チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

現・日本オペラ協会総監督・大賀寛氏ご夫婦(1954年)

2016-08-29 21:34:43 | 日本の音楽家

「婦人倶楽部」1954年6月号より、大賀寛さん・美都子(旧姓・大谷)さんご夫婦です。



1929年生まれの大賀寛氏はこのとき東京芸大の声楽科に在学中。現在は日本オペラ協会総監督でいらっしゃいます。

HPを見ると、日本オペラ協会は1958年に設立、1981年には藤原歌劇団と統合合併し財団法人日本オペラ振興会が設立されたということです。合併後も藤原歌劇団(西洋オペラ部門)と日本オペラ協会(日本オペラ部門)の名称は存続されているんですね。

 

(大賀寛氏は平成29年7月31日にお亡くなりになったそうです。お悔やみ申し上げます)


日米2人のオーケストラ団員兼カメラマン(シーゲルと貝増善次郎、1958年)

2016-08-28 00:59:43 | メモ

芸術新潮1958年9月号に、日米2人のオーケストラ団員かつ写真家の記事がありました。
オーケストラの中から指揮者やソリストを撮るわけだから、これ以上良い撮影場所はありませんね。



1. フィラデルフィア管弦楽団のチェリスト、エイドリアン・シーゲル

Adrian Siegel, 1898-1978 チェロを抱えながらの撮影。

シーゲル氏は音楽家専門の写真家でもあり、指揮者オーマンディの理解と楽員たちの協力を得て、リハーサルの途中、チェロをカメラに持ち替えて自由に撮れる立場にあったそうです。シーゲル氏撮影の写真集も出ているようです。

 

↑ マリアン・アンダーソン(Marian Anderson, 1902-1993)

 

↑ アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887-1982)

 

↑ ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy, 1899-1985)。シーゲルは当然ながら彼の写真をたくさん撮影したようです。

 

↑ フィラデルフィア管弦楽団に客演したトーマス・ビーチャム(Thomas Beecham, 1879-1961)が自分の録音のプレイバックを聴いている。

 

↑ エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883-1969)のリハーサル。

 

↑ トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867-1957)のリハーサル。

 

↑ 打ち合わせ中のストラヴィンスキーと首席トロンボ二ストのチャールズ・グシコフ(Charles Gusikoff, 1897-1966)





2. NHK交響楽団のヴィオラ奏者、貝増善次郎

貝増氏は「音楽舞踊写真家協会」の会員でもありました。シーゲル氏の作品はリハーサル中のものがメインでしたが、貝増氏の写真には演奏会本番の最中に撮影されたものも。

↑ ローゼンストック。「最後の来日の時、顔を真っ赤にしてのフォルテの指揮ぶりを撮ったもの。」 演奏に集中しろって怒られそう。

 

↑ カラヤン初来日時、リハーサル室で楽員にブラームスの弾き方を説明しているところをヴィオラの席から「隠し撮り」。

なんかドキドキしますけどもっとたくさん貝増さんの写真を見てみたいです!



以下、1956年9月初旬に銀座の小西六のギャラリーでのシーゲル氏の写真展を偶然見つけ、よくもこんなに自分と似たことをしている人間がいるもんだと驚いたという貝増氏による文章の抜粋です。

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近頃のようにヴィルテュオーゾと協演出来る機会は、かなりあっても、リハーサルの撮影は許可されず、演奏会では主催者や整理係の恐いおじさん、おばさんにペコペコし、熱心な聴衆の邪魔にならぬようにカメラに弱音器(綿入れフトン)をかぶせ、ffの時にそっとシャッターを切らねばならない僕は、一枚の写真に、どれだけの努力と苦労を重ねて来たことでしょう。一度でも良いからシーゲル氏のように自由に撮りたいと思います。長幕のオペラの時など、中腰で撮影していたため、翌日は階段も上れず、全く困った事がありました。何時も音楽会の撮影には主催者側と事前に打ち合せて行くのですが、アンコールの時は聴衆に邪魔にならなければシャッターを切っても良いと許可が下りても、その曲目が始終ppで奏せられるハイドンのセレナードやドビュッシイの月の光などではシャッターを切りたくても切る事が出来ません。こんな時は音のしない写真機を作って呉れと、思わず叫びたくなります。

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コンパクト・デジカメとかなら音はしませんよね。今でも隠し撮りしている団員がいたりして。。


カラヤンとクーベリックのフィルム・コンサート(1970年)

2016-08-23 20:40:24 | 第九らぶ

クーベリックが英雄を指揮したあとカラヤンにバトンタッチして第九を振るベルリン・フィルの豪華なコンサート! 1970年6月4日(木)日比谷公会堂にて。



実は生演奏ではなく、フィルム・コンサートでした。提供はニラサワフィルム。以下、そのコンサートのプログラムより。

 


↑ 一曲目の英雄。カラー作品。

 



↑ フィルム・コンサートに際してのクーベリックからの丁寧なご挨拶。

 



↑ クーベリックのリハーサル風景。

 

 



↑ 二曲目、カラヤンの第九。

 



↑ ソリストたちの写真。

 



↑ カラヤンから韮澤正氏への挨拶文。

 

↑ 動画撮影風景。

 



↑ (参考)映画「ベートーヴェンの生涯」から、ウィーンの著名な人々より第九の初演を依頼する手紙。なんじゃこりゃ?詳細を調査します。



。。。今ではネットに腐るほどありますが、当時は動くカラヤンやオーケストラの映像に胸をときめかした方々がたくさんいらしたことでしょうね。自分も絶対に日比谷公会堂へ突撃していたと思います。


レコード・クラブ「コンサート・ホール・ソサエティ」(1963年の広告)

2016-08-14 00:43:12 | メモ

古い雑誌でよく見かける「コンサート・ホール・ソサエティ」の広告です。


↑ これは「芸術生活」1963年11月号より。

当時国内だけで50万人以上の会員がいたそうです。

会員になると、毎月「音楽委員」が推薦する名盤である「今月のレコード」が普通価格より35%も安く買うことができるのか!(広告のシューリヒトのブラームスは特に安い大サービス盤なんですね。釣りレコード)

もし当時だったら自分は会員になってしまうと思います。



ところで一番上の広告右下の無料進呈の17センチのレコードがたまたま自宅にありました。(上のシューリヒトではちゃんと「バイエルン放送交響楽団」とあるのに「バヴァリア放送交響楽団」だって)

↑ ジャケット表。無料だけあって若干手抜きちっく?

