異文化交流クイズ。ジャポニズム特集第6回の今回はジャポニズムがアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)に与えた影響からの出題です。
アール・ヌーヴォーという名称は、パリの美術商、ジークフリード・ビングの店の名前に由来します。このビング、元々はドイツ人で1870年代に日本の美術品を売って成功し、フランスに帰化します(帰化後の名前はサミュエル・ビング)。後に美術の一つの時代を築き上げるきっかけとなったのは、このビングが1888年から91年にかけて発行した月刊誌『ル・ジャポン・アルティスティック(芸術の日本)』。
色刷りを含む多くの図版を掲載紙、浮世絵、金工、陶器から建築、歌舞伎に至るまで数々のジャンルを紹介し、仏、英、独の各国語版で出版されたこの雑誌に感銘・影響を受けた作家としては、ゴッホ、スーラ、ロートレック、ゴーギャンの影響下にあったナビ派の大部分の画家達が挙げられます。
ビングの一義的な意図は日本の美術品を愛好する層を増やすことによって販路を拡大することでしたが、それと同時にフランスの美術作家たちの手本となるような作例を提供し、新しい美術の制作を促すことも強く意識されていたと考えられています。
そして圧巻だったのは1890年にはパリの国立美術学校で開いた大浮世絵展。師宣、北斎、広重に至る流れを作家毎に配列。その展覧総数は725点の単品と421点の冊子という、空前絶後の規模。
この展覧会は画家達だけでなく、版画家やポスター画家たちにも影響を与え、革新の契機となったと考えられています。
このビングが1895年、パリにおいて、日本美術を扱う店に隣接していた従来の店を全面改装、店名も改めて営業を再開します。この店の名「アール・ヌーヴォー」(フランス語で「新しい芸術」の意)が、後に使われる1900年前後に流行した装飾様式の名の直接的な由来です。
このアール・ヌーヴォーは幾つかのギャラリーに分かれ、建築装飾から家具、壁紙、食器に至るまで総合的にデザインされていました。
具体的に言えば、浮世絵に見られるような平面的かつ装飾的な空間構成を取り入れたジャポニズム色の濃厚なロートレックの原画を、アメリカのティファニーが制作したステンドグラスに嵌め込む、といった形の総合的装飾美術がここに生まれたわけです。ティファニーのステンドグラスは昔よく「なんでも鑑定団」で取り上げられたことがあるので、目にしたことのある方も多いでしょう。
他にもアール・ヌーヴォーの特徴として、蝶、蝉、蜻蛉などの昆虫、雀、孔雀、鷹、蝙蝠などの鳥や動物、竹、桜、梅などの植物、時には蚕の蛹や海月などの些か異様と思われるモティーフが意匠化されて用いられていますが、これも従来の西洋美術に見られなかったもので、こちらも明らかに日本の浮世絵やら工芸品の影響を受けていると考えられています。
さて、ここで今回のクエスチョン。
このビングの店には常時日本の美術品が置かれていましたが、当時としては既に浮世絵は高価なものになっていました。
しかし『とある印象派の画家』はビングと親しかったお陰でその店に自由に出入りが許され、また決して恵まれていたとは思えないその生涯を終えた際に、彼の手元には貴重な浮世絵のコレクションが残されていました。さてこの『とある印象派の画家』とは一体誰でしょう?
アール・ヌーヴォーという名称は、パリの美術商、ジークフリード・ビングの店の名前に由来します。このビング、元々はドイツ人で1870年代に日本の美術品を売って成功し、フランスに帰化します(帰化後の名前はサミュエル・ビング)。後に美術の一つの時代を築き上げるきっかけとなったのは、このビングが1888年から91年にかけて発行した月刊誌『ル・ジャポン・アルティスティック(芸術の日本)』。
色刷りを含む多くの図版を掲載紙、浮世絵、金工、陶器から建築、歌舞伎に至るまで数々のジャンルを紹介し、仏、英、独の各国語版で出版されたこの雑誌に感銘・影響を受けた作家としては、ゴッホ、スーラ、ロートレック、ゴーギャンの影響下にあったナビ派の大部分の画家達が挙げられます。
ビングの一義的な意図は日本の美術品を愛好する層を増やすことによって販路を拡大することでしたが、それと同時にフランスの美術作家たちの手本となるような作例を提供し、新しい美術の制作を促すことも強く意識されていたと考えられています。
そして圧巻だったのは1890年にはパリの国立美術学校で開いた大浮世絵展。師宣、北斎、広重に至る流れを作家毎に配列。その展覧総数は725点の単品と421点の冊子という、空前絶後の規模。
この展覧会は画家達だけでなく、版画家やポスター画家たちにも影響を与え、革新の契機となったと考えられています。
このビングが1895年、パリにおいて、日本美術を扱う店に隣接していた従来の店を全面改装、店名も改めて営業を再開します。この店の名「アール・ヌーヴォー」(フランス語で「新しい芸術」の意)が、後に使われる1900年前後に流行した装飾様式の名の直接的な由来です。
このアール・ヌーヴォーは幾つかのギャラリーに分かれ、建築装飾から家具、壁紙、食器に至るまで総合的にデザインされていました。
具体的に言えば、浮世絵に見られるような平面的かつ装飾的な空間構成を取り入れたジャポニズム色の濃厚なロートレックの原画を、アメリカのティファニーが制作したステンドグラスに嵌め込む、といった形の総合的装飾美術がここに生まれたわけです。ティファニーのステンドグラスは昔よく「なんでも鑑定団」で取り上げられたことがあるので、目にしたことのある方も多いでしょう。
他にもアール・ヌーヴォーの特徴として、蝶、蝉、蜻蛉などの昆虫、雀、孔雀、鷹、蝙蝠などの鳥や動物、竹、桜、梅などの植物、時には蚕の蛹や海月などの些か異様と思われるモティーフが意匠化されて用いられていますが、これも従来の西洋美術に見られなかったもので、こちらも明らかに日本の浮世絵やら工芸品の影響を受けていると考えられています。
さて、ここで今回のクエスチョン。
このビングの店には常時日本の美術品が置かれていましたが、当時としては既に浮世絵は高価なものになっていました。
しかし『とある印象派の画家』はビングと親しかったお陰でその店に自由に出入りが許され、また決して恵まれていたとは思えないその生涯を終えた際に、彼の手元には貴重な浮世絵のコレクションが残されていました。さてこの『とある印象派の画家』とは一体誰でしょう?