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ウキウキ

楽しくてうれしいお話

絶えずささげる祈り

2013-05-13 01:07:39 | クリスチャン生活
リビングライフより


   ~ 絶えずささげる祈り ~


  私に勇気を与えてくださり
  うそや不親切から遠ざけてください

  
  友人が与える傷も
  故意ではないと理解できる寛大な心と
  人を傷つけない思慮深い心を与えてください


  愛する人々の心と
  彼らの切なる願いと重荷を
  知ることができるようにしてくださり
  私の勇気が彼らに伝わりますように


  孤独な人々の苦しみを
  減らしてあげられる人となり
  幸せな人々は
  私によってさらに幸せになりますように


  忘れるべきことや胸の痛むことは早く忘れ
  心に留めるべき心温まることは
  一つ残らず心に留めることができますように


  きょう、あす
  出会うすべての人々に
  喜びと望みを与える存在となり
  私の人生が一篇の美しい歌となりますように

苦しみには・・・

2013-05-08 01:28:16 | クリスチャン生活
リビングライフより★


~苦しみには意味がある~


人生のすべての出来事を一幕として見てください。

脚本家は神です。


そして、その作品の主人公は私達なのです。話は脚本家の手にかかっています。


興味深くおもしろい話ほど、主人公を攻撃する人も、主人が越えなければならない山も多いものです。


勝利に向かう過程で受ける様々な苦しみの瞬間を、話の全体ではなく、一部分として見てください。


そうすれば、「なぜ」という質問の代わりに、余裕のある幸せな心が満ちあふれることでしょう。


オンヌリ教会へ

2008-08-10 01:48:03 | クリスチャン生活
7/29に横浜で、韓国のオンヌリ教会主催の「ラブソナタ」が開かれた。

午後5時開場であったにも関わらず、4時頃にはラブソナタに参加するためのものすごい列が・・・。ここまでスゴイとは思わなかった。

日本人のために開かれた「ラブソナタ」。

日本人がイエス様を知るための集会。

韓国は、有名な芸能人が当たり前のようにクリスチャンであることが多い。

ほんとに、韓国のクリスチャンの層の厚さを感じた。




  そして、以前から計画していたが、8/1~4まで韓国へ。

一番の目的は、実際に韓国のオンヌリ教会の礼拝に出席して、多くの恵みを受けたかったこと。

8/3(日) オンヌリ教会の礼拝へ。

一日、数回の礼拝が開かれているが、一回ごとの礼拝に出入りする人数の多さにまず驚かされた。ヨイド教会に出席した時も驚いたことだが、韓国の教会の礼拝に出席する人数の多さには、圧倒される。

まるで、今から誰かのコンサートが開かれるかのように、多くの人々がその場所を行き来しており、いっせいに会堂に入っていく。とにかくスゴイ人数。数回開かれる礼拝で、毎回この動きがあるとは・・・

 やっぱりリバイバルってこういうことなんだ・・・と感じた。

そして会堂に入ると、また強い臨在を感じる。

これだけ多くの人数がいながら、礼拝が始まる前は静かに、主と向き合い、ただ主だけに祈りをささげて、礼拝に備えている。

礼拝への心構えは、一人一人と主との関係から備えられるのだと思う。

会堂で祈ろうとしただけで、せまってくるものがあり、主の臨在を強~く感じ、涙がでて止まらなかった。

 メッセージの前に、横浜でのラブソナタの報告が映像と共に流された。

ラブソナタを実施するまで、どれだけの祈りと様々な準備がなされていたのか、映像を見ながら理解することができた。

そして、主任牧師であるハ・ヨンジョ牧師は、数ヶ月前に大手術をし、ラブソナタに出席できるのかどうか・・・という状況であったとのこと。
手術後、睡眠を十分にとることもできず、体調的には悪い状況が続いたそうで、でもその中でも「ラブソナタ」での日本の働きのために祈りを続けていたとのこと。

その祈りの中で、ハ・ヨンジョ牧師は「体調が守られて、横浜に必ず行く」という強い確信が与えられて、宣言する祈りをしたとのこと。

そして、今回、手術後、初めてのメッセージとなったのが、横浜での「ラブソナタ」であったとのことで、その報告がオンヌリ教会での映像で流された。
ラブソナタでのハ・ヨンジョ牧師のメッセージは、とても力強いもので、本当に恵まれたメッセージだった。大手術後とは思えないような様子で、主の大きな守りととりなしの祈りの強さを感じた。

