伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

イラク戦争は「無駄な戦争」、やらせてはいけなかった、と柳澤協二氏。

2018年04月09日 | 平和・戦争
 イラク戦争から何を学ぶのか。元内閣官房副長官の柳澤協二氏が、平和新聞(日本平和委員会発行)3月25日付けて語っていました。

 柳澤氏は、以前、いわき市で講演したことがあり、その際に、イラク特措法が憲法のギリギリの同盟協力と言いながら、安倍内閣の特定秘密保護法案とこれとセットの国家安全保障会議の設置を批判していました。平和新聞25日付は、イラク戦争開戦15年の節目にあたっての記念インタビュー。このインタビューで柳沢氏がどんなことを語ったかという、以下、気になるところを拾ってみます。





以下抜粋

 「イラク戦争は、その(筆者注=国連憲章のこと)ルールに基づく国際秩序を破壊する戦争でした。表向きは、湾岸戦争時の国連安保理決議を根拠としましたが、安保理の体制は武力行使には新しい決議が必要という意見でした。米国のイラク攻撃は『先制攻撃』であり、国連憲章の改選ルールをまったく無視した戦争でした。

 「(イラク戦争の目的の)大量破壊兵器は見つからず、(隠れた目的の)民主化もできず、戦争の目的は全く達成できませんでした。その意味で、イラク戦争は『無駄な戦争』だったと言えます。」

 「この『無駄な戦争』で、少なくとも10万人以上のイラク人と4000人以上の米兵の命が犠牲となりました。」
 「開戦はやむを得なかったという主張もあります。(中略)私は、結果的に『無駄な戦争』によって多くの人命が失われたことへの責任は免れないと思います。」
 「戦争に関わる判断は、慎重の上に慎重を期さなければなりません。『最後の手段』というより、『ほとんど、あり得ない手段』くらいに考えないといけない。政治がそういう教訓をイラク戦争から引き出さなければ、犠牲となった人たちが浮かばれません。」

 「日本も、この『無駄な戦争』を真っ先に支持しました。判断の基本にあったのは、日米同盟が一番重要だという考えです。(中略)私自身も当時は、米国のイラク攻撃を支持していました。イラクが大量破壊兵器を隠し持っている疑いがあり、国連の査察にも十分協力しようとしていない。これでは国連の権威が貶められる。やはり国連は、最後は力で矯正できなければいけないという考えがあったのです。」
 「(ソ連崩壊後)米国中心の秩序が世界中に広がることが世界の平和と安定にとっても最も良い道だという考えがあり、日本もそれができると、みんな信じていたのです。しかしそれは過信でした。イラク戦争により、米国にもできないことがあると分かってしまったのです。」

 「イラクで本格的な戦闘が終結した後、日本は陸上自衛隊をイラクに派遣しました。『ブーツ・オン・ザ・グランド』という言葉に象徴されるように、同じ戦場でリスクを共有してこそ真の同盟国であるという雰囲気の中で、派遣を決めたのです。」
 「それでも当時はまだ、米国との武力行使と一体化しないという憲法上の縛りはありました。その結果、自衛隊はできるだけ戦闘には近づかない姿勢をとり、一発も撃たず、一人の犠牲者も出さずに任務を終えることができました。私は、あれが今の憲法下でできるギリギリの同盟協力だったと思っています。」

 「(イラク戦争で)もし一人でも隊員が死んでいたら、決裁にかかわった一人として、ご遺族に対して、命と引き換えにするくらい大事な任務だったと果たしていえただろうか、と思います。それは、つまり、自分でも命を懸けてやれただろうか、と。今、それを考えてみると、答えが出せません。であれば、そんなことをやらせてはいけなかったのです。」

 「イラク戦争で分かったことは、米国の力は万能ではないということです。それにもかかわらず、米国と一心同体になって助けてもらわなければいけないという考えだけに固執しているのは、あまりにも発想の自由を欠いているように見えます。私たちはむしろ、米国の力に頼っているだけではいけないという教訓を、イラク戦争から導き出すべきなのです。」



 今日、イラク戦争開戦時の米国の情報には“ウソ”が含まれていたことが伝えられています。昨日だったか、おとといだったか、イラクが生物兵器を製造し、事故で12人が死亡したと当時のパウエル国務長官が発言したのもウソだったと分かっています。



 ウソは米国がイラクに戦争を仕掛けるためのものだったことは明らかでしょう。大量破壊兵器の存在もその一つでした。このウソで塗り固められた大義なき戦争を「無駄な戦争」と喝破する柳澤氏は、かつて自らが関わり作り上げたイラク特措法を、「今の憲法下でできるギリギリの同盟協力」としながら、イラクへの派遣を「命と引き換えにするくらい大事な任務」として「自分でも命を懸けてやれただろうか」と自問自答し、答えが出せないと当時の自分の判断ミスと振り返っているようです。そして、米国の力に頼るだけではなく、戦争の判断は「ほとんどあり得ない手段」ととらえるべきだと主張しています。

 読んで分かるように、柳沢氏は、米国といっしょに武力行使をするための集団的自衛権行使を現在の憲法で認める考えは持っていないものの、個別的自衛権としての自衛隊は現在の憲法でも認められるという立場に立つ人です。

 その個別的自衛権の範囲内で海外に自衛隊を展開する枠組みを作った本人にもかかわらず、その対象となったイラク戦争に批判的視線を向けている。ここには、柳澤氏の過去に対する深い洞察と反省が込められているように思い、この記事を読みました。

 現在の憲法が集団的自衛権行使を認めているという安倍自公内閣の解釈もと、自民党政府が、個別的自衛権を前提にして課してきた自武力行使の現在の憲法の制約を取り払うために制定された安保法制。このもとで、米艦防護や戦略爆撃機との共同訓練など他国の攻撃に関わる米軍と一体化した軍事行動や訓練が実施され、また、自衛隊の装備も、上陸作戦のための水陸両用車や敵地深くに兵力を送り込む任務にあたるオスプレイの導入、さらには、全通甲板のヘリ搭載型護衛艦の空母への改修構想の浮上など、他国での軍事作戦を前提にした装備品が充実されようとしているように見えます。

 こうした動きに、戦争は「ほとんどあり得ない手段」「米国の力だけに頼ってはいけない」と警告を発する柳澤氏。彼の言葉に耳をしっかり傾けたい。


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