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チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

日米2人のオーケストラ団員兼カメラマン(シーゲルと貝増善次郎、1958年)

2016-08-28 00:59:43 | メモ

芸術新潮1958年9月号に、日米2人のオーケストラ団員かつ写真家の記事がありました。
オーケストラの中から指揮者やソリストを撮るわけだから、これ以上良い撮影場所はありませんね。



1. フィラデルフィア管弦楽団のチェリスト、エイドリアン・シーゲル

Adrian Siegel, 1898-1978 チェロを抱えながらの撮影。

シーゲル氏は音楽家専門の写真家でもあり、指揮者オーマンディの理解と楽員たちの協力を得て、リハーサルの途中、チェロをカメラに持ち替えて自由に撮れる立場にあったそうです。シーゲル氏撮影の写真集も出ているようです。

 

↑ マリアン・アンダーソン(Marian Anderson, 1902-1993)

 

↑ アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887-1982)

 

↑ ユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy, 1899-1985)。シーゲルは当然ながら彼の写真をたくさん撮影したようです。

 

↑ フィラデルフィア管弦楽団に客演したトーマス・ビーチャム(Thomas Beecham, 1879-1961)が自分の録音のプレイバックを聴いている。

 

↑ エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883-1969)のリハーサル。

 

↑ トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867-1957)のリハーサル。

 

↑ 打ち合わせ中のストラヴィンスキーと首席トロンボ二ストのチャールズ・グシコフ(Charles Gusikoff, 1897-1966)





2. NHK交響楽団のヴィオラ奏者、貝増善次郎

貝増氏は「音楽舞踊写真家協会」の会員でもありました。シーゲル氏の作品はリハーサル中のものがメインでしたが、貝増氏の写真には演奏会本番の最中に撮影されたものも。

↑ ローゼンストック。「最後の来日の時、顔を真っ赤にしてのフォルテの指揮ぶりを撮ったもの。」 演奏に集中しろって怒られそう。

 

↑ カラヤン初来日時、リハーサル室で楽員にブラームスの弾き方を説明しているところをヴィオラの席から「隠し撮り」。

なんかドキドキしますけどもっとたくさん貝増さんの写真を見てみたいです!



以下、1956年9月初旬に銀座の小西六のギャラリーでのシーゲル氏の写真展を偶然見つけ、よくもこんなに自分と似たことをしている人間がいるもんだと驚いたという貝増氏による文章の抜粋です。

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近頃のようにヴィルテュオーゾと協演出来る機会は、かなりあっても、リハーサルの撮影は許可されず、演奏会では主催者や整理係の恐いおじさん、おばさんにペコペコし、熱心な聴衆の邪魔にならぬようにカメラに弱音器(綿入れフトン)をかぶせ、ffの時にそっとシャッターを切らねばならない僕は、一枚の写真に、どれだけの努力と苦労を重ねて来たことでしょう。一度でも良いからシーゲル氏のように自由に撮りたいと思います。長幕のオペラの時など、中腰で撮影していたため、翌日は階段も上れず、全く困った事がありました。何時も音楽会の撮影には主催者側と事前に打ち合せて行くのですが、アンコールの時は聴衆に邪魔にならなければシャッターを切っても良いと許可が下りても、その曲目が始終ppで奏せられるハイドンのセレナードやドビュッシイの月の光などではシャッターを切りたくても切る事が出来ません。こんな時は音のしない写真機を作って呉れと、思わず叫びたくなります。

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コンパクト・デジカメとかなら音はしませんよね。今でも隠し撮りしている団員がいたりして。。


レコード・クラブ「コンサート・ホール・ソサエティ」(1963年の広告)

2016-08-14 00:43:12 | メモ

古い雑誌でよく見かける「コンサート・ホール・ソサエティ」の広告です。


↑ これは「芸術生活」1963年11月号より。

当時国内だけで50万人以上の会員がいたそうです。

会員になると、毎月「音楽委員」が推薦する名盤である「今月のレコード」が普通価格より35%も安く買うことができるのか!(広告のシューリヒトのブラームスは特に安い大サービス盤なんですね。釣りレコード)

もし当時だったら自分は会員になってしまうと思います。



ところで一番上の広告右下の無料進呈の17センチのレコードがたまたま自宅にありました。(上のシューリヒトではちゃんと「バイエルン放送交響楽団」とあるのに「バヴァリア放送交響楽団」だって)

↑ ジャケット表。無料だけあって若干手抜きちっく?

