, for he was
as President Bush described him; a man who was synonymous with war. 」
# 以下に見るように「戦争の同義語 (synonymous with war)↑」との評価は誇張ではない。
0. 思想と行為^
本稿では「言説として表明された思想」そのものより、「具体的な行為と、その結果」を重視
して論を進める方針を取る。例を挙げよう。
すっかり有名になった彼の人種差別については、心理的側面についてはひとまずおくとしても、
300万人もの犠牲者を出した1943年のベンガル大飢饉での責任は重大と考える。この件では、
ビルマを占領して、インドへの米の輸出が止まる原因になった日本も有罪なわけだが。:-(
https://ja.wikipedia.org/wiki/ベンガル飢饉_(1943年)
「第二次世界大戦中の1943年から1944年にかけて、イギリス領インド帝国のベンガル地方に
おいて発生した大飢饉 ... この大飢饉により、およそ300万人が死亡 ... なおこの飢饉の
原因は、干ばつや猛暑などではなく、ウィンストン・チャーチル元英首相の政策による影響が
大きかったためとされている。チャーチルが、インド人に対し人種的嫌悪感を抱いていたため、
飢饉にあえぐインドに援助をせず、多数の人々が餓死したとされている。....」
# チャーチルは*ベンガル大飢饉の最中に*大量の穀物をインドからイギリスに送った。
https://russia-insider.com/en/history/10-people-you-will-definitely-meet-hell/ri12050
"He knowingly and enthusiastically caused the famine in 1942-43 by transferring
vast quantities of food grain from India to Britain.
To Churchill, the starvation of Indians was less serious than that of Greeks. When the
British administrators urged him to release food stocks for India, Churchill responded
with a telegram asking why Gandhi hadn’t died yet.
.... No human being deserves to be in hell more than Winston". # 強調は本ブログ筆者
# 前掲 Russia Insider 記事の著者はインド人で上記以外の悪行にも言及。下記も参照。
Neocon Hero Churchill Was Twice as Evil as Kissinger ...
The colonial secretary, Leo Amery, remarked:
“On the subject of India, Winston is not quite sane … I didn’t see
much difference between his outlook and Hitler’s.”
一般に「反共主義」思想の根底には、「帝国主義」的な側面が多分にある。例えば、ソ連が
崩壊してロシアが議会制民主主義+資本主義の体制になっても、「NATO 東方拡大」で西欧の
ロシア敵視政策が継続された事や、アメリカの対中国姿勢に「パワーポリティックス」以外の
原則は見当たらない事(毛沢東政権との妥協姿勢と資本主義化した現在の中国との対決姿勢の
対比を見れば明らか)に注意すべき。
チャーチルの「反共主義」の場合、「第2期グレートゲーム」としての側面と「特権的富裕層の
既得権益擁護」の側面のうち、前者の側面が大きいと考えられる。
例えば、チャーチルは 「第1期グレートゲーム」でイギリスの「新戦略」だった「日英同盟」を支持していた。
(愚かにも、いいように利用された日本への影響は、別の記事で述べた。付け加えておくと、
「第2期グレートゲーム」開始時点で、(再び、愚かにも)日本はシベリア出兵*という
「戦略的見通しを欠く有害無益な軍事行動」を行った。この干渉戦争は「チャーチル肝入りの
政策」だった(チャーチルは一億ポンドの巨費をつぎこんだ。しかし、シベリア出兵が日本に
もたらした損失は、はるかに大きい。∵イギリスは「金を出しただけ」で、日本のように
大軍を長期間動員していない。1921年に1ポンドが3.78ドルであり、同時期に1ドル2円と
