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私達動物の息の仕方とその歴史

昆虫の呼吸ーその12

2024-06-12 17:42:37 | 日記
昆虫の呼吸―その12
今回は節足動物から昆虫まで、多様に分岐し進化した呼吸器官について概観します。
節足動物は関節のある脚と外骨格を持っていて、エディアカラ紀晩期の約5億5千万年前頃に出現しました。節足動物から昆虫までの分岐は概ねこのようになります(Wikipedia 昆虫より)。

エディアカラ紀に海中に現れた節足動物が進化・分岐して陸棲の𨦇角類、多足類、六脚類、そして昆虫が出現するまでの地質学的年代の概略と脊椎動物の分岐を示します。甲殻類はほぼ水棲なので記載していません。

節足動物は脊椎動物の陸上進出に比べ約1億年も早く空気呼吸を開始しています。
初期の節足動物から昆虫へ進化する過程で環境と動物のサイズや活動性に応じて、①体表からの拡散呼吸、②エラ呼吸、③書䚡、④気管鰓、⑤書肺、⑥器官-毛細気管系と、様々な呼吸システムを生み出してきました。
次の図は動物が水または空気から酸素を取り込む呼吸器官をモデル化したものです

鋏角類
カンブリア紀後期に出現した初期の水棲𨦇角類のウミサソリ(体調2mに達するものも現れた)やカブトガニ類はエラの変形である書䚡(しょさいbook gill:板状に配置されたエラが本のように何枚も重なっている)で水呼吸していました。

シルル紀に出現した初期のサソリ(クモ型類:クモやダニの祖先)は海辺の潮間帯で小魚、腕足動物、脱皮したばかりの柔らかい三葉虫などの獲物をとっていたが、書䚡で呼吸していたので時々海に戻る半水棲でした。
デボン紀に出現したクモは書䚡に類似した書肺を持ち完全に陸生となっています。
ウミグモ、コヨリムシと一部のダニは体表からの拡散による皮膚呼吸を行っています。

なお、カンブリア紀からオルドビス紀にかけて繁栄し古生代末期に絶滅した三葉虫は枝分かれした脚の一つが鰓であり鰓呼吸していたといわれている(甲殻類と同様に肢が内肢と外肢の2つに枝分かれる二叉型付属肢)三葉虫は分岐図上、鋏角類と大顎類の間に分岐する絶滅種です。

多足類
ムカデやヤスデなどの多足類はカンブリア紀前期は海底のドロの上を歩いていました。多足類は最初に気管呼吸を発達させたと考えられ、シルル紀までには陸上に進出していました。

昆虫と違って外皮にはクチクラがないので水分を失いやすいために、コケや岩の隙間、洞窟などの日光を避けて湿度の高い場所に留まっていたことでしょう。
ムカデは毒液で他の小さな節足動物を捕食し、ヤスデは菌類、藻類、土壌微生物などを食べていました。

汎甲殻類
汎甲殻類は水棲が中心の甲殻類と陸棲の六脚類が含まれます。
甲殻類
海に住む大部分の甲殻類(エビ、カニなど)の多くは胸部外骨格内にある鰓を使っています。
陸生種では、オカヤドカリは殻の内に溜めた水を利用して鰓呼吸をしていて、ヤシガニは鰓の周囲の鰓室に貯めた湿度の高い空気で鰓呼吸している。
ダンゴムシやワラジムシは腹部の肢の表皮が内部に陥入して表面積の広がった白体という呼吸器官を使っています。

六脚類:胸部に3対6本の脚、気門―気管呼吸をする
主に陸生であり、発達した気管を持ち、胸部と腹部のほとんどの体節に一対の気門を持っている。デボン紀に6本の脚を発達させて、安定性と素早い運動性能を獲得した。
六脚類はさらに内顎類と昆虫に分類される
内顎類:口器の大あごが頭部にしまい込まれるためこの呼称が付いた。トビムシ、コムシは土壌の腐食植物、小型の昆虫などを食べる 

昆虫類:口器の大顎が露出している六脚類です。
昆虫は4億8千万年前のオルドビス紀に原始的な昆虫が出現し、その後3億6千万年前のデボン紀後期には多くの昆虫に分化していました。
水生昆虫の幼虫の中には、水中呼吸用の気管鰓(tracheal gill)を持ち、トンボの幼虫(ヤゴ)は、直腸の内側に多数のしわを鰓のように使って呼吸しています(皺状突起)。