 

↑ 裏。外国語の訳だけど丁寧ではあります。

 

↑ レコード自体は輸入盤なのかも。厚手でしっかりとした作り。

 

↑ 17センチ盤ですがこちらは有料で150円。モノラル。ピエール・デルヴォー指揮の舞踏への勧誘とピエール=ミシェル・ル・コントのハンガリー行進曲とのカップリング。

 

↑ 17センチステレオ。ハンス・スワロフスキー指揮のブラームスのハンガリー舞曲集(1,2,3,5,6番)。280円。

 

↑ 申込みハガキ。迷わずステレオ盤にチェック!

しかしよく読むと、年間4枚のノルマがありました。しかも期日までに断りの返事を出さないと「今月のレコード」が自動的に送られてきてしまうわけですね。ズボラな自分はきっと返信を出し忘れて不要なレコードがどんどん溜まってしまいそう。。。

 



↑ ちょうど5年後、「リーダーズダイジェスト」1968年12月号の広告です。

釣りレコードが1枚350円とお安くなっていますね。無料進呈のレコードも17センチでなく、30センチのものになっています。

 



↑ ステレオLPが1,350円、モノラルLPが1,150円というのは5年前と変わっていません。
この5年間で130万人も会員が増えたってホント!?儲かりまくりですね。ちなみに会社は東京・中央区から品川区に移転しています。


。。。やっぱり他人に推薦されたものより、若干高くても自分自身でレコードを選びたいかも。Wikipediaによるとコンサート・ホール・ソサエティは1970年代半ばにはツブレてしまったそうです。


文化放送・東急ゴールデンコンサートの雑誌広告(渡邉暁雄/日本フィル、1959年)

2016-08-08 22:07:59 | メモ

(画像等を追加しました)

小説雑誌『宝石』1959年7月号裏表紙に文化放送「東急ゴールデンコンサート」の広告が載っていました。



↑ 渡邉暁雄氏が指揮する日本フィル。毎週木曜夜9時から10時までの1時間放送。「とうきょうきゅうこう」って言いづらい...

 

↑ 1960年2月号。チェロは松下修也さん?

 



↑ 同じく1960年5月号裏表紙。4月から金曜放送に変更。人気が高まったからでしょうか?

 

↑ ちょっとさかのぼって同1958年6月号より。月曜8時30分から。提供は東急ではなくて日本精工だったんですね。

岩淵龍太郎氏の顔が見えます。ピアニストは誰でしょうか?(ベンノ・モイセイヴィッチ??調べます。)


この番組で1962年に放送された、ミュンシュ・日本フィルによる幻想交響曲のCDが今月26日に発売されます(買いたい)。この録音はステレオらしいので、ほかの演奏もステレオ収録されているものがあるかもしれません。渡邉暁雄のシベリウスのライブ録音などがあったら聴いてみたいです。(一部はもうCD化されていました。沼辺信一様、情報ありがとうございました。コメント参照)

このラジオ番組についてもっと詳しく知りたいです。

 

(追記)

東急ゴールデンコンサートについては『日本フィル物語』(日本フィルハーモニー協会編著、音楽之友社1985年)に詳しいです。要約すると

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東急ゴールデンコンサートの記念すべき第1回は1959年4月2日、渡邉暁雄指揮のチャイコフスキー交響曲第5番ほか。この回は一般にも公開された生中継番組で会場のサンケイホールは無料招待の聴衆で満員(定員1800人)。高名な批評家も顔を見せていた。

初放送からおよそ10年、1968年10月25日には放送500回目を記録。このとき文化放送が作成した『東急ゴールデンコンサート――放送500回の記録』【見たい!】によると、指揮者が登場したのは500回のうち459回で、残りは日本フィルのメンバーによる室内楽など。最もよく出演した指揮者は渡邉暁雄で、計286回(60%)。その他15人の日本人指揮者があわせて104回を、27人の外人指揮者があわせて69回を指揮。

