HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

ふたつの「霧島ビル」

2016-05-26 | 大連を歩く
延安路付近に、日本が租借していた1930年代に建てられたと思われる集合住宅が2つ残っています。

この2つのビル、デザインがよく似ています。
距離は約200メートルほど離れているのですが、1938頃の古地図によると、ともに「霧島ビル」と表記されています。


(こちらは6階建て。金城街×華昌街です。便宜的に霧島ビルAとします)


(Aを反対側から)


(こちらはもうひとつの方。金城街×南山路の3階建てです。霧島ビルBと呼ぶことにします)

住宅としての構造や外壁などの風合いが似ているので、同じ設計者で、同じ建築会社が施工したものと思われます。名前も同じですから、オーナーも同一人物だったかもしれません。


(Aの階段です)


(Aの2階の通路)


(Bの2階の通路)


(Bの1階部分の柱)

外見だけでなく、廊下に敷かれたえんじ色の床タイルも同一です。


(Aの床タイル)


(Bの床タイル。まったく同じです)

当時、この2棟が位置している金城街は「霧島町」と呼ばれていたので、「霧島ビル」と名付けられたのだと思いますが、同じ名称だと紛らわしかったのではないでしょうか。

いずれにしても、当時は最先端の集合住宅だったと思われます。
今でいうところの「なんとかヒルズ」みたいな扱いで、当時のセレブっぽい人が住んだのだと想像します。


(Aをさらにベつの角度から)

今もそれほど古さを感じません。

ふたつの霧島ビルのうち、Aの方は大連市第二次不可移動保護名簿に登録されています。
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