貨幣法に関する説明にあり、戦費だけ比較しても「日本のシベリア出兵の戦費:10億円以上」の
方が多い。米騒動などへの影響や国力の差を考慮すると、シベリア出兵が大愚行なのは明白)。
1. 第一次世界大戦の立て役者^
第一次世界大戦は、第二次世界大戦以上に、世界史に決定的な影響を与えた出来事である。
そもそも、第二次世界大戦は、第一次世界大戦なくしては有り得ない事象だからだ。
にも関らず、日本での一般的な認識が乏しいことを憂うるサイトがいくつかあり、その一つが
下記サイト。
http://www.kaizenww1.com/
カイゼン視点から見る第一次世界大戦
このサイト↑の結論部分は、下記ページ(結論以外にも見るべき点は多数ある。念のため)。
http://www.kaizenww1.com/800lessonsunlearned.html
「日本が学ばなかった大戦の教訓」の構成
- 国家としての成長にも、総力戦を戦うにも - 非戦争で工業化
- 帝国主義的発展は限界化 - 植民地の保有はリスク
- 強い陸軍の維持 - 兵員数より最新兵器
- 低費用で機能する海軍 - 艦隊決戦より海上封鎖
- 軍事的な敗北の絶対回避 - 孤立より国際協調
特に「非戦争で工業化」を怠っていた事は、「「戦前」の日本(本ブログ内では「明治国家」と
仮称する)」の根本問題の一つである。 明治国家は、あまりにも多くのリソース/「資源」を
戦争/軍備に割き過ぎた。明治国家の経済成長率は、いわゆる「明治維新」から1945年の敗戦に
至るまで、西欧との比較ではパッとしない水準だった(戦後とは様子が違う)。民生に資する
領域への「国家としての投資」を怠り続けた事の当然の結果に過ぎないが、あまり認識されては
いない事実でもある。「後知恵」ではあるが、第一次世界大戦前後の期間は、日本が軌道修正を
*無理なく*行えたかも知れない「最後の機会」だった。シベリア出兵を「さっさと切り上げる」
判断が出来なかったあたりで、後に対中戦争で泥沼にはまる運命が抗い難いものになった。
もっとも、「人材」的な観点からは、戊辰戦争のどさくさに紛れて 小栗上野介を殺した政府に、
まともな判断など期待できようはずもない。ともあれ、ここでは、日本の転落を決定付けた事件
になった「第一次*世界大戦*」の立て役者がチャーチルだったと認識して頂ければ十分。
1.1 第一次世界大戦の開始^
イギリスが参加する「世界大戦」の開始にチャーチルが果した役割は、Wikipediaにも触れられて
いる。出典: 河合秀和 『チャーチル イギリス現代史を転換させた一人の政治家 増補版』
中央公論新社〈中公新書530〉、1998年(平成10年)。ISBN 978-4121905307。
「イギリスはロシアともフランスとも正式な軍事同盟は結んでいなかったので参戦義務はなく、
閣内でも参戦すべきか否か意見が分かれ、とりわけロイド=ジョージが参戦に反対した。
しかしチャーチルは、熱烈に参戦を希望し、ドイツがロシアに宣戦布告した8月1日には独断で
海軍動員令を出した。」
一つ注意すべき点は、そもそも大戦前のドイツとの軍拡競争も、チャーチルが主導したことだ。
渡辺惣樹「英国の闇チャーチル 世界大戦を引き起こした男」 ビジネス社 (2020年9月19日)
ISBN-13 : 978-4828422206
書評より
「「ヨーロッパ大陸の戦いは不可避であったが、大陸だけの限定戦争で終息できた。それを
自己中心的な外交を展開した上で参入した英国があの戦いを世界戦争にした」のである。
すなわち「ウィンストン・チャーチルが何としてでもドイツ海軍を潰し、英国海軍覇権
(大英帝国覇権)を墨守すると決めたから起きた戦争」なのである(346p)。」
1.2 シオニズムの推進^
1917年の「バルフォア宣言」が、「パレスチナ問題の根本原因としてのシオニズム」、つまり、
ユダヤ人のパレスチナへの大量入植の契機となったことは、よく知られている。チャーチルは
植民地大臣として、その実現に携った。「第二次大戦後のイスラエル建国へのレールを敷いた」
と言えよう。「英国の闇チャーチル 世界大戦を引き起こした男」によれば、チャーチルは父親
からロスチャイルド家の総帥ナサニエル・ロスチャイルド卿を紹介されている。」
http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/igirisu/Churchill.html
(原文は http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc622.html )
「ロスチャイルドの代理人ウィンストン・チャーチル ...
