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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

紫禁城 太和門

2024-02-09 | 北京を歩く
故宮の太和門です。

午門を抜けると正面に大きく見えてきます。



紫禁城の門としては最大です。





外朝の入口に当たります。明代の1420年の造営だそうです。威厳と迫力たっぷりです。



この門は1888年12月に光緒帝と隆裕が結婚式を挙げる数日前、門を警備していた2人の門番がかがり火をつけたままうっかり居眠りしてしまい、門に引火して焼失してしまったというエピソードがあります。

これは大変なことです。
これでは花嫁の隆裕はしきたりにしたがって太和門から紫禁城に入ってくることができません。

そこで西太后は熟練した職人を集め、結婚式では紙や竹竿などを使って張り子の太和門を作り、代用したのだとか。

結婚後の光緒帝は隆裕と良好な関係を築くことができず、時代の激流に飲まれるように短く不運な人生を歩みました。

隆裕は光緒帝の関心を得られず、清代最後の皇太后として不遇な時を過ごし、失意のうちに45歳でこの世を去ります。
二人の不幸はこの瞬間から始まっていたのでしょうか。

今の門はその翌年に再建されたそうです。

小説「蒼穹の昴」では、梁文秀が殿試を受験するために紫禁城を訪れた際、太和門の西側の門である貞度門を通過するシーンが描かれていました。これは1886年頃の設定です。

ところで、紫禁城の内外を歩くと、いたるところでこれでもかという数の門に出くわします。

往時のこの用心ぶりには驚くばかりですが、これだけの門をこさえてどういう通行管理体制をしたのでしょうか。今のようにセキュリティカードやパスワードや生体認証とか便利なものがなかったわけですから、すべて人力でのオペレーションだったはずです。

相当な労力を要したことは想像に難くありません。





これは東側の門である昭徳門です。
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