頑張るノンちゃん

脳梗塞闘病記 

網代デイサービス物語

2021-01-30 15:40:05 | 日記
NHKのブラタモリで戦艦大和は呉をどう作ったかを見てこれは、網代のデイの
おじいちゃんが見ていなければ再放送を教えなければとメモ書きをして出掛けた。
最近おじいちゃんは体調を崩して来ないのです。デイの建物の向かい側ホームに
暮らしいてだめなようです。理系で技術屋の学校で学徒出陣で呉の海軍工廠で働いていて
軍艦のプロペラの受け軸の設計製作をしていて呉の山の上に住んでいて隠れて軍港を撮影
した自慢話など聞かせてくれたこの世界の片隅にの話みたいな人生の人でした。

是非ブラタモリ見せたいと思い送迎のスタッフにメモを渡してほしいと車の中で朝一に言ったら
残念ながら年末に亡くなったんだよと言うのです。絶句でした。思わず泣けてしまいました。
100歳近い大往生です網代のデイサービスが出来た時からの一期生?だそうです。
デイでは唯一の東京下町出身で私が東京生まれということで最初から話しかけてくれ他の人には
悪いがインテリで話が通じるおじいちゃんでした。私が最初に行った日浅草の話になりいきなり
神谷バーの電気ブランを一万円で買えるだけ送って欲しいあんたパソコン出来るんだろと頼まれ
ビックリ、デイの責任者に家内から相談してもらったらおじいちゃんにお酒飲ましたらダメです。
デイでそういうことを頼まれたりはいけませんとぴしゃり言われたりでも結局OKやってしまった。
お中元で近所に配ったらしい。終戦は門司で迎え東京に戻ると3月10日の空襲で全滅だったと。
戦後呉に舞い戻りIHI創立に参画その後は東京本社に勤めていたらしい。
アメリカ軍は大和製造のドッグをピンポイントで爆撃せず残した。それは戦後政策の一環で
日本再生に造船を柱にする計画によrものだらしく、私がちょっと前読んだんだ神保町が空襲を
逃れた都市伝説ものもアメリカの占領政策の一環だったと分かるとこんな国を相手に戦争をして
勝てるわけないと思う。ブラタモリの最後に再生呉が10万トンタンカーを造るその船尾にPETORO-
KUREとペイントされていた。石油くれですね。いいね。ブラタモリは哀切がある。

おじいちゃんお疲れ様天国でゆっくり休んでください。

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