韓国の日本に対する敵対感・憎悪は、どこから来るのか
李明博元大統領の竹島上陸によって一気に悪化した日韓関係は、そのあと悪化の一途を辿り続けた。「慰安婦問題日韓合意」の韓国側の一方的な破棄、韓国駆逐艦による日本の哨戒機レーダー照射事件、韓国最高裁の徴用賠償判決、それによって行われた日本側の経済制裁措置、韓国における日本製品不買運動等々……。日韓関係史が専門の評論家・李東原氏が綴る。
近年の日韓対立激化の原因の大半は韓国側にあるにもかかわらず、大多数の韓国人は日本に、しかも、安倍首相個人に責任を転嫁する。
1965年以降、韓国人の数々の無礼と非理性的な言行に対する日本人の忍耐も、今や臨界点に達しているのではないか。
そもそも韓国人の日本観とでも言おうか、日本、日本人に対して抱いている敵対感と憎悪の感情は、いったいどこに起因しているのだろうか。
ひとつには、35年に亘る日本の植民地統治と植民地支配の期間中、日本帝国の2等国民とされた被侮蔑感にあるとよく言われている。確かにそれもあったと思う。
その他の要因も含め、長年培われてきた日韓両国の異なる世界観があると私は見ている。
韓国の世界観、その中でも対日本観を説明する時によく取り上げられるのが、朝鮮時代に形成された小中華思想だ。
小中華思想とは、中国以外の国で中華思想の影響を受けて発達した、自己民族中心主義の思想を指す。
周知のように中華思想は、中国漢族が自分たちを世界の中心に置いて、周辺諸国を異民族に、そして、自分たちだけが文明国で、周辺の異民族は皆未開だと考える、中国中心の世界観だ。
朝鮮王朝の支配層は、自国の国際的地位を中華帝国に属する諸侯国に設定し、それに相応する形で国家体制を整備する。
そして、日本は中華の文明圏外にあって、儒教的教養を身につけていない野蛮国と考えた。
宗主国・中国への羞恥心はなく、日本支配の35年は恥ずべき歴史
1402年に製作されたといわれる地図「混一疆理歴代国都之図」をみると、朝鮮は中国の4分の1の大きさになっており、日本は朝鮮よりもはるかに小さく描かれているのだ。
当時の朝鮮の人々が世界をどのように認識していたかをよく表している。まさに「日本夷狄観」「日本小国観」に基づいて描かれたものである。
そのような朝鮮が、16世紀後半、海の向こうの蛮族に、2度も侵略を受けた。いわゆる文禄・慶長の役である。
その時、明国は2回とも大軍を派遣し、朝鮮を救った。朝鮮の支配層は、その恩恵に感泣した。
1616年、満州に蛮夷の女真が清国を建てた。そして1627年と1637年、朝鮮を侵攻して屈服させるが、朝鮮の明に対する忠誠心は、変わらなかった。
結局、1644年に宗主国の明は、清によって滅ぼされる。
朝鮮は表向きは清に服属したが、内心では自らを小中華と自負していた。朝鮮が小中華を自任すればするほど、辺境の蛮族としての日本は、朝鮮の朝廷と民の間で、蔑視対象にならざるを得なかった。
これがまさに朝鮮の指導層の現実認識を麻痺させた、小中華思想の核心だった。
よって、日本の植民統治35年は、数百年に亘って「海の向こうの蛮族」と思われてきた日本に国を奪われ、侮辱を受けた恥辱の歳月だった。
長い間、主従関係を結んできた宗主国の中国に対する羞恥心は一切感じないが、自分たちの世界観からして、日本に支配された35年は、耐えがたい恥ずべき歴史である。
1945年以降の韓国人の至上目標は、傷ついた韓民族の自尊心を回復することだった。この過程で「恥ずかしい歴史」は隠蔽され、歪曲されたし、「抵抗の歴史」は誇張された。
これに比べて日本の対朝鮮観は全く違っていた。
教育を含め、メディアの扇動と歪曲によって一方的に注入された記憶
古事記、日本書紀における神功皇后の三韓征伐、任那日本府などの記述について。これは、中国とは対等で、百済・新羅など朝鮮半島の諸国は藩国としたという、古代日本の世界観を如実に表している。
それは平安時代以来、日本人が持っていた対朝鮮認識の根幹であり、豊臣秀吉の朝鮮侵攻当時の、彼らの朝鮮観の背景でもあった。
また、近代の征韓論や植民支配当時の「日鮮同祖論」の歴史的・思想的淵源でもある。
つまり、日本の対朝鮮認識は、中世の神道学、近世の国学、そして近代の昭和ファシズムといった狂気の時代を経て、定説化された。
このように、日韓両国の歴史認識の違いは、単に近代史に限ったことではない。
そして日韓両国の史家たちは、この問題をめぐって、極端に対立している。みな自国中心の歴史観を固守しつつ、一歩の譲り合いもない。
私は、日韓両国が共同の歴史を共有し、認識すること以上に、異なる歴史とその認識を、そのまま露出させるのも悪くないと思う。
同じではないのに、同じであることを見出すために努力するより、違うことを認めてそれを理解することこそ、和解の前提条件ではなかろうか。
そして、歴史は研究の対象であって、政治家たちの活用の対象になってはならない。
現在、韓国人が抱いている日本に対する憎悪や敵対の感情は、大体、仮想記憶に基づいたものである。
2020年、現代を生きている韓国人に日本植民統治の記憶は、まったくない。
彼らの日本に対する悪感情は、1945年以降、教育を含めた各種のメディアの扇動と歪曲によって一方的に注入された、架空の記憶だ。
朝鮮よりはるか下だった日本にやられたという、根拠のない優越感からくる被侮蔑感をつのらせながら。そして、歴代政権は、多かれ少なかれ、みなこの感情を政治に利用してきた。
「反日が愛国」という、時代錯誤のフレーズを叫んできた
その中でも、最も悪質なのは、慰安婦運動をサポートしてきた挺対協(正義連)といまの文在寅政権だ。
挺対協は反日民族主義の象徴であり、同時に現実権力だ。
挺対協に関係した人の中から、民主党政権下で長官や国会議員になった人は多数いる。
「反日が愛国」という、時代錯誤のフレーズを叫んできた挺対協が、金大中、蘆武鉉政権の10年の間に急成長したということは、もはや秘密ではない。
大統領になろうとする候補たちは、こぞって挺対協を訪れ、慰安婦お婆さんたちの手を握るパフォーマンスを演じる。文在寅大統領も例外ではなかった。
自国の大使館の前で毎週、何十人、何百人の人が集まったデモが行われ、真実を歪曲する造形物を全国に設置する国。世界のどの国の政府が、そんな国と仲良くできるだろうか。
しかも、他国の大統領に、日本は同盟ではないとまで言い、平気で約束や条約を無視する国と。今まで日本が韓国にどれだけ謝りつづけてきたか、韓国人は知らないだろうか。いや、知りたくないだろうか。
日本の忍耐ももう臨界点に達したようだ。臨界点という言葉は、実に怖い言葉だ。
ある物質が臨界点に達すると、これまでとは全く違う化学的な変化が起きる。それは今後の日韓関係が今までとは、全く違う形で展開されるということを意味するものだ。
日本の忍耐が臨界点を通過する前に、韓国政府は、日本に対する今までの態度を見直すべきである。
韓国人の好んで使う四字熟語に「易地思之」という言葉がある。立場を変えて考えてみる、そんな意味だ。
李東原(イ・ドンウォン)
日韓関係史が専門の評論家
週刊新潮WEB取材班編集
2020年9月3日 掲載