昆虫の起源
最初の昆虫は4億年前デボン紀前期に出現したと言われていましたが、2014年のScienceの研究によると昆虫の起源は約4億8千万年前のオルドビス紀に出現した六脚類とのことです。植物は約5億1千万年前のカンブリア紀に陸上に進出しましたが、その3千万年後であり、昆虫は植物とともに陸上生態系を作り出した初期の生物群でした(2014年Science)。
最初の昆虫(六脚類)は内顎類に属するカマアシムシ(鎌脚虫)で前脚を鎌のような形に持ち上げています。昆虫とあわせて六脚類と分類され、甲殻類から派生したと考えられています(Wikipedia:Proturaより)。

体長は約1mmで土壌中に生息し、胸部にある3対の足のうち、持ち上げている前脚には多くの感覚毛が並んでいます。このカマアシムシに属する大半の種では1対の単純な気管系でガス交換を行っていますが、それ以外は体表からの拡散によるガス交換を行っています
分類上カマアシムシにごく近縁である甲殻類のムカデエビ類にはエラ器官がなく、おそらく環境水との間で体表の拡散によりガス交換を行っているようです(Wikipedia:Remipediaより)。

この様に概観すると節足動物は生息環境に合わせて水呼吸と空気呼吸のための呼吸器官を次々と更新しながら分岐・進化してきました。
水中では体表を通るガスの拡散を呼吸に利用し、すぐに体表を変形させた鰓を形成しています。潮間帯に進出すると鰓を束ねて作った書䚡を湿らせて陸地への進出を試みました。 
節足動物の外骨格は水中の外敵から身を守るに適応した鎧ですが、その鎧は陸地へ上がった時には乾燥を避けるのにたいへんに有利なものでした。陸上の乾燥に耐えて、ついにはクモ類が書䚡を書肺に変えて空気呼吸に適応していく一方、多足類は気管呼吸を発明して昆虫類の繁栄へとつなげました。
節足動物は約5億年の間に短い命がもたらす素早い世代交代を繰り返しながら、環境に応じて活動性を広げる機構や体制、すなわち「解放血管系」、「気管-毛細気管呼吸」、「外骨格を利用した跳躍と飛翔の機構」および「完全変態」などを発明し洗練させて陸上生活に確かな地歩を築き、見事に陸上に適応しています。
それにしても太古の昔、暖かくて穏やかな、乾燥する心配のない、食物の豊富な浅い水辺という環境を捨てて、厳しい陸上に進出した節足動物にとって、この繁栄は予想もしなかったことでしょう。
気管呼吸をしている昆虫たちは水中に留まれないけれど、それでもなお記憶のどこかに穏やかな水辺への憧れを抱いてはいないのでしょうか。

参考文献
1. Dejours P. 呼吸生理学の基礎 真興交易医書出版部 東京1983年  
2. Misof B.ほか ゲノムデータによって明らかとなった昆虫の進化パターンと分岐時期
Science2014年11月6日
3.Wikipedia:Protura、Wikipedia:Remipedia、Wikipedia 昆虫
4.ピーター・D・ウォード 恐竜はなぜ鳥に進化したのか 文藝春秋 2008
5.スコット・R・ショー昆虫は最強の生物である 河出書房新社 2016
6.松香光夫ほか 昆虫の生物学 第2版 玉川大学出版 1992
7.A.ローマー. 脊椎動物の歴史 1991
8.Zhuo et al(理研). Nature Genetics, 2013

昆虫の呼吸ーその11

2024-03-06 18:50:19 | 日記
昆虫の呼吸-11
前回は細胞に直接空気を供給する気管―毛細気管呼吸を行う昆虫には巨大化に制限がかかるという話でした。細胞数が相似比の3乗に比例して増えること(例えば体長が10倍になれば細胞数は1000倍になること)により気管・毛細気管という空気配管の体積が昆虫体内に占める割合が著しく大きくなることがその要因と考えました。一方、私たち脊椎動物はガス交換のために循環系という血液配管を持つことで巨大化に伴う細胞への酸素供給の問題を解決しています。