ウィンストン・チャーチル(1874年11月30日~1965年1月24日)とロスチャイルド家の関係に
ついては、広瀬隆氏の著書『赤い楯』(集英社)に詳しく書かれている。 以下に、該当する
部分を載せておく。 ....」
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hd/a6fhd300.html
「シオニズム」の活動家たちは、当初、「民なき土地に、土地なき民を」をスローガンとして
いたが、パレスチナを「民なき土地」にするためには、そこに暮らしている人々を追放し、
あるいは殺すことが必要であった。現在のイスラエル政府の「シオニズム」は、 人種差別的な
イデオロギーと軍事思想に基づいているといえる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィンストン・チャーチル
「...
一方ユダヤ人もバルフォア宣言でパレスチナ移住が認められており、国際連盟がイギリスに
パレスチナ統治を委任した規約の第6条では「パレスチナの統治機構は、この地域の他の住民の
権利と地位が侵害されないことを保証しながら、適切な条件下でユダヤ人の移住を促進する」と
定められた。この条項には様々な解釈があったが、チャーチルは「この地域の経済力を超えない
範囲、パレスチナ人の職が奪われない範囲内でのユダヤ人の移住促進」という意味だと解釈し、
以降これがイギリス植民地省の基本スタンスとなった。」
# バルフォア宣言には国際法上の効力はないので、実際はイギリスの帝国主義的思惑による。
# この思惑はアメリカに引き継がれ、現在のパレスチナ/ガザ状況の根本原因になっている。
∴↑実際は、もっと踏みこんでシオニズムを推進している。1920年には、「パレスチナにユダヤ人
*国家*を早急に建設すべき」との主張を含む論説を、自ら新聞紙上で発表している。
↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/反ユダヤ主義
「... チャーチルは1920年2月8日にサンデイヘラルド紙上の『シオニズム対ボルシェヴィズム:
ユダヤ民族の魂のための闘争』で、... パレスチナにユダヤ人国家を早急に建設すれば、不幸な
ヨーロッパからの避難所となり、ユダヤ教の栄光ある教会となる。 ... と ... 論じた」
# この論説は、チャーチルがシオニズムに共感していた事を明確に示している。ユダヤ人国家を
# 既に多くの*ユダヤ人ではない人々*が住んでいる土地に作ること自体に問題があることなど
# 考えた気配すらない。
あと、シオニズムの推進とナチスへの宥和政策は整合的なことを念のため注意しておく。
『エルサレムのアイヒマン』とは|アーレントの議論をわかりやすく解説
「当初のナチスは、「ドイツからユダヤ人を追い出したい」と考えており、ユダヤ人を追い出す
ことができるシオニズムは好都合」
「アイヒマンはナチスでユダヤ人専門家としてのポジションを持っていたため、シオニズムを
推進しユダヤ人国家を作れば出世できると考え ... シオニズムを支持していた」
# このような構図は、現在も存在する。
https://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-38.html
「欧米ではしばしばユダヤ人が嫌いで、ユダヤ人に対して強い偏見を持っている人に限って、
イスラエルという国は大好きということが見られる。(中略)自分たちの社会からユダヤ人に
出て行ってもらいたいから、出て行く先があるのは大いに結構」
「ナチ党の場合も、理論的指導者のアルフレッド・ローゼンバーグが一九三七年に発表した
論文「転換期におけるユダヤ人の足跡」の中で、「シオニズムを積極的に支援すべきである」
とし、「相当数のドイツのユダヤ人を毎年パレスチナに向けて送り出すべきだ」と論じていた」
1.3 ロシア革命への干渉^
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィンストン・チャーチル#反ソ干渉戦争
