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厚生年金基金事務長奮闘記-14

2010年08月22日 | 厚生年金基金

5.ディスクローズの試行錯誤

ABC基金には、「SURS In Brief」という印刷物の宝物があります。それは、数年前に或る米国独立系投資顧問の年金セミナーの席上で入手しました、イリノイ大学の1994年6月30日の日付のある大学基金サマリーであり、A4サイズの4段組み、8項目に組まれて両面刷りの手の平サイズに折り畳まれた情報開示の資料です。

SEC基準による義務化された情報開示の資料であるのでしょうが、その内容は基金の現状の概要を網羅しています。基金の事務所・役員・理事名、財政運営、年金給付体系、資産
運用方針、資産配分、3年・5年・10年の運用利回り成績、収支明細等々、よくもこんな小さな紙の中に取り纏めたものですと技術的に関心すると共に、この背景になっている米国の年金を取り巻く環境・考え方に思いを馳せるようにさせる迫力を秘めている一枚です。

一方、基金設立30周年を迎えて、またぞろ日本の出版業者はてぐすね引いて待っているところがあります。といいますのも、各基金とも、過去に社史のような○○周年記念誌を再々発行してきましたが、これは印刷業者向けの慈善事業(基金と業社の予算消化の共食い事業)でしかなく、出版され贈呈されてもただ積まれ置くだけの、情報開示の点では形式的な内容空疎なものでした。

ここにきて日本でも、情報開示・受託者責任が言われ始めて、この点を見直して内容充実しました10周年記念誌を出版・発行した基金と業者が現われはじめています。例えば、過去10年分の貸借対象表・損益計算書を掲載、10年分の資産運用成績を運用機関別に利回
り結果を明示しています。30年と共に、基金の考え方、背景が変わってきている状況の反
映でありましょう。中には、従来と何ら変わらないものを発行する基金もあるでしょうが。

要するに、現在では、<基金のポリシー>が非常に重要であるということでしょう。

しかし、現実には自基金の広報誌に貸借対象表・損益計算書も掲載出来ない基金もありますが、その基金でも一切ディスクローズをしない大部分の基金に比べればまだまだ良しとせ
ざるを得ないような状況が一般です。こういう世界に、<情報開示・受託者責任>が云々されても、足もとの現実はかなり見劣りする状態です。長いこと、「知らしめず」の日本の行政統治をもの真似していた基金にとって、180度考え方を変えなければならない現実にぶつかって、暗中模索、試行錯誤が続くことでしょう。

 しかし、このたびの<情報開示・受託者責任>が基金財政悪化の結果、解散準備・給付引き下げを前提にしたうえでのフレーム・ワークの変更を目論むものであるなら、とんでもないことでありましょう。<情報開示・受託者責任>の基本の理念は、オープンな場でみんなで検討しようということでありますから、「知らしめず」の統治方法から「民の声!」を支持する受給権保全確保にの移行になるのでしょう。




僕はやはり戦争中の日本人の一点集中主義が、多少なりとも批判的な精神を潰し
たのではないかと思います。そいういうテンション主義、病的な体質というのは、
日本人に非常に顕著ですね。あえて言えば朝鮮民族に日本人以上のテンションを見
ることがありますから、これはひょっとすると極東の民族的特徴なのかもしれませ
ん。

栗本慎一郎『立ち腐れる日本』




官から民に、統治から工夫に、運営から経営に、ジェネラリストからスペシャリストに、ボトム・アップからトップ・ダウンへ一方通行ではなく、交互交通があってよいのでしょう。「制度」というものは、ビジョンに属するマクロ部分と実務に属するミクロ部分とが相俟って成り立つものであり、それを官僚が全面的にミクロ部分についても統治しようという姿勢そのものに無理があり、そうですから全体主義の愚、テンション主義の一点豪華方式、つまり切腹とか自殺に行き着く以外に論理展開の道がなくなるのでしょう。




したがって今日(注:1976年)、地方自治体を筆頭として公的機関は、混乱の時代に
入っているといってよい。すなわち統治の原則そのものが問われ覆されていく時代
である。

P.F.ドラッカー『見えざる革命』




平成の時代になって日本経済の低成長が10年も続いて、未だに出口の見当らない状態が経済破綻さえ招きかねないと危惧されるようになってきていますが、併せて年金基金の資産運用の低利回りも恒常化してしまい、積立不足が増進し、未曾有な事態になっています。

この未曾有な事態の結果、年金基金の積立不足に対して打開策が種々議論されるようになってきました。経営サイドも組合サイドも発言し始めましたし、象牙の塔も官僚も、ましてや当事者である年金基金関係者も民間の研究グループにも発言する人が出てきています。公論の湧き起りは歓迎すべきことですが、2、3懸念されることもあります。

その一つは、若者の声が聞こえて来ないということ。また、年金受給者自身の生の声も同様に聞こえないということ。

このため、今行われている議論がいびつに感じられるし、空洞化した議論になっているのではないでしょうか。公論というのは、そんなものでしょうか。

いま一つ、基金の年金原資の積立不足に対する打開策として展開される論調の中に、従来発想をそのまま引きずった既得権益集団のエゴ、ゼネラリストの学習意欲の失せましたラベル貼り作業、金融の実態に対する無知無能が散見されるということ。

