いわきアリオス大ホールで開かれたいわき演劇鑑賞会の例会で、シーエイテイプロデュースの「さくら色オカンの嫁入り」を鑑賞しました。
転勤してきた同僚を一度食事に誘ったばかりにストーカー被害を受け外出恐怖症を患う月子(荘田由紀さん)。オカンの陽子(熊谷真実さん)が突然連れてきた婿になるという「捨て男」こと研二(佐藤アツヒロさん)。はじめは研二を拒否する月子だがそれぞれの人生を知るうち受け入れははじめ、やがて月子も外出恐怖症を克服していく。しかし、やっと外出した記念すべきその時に・・というストーリーですが、全編を通して胸を押し上げるものがあり、目頭と目じりからこぼれるものがないように気にし、願いながらの鑑賞でした。
こちらのHPを画像化しました⇒http://okannoyomeiri-stage.jp/
だいたい涙腺が緩くなるという現象は、加齢に伴うものだとテレビで見ました。それによると、確か感情をつかさどるのが小脳で、その小脳の働きが弱くなってくると、羞恥心が弱くなったり(年齢が高くなるにしたがってギャグを飛ばしやすくなるのがそのせいだとか)感動しやすくなったりするのだと聞きました。ただ今回の舞台を見た時の心の動きは、加齢だけが原因ではないと思っています。
人生体験は、人それぞれ、さまざまあるのだと思います。月子は先に記したように単身で転勤してきた男性社員を親切心から食事に誘った後にストーカー行為を受けて心に傷を負い、外出することに恐怖を感じるようになった体験がありました。研二は育ててくれた祖父にあこがれ料理人となった後、祖父の店に連れ込んだ料理学校の友人に騙されて借金を背負わされたことから祖父が自殺未遂を図り、末期に不遇な人生を歩んだことへの良心の呵責を背負っていました。オカンは月子の出産前に夫を亡くし、最近、新たな不幸を知ったばかりでした。
それぞれの人生が絡み合って織りなす人生模様に、くじけず前を向こうと努力を感じたことが、先ほどの心の動きを生み出したのだろうと思います。
舞台ならでは表現も面白い。劇中に表れる回想場面では、聞き手の役者が舞台そでにじっと立って展開する劇を凝視している。何もせず凝視する演技が回想シーンであることを教えてくれるわけですね。また、ラスト近くでは部屋の中のシーンが一瞬に満開の桜の場面に展じる。これら舞台ならでは仕掛けが観客の目を引き付けてくれました。
映画評論家の故水野晴郎さんじゃありませんが「いやぁ~、演劇って本当にいいもんですね~」。
追記
書き忘れましたので追記します。
劇中では夫を失った陽子と月子の親子を長年見守ってきた大家としてサク婆(庄司花江さん)が登場します。おせっかいやきの憎めないおばあさんですが、劇中、陽子(熊谷真実さん)と二人だけで絡むシーンがありました。サク婆がだいたいこんなことをいいます。「年下の若い男と結婚。そういえばテレビでもやっていた人がいたね。くま・・、くまがい・・、ま・・、なんていったかな?」。このセリフの最中、陽子はちゃぶ台にもたれかかり、苦笑いというか、照れ笑いというか、とにかく演技を離れた笑みを浮かべていたように思う。
ネットで調べてみると、真実さんは私の1学年上の同じ年生まれ。二回りも下の男性と再婚したようですね。あのシーンはほとんどアドリブで、演技を離れたバラエティーの世界だったように思う場面でした。
もう一つは愛犬ハチ(溝口琢矢さん)です。陽子と月子が飼う愛犬という設定なのですが、別に犬の着ぐるみやお面をまとうわけでもなく、赤いリボンと赤い首輪をつけただけの人型のいでたち。劇中では場面と場面をつなぐナレーターとしての役割を果たしますが、犬の役割を演じている時の仕草や動作は違和感なく犬でした。お手とお代わりの芸を要求される際の縁起は本当に楽しかったです。