今回は気管-毛細気管の構造と水分の移動についてです。
気管は筋肉の収縮や体内の圧力の上昇で圧縮・虚脱し、圧力が弱まるとらせん糸(テニディア)の弾性で拡張するという機械的な運動で換気しています(次図)。一方、毛細気管にはテニディアはなくて直径は1~0.2μmと細く呼吸のためのガス交換は拡散で行われています。(昆虫の呼吸-5、6参照)。その壁の厚さはわずかに0.01~0.03μm(Weis-Foghの原文では100 ~ 300 オングストローム)であり酸素や二酸化炭素の透過にはほとんど影響しないと考えられています。ちなみに酸素分子の大きさは3~4オングストロームです。

この図では直径100μmと150μmの気管と密集して気管を内張しているテニディアが見られます。

毛細気管内の水分移動と酸素拡散
1930年にWigglesworthは蚊の幼虫の観察・実験を基に、毛細気管が細胞内に陥入している抹消では毛細気管内は細胞から浸出した液体で満たされていることを指摘しています。彼の実験では以下のことがわかっています。
 ・安静時には末梢部分は液体で満たされている(図A)
 ・窒息や運動中の組織液中には過剰な乳酸がある
 ・窒息あるいは活動している筋肉では、毛細気管中の液体は吸収されて毛細気管内  
  の空気が細胞に向かって伸びていく(図B)
 ・幼虫に塩化ナトリウムと乳酸カリウムを与えて高浸透圧にすると筋肉の活動時と同じ様な液体の吸収と空気柱の伸張がみられる。

これらの結果から、
毛細気管が陥入している細胞質と周囲の組織液は筋肉細胞の活動のために、乳酸やその他の濃度が高くなって、浸透圧が上昇する。
その結果、毛細気管のなかの浸出液は組織中に再吸収されて空気が毛細気管の末梢まで届くようになる。
このように、浸透圧作用により活動時や低酸素時には毛細気管の末梢にまで空気が入って効率よく細胞に酸素が行き渡ると考察しています。

次の表に、酸素が空気中と水中(淡水)で拡散して移動する距離と時間を示しました。 拡散では拡散係数:Dの値で分子の移動距離が決まります。

このように水中と空気中では酸素分子の移動の早さに1万倍の差があるので、毛細気管内の水分の多寡は昆虫のガス交換にとって重要な問題です。
毛細気管まで拡散した酸素は管壁を通って細胞質や組織内に拡散していきますが、拡散速度は毛細気管の中に比べて1万分の1と小さいので細胞内の流量も減るために、酸素濃度は低下してミトコンドリアに適した1mmHg 程度になっていると考えられます。
また、毛細気管内の酸素消費速度はこの組織への拡散速度で決まるため、安静時での消費は極めて小さくなり、気門の断続的なガス交換サイクル(後述)で酸素は十分に供給できるのでしょう。

この100年間の気管・毛細気管によるガス交換のメカニズムを解明してきた主な研究をまとめてみます。昆虫の呼吸-その3と7とに一部重複しています。
○1919、1920年にKrogh(クロー、1920年ノーベル生理学賞)は気管・毛細気管内の酸素濃度と気管径の測定を行って、大気圧の数%の分圧差があれば気門から細胞まで拡散のみで十分に酸素供給が可能であり腹部の圧迫は気管系の換気にほとんど寄与しないと報告した。(拡散だけでガス交換しているとの説)(Krogh 1920)

○昆虫の呼吸-7で紹介したWeis-Fogh(ヴァイスフォー)は1964年にトンボの胸部では飛翔筋による気管の変形によって十分な換気がされているとの観察を報告し、毛細気管内では大気圧の3.5%以上の分圧差(27mmHg)があれば拡散によるガス交換が適切に行われるとしました。

○1998年にLocke、Millはイモムシの第8節の気門に繋がるtuft(タフト、小房)は血リンパ中の血球細胞を酸素化する働きがあり、昆虫の幼虫では気管呼吸以外にそれを補助する酸素吸収機構を持っていると報告した。

○2003年にWestneatは放射光(高速の電子が磁場により方向が帰られるときに電子から放射される光)を用いて、生きている昆虫の気管系の拡張と虚脱による換気運動を撮影し、速い呼吸の時には気管の体積は50%も変化すると報告した(昆虫の呼吸-その3参照)。
○2005年にHetzと Bradleyにより、安静時の昆虫の気門は断続的に開閉して気管内の酸素濃度が約30mmHg(4kPa)に保たれるような不連続なガス交換サイクル(Discontinuous Gas-exchange Cycle:DGC)をしていて、代謝が活発になると連続した換気になると報告した。
DGCにより空気中の150mmHG という高濃度の酸素を30mmHG まで低下させて、酸素によるタンパク質、DNA、脂質の損傷という細胞毒性を避けると同時に、細胞質ではミトコンドリアが効率的に利用する酸素濃度を実現しています。