ハ・ヨンジョ牧師の報告の中にあったのは、横浜でのラブソナタで、日本人が258人、イエス様を信じて救いを受けたとのこと。ハレルヤ

韓国のクリスチャンの方々の厚い情熱を感じ、一人一人がどれほど大きな犠牲を払って、この働きをしてくださっていたのか、本当に心から感謝せずにはいられませんでした。

 そして、ハ・ヨンジョ牧師が最後にしめくくっていたのは、

  『日本のリバイバルは、オンヌリのリバイバルです』と。

私の未熟な言葉では、言い表せないくらいの感動と感謝を感じました。


 

  そして、午後2時30分からは、日本語礼拝、中国語礼拝がそれぞれ開かれている。
私は、日本語礼拝に出席することができ、八千代教会やラブソナタでのご奉仕をされていた、日本に重荷を持つアウトリーチチームの方々とも再会をすることができました。日本語礼拝では、日本人の賛美リーダーの方や、執事の方々ともお会いすることができました(いずれも女性)。

 
 受けた恵みを言葉に表わすのは、本当に難しいのですが、たくさんの恵みを受けることができ、何より主に対する信頼と祈りの大切さを学びました。


  ハ・ヨンジョ牧師が書かれた本に書かれていた言葉です。

  『祈りは重要な革命です』

    祈りは物事を変化させることではなく人を変化させ、外側を変化させるのではなく、内側を変化させます。

    祈らせてください。
    祈りを休む罪を犯さないよう守ってください。
    目を開ければ祈れるようにしてください
    目を閉じても祈れるようにしてください。
    祈りの中で主を見上げさせてくださり、
    祈りの中で主を思わせてください。
    祈らせてください。


みことばの励まし ~NO.2~

2007-06-14 00:39:03 | クリスチャン生活
【あなたの人生を変える40のみことば】より

今日 私が励まされたみことば

  ルカ17章21節


  神の国は、あなたのただ中にあるのです 

  
    自己不信に陥ったり、劣等感にさいなまれる時、「私には○○がないから

だめだ」と言って、あきらめてしまってはいけない。あなたの中には、十分すぎる

ほど、その必要なものがある。実は、神の国があなたの中にあるのである。

神は、あなたの人格の中に、必要とする才能をすべて備えてくださっている。だか

ら、そういう自分を信じなければならない。そうすれば、あなたの中にある力が解

放されて、働きはじめる。

このみことばを読むとき、このように読み替えてみよう。

「神の豊かさ、平和、力が私の中にある。私には、何一つ欠けたものはない」と。




 ここ数日特に、自分の体調がすぐれない。押し寄せる仕事の波と(これは私だけではなく同僚が皆同じなのだが)、焦燥感とこれから先の仕事の進み方と・・・・
一気に自分の頭と心を支配し、苦しめる。私にとって、仕事を始めて以来の大ピンチ。ついつい、数ヶ月前はよかった、とかあの頃はよかった、とか昔を振り返ることばかり・・気持ちが後ろ向きになっていって

こういう時、祈る余裕さえ失ってしまう。

でも、いったん、意識して立ち止まろうとすると、『この現状は、イエス様が許されて私に与えた環境だ。イエス様が、大丈夫だからと肩を押してくれて、この状況が与えられている』と思うことができる。

より心を平安へと導いてくれるのは、祈りとみことばだ。

今日、寝る前にこのみことばを読んで、そうだーその通りだと確信できた。

ハレルヤ感謝です。

そして、ここ数日、心も体も落ち込んでいる私の為、主人と息子は優しく祈り支えてくれました。祈ってもらいながら、私は 涙・涙・涙・・・

 息子は、涙する私にすぐ抱きついてきて「お母さん、大丈夫だからね。オレはお母さんのことを愛してるからね」と言ってくれ、こんな私にこんな優しいこと言ってくれて・・とまた涙。

