伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

たゆたえども沈まず(原田マハ著)

2018年05月07日 | 読書
  本屋さんの戸棚で見つけたゴッホの絵が表紙を飾る本。気になって手にとった。

 「たゆたえども沈ます」(原田マハ著、幻冬舎刊)とある。

 帯には「画家・ゴッホを世界に認めさせるために――強くなってください」と書かれている。ゴッホについて扱ったストーリーらしい。さわりを斜め読みした。日本人のゴッホ研究家が、パリに近いオーヴェールのゴッホの下宿先を訪ね、オランダから来たゴッホと同じ「フィンセント」というファーストネームを持つ男と出会い、「林を知っているか」と問われた。物語はここから始まる。

 もともとゴッホの作品は好きだし、彼の生涯にも興味がある。しかもそのゴッホに日本人が深くかかわっている。

 面白そうだ。迷わずレジに差し出した。



 ゴッホの作品は、生前社会に認められず、死後に評価されていたということは聞いていた。当時、最も新しい表現方法だった印象派の作品も、作品の背景の時代にやっと認められていくという経過を見れば、その先を行ったゴッホの作品が売れなかったのもうなずける。

 そのゴッホの作品は浮世絵の影響を強く受けていると言われているが、その浮世絵をフランスで商い、ゴッホにつなげていたのが林忠正という日本人画商だった。そして、林はゴッホの作品を早くから評価していた人物の一人だった。

 物語全編は、この林を頼ってパリに渡り、林の下で働く加納重吉の目と体験を通して語られるようにすすむ。

 ゴッホは、テオという弟の経済的庇護のもとで生活し作品も生みだしていた。テオはゴッホの才能を見抜き、その作品を高く評価し、信頼もしながら、奔放な兄の行動に心を痛め、悩みながら生活をしていた。ある意味、ゴッホは生活破綻者だったようだ。

 別の作品を思い出した。先だって読んだ昨年の直木賞作品「銀河鉄道の父」の宮沢賢治(いわばゴッホ)と父(いわばテオ)との関係にそっくりなのだ。登場人物や舞台、エピソードは当然に違うものの、兄弟のような本という印象だ。素晴らしい作品を後世に残した賢治だが、才能はありながらも生活力はないまま、ほぼ父の庇護のもとに暮らし、創作し、生涯を閉じている。

 アルル地方で生まれた一連の作品は、林のアドバイスによってこの世に生み出された。そこにゴッホは、自分の理想郷・日本を見出そうとしたのだ。また、ゴッホが最後の時を過ごしたオーヴェールの教会は、彼の作品のモチーフになり世に名高いが、自殺したゴッホのために鐘を鳴らすことはなかった。様々な逸話には興味を惹かれる。

 ゴッホの作品には、どこか不安とか葛藤を感じるような部分がある。それは、自分の作品に真摯に向き合いながらも評価されないことに対する苦悩、また、おそらくテオとの関係から生まれるゴッホの葛藤、そのゴッホを支えゴッホの死後わずか半年で自らも命を落としたテオの葛藤、こんなものが反映しているのではないだろうか。

 ゴッホはセーヌ川を何としても描きたかった。描こうとしてイーゼルを構えると、警察官に追い立てられ描くことができないでいたのだ。「パリは、たゆたえども沈まず」。セーヌ川がどんな氾濫しても、セーヌに浮かぶ小舟のようにパリは沈むことはない。そのパリの化身が、ゴッホにとってはセーヌ河だったというのだ。

 「たゆたえども沈ます」

 「たゆたえども」。「たゆたう」のあとに反対の言葉が続くことを表す接続助詞が付いたと言葉だ。「たゆたう」は、物がゆらゆら動いて定まらない様や心が動揺する様を意味する。セーヌの波にゆるゆら揺れるけれども沈むことがない。

 この言葉は、どんなに情熱を込めて描いた作品も認められないゴッホ、そして互いに葛藤を抱えたゴッホ兄弟。社会に評価が認められない状況は、ゴッホの作品が「たゆたう」ていたことを示すのであり、そして兄弟の葛藤も二人の関係が「たゆたう」ていることを示す。しかし、それでも、ゴッホは最後まで創作を続け、テオはその作品の価値を信頼し続けた。そして、この2人の人生が、後世に高く評価される作品を残すことになった。ゴッホの作品が社会の片隅に埋没することがなかった。つまり、ゴッホの作品は沈まなかったのだ。

 この言葉はゴッホ兄弟の生涯と作品を、パリあるいはセーヌ川にたくした言葉だったのかもしれない。そんな思いがした。

 著者紹介に、「暗幕のゲルニカ」という作品が紹介されていた。こちらも興味を持った。次に読んでみようと思う。


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