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制作日誌

絵や詩をかいています。

個性・自分らしさ

2025年03月22日 00時08分51秒 | エッセイ


 私は子供の頃から人見知りだった。悩み事を打ち明けることはなかった。高校卒業のときに指導員から「なにも問題がないことが問題だ」 と言われた。孤独を好んでいたわけではなく、誰とでも友だちになれる人を羨ましく眺めていた。そんな対人コンプレックスは今でも変わらない。だから「個性」や「自分らしい」生き方にいつも憧れてきた。

〈個性とは何か〉
「個性」と「自分らしさ」はニュアンスが違うが、カルチャー誌などでは同枠で扱われていることが多いので一緒のテーマにしてみた。 共通しているのはどちらも自分がより良く有りたいという願望と、もう一つは個人化へ向かっていくことだろう。
 夏目漱石『私の個人主義』では、個性の発展を遂げたいなら相手の個性も認めること、権力や金力に寄りかからないこと、人格の修養の必要性が述べられている。そして個性には淋しさが潜んでいるという。しかしこの講演録(大正三年)より五十年前の江戸時代に「個性」 という言葉はなかった(たぶん)。 産業社会による進歩と自由の広まりに伴い、勤労、勤勉を強いられて、社会システムに調味料のように巧みにまぶされてきたのが「個性」や「自分らしさ」だといえる。
 さらに現代では個人への無関心さを装うように「自己決定」や「自己責任」が付随されて、一人一人が重荷を背負わされているように思う。個性や自分らしさへの誘惑は、過去から現代までプロパガンダやコマーシャリズム(商業主義)に利用されてきたように思う。

〈個性はどこにあるのか〉
 一般的に個性的な人という場合、特徴的な話し方や振る舞いが掲げられる。 思いつくままに羅列すると長嶋茂雄、王貞治、イチロー、淀川長治、ピカソ、田中角栄、きゃりーぱみゅぱみゅなど。個々人の特徴が自然に表れる場合もあれば、あえて個性らしき特徴を演出する場合もある。スタイル(様式)を作った方が楽だし、外見からも分かりやすい。
 しかし独自な見方や考え方という点を含めれば、外見ではない個性への気づきも重要だろう。その人の考え方に耳を傾けることによって、お互いの立場を理解し相違点を知る。考えを押しつけるのでもなく、異なる考えを排除するのでもなく、権威に与することなく、お互いが議論したうえで考えを高めあう。それぞれの環境における考え方が個性となり、それらに応答することで個性は産み出されているともいえる。

〈詩における個性とは〉
 詩作を含めた創作において、大方の人が個性や自分らしさは意識しないのではないだろうか。私は詩は外部(事実)表現だと考えているので、むしろ個性や自己を排し外部に目を向けなければならないと考えている。芸術作品を評価する場合、なんとなく雰囲気が良いとか好みや感覚に頼った見方をする場合も多く、「あの作品は個性的だ」と言ってしまうこともままある。この場合はその作品の分析が足りないか、評する言葉を持ち合わせていないかのいずれかだろう。 「個性・自分らしさ」の意味は曖昧であり都合の良い言葉でもある。
 またこれらは周囲が勝手に評価することであり、自分から求めても悩みの種が増えるだけのような気がする。つまり好きなように書き、好き勝手なことをして愉しめば良いのではないかという、ごく単純なところに帰着する。
 自分事だが最近、引きこもって誰とも会わない生活をしている。そうすると自分らしさなんてどうでも良くなるから不思議だ。合評会に参加していたときは評価を気にしてビクビクしていたものだ。

※「夏目漱石人生論集」 講談社より



                                個人詩誌「風の中へ」第4号 2023.10.10


遊び・楽しむ

2024年02月24日 21時10分54秒 | エッセイ

「遊び」という言葉は日常的に使われるが、その使われ方は広範である。辞書で調べてみると「賭け事や酒色にふけること」「仕事がないこと。暇なこと」とある。自分のことかと気まずくなってしまう。一方で「物事にゆとりのあること」「ハンドルの遊び」もあり、こちらは豊かな精神世界として考えられる。どうやら遊びには相反する二面性があるようだ。「遊び人」というと不真面目なように思われるし、「遊びに行く」は、気晴らしとか余暇活動として、あるいはお愛想として好まれる場合もある。言葉の意味を考えると複雑なので、ここでは遊びという行為について考えてみた。