  イエス様、すべてを感謝です。

  今日、朝の出勤時の車の中で、示されたこと。

  それは、すべてのことについて感謝する ことでした。

  イエス様、いつも喜ぶこと、すべてのことについて感謝すること、絶えず祈ることが大切ですよね。。
 

みことばの励まし ~NO.1~

2007-06-07 00:00:48 | クリスチャン生活
10年くらい前だったろうか、、ある1冊の薄い本を買った。

  【 あなたの人生を変える40のみことば 】

という本で、聖書のみことばが書かれ、本当に簡単な説明が書かれているもの。

時々、思いついたようにこの本を取り出し、今までも読んでいた。

今まで何度も読み返し、とても心が強められる部分には赤線も引いてある。
何度も読んでいるのに、また新たに読み返すと、初めて読んだかのように強く心が惹きつけられる。

その中で、最近強く心が惹かれているみことばが、ルカ18:27

  『 人にはできないことが、神にはできるのです 』


  そのみことばの説明として書かれている文章

  自分の問題について判断し、それについて祈り、そのためにできることは
  なんでもしよう。
  不可能のように見えてもあきらめずに、「人にはできないことも、神にはでき
  る」と確信しよう。

  まず緊張をとくことである。あわてず、さわがず、「できない」などとは、決して考えるまい。
  「それはできるはずである。それはなされつつある。神様が、私を通して働いていてくださるのだから」と言おう。
  神様が、それを今していてくださると確信しよう。
  結果は、必ずしもあなたが今望むとおりのものではないかもしれない。
  しかしあなたが、この確信にたって事にあたれば、神が望まれるとおりの解決が与えられるのである。



  
  私は、朝職場に出勤する際、車の中で大きな声でイエス様によく祈る。
  車の中だから、大きな声を出してももちろん誰にも聞かれていないし。
  1人の車の中は、ほんと自由です
  その祈りの中で、「私にはできなくても、神にはできる」と宣言して祈る。

  そうすると、すべての問題を神にゆだねることができ、自分で頑張ろうという力から解き放たれるのを感じることができる。
  私は、頑張らなくてもいいんだと。私が頑張らなくても神が最善の解決を必ず与えてくださるはずだから

 

What would Jesus do ?

2007-04-01 23:58:09 | クリスチャン生活
毎週日曜日、私は教会に行き、イエス様への礼拝の時を持っている。
今日の礼拝でのメッセージ・・

 【私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させ
  ながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。】

                         第Ⅱコリント3:18

私は、毎日どのような姿で、過ごしているのだろう。毎日毎日、誰かに追い立てられるような感覚で、ついつい自分で自分を忙しくしてしまっているように感じる。
忙しい・・は、心の余裕がなくなり、次はこれ、その次はこれと考えているうちにだんだんあせってきたり、イライラしてしまったり。毎日その繰り返しになってしまっている感じ。余裕と平安の不足かなあ。

余裕と平安が不足すると、起こす行動。
 それは、怒り、イライラ、自分勝手、自己中心 などなど。

そういう時って、立ち止まるってことができないし、自分の感情だけが先走りしていく。その感情を押さえつけるのって、自分でもコントロールできなくなっていく。そうなると、もう暴走状態

いろんな出来事に出会って、その時とる自分の行動を見るとき、
「こういう時、~さんだったらどう考えて、どういう行動をとるかなあ?」
と考えることがある。たぶん、~さんだったらこうかなあ・・なんて勝手に想像したりして、想像した後、「でも自分にはそういう風にはできないだろうなあ」なんて、また自分の中でいろいろな思いのやりとりが続く。

でも、大事なこと。
それは、~さんだったらどうするのかなあ?ではなく

 【 イエス様だったら、こういう場面の時、どういう行動をとるのだろうか 】

が大切なんだよね。

   【 What would Jesus do ? 】

        イエス様だったらどうするか ?