「イギリス国内でもチャーチルや保守党がボルシェヴィキとの妥協に反対し、干渉戦争の続行
を主張した。戦争大臣チャーチルは各部隊司令官に対して兵士たちがロシア出兵可能な状況か
どうかを問う秘密質問状を送ったが、各司令官とも否定的な返答をした。そのためイギリスの
干渉戦争はロシア国内の反ソ勢力の支援継続以外には不可能であった。
ロイド・ジョージがパリ講和会議出席のためにイギリス不在の間、チャーチルはこれに全精力を
注いだ。チャーチルが白軍に行った支援は1億ポンドにも及ぶ。
さらにアメリカ大統領ウィルソンから「各国が出兵するなら干渉戦争に反対しない」との言質を
取ったチャーチルは、連合国ロシア委員会を設置し、連合国各国に反ソ行動を求めた。」
この干渉が内戦を長引かせ、ソ連の一般民衆、特に農民の苦しみを途方もなく増大させたことは
疑う余地がない。ケインズの指摘通り、チャーチルには、自国労働者の苦痛すら「どうでもよい
こと」に含まれていたことは明らかで、他国の民衆など存在自体が視界の外のようだ。
1.4 第一次世界大戦の結果^
「チャーチルは自らが指揮に携わった第二次世界大戦を「不必要な戦争」と呼んでいた」
↑
自らが主導した第一次世界大戦は「必要な戦争」だったらしい。史上初の「総力戦」となって
途方もない数の死者を出し、さらに多数の人々に辛酸を舐めさせた戦争なのだが。
↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/第一次世界大戦の犠牲者
「第一次世界大戦の犠牲者は、戦闘員および民間人の犠牲者の総計として約3700万人」
また、「三枚舌外交」は現在に至るまで、非常に重大な問題を引き起し続けているわけだが、
さらに直接的に、戦後処理が「第二次世界大戦への道を舗装した」問題もある。チャーチルは、
この件にも直接関与している(次節で内容を述べる)。
2. 第二次世界大戦および、その後の世界への悪影響^
チャーチルの経済政策についての見識は、当時の(というか今も)多くの西欧諸国の政治家と
同様、壊滅的だった(まあ、「経済政策についての見識」なんてものが、彼に存在すると仮定
した上での話だが)。ある意味、この「不見識」こそが第二次世界大戦の主因であることは、
「主流派経済学者(新自由主義者すらもハイエクという救い難く愚かな例外を除き含まれる)」
と「「異端の」(=より科学的に考える)経済学者」の見解が珍しく一致する、数少ない論点の
一つである。
注)ハイエクは 1929年以降の世界恐慌の最中にも「政府がすべき事はない」と言い続けた。
ただ、チャーチルの場合、この「不見識」と「帝国主義的な政治信条」が分かち難く結合して
いると考えられるため、いわゆる「死んでも直らない」タイプになる。第二次世界大戦の戦勝
にも関わらず選挙に負けた理由は、「平時の経済運営は絶対させたくない」という、選挙民の
(極めて妥当な)判断に他ならない。もしかすると、「集合的無意識」において「下手すると、
自分好みの状況にするため、また戦争を始めかねない」という不安すら抱いていたのかも?
(2.3参照)
2.1 ベルサイユ体制^
https://toyokeizai.net/articles/-/445259?page=3
「1919年の著書『平和の経済的帰結』でケンブリッジ大学の経済学者ジョン・メイナード・
ケインズは、第1次世界大戦を終結させたヴェルサイユ条約が科している重い賠償金により、
ドイツが深い遺恨を抱くと予測した。終戦時にそんな予測をしたのはケインズだけではない。
たとえば平和主義者ジェーン・アダムズは敗北したドイツ人に情けをかけようというキャン
ペーンを主導した。
だがケインズは、自分の議論を経済的な現実をめぐる議論と結びつけた。ドイツには本当に
賠償金を支払う能力がなく、それをドイツ人に無理強いする危険性についてケインズの予測は
正しかった。賠償金や、ドイツが戦争犯罪で有罪だと主張する条約の関連条項について、
ドイツ人がどう解釈しそうかをケインズは予言した。...