この様に気管呼吸のメカニズムが理解されてくると、気管は私たち脊椎動物の肺の膨張と収縮に類似した換気運動を行っていることがわかってきました。
これを私たち哺乳類と比べると

となります。昆虫は、は虫類や哺乳類のような大型化への道を進まず、解放血管系+気管呼吸を選択して小型で素早い飛翔という進化を選んだ結果、海中と陸上の全動物種の80%を占める種として繁栄しているのでしょう。
参考文献
1.DL: 2019/2/5
http://www.faculty.ucr.edu insectspagesteachingresourcesstoffolano15.pdf
2. Krogh, A. 1920: Studien uber Tracheenrespiration. ii.
Uber Gasdiffusion in den Tracheen
Archiv fuer die Gesamte Physiologie Berlin 179: 95-112
3.Wigglesworth.V.B. A Theory of Tracheal Respiration in insects
Proceedings of the Royal society B Published:02 April 1930
DL:https://royalsocietypublishing.org/on 16 January 2024
4.その他、昆虫の呼吸-その3と7の文献

昆虫の呼吸ーその10

2024-01-12 18:00:00 | 日記
昆虫の呼吸-その10  改訂版
Weis-Fogh(ヴァイスフォー)の論文を再度読み直して空孔率を訂正し、計算をやり直しました。

前回は昆虫の外骨格の強度という点で、怪獣のような巨大化は難しいという話でした。
今回は、気管の分布から巨大化が可能かどうか考えてみます。
「昆虫の呼吸-その7」ではWeis-Fogh(ヴァイスフォー)の論文を話題にしました。それによると飛翔筋内の気管の構造は、気門―1次気管(直径100~μm)-2次気管(7~1μm)―3次気管(2.5~1μm)―毛細気管(1~0.1μm)と分岐します。1次気管から毛細気管までは約1mmです。 

1次気管から毛細気管までの気管系の分岐の様子:
2次気管から約25本の3次気管が分岐して、3次気管から20~30本の毛細気管が分岐します。
従って2次気管1本から500~750 本の毛細気管が分かれて、筋肉細胞へ繋がっている。

飛翔筋の断面積に対する気管系の断面積の割合を空孔率(H)といい、これには1次気管から毛細気管まですべて含み、バッタでは約7%、トンボでは1次だけで1-4%。
このことから、飛翔筋の空孔率Hが1%から7%の間にあるときに、筋肉では酸素の供給と二酸化炭素の排出が適切に調節されるとします(仮定1)。従って巨大化する昆虫では空孔率Hは巨大化前後で同じ値をとることになります。

翅の挙上筋1本を考える。その横断面の面積をAoとする
その面を通る1次気管支の数をm1、断面積をS1とし、2次、3次気管支、毛細気管についても数と断面積をそれぞれm2、S2、m3,S3、m4、S4とします。
   気管系の総数Mt=m1+m2+m3+m4
全気管系の断面積Stは
St=S1m1+S2m2+S3m3+S4m4 (1)
空孔率H= St/Aoは1%~7%の間なので
0.01≦St/Ao≦0.07

昆虫が巨大化して相似形のまま体長が元のn倍になったとすると体積はnの3乗倍になりますが、体を構成する筋肉細胞の大きさは同じと考えられるので、細胞の数も元のnの
3乗倍になる。 従ってその細胞に繋がる毛細気管の数m4もnの3乗倍のm4✕n^3になります。
1次気管から毛細気管までの直径は巨大化後も同じサイズで、気管系の数は全てn^3倍になるとすると(仮定2)、

巨大化後の気管系の総断面積Snは
Sn=(S1m1+S2m2+S3m3+S4m4)・n^3
筋の断面積はnの2乗で拡大するのでAo ・n^2になる。従って巨大化後の空孔率Hnは
Hn=Sn/(Ao ・n^2)=(S1m1+S2m2+S3m3+S4m4)・n/Ao 
(1)より
Hn=(St/Ao)・n
仮定1からHnも1%~7%の間とすると
0.01≦(St/Ao)・n≦0.07  ここに0.01≦St/Ao≦0.07 (2)
となる。これを満たすSt/Aoとnが巨大化の指標となります。