また見たいですね。
転勤してきた同僚を一度食事に誘ったばかりにストーカー被害を受け外出恐怖症を患う月子(荘田由紀さん)。オカンの陽子(熊谷真実さん)が突然連れてきた婿になるという「捨て男」こと研二(佐藤アツヒロさん)。はじめは研二を拒否する月子だがそれぞれの人生を知るうち受け入れははじめ、やがて月子も外出恐怖症を克服していく。しかし、やっと外出した記念すべきその時に・・というストーリーですが、全編を通して胸を押し上げるものがあり、目頭と目じりからこぼれるものがないように気にし、願いながらの鑑賞でした。
こちらのHPを画像化しました⇒http://okannoyomeiri-stage.jp/
だいたい涙腺が緩くなるという現象は、加齢に伴うものだとテレビで見ました。それによると、確か感情をつかさどるのが小脳で、その小脳の働きが弱くなってくると、羞恥心が弱くなったり(年齢が高くなるにしたがってギャグを飛ばしやすくなるのがそのせいだとか)感動しやすくなったりするのだと聞きました。ただ今回の舞台を見た時の心の動きは、加齢だけが原因ではないと思っています。
人生体験は、人それぞれ、さまざまあるのだと思います。月子は先に記したように単身で転勤してきた男性社員を親切心から食事に誘った後にストーカー行為を受けて心に傷を負い、外出することに恐怖を感じるようになった体験がありました。研二は育ててくれた祖父にあこがれ料理人となった後、祖父の店に連れ込んだ料理学校の友人に騙されて借金を背負わされたことから祖父が自殺未遂を図り、末期に不遇な人生を歩んだことへの良心の呵責を背負っていました。オカンは月子の出産前に夫を亡くし、最近、新たな不幸を知ったばかりでした。
それぞれの人生が絡み合って織りなす人生模様に、くじけず前を向こうと努力を感じたことが、先ほどの心の動きを生み出したのだろうと思います。
舞台ならでは表現も面白い。劇中に表れる回想場面では、聞き手の役者が舞台そでにじっと立って展開する劇を凝視している。何もせず凝視する演技が回想シーンであることを教えてくれるわけですね。また、ラスト近くでは部屋の中のシーンが一瞬に満開の桜の場面に展じる。これら舞台ならでは仕掛けが観客の目を引き付けてくれました。
映画評論家の故水野晴郎さんじゃありませんが「いやぁ~、演劇って本当にいいもんですね~」。
追記
書き忘れましたので追記します。
劇中では夫を失った陽子と月子の親子を長年見守ってきた大家としてサク婆(庄司花江さん)が登場します。おせっかいやきの憎めないおばあさんですが、劇中、陽子(熊谷真実さん)と二人だけで絡むシーンがありました。サク婆がだいたいこんなことをいいます。「年下の若い男と結婚。そういえばテレビでもやっていた人がいたね。くま・・、くまがい・・、ま・・、なんていったかな?」。このセリフの最中、陽子はちゃぶ台にもたれかかり、苦笑いというか、照れ笑いというか、とにかく演技を離れた笑みを浮かべていたように思う。
ネットで調べてみると、真実さんは私の1学年上の同じ年生まれ。二回りも下の男性と再婚したようですね。あのシーンはほとんどアドリブで、演技を離れたバラエティーの世界だったように思う場面でした。
もう一つは愛犬ハチ(溝口琢矢さん)です。陽子と月子が飼う愛犬という設定なのですが、別に犬の着ぐるみやお面をまとうわけでもなく、赤いリボンと赤い首輪をつけただけの人型のいでたち。劇中では場面と場面をつなぐナレーターとしての役割を果たしますが、犬の役割を演じている時の仕草や動作は違和感なく犬でした。お手とお代わりの芸を要求される際の縁起は本当に楽しかったです。
また見たいですね。
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