「意図的に中欧の貧窮化を目指すのであれば、敢えて予言するが、復讐心が薄れることはない
だろう。そうなれば、反動勢力と、革命という絶望的な痙攣との最終的な内戦を先送りできる
ものは、何もなくなってしまう。その争いに比べれば、かつてのドイツ戦争の恐怖など無の中に
かき消えてしまうだろうし、だれが勝利するにしても、私たちの世代の文明と進歩は破壊されて
しまう。」
ケインズの言うとおりだった。第2次世界大戦は、20年後にも残る怒りの中で開始され、
6200万人の命を奪った。彼の警告は経済学に根ざし、経済的な規模感と結びついていた。
# 本ブログ筆者の知る限り、ケインズは、*きちんと因果関係を説明して予測を的中させた*
# 史上初(もしかすると空前絶後)の経済学者である(フリードマンとはワケが違う)。
ただ、「経済学者」と呼ぶ事には違和感があるが、第一次世界大戦の戦後処理について、当時の
大多数の西欧の政治家や経済学者よりも*はるかに*妥当性の高い提案をした人物は、もう一人
いる。下記レーニンの提案(1917年11月8日時点)に従えば、第二次世界大戦は回避できたろう。
https://kotobank.jp/word/平和に関する布告-129113
「第1次世界大戦をただちにやめ,公正で民主的な講和,つまり無併合,無償金の講和を結ぶよう
提唱。秘密外交の廃止と公開外交の実施,秘密条約の暴露を宣言して,20世紀における戦後処理
の民主的原則と外交のあり方を提示した。」
# 立場の違う人物の意見だからと言って頭から拒絶するのではなく、内容を論理的に分析して
# 採否を決めるべきだという「歴史の教訓」の好例。
# 耕助のブログで訳出されている下記によれば、第二次世界大戦長期化の主犯もチャーチル。
No. 1835 第二次世界大戦についてあなたが知っていることはすべて間違っている理由 2/8
「ヒトラーは占領したポーランド領から軍を撤退させて講和することを申し出た」
「大陸でのイギリスの軍事的敗北と、ヒトラーが提示した非常に寛大な条件を考えると、
チャーチルは、広く敗北とみなされた戦争を続けるよう自国を説得する大きな問題に
直面した。そこで彼は、ドイツの首都に対する一連の空襲を命令し始めた」
「これは違法な戦争犯罪であり、ドイツの反撃を誘発することを狙ったものである。
このためヒトラーは「もしドイツの都市を爆撃し続けるなら、報復せざるを得ない」と
繰り返し警告し、ついにそれを実行した」
「イギリス国民は政府が都市爆撃を開始したことを知らなかったので、ドイツの報復的な
空爆を、とんでもない、いわれのない戦争犯罪とみなし、チャーチルの期待通り、対独戦争
継続に完全にコミットした」
# つまり、昨今のウクライナでの西側陣営の振る舞いと同様なパターンだったという話。
# 違いは、プーチンがヒトラーより論理的かつ忍耐強く、経済や国際法の知識も深い事や
# ロシアがドイツより資源が豊富であるといった要因により、ロシアは当時のドイツより
# 「戦争に負けにくい」国であること。
2.2 経済実態に見合わない「旧平価(かなり前の為替レート)」での金本位制への復帰^
日本でも「昭和恐慌」の一因が浜口内閣(大蔵大臣は井上準之助)の全く同じ誤ちだった事は
経済史上に名高い(「新平価解禁」論者の意見を採用していれば、ダメージは*ずっと*軽く
済んだはず)。現在の日本以上に輸出依存度が高い経済で、突然とんでもない率で円高方向に
(イギリスの場合は「ポンド高方向」に)為替レートを変更したことになるので、輸出産業に
大打撃を与え、深刻な不況に突入した。今となっては「経済常識」に過ぎないのだが、当時の
政治家や(当時の)主流経済学者は、この当然の因果関係を理解できていなかった。
イギリスでは、ケインズが「チャーチル氏の経済的帰結」という強烈な表題の論文で、その非を
説明していたにも関わらず、チャーチルは聞く耳を持たなかったというわけだ。
この後の成り行きは、この時代の歴史に関する本や Web ページに書かれている通り。
広大な海外植民地や豊かな領土を持っている国は、徹底的な保護貿易政策(「ブロック経済」)
によって対応し、そうでない国の経済状況の窮迫に拍車をかけた。こうして、経済状況が窮迫
した国では、軍事力によって新領土ないし植民地を新規に獲得しようと主張する政治勢力が台頭
してしまったわけだ。
もっとも、アメリカ発の世界恐慌では、(アメリカ自体がそうであるような)資源がある国も、
大きな傷を負った。世界恐慌は、株式市場のバブル崩壊から派生した「有効需要不足」が原因。
物を作っても買う人がいない状況 -- 破産した人や勤務先の倒産で失業した人が、それまでの
ように物を買うわけがない -- が発生すると、産業や商業の活動が低下するので失業者が新たな
