伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

「お母さんの木」の世界に心をとらわれた学習発表会でした

2018年11月17日 | 学校教育
 いつものように愛犬の散歩・・といっても、最近はジョギングになっているのだが・・を済ませて、午前中は入遠野小学校の学習発表会を拝見した。

 開始時間が1時間遅れで、新しく南白土墓園に完成した合葬型墓地の内覧会もあったのだが、時間的に間に合わないので、こちらはパスし、学習発表会を全部拝見した。



 「入遠野小学校の学習発表会を最後までお楽しみください」という1年生の「開幕の言葉」に続き、スローガンが発表され、1年生と2年生の「かさじぞう」がはじまりました。

 私の知っている「かさじぞう」とは違って、けちな桃太郎、おむすびころりんの意地悪じいさん、そして礼儀知らずの浦島太郎が次々登場しびっくり。やっと最後におなじみのかさ売りのおじいさんが登場。地蔵様に自分のかさもかけてあげて、無事お宝ものをいただきハッピーエンド。安心した。



 仲間のできないことを責めるのではなく、「いっしょにがんばろう」と励まし仲間の力を合わせることが大事と表現した5年生の「Our heart」、3年生、4年生は合葬と歌でディズニーメドレーとダンスを披露した。

 

 校長先生があいさつの中で、衣装等に地元の方の協力もいただいたと話していたが、腰に巻いている腰蓑は藁製で、地元の区長の一人に作ってもらったものだという。地域の方に支えられた学習発表会。いいですね。

 6年生は劇「お母さんの木」を披露した。戦争に7人の子どもをとられた母親の物語だった。

 「息子を失ったお母さんは日本中にいました。戦争の悲しみ、苦しみを、あの頃の人は知っています。いつまでも語り継いでいきたい」というナレーションで始まった劇は、子どもが出征するたびに植え名前を付けた桐の木をいつくしみ、「お国の役に立って」と声をかける母親の姿を描き出す。長男の戦死公報を読み、「国の役に立てなんて思っていない。戦争をやるために育てたわけではない。手柄なんか立てなくてもいい。生きて帰って」と、本当の想いを吐き出す。

  広島、そして長崎の悲劇を生みだし1945年8月15日、戦争は終わった。母の思いもむなしく、ジャングルで行方不明になった五郎を除く息子をガダルカナル、沖縄、特攻隊など戦地で失った母。亡くなった子ども達は、「お母さんを守るため僕は戦う」「会いたい」などと、思いを残して戦場に散っていった。



 「一人でも」と何年も息子を待ち続ける母は、やがて力尽きた。やっと帰ってきた五郎が倒れた母にしがみつく。

 歳月が流れ、五郎の子ども達も大きくなる。桐の木は伐採され、五郎はクルミの木を植えていた。その下で五郎は「大切な人を失うのはもうたくさんだ」とつぶやく。

 ナレーションが流れた。
「五郎さんの決意を引き継ぎ、戦争を火度と起こしてはならない。国と国が助け合う世の中になってほしい。過去の過ちを教訓にして、日本の国を大切にしていこう」

 劇は終わった。全校合唱が2曲、「卒業まで76日。最後までがんばる」という6年生の閉幕の言葉が続いて閉幕。帰路の車の中まで、6年生の劇の世界から抜け出せなくて、ずーっと胸がいっぱいで、涙がこみ上げそうだった。劇のストーリーがそうさせることもあるのだろう。でも、おそらく演技がしっかりしていて、訴える力を持っていたということだったんだろうと思う。



 お金を払って見る演劇に勝るとも劣らないものがあったかもしれない。

 演じた6年生のみなさんはもちろん、この劇を観た子ども達にも、この劇が何を意味するのかずっと考えてもらえればいいな、そんな思いがしました。もちろん、家族など大人の人たちにも。


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