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素材抜粋-1 山崎 元 『僕はこうやって11回転職に成功した』

2010年04月20日 | 読書
素材抜粋                             2002/11/04

僕はこうやって11回転職に成功した

山崎 元『僕はこうやって11回転職に成功した』
文芸春秋 2002年



 野村投信に限らず、日本の運用会社の多くが金融機関の子会社としてスタートしており、会社の経営と人事を親会社が握る構造になっている。この点は、運用会社の経営のあり方として大きな問題であり、日本の運用会社の決定的な欠点だ。運用経験のない経営者に経営される運用会社は、その顧客と共に不幸だ。そして、永続的に被支配者側に立つ社員にはどことなく投げやりな無力感が漂うのである。「俺は仕事は分からないけれども、人間は使える」というサラリーマン経営者の無根拠な自信を矯正することは実に難しい。


 当時、転職を決めて気負い気味の筆者は、親会社で一度人生の全盛期を終えてきた転籍者の気分にも同化できなかったし、どことなく覇気のない、いわば電圧が低いような感じのプロパー社員にも同化できなかった。


 また、こんな会社ならば辞めても惜しくないという印象的な仕事が一つあった。筆者の担当地域であるカナダの製鉄メーカーへの製鉄設備の入札案件であった。当時ドルの金利は高く、円金利が相対的に低かったのだが、それは、三菱商事が円を調達して相手に円とドルの金利の間くらいで、ドルで貸して、為替リスクを負担するという仕組みの案件だった。後で分かったことだが、日本企業の為替への無知につけ込んで、米国の投資銀行がこうした仕組みを北米の製鉄メーカーに勧めていたのだった。
 筆者は、為替レートがそれほど円高にならずに推移するのであれば、米国の国債でも買う方が、利回りが高くかつ信用リスクもなしに、十数億円余計に儲けることができる、という計算を示して「この十数億円は、寄付ですか、広告費ですか」と反対した。しかし、ライバル商社との争いに負けたくない営業部門、営業部門に嫌われたくない上司といった構図の下に、この案件は「已む無し」で通さざるを得なかった。上司にも縷々説明されたが、理屈になっていないことが分かってしまったので、心が離れるばかりだった。


 まずは<抜粋者注/野村投信に転職して1986年にバランス型投資信託の担当に着任したころ>、株式投資に関する入門書を手当たり次第に買ってきて、雑な読み方だが二、三十冊読んだ。「・・・・・・・入門」とか「・・・・・・・必勝法」といったタイトルが付いた類のものを含めて、たくさん読んだ。これは、かって競馬を始める時に使った方法だ。まず、ある程度の量の基本的な概念を具体的なイメージとともに獲得してしまうと、後の理解がはかどることが多い。またこれと並行して、なるべく専門の論文を読んだ。アメリカのアナリスト協会が出している「フィナンシャル・アナリスト・ジャーナル」という英文の雑誌が会社にあったので、ポツリ、ポツリと興味の持てそうな論文を読んだ。レベルでいうと、上下から挟み撃ちにする感覚である。


 他の仕事でも、二年間くらい必死に努力すれば「何とか他人の役に立つ」、つまりプロとしての最低限くらいのレベルに達することができるのではないかと思う。


 また、余計なことかも知れないが、こうした扱いが理不尽なレベルに及んだ時には当事者である上司に「あなたは、たかだか会社の上司だというだけで、そんな振る舞いをしていて恥ずかしくないか」と、はっきり軽蔑の意を表すべきだと思う。転職する立場で威張ってはいけないが、基本的に「対等」であることはきちんと伝えるべきだ。転職者はこんなところで妥協する必要はない。気分よく朗らかに会社を去ることは、残りの一生の気分の上でも大切だ。


 しかし、たとえば<生命保険会社の>証券会社に対する態度は情けなかった。筆者が野村投信にいるときに、少しも役に立つと思わなかった野村證券の機関投資家向けの投資情報を奪い合うようにありがたがっている。野村以外の証券会社に対しても、投資情報は証券会社から取るのが当然といった雰囲気だ。しかも、オフィスの中まで証券会社の担当者が入り込み、ファンドマネージャーの隣に腰を下ろして雑談している。また、ファンドマネージャーの何人かは証券会社の接待付けになっていた。これでは、餌付けされた猿も同然である。機関投資家とは名ばかりの「お客さん」たちがそこにいた。


 三菱商事時代の為替予約チームでの決算操作もそうだったが、運用の場で結果を恣意的に操作する行為は我慢がならなかった。別に、筆者自身は高潔な人間ではないのだが、我慢できない。しかし、この種の不正を筆者は今後、何度も目にすることになる。


