今日、夜のテレビ番組で、吹奏楽部のことをやっていた。
そういう番組は必ず見てしまう方で、今日の番組の内容は、担当の先生への感謝!というような内容でやっていた。こういう内容って、自分にとって弱くって、なんか誰も泣いてないような所から、なぜか今日は涙・涙してしまった。
私も中学時代、吹奏楽部に入り、とっても厳しい部活での3年間を過ごした。
1年生の時に、担当の先生にまず、やりたい希望の楽器を聞かれることから始まるということを聞き、どの楽器がいいかなあ~と考えていたら、母が、「オーボエがいいんじゃない?」と言い、私は、中学時代、母の言うことを素直に聞く娘だったので
その通りに「オーボエがやりたいです」と先生に言った。
母は、オーボエの音がとてもきれいだったので、その楽器をやらせたいと思ったようだけど、部活の先生にその希望を伝えると「オーボエ希望なんて珍しいな」と言われて、一発で『オーボエ』に決定してしまった・・というか、されてしまった
。
楽器を覚えるとき、まずその楽器をやっている先輩から個人指導を受ける。
私は、3年生の先輩から一つ一つ丁寧に教えてもらった。その先輩は、『失敗』という文字が頭にはないようなくらい、全体での練習においても、コンクールの中においても『失敗』はまったくない優秀な先輩だった。
「オーボエ」は、大きさはクラリネットよりやや細身で、口に含む部分は、竹のようなリードというものでできている。音をより出しやすくするため、リードを削ったりなどの調整がとても難しいし、時に割れてしまったりも・・音どうこうの前にいつもそのリードのことを心配しなければならないし、途中で割れてしまったらどうしようとか、そういう心配がいつもつきまとっていた。
「オーボエ」という楽器は、オーケストラの中でも、ソロを吹くことが多い楽器。
母は、その音に魅了されて、私に勧めたようだけど、何もわからずに母の言いなりになって希望してしまった私は、オーボエを選んだことを何度後悔したことか・・
『コンクール』に出場できるのは、2年生と3年生だけだった。
私たちが1年生の時、先輩達は、県大会・関東大会を『金賞』で突破し、全国大会で『銅賞』を獲得した。
その時、私たち1年生は、楽器の運搬作業をして同行させてもらったけど、全国大会まで行けたのは感動だった。
そして、2年生になり・・。
私たち吹奏楽部の練習は、本当に普通ではないくらい厳しかった。
なんといっても厳しかったのは、この部活の先生。今も顔ははっきり思い出せる。
でも、あのK先生が担当でなかったら、吹奏楽部の成績は伸びなかったはず。
毎日の放課後の練習はもちろんのこと、コンクールはいつも8月に県大会があるため、夏休みはもう毎日毎日練習。パートごとに各教室を使い、午後から体育館で全体練習。この全体練習が緊張するものだった。
この全体練習の中で、私は、何度、先生に顔ビンタや頭をたたかれたことか
。吹奏楽部のメンバーは、先生にたたかれることは、日常茶飯事のこと。
でも皆の前で、大声で怒鳴られ、たたかれ、それでも全体練習を続けなければならない苦しさ。涙を必死でこらえながら、楽器を吹いた。
私が怒られた理由。
それは、コンクールに出す自由曲の中で、私のソロがあり、練習で何度も何度も、急に変な音を出してしまったり、音がスムーズに出なかったりなどから。
今でもそのソロのメロディを忘れていない。それから指も。それくらい、たたきこまれていたから。楽器を右手親指で支えるのだが、そのことにより、私の親指は左右対象ではなく、右手親指の方が太く、形が少し変形している。それが、私がオーボエを3年間やったという証拠なのかな。
全体練習の中で、私の失敗は何度も続いた。
そして県大会コンクール本番の日。県民文化センターで行われた。
本番前にも外での練習で、またそのソロが失敗。忘れてしまったが、その失敗に対する先生の言葉も厳しかった。
そして、自分たちの学校の番。前の学校が終わって、舞台袖から入り、一番前列右から3番目に座る。
課題曲を無事終え、自由曲へ。
自分のソロは、曲が始まって、すぐくらいに始まる。
その時が来た。
指揮をしている先生と目が合った。私は本当に祈るような気持ちで音を出した。
すると・・・「ワァー 音がスムーズに出ていて、すごく吹きやすい」と感じ、
本番では、全く失敗がなかったのだ
。
演奏が終わり、舞台袖に降り、先生に笑顔で「おまえは、心臓に毛が生えてるな」と言われた。まだ幼かった私には、その先生の褒め言葉もちょっと素直には喜べない感じもあったけど、本番が失敗しなかったことだけが、超うれしかった。
そして、結果は・・・県大会・金賞で関東大会出場となったわけです。
そして、関東大会も金賞をとり、でも金賞の中でも段階があり、全国大会出場はできなかった。
3年生の時も、同様の結果で、関東大会・金賞どまりだった。
そして、卒業を迎えて。
卒業する時、部活の後輩たちが色紙を作ってくれた。真ん中に、自分の写真が貼られ、周りにメッセージがたくさん書かれていた。
真ん中の写真の脇に、書かれていたK先生のメッセージ。
それは 『すばらしい soloを ありがとう』 という一言。
先生は、ものすごい厳しさで接してくれていたけど、この厳しさがあったから、良い成績を残すことができたんだ、と今でも感じる。先生から褒められるということは、ほんと滅多なかったけど、卒業の時のこの一言が、私の心の中で、3年間の苦しさを一気にうめるものとなった。
今でも、この色紙は、大切に保管している。
そういう番組は必ず見てしまう方で、今日の番組の内容は、担当の先生への感謝!というような内容でやっていた。こういう内容って、自分にとって弱くって、なんか誰も泣いてないような所から、なぜか今日は涙・涙してしまった。
私も中学時代、吹奏楽部に入り、とっても厳しい部活での3年間を過ごした。
1年生の時に、担当の先生にまず、やりたい希望の楽器を聞かれることから始まるということを聞き、どの楽器がいいかなあ~と考えていたら、母が、「オーボエがいいんじゃない?」と言い、私は、中学時代、母の言うことを素直に聞く娘だったので