この番組の解説者は有坂愛彦で、500回のうち498回担当。

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。。。このラジオ番組はフジテレビの開局記念番組のひとつである『日本フィル・シンフォニー・コンサート』(第1回放送は1959年3月1日。指揮はやはり渡邉暁雄。「皇帝」のピアノは井口基成)とともに日本でクラシック音楽を広めるのに大きな貢献をしたんですね。


R.シュトラウス:皇紀2600年に寄せる「祝典音楽」レコード大ヒット(1940)とフェルマーのエピソード

2016-07-28 21:13:10 | メモ

昭和15年(1940年)12月に歌舞伎座における紀元2600年奉祝音楽会で初演されたR.シュトラウスの「祝典音楽」のレコードは大ヒットしたようですね。

「音楽新潮」昭和16年2月号より。作曲者自身の指揮、ミュンヘン国立歌劇場管弦楽団。歌舞伎座での指揮者、東京音楽学校のフェルマー氏(Helmut Fellmer, 1902-1977)の感想付きです。

 

↓ 洋楽レコードの最高記録を作ったようです。2万組追加募集(同誌4月号)。全部で何万組売れたんでしょうか?

 

↓ 『レコード音楽』1941年1月号より

いまやこの録音も、フェルマーの録音もNML等ネットで聴けるんですね。いい時代!

 

(追記)
文芸春秋漫画読本1961年1月号に、東京音楽学校教授で、紀元2600年奉祝音楽会で指揮をしたヘルムート・フェルマーのエピソードが載っていました。書いたのは漫画家の岡部冬彦氏(1922-2005)。東京美術学校(現東京芸術大学)卒だそうです。

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  当時【昭和16、7年頃】は、渡邉暁雄さんがコンサートマスターで、時々バトンを振ったり、森正さんがフルートの助手なんかで、やはり時々バトンを振ったりしていた頃で、主に作曲家のヘルムート・フェルマー氏が校内オーケストラの指揮をしていた。フェルマー氏はヒットラー・ユーゲントの日本支部長かなんかをしていた、若いいかにもドイツ人らしいパキパキした人だったが、その作曲科に、林という友人がいた。ヒゲダルマみたいな男で、勤労奉仕に行った茨城県の友部から東京まで、何を思い立ったか数日がかりで、ワラジばきで徒歩旅行するような快男子だったが、或る時、フェルマー教授が学割(教授にも学割があった)の紙を二枚もって来て、その林に片カナで名前を書きこんでくれという。二枚はおかしいので聞くと
「コレ、ワタシのオクサンのデス」
という。そこでよせばいいのに
「オクサンというのは日本では、下層階級でしか使わない言葉ですから、あまり使わない方が良いですよ」
「デハナントイイマスカ?」
「上流階級ではオッカアというんです」
 
 さて、当時の乗杉校長【乗杉嘉壽、1878-1947】のところへ行ったフェルマー教授が
「コレはワタシノ、コッチはワタシのオッカアのデス」といったので、校長はビックリ、ワケを聞いたフェルマー教授は烈火の如くなったそうである。

 それでどうなったと、後日当人に聞いたら
「ドイツ人というのはクシャミは失礼だけど、オナラは失礼じゃないもんだから、フェルマーがオレを叱るのに、興奮してオナラをしながら叱るんだナ。おかしくてたまらないからつい笑っちゃうと、ますますイカり、ますますオナラするんで、どうにも困ったよ。だけどあれがほんとのブーブーいうってヤツだとシミジミ思ったね。」

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「林という友人」って誰なんでしょうね?林光(1931-2012)は年代が合わないから違うだろうし。


新世界レコード「ソヴェト盤LP・SP」のカタログ(1955年)

2016-07-27 23:41:23 | メモ

「音楽之友」1955年9月号から、新世界レコードのソヴィエト盤の広告です。

↑ 東京の特約店は十字屋、コタニ、京橋堂。

 

↑ プロコフィエフ「平和の守り」サモスード指揮、カバレフスキーのチェロ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲(どちらも作曲者指揮)、あとミャス21(イワーノフ指揮)などを聴いてみたいです。

 

 

↑ 「78回転LP」というのがあったんですね。それと、この時代にまだSPレコードが発売されていたとは。

とにかくCD化されていない音源をレコードで再生してみたいきょうこの頃です。