例1 5倍の巨大化 n=5では(2)より
0.01≦(St/Ao)・5≦0.07
従って
0.002≦(St/Ao)≦0.014 
となります。
これは例えばH=(St/Ao)=0.012であれば(2)を満たすのでこの巨大化は可能です。

例2 10倍の巨大化 n=10では 同様にして
0.001≦(St/Ao)≦0.007 となるが、これは仮定1から(St/Ao)が0.01以上なので満たされない。従って10倍の巨大化は不可能です。
この場合Hn=10×(St/Ao)なので、H=(St/Ao)が最小の0.01でも巨大後はHn=0.1、従って空孔率が10%となり7%以下でなくなります。

巨大化後には筋肉細胞数が巨大化率の3乗で増えるため、気管系の量も増えてそれが筋肉を減少させるために巨大化に限界があるということになります。

この図は(2)式が0.01と0.07の間の時に、St/Aoとnが取り得る範囲を示したもので、オレンジ色の部分の範囲です。
空孔率Hが1%~7%の制限では、巨大化率n=7が最大であり、巨大化の限界であることを示しています。これ以上の巨大化は、n=10の場合のように気管系の筋肉内に占める割合が7%を越えることになります。

以上から、仮定1と2のもとでは、気管系をもつ昆虫では巨大化には上限があって、この場合はそれが7倍ということになります。
前回は体長8cmのバッタを例に挙げたので、8x7=56cmが上限となります。
古生代後半に生息していた巨大トンボ:メガネウラの体長は約30cmあったとのことですが、ここで予測した巨大化の範囲に収まっています。
石炭紀からペルム紀にかけての1億年間(3.5~2.5億年前)には酸素濃度が現在の20%よりも高く、最高で35%まで上昇したことが知られています(昆虫の呼吸-その4参照)。
酸素濃度と巨大化の関連については諸説あって今もなお議論が続いています。しかし、ここで検討したように巨大化による細胞数の増加は同時に気管系も増加させるので、筋肉内の著しく増加した気管系の量が必要な筋肉を減少させることにつながります。気管呼吸をする昆虫では巨大化に上限があると考えられます。
前回の話題に出てきた、体長4mの怪獣のような巨大昆虫は気管呼吸をしている限り不可能のようですね。

仮定1の検討
「気管系の断面積の合計は飛翔筋の断面積の1%以上7%以下である」という仮定は観察結果です。
飛翔筋内の気管系が少なければ十分にガス交換ができません。また気管系の占める割合が多ければそれだけ筋肉の量が減ることになります。空孔率が1%から7%の観察結果がすべての昆虫に当てはまるのかどうかはわかりませんが、この空孔率は妥当な割合だと考えてこれを仮定しました。

仮定2について
「気管系の直径が巨大化前と同じで、その本数だけがnの3乗倍になる」
細胞と直接繋がる毛細気管の直径は筋肉細胞の大きさに規定されるのでn倍の巨大化前と同じはずですが、毛細気管と気管の長さは巨大化に比例してn倍に延長するでしょう。酸素や二酸化炭素の拡散量(供給量)は距離に反比例して減少します。また、筋肉細胞数はnの3乗に比例して増えるので酸素消費量もそれだけ増加します。
つまり気管系の延長で酸素供給量は減るにもかかわらず、全細胞での必要とする酸素量は増加するという状況になります。
必要な酸素を供給するためには、昆虫体の筋肉の収縮と弛緩による気管換気回数の増加(昆虫の呼吸―その3)とともに気管系を太くして体積を増やして酸素濃度の変化を安定させる必要があります。
こう考えると、細胞に貫入する毛細気管以外の気管系の直径は大きくなると推測されますが、ここでは直径は巨大化前と同じで本数だけが増えることとして、巨大化に有利なままにしています。
参考文献
1.Weis-Fogh T. J Exp Biol 41: 229-56, 1964
2.ピーター・D・ウオード 恐竜はなぜ鳥に進化したのか 文藝春秋 2008