 1980年代の半ばくらい(昭和の終わり頃)から、日本の運用実務の世界で「モダンポートフォリオ理論」と呼ばれるような一群の理論的研究への関心とともに、ファイナンスの理論的な研究に関心が集まるようになった。


 また、仕事の内容が専門化するほど経営者層や企画部門、あるいは人事部門の人材や仕事に対する評価が不正確になっていくので、制度の公平な運用が難しくなる。


また、筆者にしたところで、この数ヵ月後に先物のディーリング的な日計り商い(一日のうちに売り買い両方を行って儲けようとするトレード)をやりながら、儲かった取引を、たとえば厚生年金基金連合会といった重要顧客のファンドに入れて、損した取引を合同口で引き取る、といったことを何度か(累計二、三億円だろうか)行ったことがある。良くないことをした、と反省している。自分だけが悪いことをしていないなどと言うつもりはない。ともかく、悪いことは悪いのである。


 しかし、素朴に考えて、これ<信託銀行のファンドトラスト利益操作>は他人(ファンドB)から盗んだお金で、別の他人(ファンドA)に対して損失補填しているのと同じことだから、証券会社の損失補填よりもさらに悪いといえる。


 さて、91年に証券会社の損失補填問題が大問題として取り上げられたとき、筆者は信託銀行のファンドトラストも問題になればいいと思った。そう思う背景には、会社にとってのリスクの問題や、損益操作に伴う倫理的な怒りということもあったが、より素直に言えば、マーケットで運用してフェアに決まるはずの運用利回りを操作する人間がいることの不愉快さ、こうした操作を当然のこととして振舞う人間への不快感、つまりマーケットを汚す人たち(と筆者には思えた)への怒りがあった。


 「事実は事実としても、ファンド間の益移動は他人のためにする窃盗行為であり、一段罪が重い。『よくあること』とか『しかたがない』と当事者は言うが、倫理感覚が腐っていると言われてもしかたがあるまい」
                       <金融関係雑誌の匿名コラム>


 まず、一度転職したことがなければ、会社と自分を基本的に対等の存在と位置づけること、つまり会社の相対化ができなかった可能性が大きい。


 あくまで理想だが、35歳くらいまでに、たとえば同業他社が機会があったら是非雇ってみたいと思うような職業スキルとそれを証明できる仕事の実績が欲しい。


 たとえば、ディーラーがマーケットから離れたり、セールスマンが顧客から離れたりという状態はキャリアの断絶を意味する。こうした場合、会社と心中するつもりで異動を受け入れてその会社特有のキャリアを積むか、職業の方を選んで早々に転職するか、方向を選択しなければならない。


 ・・・・・・・筆者の運用のやり方は、どちらかというと“トップダウン型 ”、つまりポートフォリオ(複数の銘柄を組み入れた運用資産全体を「ポートフォリオ」と称する)全体をまとめてコントロールしようとするスタイルで、たとえばコンピューターを使ってリスクやリターンを計算するようなやり方だ。理論指向、数量分析指向といってもいい。


 92年の2月にロンドンの本社(シュローダー)に約3週間、シュローダーの香港法人に5日という日程で出張に出た。


 日本の運用会社の最大の弱点は、技術や人材ではなくて、<運用を知らない>経営者とその取り巻きなのである。


一般に、自分で自分の身の上をコントロールできないということのストレスは大きいから、不満な状況のまま会社にどうにかされるのを待つというよりは、自分で身の振り方を決めようとするのだ。これは転職者が、しばしば転職を繰り返す心理的な理由の一つだ。


 筆者たちの仕事<メリルリンチ証券での>はいわゆる「クオンツ」の、すなわちバーラ的なマーケット分析や運用に関するアイデアの提供を顧客である機関投資家に行って、機関投資家から売買注文をもらって儲けるというスタイルのビジネスだった。


 この商品は売れなかったが、あまりにひどい商品だったので、帰り道でセールスマンと喧嘩になった。一般に複雑に工夫された金融商品は、売り手側の儲けの大きさを隠して、かつ顧客をその気にさせるように開発されており、売り手側が計算間違いでもしなければ、顧客にとって有利なものとはなり得ない。アタマでは分かっていたが、現実にインチキ臭い商品を多数目の当りにして、よく分かった。
 こうした経験は、後年個人向けの投資のガイドブックを書く時に役に立った。投資家は「自分でよく分かったもの以外投資してはいけない」、「特に、売り手の儲けの幅が完全に分からない商品は買ってはいけない」、「購入を見送っても、儲け損なって損をするのは売り手のほうだ」といった少数の原則を心得ておけば理不尽な損を避けることができる。大機関投資家から個人にいたるまで共通の原則だ。


