絵や詩をかいています。
制作日誌
ささやかな抵抗
心がやさぐれたときには
やさしい言葉を紡ごう
自らを癒やすために
ふくよかな物語を詠う
そのことによって
救われるのなら
生きる力になるのなら
多くの人にも意味がある
想いを届けよう
どんな歪みでも
求心力に変えて
決められた科白は
その軽さに耐えられず
嫉妬となり
憎しみとなる
身の置き所に迷い
草木をうらやみ
粗野にひかれ
ない物ねだりをする
ならば詩を書くのは
想いつづける男女の営みや
誇りたかき
人間の暮らしに心打たれ
こう在りたいと願う
真実への渇望に応えること
言葉への
抱擁と服従によって
2020「詩と思想詩人集」
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もう、絵はこりごり!?
30代の時、毎日絵を描いていた。展覧会では100号の大きな絵を並べ、そこそこ褒められた。けれど、絵は売れなかった。今思えば、障害者という劣等感を払しょくしたい一心だった、
父からは「道楽息子」と叱られた。幼少から体が不自由だった私の将来を一番心配していた。障害はあっても、お金の稼げる仕事に就く。そんな人並みな生活を望んでいたのに、過去の就職の苦い経験が、再就職を思いとどまらせていた。
その反省もあって、画家気取りだった30代の日々を、もう一度やり直したい。ただ、他の何をしていたとしても、飽きっぽい私のことだから、続いていたかどうか……。
今は通信大学で勉強し、ネットで情報をチェックしては、美術館にも足を運ぶ。いろいろなことに興味を持つことが増え、感じ方も変わってきた。やり直したいという日々も、現在と地続きなので、意味がなかったとは言えない。むしろ、そう思うのはナンセンスだ。
しかし、手狭な物置にある「あの頃の絵」を処分しながら、「もう一度やり直せたら」という思いがよぎる。人並みに、仕事も家庭も持てたかもしれないと、想像してみたりする。
(上毛新聞「ひろば欄」2020/3/20付)
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左右の関係
左がゆれると
右はふるえる
左が上がると
右は下がる
左が前方にすべると
右は後ずさりする
左が回転すると
右もそれについていく
いつも左と右は
反対か似た動作を
一拍おくれてくり返す
止むことがない
ぼくはそれを眺めながら
滑稽やら
惨めやら
不安になるやら
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電動車いすで世界広がる
子供の頃から障害があり、車いすを腕の力でこいできた。最近は加齢で筋力が低下し、2年前に電動車いすに乗り始めた。
ひと昔前、私にとって電動車いすは「動けない人が乗るもの」というやや暗いイメージだった。最近は行動範囲を広げるために、残存能力のあるうちから利用するという前向きな捉え方で普及してえきた。電動車いすの性能が良くなったほか、シニアカーも含めて種類が多くなったことにもよるだろう。それぞれの障害に合わせて選びやすくなった。
一方、不規則な路面は転倒の危険性もあり、操作の練習や注意力が必要となる。私も初めは怖かったが、近くで練習してだんだん慣れていった。今では、コンビニや隣町のスーパーまで、一人で買い物に行けるようになった。
近所には、花が群生する場所があれば、住宅街や公園に茂るさまざまな木々など、初めて見る風景も多く、新しい発見もある。カメラを持って出かけるのも、楽しみの一つだ。小型のものだったらノンステップバスにも乗れる。ユニバーサルデザインタクシーや電車などの公共交通も試してみたい。体力をつけて旅行に行ければ、と夢はふくらむ。
(上毛新聞「ひろば欄」2020/1/16付)
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ある迷い
過去から現在までの
大切な出会い
つながる
つながらない
つなぎたくない
不定期なやりとりも
こちらからは
ただ待つだけの
増えも減りもせず
いつかもしかのときにと
放置してきたけれど
ちらちらと
切り抜かれた想い出が
スクロールされて
誤ってタップしたら
勘違いだったなんてことも
ありそうだし
意外にあっけなく
消えるときまで
このままにしておこうか
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足音のおと
留守番で
まつ母のおと
屋根裏のネズミ
鬼ごっこの
かけ足がきこえる
予感をつれて
おとづれる
季節のうつろい
初めてのパ・ド・ドゥ
野良猫が
雨どいをわたると
新しい革靴が
マンハッタンから
ちかづく
地球は
足音で溢れている
いつからか
翳りをしのばせて
こびりつく
離れそうもないおと
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異物
その文字の意志は
遙かからだった
記号のようであり
うずまく原始の
線刻画だった
削り塗られた今昔を
指でなぞれば
太古への焦がれ
しのびよる怖れ
学者たちは
いくつもの解釈を推し量るが
分類できない感情と
ならべられない法則に
ただ深遠と黙した
ワタシタチノ
カンセイ
ルールヲタヨッテ
カスンデイル
打ち上げられた
数千行の謎は
歴史から抹消された
食卓では
秒針に刻まれている
2019.10「詩と思想」
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国会に流れる新しい風
「相模原殺傷事件から3年」のテーマでノンフィクションライター、渡辺一史さんの寄稿(7月21日付)が掲載されていた。私も障害者であるがゆえに、事件のむごたらしさ以上に、殺人罪で起訴され拘留中の植松聖被告が発した「障害者は役に立たない」に対する答えを、自分なりに考えつづけた。同時に事件が風化して語られなくなるのを危惧していたので、記事に心なしか安心した。
ちょうどその日の夜、参院選で2人の重度障害者が当選した。バリアフリーや障害者施策は、当事者が参加してこそ充実していく。「地域で当たり前の生活を送りたい」。当選者の1人、木村英子さんの語りは、ささやかなものであった。
私は福祉の支援を受ける側で、介護現場や障害者との接点も限られる。日々の情報はネットが中心だ。そうした中で「多様性」「共生」といった言葉の気味悪さや、「生産性」が用いられる意味をどう解釈すればいいのか、考えることも多い。
今回の2人の当選に、言葉には表せないうれしさを感じた。国会から新しい空気が流れ、福祉という枠を越えて社会に広くそよぐのではないか。その風が優しいか、厳しいかは分からないが、机上では考えも及ばない新しい変化を感じている。
(上毛新聞「ひろば欄」2019/8/1付)
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はじまりの行
新しい万年筆の
ペン先は乾いている
はじまりの一行のために
ことばの風景を探した
日付はなく
いつ現れたのか
らせん階段と虹のかかる
不思議な風景
あるいは
北国のプラットホーム
淋しい男の旅立ち
水滴にけぶる町
それぞれの場面に斜線をいれ
ビスケットをかじり
首をもむ
ふと
上階のバルコニーで
自作の詩をうたってくれた
くちびるを思う
あるかないかの記憶をつなぎ
滲んでゆく夜
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偽詩人録
ずんぐりペンと
再生用紙に
文字はつづら折り
のち居眠り
新作の詩文は
ちんぷんかん
あらすじではなく
ほめそやす
余白と飛躍
大理石の記号
ならんだ裸像は
原始のあこがれ
けれどさっぱりだった
自分らしさは
探したときにもう居ない
すでに偽物
ローレライの微笑も
日本庭園も
ほこらしき佇まい
様式がだいじ
習いにおさまり
入会しました
孤高とあいさつ
いえ 孤島です
若葉のそよぎ
風にのって
かすみ雲
春の陽のにほひ
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