昆虫の呼吸-9

2023-12-20 19:00:00 | 日記
昆虫の呼吸-9

前回、昆虫の飛翔は鳥とは違って外骨格の強靱性や弾力性が重要な役割を果たしていることがわかりました。
強靭といえば、コブゴミムシダマシ科の甲虫は「悪魔の鋼鉄武装甲虫」とも言われ、車に轢かれても潰れないほどですが、その強さは丈夫な材料を繋ぎ合わせる構造に由来していると報告されています(2020年Nature)。
昆虫は飛翔する以外に、バッタ、コオロギ、ノミ、などのように体長の何十倍もの高さに跳ねます。外骨格の強靱性を調べるために、バッタを例にして跳ねる脚の負担についてみてみます。
まず、外骨格の構造ですが、表皮の外側(外表皮)に200μm(0.2mm)以上の厚さを持つキチン質+タンパク質の層があって、その内側には薄い層状のタンパク質とキチンが積み重なっています。これらが外骨格(クチクラ)を形成しています。

構造物に用いられる材料の強度はヤング率で評価されます。ヤング率は材料にかかった力をその力で生じた歪みで割った値(=力/歪み)であり、ケヤキやチークなどの堅い木材では11~13GPa(ギガパスカル)、コンクリート30GPa、一般の鋼材200GPaなどです。(なお、1GPaは1平方mmに約100Kgの圧力を表します)
私たちの骨のヤング率:30GPaはコンクリートと同程度で、昆虫の外皮:クチクラのヤング率:11GPaは木材のケヤキと同程度です。昆虫はこの強靱な材料で胸郭や脚の外骨格を作って、その内側の腔に筋肉や腱を付けて飛翔や跳躍をしています。
○ショウリョウバッタ(キチキチバッタ)が飛び跳ね、着地するときの衝撃について
子供の頃に野原でキチキチと音を立てて飛んでいたバッタです。よく捕まえました。このバッタをモデルにして考えてみます。
バッタの膝関節にはレジリンというゴム状のタンパク質の靱帯があって、これは着地で曲げた時に蓄えたエネルギーの98%を跳ぶときに使えるという優れた効率を持つ弾性体です。

以下の数式に出てくる^の印は累乗を表し、      A^2ならAの2乗です
体長8cm、体重3g、伸ばしたときの脚の長さ8cmのバッタが、地面に止まっていて、そこから膝を伸ばして脚底が1mの高さまで跳び上がるとします。
その速度vは、
E=1/2 mv^(2 )=mgh
より、     v=√2gh

 h=1.08m g=9.8m/s2 なので、
v=√2gh=4.6m/s
となります。
この速度を得るためには、脚関節のレジリンのエネルギーを使ってL=8cmの高さまで等加速度αでt時間かかるとすると、脚にかかる力Fは
F=mv/t であり、
v=αt 、 L=1/(2 ) αt^(2 ) より     t=2L/v   なので
F=(1/2 mv^(2 ) )・1/L=mgh/L  となる         
L=0.08m、m=0.003kg、h=1.08mを代入して
t=0.035秒、  F=0.397N(=0.04kg重) 
(Nは力の単位でニュートン、1kg重=9.8N)
つまり、脚が伸びるまでの35マイクロ秒の間、両脚(特に下腿)には40gの重さがかかることになります(体重3gの13倍も!)。

逆に、1mの高さから落ちてくるときには、脚から着地して同じように等加速度で減速すると、やはり40gの重さがかかります。
〇バッタの脚が耐えられる限界の重さは?
バッタの大腿と下腿は、跳ぶときや着地の時の衝撃力に耐えられるように出来ています。脚の外骨格構造を図のような円筒としてモデル化して、脚が耐えられる重さを計算してみます。柱が上からの力(荷重)が大きいと折れ曲がってしまうことを座屈といい、その荷重を座屈荷重といい、それを算出します。
この円筒の青い壁がクチクラです。クチクラの壁の厚さを200μm(0.2mm)とすると、大腿部の直径が2mmだったので、a=2mm、b=1.6mm、 下腿部ではa=1mm、b=0.6mm、どちらも長さC=4cmです。
クチクラのヤング率Y=11GPaはケヤキと同じなので、この太さと長さの木材の細長比による中空円筒の計算式(オイラーの理論式)を適用します。
材料工学より座屈荷重Pは、
P=(π^3 Y)/64・((a^4-b^4 ))/C^2
となります。
上記のa、b、cとYを代入すると、
大腿部の座屈荷重Pは P=31.4N(=3.2kg重)、下腿部の座屈荷重Pは P=2.89N(=0.3kg重)となり、両脚では600gになりました。