母は、オーボエの音がとてもきれいだったので、その楽器をやらせたいと思ったようだけど、部活の先生にその希望を伝えると「オーボエ希望なんて珍しいな」と言われて、一発で『オーボエ』に決定してしまった・・というか、されてしまった

楽器を覚えるとき、まずその楽器をやっている先輩から個人指導を受ける。
私は、3年生の先輩から一つ一つ丁寧に教えてもらった。その先輩は、『失敗』という文字が頭にはないようなくらい、全体での練習においても、コンクールの中においても『失敗』はまったくない優秀な先輩だった。
「オーボエ」は、大きさはクラリネットよりやや細身で、口に含む部分は、竹のようなリードというものでできている。音をより出しやすくするため、リードを削ったりなどの調整がとても難しいし、時に割れてしまったりも・・音どうこうの前にいつもそのリードのことを心配しなければならないし、途中で割れてしまったらどうしようとか、そういう心配がいつもつきまとっていた。
「オーボエ」という楽器は、オーケストラの中でも、ソロを吹くことが多い楽器。
母は、その音に魅了されて、私に勧めたようだけど、何もわからずに母の言いなりになって希望してしまった私は、オーボエを選んだことを何度後悔したことか・・
『コンクール』に出場できるのは、2年生と3年生だけだった。
私たちが1年生の時、先輩達は、県大会・関東大会を『金賞』で突破し、全国大会で『銅賞』を獲得した。
その時、私たち1年生は、楽器の運搬作業をして同行させてもらったけど、全国大会まで行けたのは感動だった。
そして、2年生になり・・。
私たち吹奏楽部の練習は、本当に普通ではないくらい厳しかった。
なんといっても厳しかったのは、この部活の先生。今も顔ははっきり思い出せる。
でも、あのK先生が担当でなかったら、吹奏楽部の成績は伸びなかったはず。
毎日の放課後の練習はもちろんのこと、コンクールはいつも8月に県大会があるため、夏休みはもう毎日毎日練習。パートごとに各教室を使い、午後から体育館で全体練習。この全体練習が緊張するものだった。
この全体練習の中で、私は、何度、先生に顔ビンタや頭をたたかれたことか

でも皆の前で、大声で怒鳴られ、たたかれ、それでも全体練習を続けなければならない苦しさ。涙を必死でこらえながら、楽器を吹いた。
私が怒られた理由。
それは、コンクールに出す自由曲の中で、私のソロがあり、練習で何度も何度も、急に変な音を出してしまったり、音がスムーズに出なかったりなどから。
今でもそのソロのメロディを忘れていない。それから指も。それくらい、たたきこまれていたから。楽器を右手親指で支えるのだが、そのことにより、私の親指は左右対象ではなく、右手親指の方が太く、形が少し変形している。それが、私がオーボエを3年間やったという証拠なのかな。
全体練習の中で、私の失敗は何度も続いた。
そして県大会コンクール本番の日。県民文化センターで行われた。
本番前にも外での練習で、またそのソロが失敗。忘れてしまったが、その失敗に対する先生の言葉も厳しかった。
そして、自分たちの学校の番。前の学校が終わって、舞台袖から入り、一番前列右から3番目に座る。
課題曲を無事終え、自由曲へ。
自分のソロは、曲が始まって、すぐくらいに始まる。
その時が来た。
指揮をしている先生と目が合った。私は本当に祈るような気持ちで音を出した。
すると・・・「ワァー 音がスムーズに出ていて、すごく吹きやすい」と感じ、
本番では、全く失敗がなかったのだ

演奏が終わり、舞台袖に降り、先生に笑顔で「おまえは、心臓に毛が生えてるな」と言われた。まだ幼かった私には、その先生の褒め言葉もちょっと素直には喜べない感じもあったけど、本番が失敗しなかったことだけが、超うれしかった。
そして、結果は・・・県大会・金賞で関東大会出場となったわけです。
そして、関東大会も金賞をとり、でも金賞の中でも段階があり、全国大会出場はできなかった。
3年生の時も、同様の結果で、関東大会・金賞どまりだった。
そして、卒業を迎えて。
卒業する時、部活の後輩たちが色紙を作ってくれた。真ん中に、自分の写真が貼られ、周りにメッセージがたくさん書かれていた。
真ん中の写真の脇に、書かれていたK先生のメッセージ。
それは 『すばらしい soloを ありがとう』 という一言。
先生は、ものすごい厳しさで接してくれていたけど、この厳しさがあったから、良い成績を残すことができたんだ、と今でも感じる。先生から褒められるということは、ほんと滅多なかったけど、卒業の時のこの一言が、私の心の中で、3年間の苦しさを一気にうめるものとなった。
今でも、この色紙は、大切に保管している。