クラシックの本『DISC REPORT』1984年8月号の、朝比奈隆氏のインタビューからです。
この月刊誌は単なる新譜案内にとどまらず、なかなか読みごたえがあります。
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【フルトヴェングラーの交響曲第2番】
― 先生は先だって(1984年4月24日、大阪・ザ・シンフォニー・ホール)フルトヴェングラーの交響曲第2番を日本初演なさいましたが、演奏されるきっかけは何だったのでしょうか。
朝比奈 フルトヴェングラーは、言ってみれば私達にとって神様みたいなものです。それで今年彼が没してちょうど30年にあたりますので、この機会にめったにやらない交響曲だからやってみようと思ったわけです。オーケストラ(大阪フィル)の方もちょうど定期が200回になりますし、まあ、だいたい、そんなような感じだったんです。私は初めてこの曲を見ましたが、なかなか良く書けていると思います。まあ、面白いか面白くないかは聴く人によってさまざまでしょう。ただ非常に長い曲です。70分以上かかります。
― フルトヴェングラーの他の作品を演奏なさる予定はありますか。
朝比奈 それは今のところありません。
【フルトヴェングラーはブルックナーの「版」を厳密に考えていなかった!?】
― 先生はフルトヴェングラーにお会いになって、ブルックナーは「原典版」でやらなくてはならない、ということをお知りになったわけですが。
朝比奈 まあそうなんですが、別に教わったわけでもないし、しかられたわけでもないんですよ。ただ何種類もの「版」があるなどということなど、全く知りませんでした。その時は第9番をやろうと思っていたんですが、「原典版」を見てびっくりしましたね。オーケストレーションが全く違うんですよ。丁度30年前ですが、現在の平均的知識と思うものですら私は知らなかったのです。それがなんでも今は日本ブルックナー協会の会長だなんて、えらそうにしていますが、当時は本当に何も知りませんでしたし、オーケストラの方も全く弾けませんでした。それを思うと日本は急速に進歩していますね。
― ところで、フルトヴェングラー自身は「原典版」のことについて、いろいろと言及していますが、実際に彼は改訂版指向なんです。例えば第8番は49年には原典版を使いながら、死の年の54年には改訂版を使っています。
朝比奈 それはレコードになっていますか?
― なっています。フルトヴェングラーは他人に原典版を勧めておきながら、自分自身は改訂版で演奏するというのはおかしいような気がしますが。
朝比奈 まあフルトヴェングラーも、その方がいいよ、と言っているだけで彼自身はそのことについて、そんなに厳密に考えていなかったんじゃないでしょうか。ただ私達日本人にとっては相手が相手でしたから、雷にうたれたような気がしたんですよ。クナッパーツブッシュなんかは版については無頓着でした。あの人なんかは版なんかより、オレの演奏を聴いてくれ、みたいなところがありますから。
― しかし、必ずしも無頓着とは言えないような気がします。といいますのは、放送録音なども含めて、クナッパーツブッシュが原典版を使った例が今までひとつもないんです。
朝比奈 そうですか。とすると、あの人は本当に改訂版が気に入っていたのかもしれませんね。
【今後もレコードはライヴで】
― 今まで先生のレコーディングはすべてライヴ録音ですが、今後もライヴでおやりになるわけですか。
朝比奈 もちろんそうです。私はレコードはあくまでも記録としてのものだと思います。何回もやって、それをつなぎあわせてやるのはもってのほかです。そりゃあ、たまには恥をかくことはあります。そういった録音は自分のいい反省材料になります。現在3度目のベートーヴェンの交響曲全集が進行中ですが、前のものと比べて聴衆に、楽譜に書いてあることが忠実に伝えられていないとしたら、やり直すしかありません。それは、その場でやり直すのではなく、何年もかかって自分の頭の中を整理し、オーケストラの技術もそうすることによって、前のものより精度の高いものを作りあげるのです。それに、音楽とは作曲家と演奏者と聴衆と、三ついるんですよ。その中のどれかが欠けても演奏じゃないわけです。三位一体という言葉は大袈裟ですが、私達は聴衆がいるからこそやるんですよ。そりゃあ心の中では少しでも良く思われたいという気持ちがあります。それは決して悪いこととは思いませんし、それがいささかの興奮になり、緊張となって演奏にあらわれるわけです。
【マーラーの第1交響曲はどうも......】
― マーラーの交響曲は全集になる予定でしょうか。
朝比奈 だいたいやりましたが、第1番だけはやっていないんです。私はどうもこの第1交響曲は、やる気が起こらないのです。いや、この前にはなんとかやる気でいたんですが、とうとうダメでした。
― 理由は何でしょうか?
朝比奈 あの交響曲の基調となるものは歌曲の旋律(さすらう若人の歌)ですけれど、それがとても交響曲を形造っているなどとは思えないんです。スコアを見ても構成が脆弱で、楽器も数だけは多いんですが、必ずしも有効に使っているとは思えません。マーラー先生にはたいへん申し訳ないんですが、どうも自分の納得がゆかないものですから、やらないことにしています。
― そうすると先生によるマーラーの交響曲全集は完成しないことになるようですが....。
朝比奈 第1番抜きならやりますよ(笑)。
【大人になった内田光子】
― 朝比奈先生の協奏曲の録音というものは非常に少ないと思うのですが。
朝比奈 実演ではしょっちゅうやっていますが、レコードになっているのは学研にある園田高弘さんとのベートーヴェンの「皇帝」と前橋汀子さんとのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ぐらいでしょうか。それに、コンチェルトはなかなかむずかしいですね。例えばフルトヴェングラーとフィッシャーのような組合わせだと、伴奏とかなんとか言うんじゃなくて、ひとつのシンフォニーのようになっていますからね。それと、トシをとってくると、あまりコンチェルトはやらないようにしているんですよ。いろいろな意味でもったいないですからね。費用もかかりますし、それに、舞台に出る回数がだんだん数えられるようになってきましたから。この前、内田光子さんとブラームスのピアノ協奏曲第1番をやりましたが、なかなか良かったですよ。でも、どうしてレコードもラジオもテレビも収録しなかったんでしょうか。私はコンチェルトをやっているという意識があまりありませんでした。彼女はダッコするような小さい頃から知っていますが、このごろ大人の演奏をするようになりましたね。
【天才職人、ハイドン】
― 最近になって価値を再認識なさった作曲家はいますか?
朝比奈 ハイドンです。ハイドンは交響曲だけでも104曲作曲していますし、弦楽四重奏曲やオラトリオなども含めると厖大なものです。作曲のスピードと言ってもたいへんなもので、写譜するだけでも一生かかってしまうんじゃないでしょうか。そういったベートーヴェンやブルックナーとは違った天才ハイドンの初期の交響曲は素晴らしいものです。彼はいわゆる職人でしたが、演奏しても一番喜んでいるのは楽員です。楽員も職人ですからね。
― 本日は貴重なお話をいろいろと聞かせていただいて、ありがとうございました。
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。。。短いインタビューだけど朝比奈さんの誠実で謙虚なお人柄がよく出ていると思いました。