「そこから旅順港は見えるか」。
1904年、日露戦争の天王山となった二〇三高地の攻防戦で帝国陸軍が攻略に成功した際、満州軍総参謀長だった児玉源太郎が無線で観測兵に向かって発したとされる有名な言葉です。
観測兵は、
「見えます! 丸見えであります! 各艦一望の下におさめることができます!」
と応じます。
帝国陸軍が勝利に大きく近づいたことを確信する場面です。
その二〇三高地に行ってみました。
(山頂に立つ忠霊塔です。乃木希典が揮毫した「爾霊山」の文字があります)
当時は岩と土がむき出しになっていたそうですが、今は植栽された森林に覆われています。
山頂から旅順港まで約4キロです。
観測兵は、おそらくこのあたりに立って眼下の眺望を確認し、児玉参謀長に報告したのだろうな、と思われる場所に立ってみました。
旅順港の方向は分かりますが、少し白んでいてなかなか見えません。
土産物屋のおばちゃんに聞いてみました。
「旅順港はあっちだよね?」
「そうだよ。でも今はちょっと見えないね。さっきまで見えていたと思うんだけど」
「どれぐらいの確率で見えるの? しばらく待っていたら見えるかな?」
「時期にもよるけど、まあたいてい見えるよ。昨日はずっと見えていたね。まあ、土産見ていってよ。古い写真もあるよ」
僕は二〇三高地に来たのはこれが3回目ですが、旅順港が見えたことは1度もありません。
1度目は濃霧で、10メートル先も難しいぐらい、2度目は旅順の新市街がやっと見えるぐらい、今回はさらに先まで確認できますので、かなり惜しいです。
(見えるような見えないような・・・)
奥の方が少し光って見えるのは、ひょっとしたら旅順湾内の水面が反射しているのかもしれません。
今、僕が児玉参謀長から同じ質問を受けたら、
「えーと、どうですかね・・・。見えるような見えないような・・・。まあ、△って感じで・・・」
などと、すこぶる歯切れの悪い報告になってしまいそうです。
処刑されそうですね。
次回、ここに来るのは10月だと思います。
東京から4人の先輩が遊びに来てくれることになっていますので、ご案内するつもりです。
そのときは、観測兵のように
「丸見えであります!」
という眺望が広がっていることを今から祈っておきたいと思います。
(山頂手前に残る堡塁です。ロシア軍の最終防衛ラインだったのでしょうか)
(山頂に向かう坂道です。これが近代日本が越えようとした坂、司馬遼太郎が描こうとした「坂」だったのかな、とも思います)
1904年、日露戦争の天王山となった二〇三高地の攻防戦で帝国陸軍が攻略に成功した際、満州軍総参謀長だった児玉源太郎が無線で観測兵に向かって発したとされる有名な言葉です。
観測兵は、
「見えます! 丸見えであります! 各艦一望の下におさめることができます!」
と応じます。
帝国陸軍が勝利に大きく近づいたことを確信する場面です。
その二〇三高地に行ってみました。
(山頂に立つ忠霊塔です。乃木希典が揮毫した「爾霊山」の文字があります)
当時は岩と土がむき出しになっていたそうですが、今は植栽された森林に覆われています。
山頂から旅順港まで約4キロです。
観測兵は、おそらくこのあたりに立って眼下の眺望を確認し、児玉参謀長に報告したのだろうな、と思われる場所に立ってみました。
旅順港の方向は分かりますが、少し白んでいてなかなか見えません。
土産物屋のおばちゃんに聞いてみました。
「旅順港はあっちだよね?」
「そうだよ。でも今はちょっと見えないね。さっきまで見えていたと思うんだけど」
「どれぐらいの確率で見えるの? しばらく待っていたら見えるかな?」
「時期にもよるけど、まあたいてい見えるよ。昨日はずっと見えていたね。まあ、土産見ていってよ。古い写真もあるよ」
僕は二〇三高地に来たのはこれが3回目ですが、旅順港が見えたことは1度もありません。
1度目は濃霧で、10メートル先も難しいぐらい、2度目は旅順の新市街がやっと見えるぐらい、今回はさらに先まで確認できますので、かなり惜しいです。
(見えるような見えないような・・・)
奥の方が少し光って見えるのは、ひょっとしたら旅順湾内の水面が反射しているのかもしれません。
今、僕が児玉参謀長から同じ質問を受けたら、
「えーと、どうですかね・・・。見えるような見えないような・・・。まあ、△って感じで・・・」
などと、すこぶる歯切れの悪い報告になってしまいそうです。
処刑されそうですね。
次回、ここに来るのは10月だと思います。
東京から4人の先輩が遊びに来てくれることになっていますので、ご案内するつもりです。
そのときは、観測兵のように
「丸見えであります!」
という眺望が広がっていることを今から祈っておきたいと思います。
(山頂手前に残る堡塁です。ロシア軍の最終防衛ラインだったのでしょうか)
(山頂に向かう坂道です。これが近代日本が越えようとした坂、司馬遼太郎が描こうとした「坂」だったのかな、とも思います)