3gのバッタが1mの高さの高さに跳び上がるときに両脚には40gの力がかかりましたが、バッタの脚は細い下腿でも600gの荷重に耐えるので、15倍の安全率です。 
なんと自分の体重3gの200倍に耐えられるのです!
○巨大な昆虫の怪獣の運動能力は?
では映画やアニメに出てくるような巨大な昆虫の場合についてみてみます。
上記のバッタがあの形のまま50倍に相似形で大きくになると、体長0.08mx50=4m、 大腿の太さが0.002m×50=10cm、下腿は5cmの太さ、伸ばした脚の長さは4m、体重は50の3乗倍になるので、0.003kg×50x50x50=375kgとなります。
この4mの怪獣が1mの高さまで飛び上がったり、その後に着地したりするときの衝撃力は前と同じ様に計算すると
F=mgh/L  m=375kg ,h=5m,L=4m, を代入して
F=4594N(=約469kg重)  になります
座屈荷重Pは50の2乗倍になるので P=2.9N×50x50=7250N(=740kg重)
となります。二本脚で約1480kgです。ジャンプの時の脚の強度の安全率は
1480÷469=3.2 と3倍ほどに低下してしまいます。
また、4mの高さにジャンプする時の衝撃はh=8mより、750Kg になるので、片足だと折れ曲がってしまうことになります。これでは、走ったりジャンプしたりしながら戦うことはできそうもありません。
ちなみに100倍になると 体長8m、体重3000kgになり、座屈荷重は2900kg重なので片脚で立つと折れてしまうので、歩くこともできなくなります。

こうしてみると、巨大な怪獣になるにはバッタのようにスマートな体型の外骨格では無理で、クチクラを分厚くして、太めの体型にならないと難しいようです。


(材料工学には素人なので、適切な評価方法のために色々勉強していたので、時間がかかってしまいました。 評価方法に誤りがあればご指摘ください。)

参考文献
1小峯龍男 ゼロからわかる材料力学 技術評論社 東京 2020
2高久田和夫 生体組織の力学-序説 download 2023/11/7 
http://www.jsdp.org/kaobio/journal/11/11-1.pdf
3田中英一 皮質骨の力学特性と損傷のモデル化 マテリア 46:460-63 2007
4高嶋聰  クチクラに基づく材料設計論 download 2023/11/10 
https://invbrain.neuroinf.jp/modules/htmldocs/IVBPF/Engineering
/Insect_kutikura.html?ml_lang=ja
5「押しつぶされない」コブゴミムシダマシの秘密 download 2023/11/10 Nature2020/10/22https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/pr-highlights/13485
6本川達夫 ゾウの時間ネズミの時間 中公新書 1992
7松香光夫ほか 昆虫の生物学 第2版 玉川大学出版 1992
8Wikipediaより バッタの図
9AmvitionのYouTube動画より昆虫怪獣カマキラスの画像download 2023/12/20 https://www.youtube.com/watch?v=_Er4Mtsd9x8

昆虫の呼吸-その8

2023-10-22 10:30:00 | 日記
昆虫の呼吸-8
今回は酸素を大量に消費する飛翔筋についてです。

4億4千万年前の古生代シルル紀前期に出現した節足動物はデボン紀に昆虫へと進化して約2000万年後には翅を獲得して空を飛ぶようになりました。それから中生代ジュラ紀に鳥が現れるまでの約2億年間、空は昆虫だけの領域でした。
 前回に述べたように、その筋肉(飛翔筋:横紋筋)は安静時に筋肉1g当たり、毎分約 0.02 mlの酸素を消費し、飛行中はその100 倍の毎分 1.5 ~ 3 mlが必要となり、ハチやハエなどは安静時の400倍の毎分8mlと大量の酸素を消費して飛んでいます。
(ちなみにヒトでは安静時の1gの筋肉の酸素消費量は毎分0.002ml程度で昆虫の1/10程度です。一般に体重の小さな動物ほど体重あたりの酸素消費量は大きくなります。)
気管呼吸はこれまで話題としたようにその筋肉の酸素消費を可能にする呼吸器官です。