というのも、積立不足に対する打開策として一般的に考えられるのは

①掛金増
②給付引き下げ
③運用効率化

等でしょうが、
①については現状の日本の経済状態には負担能力がないですというし、③については資産運用環境が悪すぎて効率化など期待すべくもないという、そこで②の給付の引き下げが必然的に導きだされるという短絡思考に陥っているからであります。

①については、日本に国際会計基準が導入されれば現状の年金基金の積立不足などゴミみ
たいなものでありましょう。日本の会計制度が隠している実態が拓銀や日産生命、山一等を破産させましたが、国際会計基準導入により隠れ年金債務が白日の下にされれば、またぞろ今度は非金融の大企業が倒産、破産、会社更正法の適用という事態になるのでありましょう。

この背景にあるのは、日本経済の生産性が低いということ、ハイコストが既得権益集団により構造化されているということでしょう。ゴミの処理は早目がよいようで、年金基金の積立不足等さっさと償却し、財務体質をスリムにすることを考えるプラス思考が必要でしょう。

②については、引き下げを主張する人たちの言動をよくよく見極めなければなりません。
多くは、易きにつくだけで切磋琢磨など毛頭ないのが一般です。困難な道を切り開く熱意も、「似たような状況において蓄積された経験」(R.ジアモ)も持ち合わせていませんゼネラリストの安易な政治的判断では、この問題は解決しません。能力以上の問題に対して、無能者は立ち去るだけのことです。立ち去りませんのなら、切磋琢磨が義務となり、それをしないのなら責任回避です。年金基金の「受託者責任」の世界には無資格者ということになりましょう。そういう者が給付引き下げを叫んでも空疎ばかりが浮き上がり、逆にその発言の裏に無知無能を、政治的工作を、おもねりを焙り出してしまうことになります。

③については、資産運用の効率化のためにしなければならないことは山ほどあります。規制緩和はおくとして、まず日本経済の会計制度、税制、司法・監査システム等の従来のフレ
ームワークを刷新してインフラ整備を早急に行う必要があるということは既にコンセンサ
スになっていることと考えられます。筆者は、この点に関しては楽観しています。というのも、如何に頑迷・頑強な日本の経済システムといえども、資本の論理(その生産性、その先鋭性)によって必ず突き崩されると考えるからであります。旧体制崩壊は放っておいても時間の問題でしょう。

年金基金の外部環境の刷新、本邦市場の改善とは別に、基金内部で行わなければならないことも数多くあります。運用体制の確立、資産運用インフラの整備、運用方針の徹底等フレ
ームワークの刷新は不可欠です。その上、資産運用関係者の金融能力の向上、情報収集力の向上、金融インフラの取得等を一層高めなければなりません。金利指向オンリーでは危うい場面も生まれている日本の最近の金融市場で、日本そのもののカントリーリスクを懸念しなければならなくなってきていますし、デフォルトも視野に入れた基金の資産運用、更にデリバティブを駆使しましたオルタナティブ運用、更に元本保証の2ケタ利回りの商品ファンドへの運用拡大、資産クラスの分散、運用先カントリーの分散、運用手法の分散、等々、基金の資産運用規制もほぼ撤廃されました(平成10年4月現在)ので金融ノウハウを駆使する場面が出来つつあります。

グローバルな資産運用の世界で2ケタ利回りは常識ですし、米英の年金基金でもそれは達成されています。「運用次第では5.5%という予定利回りは必ずしも高いハードルではない」(平成10年4月10日付日本経済新聞:R&I調査記事)などという発言は、逆に惨めな日本の年金基金の資産運用の実態を示しているのです。

5.5%も稼げないのが、大半の現在の年金基金の資産運用能力なのです。普通預金金利が0.5%、長期金利が1.5%の世界でやむを得ないという無責任発言が横並びで大合唱されて、責任回避を図る体質が定着してしまっているのです。日本版ビッグバンの進行、年金基金関係者のたゆまぬ努力等によって資産運用規制がほとんど撤廃されました平成10年4月以降、予定利回りを引き下げますとか年金給付を引き下げるとかのアイデァは、資産運用の効率化を徹底してからの問題です。いよいよ資産運用能力差が歴然とする場面(年間5%以上の差)を迎え、基金関係者はより一層の切磋琢磨が求められることになります。

株式持合い、メーンバンク制、護送船団方式、終身雇用制、年功序列賃金、ゼネラリスト組織等々の「負の遺産」の金縛りを解きつつ、基金の資産運用を「政策投資」のしがらみから「純投資」に移行させるということ。つまり、<情報開示・受託者責任>といいますことはそれを意味しているのでしょう。ディスクローズはますます試行錯誤の度合いを高めざるを得ないでありましょう。新たなフレームワーク構築に立ち向かうのですから。

今こそ、基金関係者全てが基金の古典的著作、P.F.ドラッカーの『見えざる革命』を再読・三読すべきでありましょう。



















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