勤務先を見付けられなくなり、物を買う人は出て来なくなる -- という悪循環に陥ることを実証
してしまった。つまり、「「セイの法則」は間違っている」という「(例えばケインズのように)
十分論理的に考えれば分かりそうな事実」が西欧諸国の政治家や主流経済学者に認知されるには
*途方もなく多くの民衆の大きな苦痛*が実際に発生する必要があったわけだ。ハイエクなど、
*途方もなく多くの民衆の大きな苦痛*が実際に発生しても、事実を認めない連中もいるが。
# 「他人の痛みは我慢できる」という痛烈な皮肉がある。出典は本多勝一の著書のようだ。
2.3 ナチスへの宥和政策^
冒頭で述べた通り、チャーチルも宥和政策を支持していた。チェンバレンより空気を読むのが
うまく、少しだけ早く立場を変えたに過ぎない。
https://ksu.repo.nii.ac.jp/
「ヴェルサイユ体制下のイギリス勢力均衡政策とポーランド」
... 宥和政策をもっと長い時間の枠においてとらえようとする試みもある。...
... イギリスの軍事的弱体化を政治的に補おうとするのが宥和政策であったというこの見解は、
説得力を持つ。こう考えると*チェンバレンもチャーチルも同じく宥和論者であった*ことも
説明できる」(*強調*は、本ブログ筆者による)。
ただし、チャーチルを含む西欧の政治家は、上で引用した論説での説明より攻撃的な意味での
帝国主義的発想に基づいて行動すると考える方が、歴史的事実や昨今の国際情勢との整合性が
高いように思われる。つまり、始めからナチスをソ連を攻撃する道具にできると考えていたと
すれば、説明できる事が多々ある(日露戦争+シベリア出兵時の日本や、昨今のウクライナを
見て、構図の類似性に気がつかないだろうか?)少なくとも、独ソ戦開始以後の米英の行動は、
「ナチスをソ連を攻撃する道具と見なしている」としか思えない部分が多過ぎる。ソ連の反転
攻勢によりドイツの敗勢が誰の目にも明らかになるまで、米英軍による「西部戦線」の戦闘は、
いかにも「おざなり」だった印象は拭えない。近年のシリアで、ロシアの介入により IS こと
「ダーイッシュ」の敗北が決定的になる前の米/NATO軍の IS への攻撃が「おざなり」だった
ように。少なくとも「カサブランカ会談」以降、米英にとっての第二次世界大戦は、いわゆる
「冷戦」の前哨戦の様相を呈している。結局、これがナチスへの宥和政策の本質だろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202207260000
「米英金融資本とナチス ...
つまり、1943年以降、アメリカとイギリスはソ連を仮想敵国として動き始めている。特に
チャーチルの反ソ連感情が強く、1945年4月にルーズベルト大統領が急死、5月にドイツが
降伏すると、ソ連への奇襲攻撃を目論んでいる。
JPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が
提出された。... 攻撃を始めるのは1945年7月1日。... イギリス連邦軍35師団、...
ドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定 ...発動しなかった理由は。参謀本部が
5月31日に計画を拒否したから ...(Stephen Dorril,“MI6”, Fourth Estate, 2000)。
1945年8月30日、グルーブス中将に対してローリス・ノースタッド少将はソ連の中枢
15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出 ... 9月15日付けの文書ではソ連の
主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計 ... ソ連を破壊する
ためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発 ....
(Lauris Norstad,“Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html
https://duckduckgo.com/?q=operation+unthinkable
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202207270000/
「冷戦は独ソ戦の延長 ...
日本が降伏してからもチャーチルのソ連を敵視する姿勢は変化せず、彼は1946年3月に
アメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行う。「冷戦」の幕開けだ。...
