goo
カウンター

ささやかな抵抗


心がやさぐれたときには
やさしい言葉を紡ごう
自らを癒やすために
ふくよかな物語を詠う

そのことによって
救われるのなら
生きる力になるのなら
多くの人にも意味がある

想いを届けよう
どんな歪みでも
求心力に変えて

決められた科白は
その軽さに耐えられず
嫉妬となり
憎しみとなる

身の置き所に迷い
草木をうらやみ
粗野にひかれ
ない物ねだりをする

ならば詩を書くのは
想いつづける男女の営みや
誇りたかき
人間の暮らしに心打たれ
こう在りたいと願う
真実への渇望に応えること

言葉への
抱擁と服従によって

                   2020「詩と思想詩人集」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう、絵はこりごり!?


 30代の時、毎日絵を描いていた。展覧会では100号の大きな絵を並べ、そこそこ褒められた。けれど、絵は売れなかった。今思えば、障害者という劣等感を払しょくしたい一心だった、
 父からは「道楽息子」と叱られた。幼少から体が不自由だった私の将来を一番心配していた。障害はあっても、お金の稼げる仕事に就く。そんな人並みな生活を望んでいたのに、過去の就職の苦い経験が、再就職を思いとどまらせていた。
 その反省もあって、画家気取りだった30代の日々を、もう一度やり直したい。ただ、他の何をしていたとしても、飽きっぽい私のことだから、続いていたかどうか……。
 今は通信大学で勉強し、ネットで情報をチェックしては、美術館にも足を運ぶ。いろいろなことに興味を持つことが増え、感じ方も変わってきた。やり直したいという日々も、現在と地続きなので、意味がなかったとは言えない。むしろ、そう思うのはナンセンスだ。
 しかし、手狭な物置にある「あの頃の絵」を処分しながら、「もう一度やり直せたら」という思いがよぎる。人並みに、仕事も家庭も持てたかもしれないと、想像してみたりする。

(上毛新聞「ひろば欄」2020/3/20付)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

左右の関係


左がゆれると
 右はふるえる

左が上がると
 右は下がる

左が前方にすべると
 右は後ずさりする

左が回転すると
 右もそれについていく

いつも左と右は
反対か似た動作を
一拍おくれてくり返す
止むことがない

ぼくはそれを眺めながら
滑稽やら
惨めやら
不安になるやら
                
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電動車いすで世界広がる


 子供の頃から障害があり、車いすを腕の力でこいできた。最近は加齢で筋力が低下し、2年前に電動車いすに乗り始めた。
 ひと昔前、私にとって電動車いすは「動けない人が乗るもの」というやや暗いイメージだった。最近は行動範囲を広げるために、残存能力のあるうちから利用するという前向きな捉え方で普及してえきた。電動車いすの性能が良くなったほか、シニアカーも含めて種類が多くなったことにもよるだろう。それぞれの障害に合わせて選びやすくなった。
 一方、不規則な路面は転倒の危険性もあり、操作の練習や注意力が必要となる。私も初めは怖かったが、近くで練習してだんだん慣れていった。今では、コンビニや隣町のスーパーまで、一人で買い物に行けるようになった。
 近所には、花が群生する場所があれば、住宅街や公園に茂るさまざまな木々など、初めて見る風景も多く、新しい発見もある。カメラを持って出かけるのも、楽しみの一つだ。小型のものだったらノンステップバスにも乗れる。ユニバーサルデザインタクシーや電車などの公共交通も試してみたい。体力をつけて旅行に行ければ、と夢はふくらむ。

(上毛新聞「ひろば欄」2020/1/16付)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある迷い

アドレス帳は
過去から現在までの
大切な出会い

つながる
つながらない
つなぎたくない

不定期なやりとりも
こちらからは
ただ待つだけの

増えも減りもせず
いつかもしかのときにと
放置してきたけれど

ちらちらと
切り抜かれた想い出が
スクロールされて

誤ってタップしたら
勘違いだったなんてことも
ありそうだし

意外にあっけなく
消えるときまで
このままにしておこうか
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足音のおと


留守番で
まつ母のおと
屋根裏のネズミ
鬼ごっこの
かけ足がきこえる

予感をつれて
おとづれる
季節のうつろい
初めてのパ・ド・ドゥ

野良猫が
雨どいをわたると
新しい革靴が
マンハッタンから
ちかづく

地球は
足音で溢れている

いつからか
翳りをしのばせて
こびりつく
離れそうもないおと

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異物


その文字の意志は
遙かからだった
記号のようであり
うずまく原始の
線刻画だった

削り塗られた今昔を
指でなぞれば
太古への焦がれ
しのびよる怖れ

学者たちは
いくつもの解釈を推し量るが
分類できない感情と
ならべられない法則に
ただ深遠と黙した

ワタシタチノ
カンセイ
ルールヲタヨッテ
カスンデイル

打ち上げられた
数千行の謎は
歴史から抹消された
食卓では
秒針に刻まれている

             2019.10「詩と思想」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会に流れる新しい風


 「相模原殺傷事件から3年」のテーマでノンフィクションライター、渡辺一史さんの寄稿(7月21日付)が掲載されていた。私も障害者であるがゆえに、事件のむごたらしさ以上に、殺人罪で起訴され拘留中の植松聖被告が発した「障害者は役に立たない」に対する答えを、自分なりに考えつづけた。同時に事件が風化して語られなくなるのを危惧していたので、記事に心なしか安心した。
 ちょうどその日の夜、参院選で2人の重度障害者が当選した。バリアフリーや障害者施策は、当事者が参加してこそ充実していく。「地域で当たり前の生活を送りたい」。当選者の1人、木村英子さんの語りは、ささやかなものであった。
 私は福祉の支援を受ける側で、介護現場や障害者との接点も限られる。日々の情報はネットが中心だ。そうした中で「多様性」「共生」といった言葉の気味悪さや、「生産性」が用いられる意味をどう解釈すればいいのか、考えることも多い。
 今回の2人の当選に、言葉には表せないうれしさを感じた。国会から新しい空気が流れ、福祉という枠を越えて社会に広くそよぐのではないか。その風が優しいか、厳しいかは分からないが、机上では考えも及ばない新しい変化を感じている。

 (上毛新聞「ひろば欄」2019/8/1付)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじまりの行


新しい万年筆の
ペン先は乾いている

はじまりの一行のために
ことばの風景を探した

日付はなく
いつ現れたのか
らせん階段と虹のかかる
不思議な風景

あるいは
北国のプラットホーム
淋しい男の旅立ち
水滴にけぶる町

それぞれの場面に斜線をいれ
ビスケットをかじり
首をもむ

ふと
上階のバルコニーで
自作の詩をうたってくれた
くちびるを思う

あるかないかの記憶をつなぎ
滲んでゆく夜
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偽詩人録


ずんぐりペンと
再生用紙に
文字はつづら折り
のち居眠り

新作の詩文は
ちんぷんかん

あらすじではなく
ほめそやす

余白と飛躍
大理石の記号
ならんだ裸像は
原始のあこがれ

けれどさっぱりだった
自分らしさは
探したときにもう居ない
すでに偽物

ローレライの微笑も
日本庭園も
ほこらしき佇まい
様式がだいじ

習いにおさまり
入会しました

孤高とあいさつ
いえ 孤島です

若葉のそよぎ
風にのって
かすみ雲
春の陽のにほひ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ 次ページ »