 明日から平成19年度が開始だ。

 家庭生活、職場での仕事 一つ一つ自分が関わっている場面で、
 自分の思いですぐ突っ走ってしまう危ない部分が私にはあるが、
 必ず、立ち止まろう

  そして、【 イエス様だったら、こういう時どうするだろう ? 】

  と祈り考えよう。

 そうすれば、心が波立っていても、必ず落ち着いて行動していけるはず。

 主よ、弱い私ですが、どうかお守りください。





3月を振り返って

2007-04-01 02:08:35 | クリスチャン生活
3月ももう終わり。1~3月は、本当に早すぎるほど早く過ぎてしまった。
3月は、結婚記念日そして私の誕生日があった。結婚して丸7年がたってしまったのねぇ・・「結婚して10年」な~んて話を聞くたび、10年・・長~く一緒にいるねえ・・な~んて感じたけど、10年なんてあっという間なんだなあとつくづく感じる。年を重ねるたび、やっぱり時間の過ぎる速さを感じてしまうんだろうな

そして私の誕生日。はっきり言って、もう楽しみという域は超えてしまい、『きゃ~また一つ歳が追加されてしまうわけ!?』とビビッてしまうわけですが。でも主人と息子がお祝いしてくれました。そのプレゼントが豪華なケーキとお花。息子は、本当に心を込めて『おかあさん、お誕生日おめでとう』と言ってくれました。心からの本当の言葉一つで、心はとってもうれしく温かくなるものだ。また息子から教えられた。

そして・・・その私の誕生日の当日のこと。仕事において、とても大きな転機が訪れた。他の人からみれば、そんなことで・・というような内容かもしれない。でも私にとって、とても大きなことであった。そのことで、私は丸々2日、心が騒いでしまい、どうにか心を落ち着けようと方法を探した。

心を落ち着ける方法。
それは、一つしかなかった。

  【イエス様に祈り、聖書のみことばを求めること。】

 詩篇55:22

  【あなたの重荷を主にゆだねよ。
    主はあなたのことを心配してくださる。
     主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。】

2日間、何度も祈り、聖書に書かれているみことばを求めた。その中で、いくつかのみことばが私を励まし、前向きにさせてくれた。そして今開かれている道が、私が従順に進むべき道であり、主が許されたことであり、主の計画であることを強く感じた。主の計画というのは、人間には計り知れないもの。人間は、目の前に起こったことに一喜一憂し、自分の思っていなかった方向に物事が進むと、「どうしてですか?主よ」と文句を言う。
今、私に起こっているすべてが、主の大きな御手の中の出来事であり、「やっぱりこれが最善の道であった」と必ず確信する日が来ると感じている。

今回の様々なことを通して、主はまた祈りの大切さを教えてくださったと思う。

私は、『愛・喜び・平安・寛容・忍耐・謙遜』 これらを主に祈り求めていきたい。

1月にあった出来事

2007-02-26 16:14:15 | クリスチャン生活
1月末日の金曜日、私は仕事で約50分くらいの所に研修に出かけていました。研修も終わり、職場まであと15分くらいで着くという頃には、もう5時を過ぎ、周りも暗~くなっておりました。小さな十字路で私は右折をしようと、一時停止をし、右左を確認し、車も来なくて大丈夫だと判断し、右折したところ、突然すぐ脇に向こう側の十字路から来た対向車の車がおりました。それが私には見えていなかったため、突然、車が対向車で自分の脇にいたという感覚でした。私は、「あっぶつかった」と一瞬思い、「もう5時過ぎているのに、職場の車だから、上司にここまで来てもらわなくてはならない、迷惑かけてしまう・・・」などと瞬時に考えました。しかし、ほんとギリギリの所で、ぶつかっていなかったんですねそして、その対向車の車は、軽トラックで、60代くらいのオジサマが運転していたんだけど、そのオジサマが『ほんとによかったなあ。ぶつからなかったぞぉ』と言わんばかりのものすご~い笑顔で私に笑いかけながら、走り去ってくれたわけです。100%私が悪い運転であったのに。私は、ドキドキ心臓を感じながら、ぶつかっていなかったと安心しながら、そして何よりもそのオジサマのものすごい笑顔に救われたのです。もし自分が逆の立場だったらどうしてただろうと考えました。たぶん、ムッとしてにらみつけたに違いありません。私はクリスチャンなので、事故からの守りをイエス様によく祈ります。そして、このように事故になりそうでならなかった経験が多数あり、その時いつも『イエス様が守って下さったんだ』と心から感謝します。この時のことも、イエス様が守ってくださり、そしてこの笑顔のオジサマに会わせて下さったのもイエス様だったのだと思います。