それだけでなく、FBIの文書によると、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・
ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしい
と求めている。
(Daniel Bates, “WinstonChurchill’s ‘bid to nuke Russia’ to win Cold War -
uncovered in secret FBI files,” Daily Mail, 8 November 2014)」
もっと早くから、つまり独ソ戦開始時点で(戦後の NATO 創設すら視野に入れた)対ソ攻勢の
計画が立てられていたという趣旨の記事は、例えば、下記にある。
https://libya360.wordpress.com/2022/05/01/nato-the-founding-lie/
↑同じ記事が他の多くの「オルタナ・メディア」サイトでも見付かる。上記サイトはページの
一番下に Gooogle 翻訳との連携ボタンがある。ただ https://www.deepl.com/ja/translator
での機械翻訳の方が(無料版では、5000字毎に指定し直す必要があるが)高精度との話もある。
2.4 原爆投下への関与^
機密指定が解除されて公開された公文書、会談の名称や原爆開発計画の暗号名などをキーに検索
すると、イギリスの原爆開発への関与、およびチャーチルが原爆投下の決定に直接関与している
ことを示す文書が多数見つかる。 要点は以下の2つ。
- 開発開始時点で投下先は「おそらく日本」とされた(注意:ドイツも降伏してはいなかった)。
- 事前に「原爆投下の意思決定には、イギリスの合意も必要」との協定があり、チャーチルが
同意したので、原爆が投下されることになった。
http://www.sankei.com/world/news/180809/wor1808090046-n1.html
検索に使えるキーワードには、下記がある。"チャーチル" も指定して検索すると、無関係な
文書が 検索結果の上位に来てしまうのを防げる場合が多い。
- "チューブ・アロイズ"
- "ハイドパーク(秘密)協定" (or "ハイドパーク合意" or "ハイドパーク補佐官メモ" )
- "ケベック協定" (or "ケベック会談" )
- "Foreign relations of the United States: diplomatic papers, 1945. General :
political and economic matters Volume II"
なお、原爆投下は、通常爆弾での都市爆撃と同様、文民施設への無差別攻撃=戦時国際法に違反
している=戦争犯罪である事は明らかなのだが、チャーチルやトルーマンが、この点を気にした
形跡はない。日本での爆撃に先立つ「ドレスデン爆撃(悪名高い、大規模な無差別都市爆撃)」
について、国内からすらも非難されたばかりだったのだが、日本への爆撃については、そうした
非難を受けないとタカをくくっていたらしく、実際、ドレスデン爆撃ほどは非難されていない。
「バトル・オブ・ブリテン」のパイロットを賞賛した下記演説は、比較的知られているものの
一つであろう。
https://ja.wikiquote.org/wiki/ウィンストン・チャーチル
「1940年6月4日、下院での演説。
... イギリスの飛行士たちへと謝意が示されている。人類の紛争において、かくも多数の
人々が、かくも少数の人々により、かくも多くの恩恵を受けたことはなかった。....」
しかし、より少数で、より多くの恩恵をイギリスに与えたはずのアラン・チューリングへの
処遇を思えば、上の演説も白々しく見えてくる。彼の仕事の恩恵を最もよく知り得たのは、
チャーチル自身のはずだが ....
https://ja.wikipedia.org/wiki/エニグマ_(暗号機)
「イギリスの諜報機関内で解読作業をしたグループはUltra(ウルトラ)と呼ばれ、解読情報は
Ultra情報と呼ばれた。Ultraの作業は戦時中はもちろん戦後も極秘とされ、1974年にその内実を
記した書籍が出版されるまで世間に知られる事は無かった。そのためチューリングら関与した
科学者は戦後にその功績に見合った評価や待遇を受けられず不遇の日々を送る事となった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/アラン・チューリング
「1945年、戦時中の功績によりOBEを授与されたが、その後1970年代までその業績は秘密にされ、
近しい友人すらそのことを知らなかった。.. 功績の大きさにもかかわらず、暗号という重要な
機密事項を扱う仕事柄ゆえに、ブレッチリー・パークから一歩外に出れば、チューリングの仕事
を知る者は誰一人いなかった。... 戦後もブレッチリー・パークに関係する事柄は引き続き機密
とされ、チューリングが同性愛者として罰せられてからは、その功績を知らない世間から、公然
と辱めを受けることとなる」