飛翔筋を動かすには2種類の作動方式があります。1つは「同期型」とい って、神経の活動と飛翔筋の動きが対応していて、1回の神経の興奮(刺激)で、飛翔筋の収縮が1回生じます。この作動方式は、原始的で比較的大型のトンボなどが採用しています。
もう一つは非同期型であり、これは1回の神経の刺激が起きるとそれに引き続いて、外骨格の反発と筋肉の伸張反射とが生じて自励振動のような自律的な羽ばたきが起きるものです。ハチや蚊、甲虫などはこの羽ばたきです。
一般に、空中を飛ぶときの揚力(空中に浮かせる力)は体長Lの4乗に比例し
(揚力=A・L^4:^は乗数を表す記号としてます)、体重は体長の3乗に比例
(体重=B・L^3)するので、体重あたりの揚力=揚力/体重=(A・L^4)/(B・L^3)=(A/B)・L
は体長Lに比例します。つまり体長Lの小さな昆虫ほど体重あたりの揚力が小さくなるので、ゆっくりとした羽ばたきでは空中にとどまることができません。
こうして、小型の昆虫(ハチ、ハエ、蚊など)は、「同期型」よりも羽ばたき回数が多い「非同期型」で飛んでいます:ブ~~ン。
飛翔筋には翅に直接付着して羽ばたきを制御する直接筋と翅が付いている胸部の外骨格を変形させて羽ばたきを行う間接筋があり、昆虫の種により図のように分類されます。

飛翔筋(横紋筋)
1.同期型直接飛翔筋はトンボを例にしています。左図のように翅の根元に付着した挙上筋が収縮すると翅が引き上がり、下制筋が縮むと翅が打ち下ろされます。神経からの筋肉への刺激は1秒間に100回が限度と言われているので、トンボやチョウ、バッタなどの同期型飛翔筋の昆虫の羽ばたきはどんなに多くても毎秒100回が限度です。

2.非同期型間接飛行筋はハチやハエが代表的です。胸部の外骨格の内側にある背腹方向の背腹筋と頭尾方向の縦走筋が外骨格を変形させることで間接的に翅を動かします。
右図のように背腹筋が収縮すると,背板を押し下げて翅を持ち上げ、次に反射的に縦走筋が収縮すると背板(notum)が隆起し翅が打ち下ろされます。
1回の神経刺激が起きると背腹筋と縦走筋による外骨格の変形に反発する弾性力と、筋の伸張活性による自律的な収縮とによって何倍もの羽ばたき回数が生じます。
筋の伸張活性(stretch-activation)とは、急に伸展された筋肉の反射的な収縮のことです。これにより背腹筋と縦走筋との間に引っ張り合いが繰り返し自律的に起こるために、神経活動よりも遙かに多い筋の収縮が生じるのです。
これによりエネルギーと筋肉量が節約されます。
ユスリカなどの仲間では1秒間に1000回の羽ばたきが観察されていて、これが蚊やハエのブーンという羽音の源となります。
3.同期型間接飛行筋は神経活動に一致して胸郭内の上記2種の筋を交互に収縮させて飛翔し、代表は蝶やバッタです。

これらの同期型と非同期型の筋肉の間にはエネルギーの産生と筋力発生の面から構造に明らかな違いがみられます。

図の筋繊維Aはハチの脚の筋肉などにみられ、Bはチョウの飛翔筋にみられる構造であり、どちらも神経活動に同期して収縮する筋肉です。Cの筋繊維は最も大きな振動を生み出す非同期筋で、筋原繊維が収縮する時のエネルギー源として使うATPを効率よく産生できるように高密度のミトコンドリアが筋原繊維束に沿って多数配列されています。
これらの筋繊維のミトコンドリアには毛細気管が周囲にまで配管されていて、始めに述べたような大量の酸素を供給して筋肉の活動を支えています。

昆虫は地球史の上で初めて空を飛んだ動物であり、気管呼吸、外骨格、筋肉構造、解放血管系、などは飛翔という目的に向けて構成され進化してきたように思われます。
蚊やハエも必死で羽ばたいて空中に留まろうとしていると思うと、あのブーンという羽音もちょっと愛おしくなりませんか?

参考文献
1.安藤規泰 動物の生きるしくみ辞典 昆虫の羽ばたき運動のメカニズム
https://cns.neuroinf.jp/jscpb/wiki/カテゴリ動物の生きるしくみ辞典
2.岩本裕之 昆虫飛翔筋のはたらきとその進化 
日本生物物理学会誌 Vol.50:168-73 2010
3.松香光夫ほか 昆虫の生物学 第2版 玉川大学出版 1992
4.Wigglesworth V. B.  Muscular System and Locomotion
The Principles of Insect Physiology chapter4 pp 146–177
5.Hill Animal Physiology 4th edition Oxford Learning link
https://lerninglink.oup.com/access/content/hill-4e-student-resources/hill- 4e-box-extension-20-2