伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

活動日誌No.234は、無所属でこれからもがんばりますがテーマ

2020年08月14日 | 活動日誌





 以下、記事の内容を紹介する。



■コラム「一歩」

一つの出来事から、様々な解釈が広がる。この間、実感してきた。いろんなとろこで、私が議員を引退するらしいという噂を聞いた。どこから出てきた噂だろう。疑問が湧いた▼よく聞いてみると、共産党が私以外の人の名前を挙げて宣伝しているのを見聞きして、私の名前が出ないことから、引退するという解釈につながっているらしい。あらら、これは大変▼昨年4月に共産党を離れ、無所属になった。諸問題に思いを同じくする共産党議員と引き続き会派を組み、代表として活動してきた。無所属となった事実が、多くのみなさんに伝わっていないよう▼あらためて、しかも少しでも早くその事実を伝えなければ。街頭に出て、ほぼ3年ぶりか? 街頭から報告した。

■2-3面の本文記事は、以下のブログの記事と基本的に同じ。

これまでの活動をまとめたリーフレットを作成しました

 新たに加えた内容を紹介する。


 私が共産党を離れた理由を、街頭で次のように話しています。

 私毎ですが、昨年4月に39年間在籍した共産党を離れ、この1年間無所属の議員として、私と志を同じにする3人の共産党議員といっしょの会派を作り、会派の代表として活動してきました。

 共産党を離れるまでには、いくつかの問題がありましたが、その一つが共産党の地区幹部が住民のみなさんに誤った情報を流しながら、まともに反省しなかったことでした。間違いを指摘しても何の対応もしない。それどころか、間違いを隠し、ごまかそうとする相談までしていた。このことがひとつのきっかけとなりました。

 思想・信条が、基本的に一致してこそ政党という組織と行動を共にすることができますが、あまりにも私の信条と反する行為です。この幹部たちと、同じ組織で活動を続けることができるのか疑問が膨らみ続けました。その結果、幹部の間との軋轢が積み重なって、共産党を離れることになったわけです。

 しかし、これまで、共産党として39年間、いわき市政に関わり26年間、市議会議員として4期15年間の時間が過ぎました。この間に、私自身が体験し蓄積してきたものは、これからも変わりようがありません。私は、無所属の議員として、これからは一人で活動すると思いますが、これまでの経験をみな様のために活かしていきたいと思います。

 引き続く、ご支援・ご協力を心からお願いします。

 以下、これまでの活動と、これからめざすものを紹介します。


■一人でも・議会の総意作りで市政を動かす

 予算編成は市長の権限で議員にはありません。予算修正も、市長の権限を犯さない範囲で行使できるとされています。
 では予算が関わる施策を議員はどうやって実現するのでしょう。大きな力になるのは、議会が一致して求めることです。
 体験型教育施設を利用する際の交通費の市の補助も、私が質問で2度取り上げた後、自民党議員が取り上げ、基本的に議会内の意見が一致した結果、市長が予算に組み入れました。
 一人になったとしても、要望に道理があり、そして、その要望を議会内で率直に話しあい合意を広げることができれば、実現する力とすることができます。
 これまで議会改革検討委員会の委員長を二度務めた経験を、ここに活かすことができます。

■対話を重ね願いを実現

 「『多核種除去設備等処理水』の処分決定に関する請願書請願」「リアルタイム線量測定システムの継続配置を求める請願書 」。採択で思いを届けたいという市民に、他会派議員と協議しながらアドバイス。採択に道を開いてきました。

■編集後記

 前号の編集後記に、キジの幼鳥に挑むモズの写真を「次号に」と書きましたが、諸般の事情で、掲載することができませんでした。次の号には必ず掲載したいと思います。さてさて暑い夏はいつまで続くのか。梅雨にうんざりした後の暑さ続きにもうんざり感がありますが、お米には大切な気温なのでしょう。何とか無事に乗り切っていきましょう。


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