 

↑ 裏。外国語の訳だけど丁寧ではあります。

 

↑ レコード自体は輸入盤なのかも。厚手でしっかりとした作り。

 

↑ 17センチ盤ですがこちらは有料で150円。モノラル。ピエール・デルヴォー指揮の舞踏への勧誘とピエール=ミシェル・ル・コントのハンガリー行進曲とのカップリング。

 

↑ 17センチステレオ。ハンス・スワロフスキー指揮のブラームスのハンガリー舞曲集(1,2,3,5,6番)。280円。

 

↑ 申込みハガキ。迷わずステレオ盤にチェック!

しかしよく読むと、年間4枚のノルマがありました。しかも期日までに断りの返事を出さないと「今月のレコード」が自動的に送られてきてしまうわけですね。ズボラな自分はきっと返信を出し忘れて不要なレコードがどんどん溜まってしまいそう。。。

 



↑ ちょうど5年後、「リーダーズダイジェスト」1968年12月号の広告です。

釣りレコードが1枚350円とお安くなっていますね。無料進呈のレコードも17センチでなく、30センチのものになっています。

 



↑ ステレオLPが1,350円、モノラルLPが1,150円というのは5年前と変わっていません。
この5年間で130万人も会員が増えたってホント!?儲かりまくりですね。ちなみに会社は東京・中央区から品川区に移転しています。


。。。やっぱり他人に推薦されたものより、若干高くても自分自身でレコードを選びたいかも。Wikipediaによるとコンサート・ホール・ソサエティは1970年代半ばにはツブレてしまったそうです。


サントリーホールのオープニング・シリーズ(1986-87)~カラヤン、ムラヴィンスキー幻の公演

2016-08-11 09:47:57 | 来日した演奏家

(2015年1月22日の記事にベルリン・フィルお別れパーティにおける小澤征爾夫妻の画像を末尾に追加しました)

みんな大好き、サントリーホール!

オープニング・シリーズ(1986年10月12日~1987年3月28日)の600ページのプログラムが、クラシックへの興味絶対ゼロと断言できるオヤジがやってる古本屋で200円で売りに出されていたのでそっと買ってきました。。

↑ 大切にします~(ちょっと自慢?)



サントリーホールの記念すべき落成式典は1986年10月12日(日)10時30分の開始。舞台演出はオペラ演出家の鈴木敬介氏(1934-2011)。

サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための」(さすがサントリー)が初演されました。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏されています。

また、13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されました。第九がサントリーホール最初の交響曲だったのか。

指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ
ソプラノ:ルチア・ポップ
アルト:伊原直子
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ベルント・ヴァイクル(ソロの4名はサヴァリッシュ自身がこの日のために選んだということです)
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:オール東京混声合唱団、オール二期会合唱団
合唱指揮:田中信昭

そして、同じ日の夕方からは(16時30分開場17時開演)、「落成記念"ザ・ガラ"オープニングナイト」と銘打ち、ロビー・大ホール・小ホールでさまざまな催し物が行われました。



さてこれ以降、1987年3月までのオープニング・シリーズで演奏した海外オーケストラはむっちゃ豪華!

小澤征爾指揮ベルリン・フィル、レナード・スラットキン指揮セントルイス響、マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル、ジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団、アバド指揮ウィーン・フィル等々。。



でも、当初の予定だとレニングラード・フィルはムラヴィンスキー、ベルリン・フィルはカラヤンが指揮するはずだったんですね。ちなみにムラヴィンスキーは1988年、カラヤンは1989年に他界しています。




下記は「幻の」コンサートです。

【ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団】 「協賛公演」

1986年10月19日(日)18時30分開演

チャイコフスキー:交響曲第5番
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番




【カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団】

1986年10月28日(火)19時開演
R.シュトラウス:メタモルフォーゼン、英雄の生涯

10月29日(水)19時開演
シューベルト:未完成
ベートーヴェン:英雄

10月30日(木)19時開演
モーツァルト:ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334
ブルックナー:交響曲第9番


いったい、どんな演奏になっていたんでしょうか...!?

 

 

↓ カラヤンのオープニングへのお言葉。(カラヤンは亡くなる前年である1988年にサントリーホールに登場しています。よかった)

 

(追記)

↑ 1986年10月30日コンサート終了後、全日空ホテル「瑞雲の間」で催された「ベルリン・フィルお別れパーティ」。小澤征爾・美樹(ベラ・イリーン)夫妻。FLASH誌1986年11月19日号より。

カラヤンが急に風邪で倒れて来日不能となり、自ら小澤氏を指名。

パーティで小澤氏は演奏会の途中(英雄の生涯)で第1ハープの弦が切れたことを聞かされビックリした様子だったが、ハープは即座に弦を張り替えて無事ソロ演奏を終えていたので「よかった」と相好を崩したそうです。指揮者ってハープの弦が切れようがあんまり気にしないんですね。自分は演奏会本番中ハープの弦の張替えを目撃したことはありませんけど。