 また、当時の外資系証券会社の大きな収益源であった、デリバティブやオプションのファンドを使った日本企業用の決算対策の商品をメリルリンチ証券も扱っていた。証券ビジネスは慈善事業ではないし、特に外資系の証券会社では個人が儲けに応じた報酬を得ることができるので、法的にギリギリのところまで商売をする。決算対策商品は当時はっきり「クロ」と認定されていたわけではないが(日本の監督当局がだらしなかっただけのことだが)明らかに反社会的でかつ投資として非本質的だった。自分が直接やっているわけではないが、同僚がこうしたビジネスに手を染めているというのはあまり気分のよいものではなかった。


 もっとも、二、三年おきに退職金をもらい歩く日本の天下り官僚のケースほど効率よくこのメリット<退職金の課税が低いこと>を享受したわけではない。


 しかし、給与やボーナスと退職金が、もらい方によってはこんなに税率が違うことに合理性はない。終身雇用・年功序列に加えて退職金と年金で報酬支払いが完了する「延べ払い型」の報酬システムは、人材の再配置の機会費用を高めて、今日、日本の経済にとって大きなマイナスの要因となっているように思うが、退職金の税制上の優遇はこうした制度を強くサポートとしている。正しくは、退職金への課税をもっと強化すべきだと思う。本当は、給与に対する課税と同じでいいのではないだろうか。


 特に証券ビジネスは、稼げるビジネスの場所が頻繁に移動する狩猟型のビジネスだ、これを、年貢を納める農民を管理する江戸時代の藩のようにマネジメントしてもだめだ。


 本を出してみたいとお考えのビジネスマンは少なくないと思うが、テーマと書くべき内容があるとすれば、(1)誰を読者対象にして何を伝える本で、なぜ売れると思うか、(2)本の内容のなるべく詳しい構成案、(3)文章に関する何らかの実績、といったものをまとめて売り込みに行けば十分にチャンスは得られるものと思う。必要なものは、企画書と文章のサンプルとプレゼンテーションの準備だ。もちろん、出版社も商売なのだから、(1)を説得的に伝えることが肝心である。


 『ファンドマネージメント』は幸い地味ながら読者を得て、何度か増刷されたし、韓国語訳が出たりもした。ファンドマネージャー向けの定番テキストの一冊として推薦してもらえるケースもあるし、その後の世渡りの上で名刺代わり的な効力を発揮したことが何度かあった。


 年金の運用は、日本で96年当時にはすでに大きなビジネスであったが、今後も運用資産の拡大が期待できた。また、投信や個人の資産運用と較べた場合に一番プロセスが厳格なので、年金運用を理解しておくと他の運用分野に応用が利く。実際に、その後、確定拠出年金とか投資信託といった分野では、確定給付型のこれまでの企業年金での手続きや考え方が大いに生きている。


 証券会社の仕事上の関わりだけではなかなか厚生年金基金の担当者などと関係を深めることはできなかったが、企業年金研究所という年金関係の独立のサービス会社のM社長と親しくなって、同社を通じて年金スポンサー向けのセミナーの講師をすることなどを通じて、年金運用関係の知識と、年金関係者との人的関係を徐々に増やしていった。


 具体的な成果としては、企業年金研究所でのセミナーをもとにして、年金スポンサー向けの年金運用の解説書を一冊書くことができた。『年金運用の実際知識』という本で東洋経済新報社から出版した。単独での著書の二作目だ。思い通りにのびのび書けた本なので、著者とはしては割合気に入っている本なのだが、出版時期がちょうど山一證券の自主廃業騒動にぶつかったことと、想定が地味であったこともあってか、あまり売れていない(現在三刷りで止まっている)のは少々残念なところだ。


 余談だが、日本の年金は信用できないので、自分の老後資金は年金に頼らずに自分でためるしかない、という話を特に若い人からよく聞く。確かに、年金の将来には不安があり、たとえば国の年金で将来は、現在の年金受給者が得ているような実質的な価値を得られなくなる可能性は小さくない。支給開始も遅れるし、実質的な額も将来は減るだろうし、近年の運用難から年金の財政状態は公的年金、企業年金ともに良くない。それでは、年金の掛金を支払わない方がいいのか、という話はそれほど単純ではない。それは、老後の資金は結局自分で準備するしかないが、この貯蓄を、税引き後の手取り所得の中から積み立てて、しかも運用益に課税されながら運用することは、国の年金や企業年金と比較して著しく不利だからだ。また、これから確定拠出年金が広まると多くの人が実感するところとなるだろうが、自分で運用する方が、国や企業よりうまいという保証はまったくない。結局、「自分で考える」という覚悟は持つべきだが、そうした上で、年金制度を手段として利用するかしないか冷静に損得を考えるということが、今後の経済的サバイバル術の要点の一つになる。もちろん、最適なやり方は人によって違う。


 転職には、快感があります。


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