伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

疑問、質問ありがとうございます

2024年07月31日 | 活動日誌

 朝のあいさつは、出勤途上にある方々に、道路脇に立って「おはようございます」と声をかけながら、頭を下げる。いわき市議選は9月1日告示だが、街頭に出ることで関心が高まればいいなと思って、頭を下げている。

 週に3回、3ヶ所に立つが、1回目に比べて2回目は認知度が高まったような気がする。車内で手を振ったりしながら通り過ぎてくれる人が増えてきたように思う。

 来週も朝の街頭に立つ予定だ。

 さて、「活動日誌」には折り込んだ日にけっこう見ていただいていて、「見たよ」という声をいくつも聞いた。同時に、内容に関心を持ってもらっている。

 ある人は、「安心を市政に求める」という項に盛り込んだ「太陽光、風力発電設置への市独自ルールの早期実現」を読んで関心を持ち、話しを聞いてみたいと思ったという。これとは別に、伊藤ひろゆき事務所を報せる看板を立てている際、車を停めて冷たいお茶を差し入れてくれた青年がいた。「大規模な太陽光発電所をやめさせてください」と訴えていった。災害への不安と景観への影響に関心が高まっているようだ。

 もともと市議会議員だった2018年に、2度の市議会で一般質問に取り上げていた。

 原発に代わる代替エネルギーとして太陽光、風力など5分野の再生可能エネルギーに固定価格買い取り制度(FIT)が導入され、発電施設の設置が急速に進んだ。ところが、住民の安全や安心を担保する上では不十分な規制のルールしかないもとで、遠野で考えても乱立と呼ぶにふさわしい勢いで発電施設が増えていった。

 そんなおり、「資材さえ売れれば良い」と事業関係者が言っていたという住民のお話を聞き、このままで進んで、将来大丈夫なのと疑問を持った。特に小規模な事業者があちこちに進出している状況を見て、20年後のFITでの契約終了時に倒産などして、発電施設が放置される状況が危惧された。そこで事業開始から廃止まで、事業者が責任を持って対応できるように、ルールをしっかり作って対応していくことが必要だろうと思った。

 もうひとつは、お隣の北茨城で独自のルールを定めたことがあった。北茨城の独自ルールへの対応を嫌った事業者が、すぐ隣のいわき市への進出を図ろうとするケースが増えるのではないか。

 この2つの危惧から質問に取り上げた。答弁は独自ルール作りについて「研究する」というに止まった。そのことについては残念で仕方がない。

 今期の市議会政策提案検討委員会は、再生可能エネルギー設備設置への独自ルールの制定を求める提言をまとめ、市議会が執行部に要望したようだ。市も検討に入ったと聞く。

 ここまでの6年間のタイムラグが、どれだけ市民に不安を与えることになったか考えると残念でならない。その間に深山田地区では山が削られ、太陽光パネル設置の事業が進められ、土砂流出などが繰り返され、大雨時の上遠野川の増水に対する不安が広がっているようだ。また、鶴石牧場にも9万4160KWの太陽光発電所が計画され、環境影響評価の手続きが進んでいる。やはり下流域にあたる地域での沢の増水などによる災害の懸念の他、景観を心配する声もあるようだ。

自宅から入遠野方面の山並を見る

 それだけに、国の規制を上回る市独自のルール作りを早期に進め、災害の不安を払しょくし、景観の保全を合わせて図っていくことが求められていると思う。

 疑問にはそんなお答えをした。

 私自身は、原発に代わるエネルギー源として再生可能エネルギーの導入は欠かせないと考えている。震災から2年後、2013年に、民間の再生可能エネルギ-導入の取り組みを中心とした状況を学ぶツアーに参加した。日本と違って送電網が自治体ごとだったり、一般的に協同組合での取り組みが活発などの条件の違いはありながら、同国での取り組みには考え方も含めて学ぶべき点は多かったと思う。再生可能エネルギーの拡大には課題も多いとは聞くが、それさえも克服は可能だろう。

 また、いわき市は東日本大震災後の復興ビジョンに「原子力発電に依存しない社会を目指す」という目標が書き込まれた。こうした立場からも、代替エネルギー源を安全・安心に誘導しながら導入を図る取り組みに力を注ぐことは欠かせないと考えている。

 これとは別に、携帯電話に連絡があった。

 震災後、その方のお宅をたずねて、崩れた壁の下敷きになっていたベッドを移動してくれたのが私などだったという。その時の感謝の気持ちを伝えてくれながら、共産党を離れたのは知っていたものの分からずにいた消息がこのビラ(活動日誌)で分かった。どうしてもっと早くに出さなかったのかと、おしかりを受けた。

 遠野地区の折り込みはしていたものの、他の地区まで広げることが出来なかったのは、ひとえに経済的理由。今回、ビラを今までより広い地域に入れることができたのは、ひとえに支援をしてくださったみなさんのおかげだった。以前、つながりがあった方々にこうしてお知らせすることができたのは、何よりのことだったと思う。

 そして、ビラを読んでくださっていることに感謝申し上げたい。感想やご意見などあればお聞かせ願いたい。


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