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チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

チャップリンと一緒に撮影された音楽家

2016-11-24 21:25:31 | メモ

古本屋で『チャップリン自伝』中野好夫訳(新潮社、1966年)を税込100円で買ってきました。

チャールズ・チャップリン(1889-1977)がアインシュタインなどの有名人と一緒に写っている写真がたくさん掲載されており、中には音楽家とのものもありました。



1. ピアニスト、レオポルド・ゴドフスキー(Leopold Godowsky, 1870-1938)と。


↑ チャップリンの向かって左にいる長男でヴァイオリニストのレオポルド・ゴドフスキー・ジュニア(Leopold Godowsky Jr.)はのちにカラー・フィルムの発明者の一人になったそうです。

 



2. ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ(Yasha Heifetz,1901-1987)と。


↑ ふたりとも若いですね。香取慎吾似

 



3.クララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895-1960)、パブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876-1973)と。


↑ どういう事情で一緒なのか調べます。


1960年代・クラシックベストセラーレコード(「レコード・マンスリー」より)

2016-10-16 00:11:12 | メモ

毎月の新譜レコードを紹介する「レコード・マンスリー」という横長の月刊誌が何冊か手許にあります。

そのうち、1960年代のクラシック・レコードの売れ行きランキングを年代順に4つ並べてみます。


↑ 1962年3月号。当初は「Music Monthly」という名前だったんですね。来日直前のヨッフムのシューマン/シューベルト交響曲第4番。

 



↑ 同じく1962年3月号より。運命、未完成、新世界などの超有名曲が並びます。この中では15位「オテロ」全曲が目立ちます(カラヤン/デル・モナコ?)。お金持ちか清水の舞台系のかたが買ったんでしょうね。

 

 

↑ 1965年6月号。カラヤン強し。それと「四季」が2枚ランク・インしていますね。自分としては石丸寛/コロムビア・プロムナード管による名曲集を聴いてみたいです。

 

 



↑ 1967年12月号。超有名曲ばかりが売れる時代を脱したのか、ニールセン「不滅」が3位。R.シュトラウス、マーラー、ブルックナーも入ってきています。

 

 



↑ 同号より解説。「各社が一様に直輸入版に力をいれてきた」んですね。納得。

 



最後に、1968年8月号です。表紙は海野義雄氏。ドイツグラモフォンからレコードを出していたとは知りませんでした。しかもイッセルシュテット指揮。これも聴いてみたい!

 



↑ ここでもイ・ムジチ「四季」が1位。トゥーランガリラ(小澤)が何気に8位に入っています。

 

 

↑ アンセルメの幻想交響曲が3位に入っているのは来日中だったからなんですね。



。。。この「レコード・マンスリー」、当時のクラシック音楽の動向を知る上で貴重。他の号も見たくなりました。


シーゲルらが撮影したオーマンディ(1955年)

2016-10-06 23:47:59 | メモ

「国際写真通信」1956年1月号にフィラデルフィア管弦楽団の指揮者、ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy, 1899-1985)の写真が載っていました。

撮影したのはライフ誌専属カメラマン、ボブ・フィリップス氏とフィラデルフィア管弦楽団のチェリスト、エイドリアン・シーゲルです。



↑ 録音風景。

 

↑プレイバックを聞く。

 

↑これらはオーケストラ内部から撮られた雰囲気なのでシーゲル撮影なのかもしれません。

 


↑グレーテル夫人(Margaret “Gretel” Ormandy)と

 

↑ フィラデルフィア市のアカデミー・オブ・ミュージックへ向かうオーマンディ。

 


↑ アカデミー・オブ・ミュージックでの演奏会

 


↑ 演奏旅行中のリハーサル。




↑ その20年前のオーマンディ。「レコード音楽」1936年10月号より。顔ほそっ

ちなみにユージン(イェーノ)という名前はハンガリーの名ヴァイオリニスト、イェーノ・フーバイから取られたものらしいです。

 


↑ レコード・マンスリー1967年12月号より。

 


↑ 同じくマンスリーより第九の広告。合唱はモルモン会堂聖歌隊。

。。。ちょっとまじめにオーマンディの録音を聴いてみたくなりました。


日露交歓管弦楽演奏会(1925年4月 歌舞伎座)

2016-09-28 23:54:57 | メモ

(2014年4月29日の記事についてオーケストラの全体像がより鮮明に写っている画像に差し替えました)

講談社『写真図説 日本百年の記録2』(昭和35年)にこんなことが書いてありました。
「管弦楽団は、明治の末に東京音楽学校を中心に、わずかではあるが試みられたが、大正に入って山田耕筰の指導で、日本交響楽協会が創立され、初めて職業的オーケストラが出現した。しかし経済的には、まだ引き合わなかった。そのためもあって、同協会は分裂し、やがて近衛秀麿の新交響楽団が1926年(大正15年)に成立した。」

日本のオーケストラは大正時代に本格的に始動したんですね。

下の写真は、そんな時代真っ只中の1925年(大正14年)に、ロシアのオーケストラ35名を迎え日本交響楽団の35名を加えて4月26日から29日までの4日間、歌舞伎座で演奏会を開いたときに撮影されたものだそうです(日露交驩管絃樂演奏會)。立派なオーケストラに見えますね!

↑ 「国際写真タイムス」1925年6月号より。

我が国にとって歴史的なコンサートなんでしょうね。指揮は山田耕筰と近衛秀麿だったらしいのですが、残念ながら何の曲を演奏したのかが書いてありませんでした。
もう少しこの、日本とロシアが手を結んで開催されたイベントについて調べてみたくなりました。

 

(追記)コンサート・マスターは下の写真中央のシェルブラートという人だったらしいです(もしかして、あのシフェルブラットさん⁉そうであるなら当時38歳くらい)。『画報近代百年史第11集』(国際文化情報社)より。この記事によると楽員は日本人38名、ロシア人33名とあります。日本人っぽいロシア人(またはその逆)がいたことによるカウント・ミスか?

楽団は歌舞伎座公演に引き続き名古屋・京都・神戸・大阪の各地で演奏会を行ったようです。山田耕筰さんに毛がある!


1941年・アメリカの代表的オーケストラと当時の首席指揮者

2016-09-02 17:01:08 | メモ

『レコード音楽』1941年5月号より、当時の代表的なアメリカのオーケストラと首席指揮者、音楽監督です。(オーケストラの設立順)

1. ニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)1842年創立

首席指揮者ジョン・バルビローリ(Sir John Barbirolli, 1899-1970)

 


2. セントルイス交響楽団(Saint Louis Symphony Orchestra) 1880年創立

首席指揮者ウラディミール・ゴルシュマン(Vladimir Golschmann, 1893-1972)

 


3. シカゴ交響楽団(The Chicago Symphony Orchestra)1891年創立

第2代音楽監督フレデリック・ストック(Frederick Stock, 1872-1942)



4. ピッツバーグ交響楽団(Pittsburgh Symphony Orchestra)1895年創立

音楽監督フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888-1963)

 


5. ミネアポリス交響楽団(Minneapolis Symphony Orchestra)1903年創立
現・ミネソタ管弦楽団(Minnesota Orchestra)


首席指揮者ディミトリ・ミトロプーロス(Dimitris Mitropoulos, 1896-1960)

 



6. クリーヴランド管弦楽団(The Cleveland Orchestra)1918年創立

 音楽監督アルトゥール・ロジンスキ (Artur Rodziński, 1892-1958)



。。。記事では特に「ビッグ6」等明記されていませんが、ボストン交響楽団とフィラデルフィア管弦楽団がなぜか入っていませんね。