〈遊びは本質に導く〉
 野球に関心のない方も居ると思うが、私の最近の楽しみはテレビで大谷翔平選手の活躍を観ることだ。その前はイチロー選手(以下敬称略)だったが、二人に共通しているのは打って投げて走ってと、何でもできる点にある。イチローは二〇一九年の引退会見のとき、「今後は草野球を極めたい」と述べている。また大谷は二刀流が持ち味だが、彼曰く「僕はそういう表現は使わない。野球の中で投げて打ってを区別することはないので(※)」と二人とも野球少年そのままだ。真剣さの中にどこか遊び心が感じられる。
 近代野球はビジネス化が進み、投手は投げるだけ、野手は打つだけの分業制が常識となり、野球をつまらなくした面がある。そもそも野球に限らずスポーツの起源はどこかの野っ原で、面白いから、楽しいからと自由な雰囲気で始まったように思う。この二人はそんな野球の原点を思い起こさせる。しかも野球の本場アメリカで実践していることが、近代合理主義への挑発にも見えてなんとも痛快なのだ。

〈遊びは自由ではない〉
 私が遊ぶと言った場合、パソコンゲームをするかパチンコに行くかぐらいだが、これは現実逃避ともいえる。遊びと趣味は違うのかという疑問もある。肝心の詩作はどうかというと、正直あまり楽しいとは言えない。ただ発表できる場があって、誰かに読んで貰えるという前提があるから、書く気にもなる。受け身的な言い方だが、褒められたい、認められたいとか下心的なところもある。ただ、思ってもみない詩が書けたときは楽しいときもある(偶然性・意外性)。ついでに言うと、詩を癒やしで書いているという面もある。
 詩には遊びが必要だとよく言われるが、これは無駄書きや思考の上書きでもあろう。そういえば絵空事や偽りを書いても、文法を無視しても許されるのが詩だ。時間や空間の隔てがない。とするなら詩には遊びの要素がかなり多い。だからといってそれが自由かといえば、また別の話になると思う。

    * *

 遊びは周囲の有り様と対置している。現代社会の効率性、進歩性、秩序性、利益性などに対して、非効率性、非科学性、非常識、非利益性など、ほぼ否定形を含んでいる。しかし遊びはあるべき人間の能力であり、対置でも新しさでもない。すでに組み込まれるべきものだからだ。「ハンドルの遊び」は駆動に必要だから備わっているのであり、システムと一体になっている。それは知恵や工夫とも言える。遊びがことさら対比的に扱われるのは、社会構造の正当化に卑小とされ、社会通念やモラルといった名目に押しやられたためだろう。最近の細かなルールやコンピューターに縛られる社会は、遊びの本来性を失っているといえないか。遊びは設定するものではなく、湧いてくるものだ。
 あるいは一杯のコーヒーが一日のささやかな活力になるときがある。精神的なゆとりも遊びの一つであろう。大言壮語のわりには、私はどうも身近な遊びに欠けているようだ。
(※)文春オンライン2021/08/22から引用



                                個人詩誌「風の中へ」第3号 2022.9.10


大切なもの

2022年01月07日 03時46分35秒 | エッセイ

 街頭インタビューで「あなたの大切なものは?」と聞かれたら、なんて答えるだろうか。家族や時間、あるいは平和だろうか。深く考えたことがないので、その場の思いつきで答えてしまいそうだ。「分からない」では軽薄な人間に思われそうなので、取りあえず何か答える用意はしておきたい。
 そう思って見わたすと、私の大切なものは、一冊の写真アルバムである。四十年間に出会った仲間(すでに他界した人も含めて)との思い出が詰まっている。これが火事や泥棒で失われたらガッカリすると思う。でも本当に大切かどうかは、よく分からない。
 私はよく「自分を大切にしなさい」と生活や創作面で言われてきた。ただ自分で言うには良いが、他人から言われると何か無責任に感じられる。自信を持て、頑張れ、意思を持てなど、色々な意味で言っているのだろうが、そんなに自分に負荷を与えてどうするのかと思う。他人のことは一生懸命になれても、自分のことは案外いい加減だ。「医者の不養生」と言うではないか。
「大切なもの」などあったら鬱陶しい。切るという語が使われている。そう思って調べてみると、やはり刃で切るという意。親切・切望・切迫・切断など、語の組み合わせで意味が変わる。共通するのは心や想いが含まれているらしいこと。といって愛や優しさでは、こそばゆい。やはり生活にはお金が大切だ。病気になれば健康の大切さを思い、温暖化の加速を聞けば、自然の大切さを思う。相対的に大切なものは変わってくるようだ。
 喜劇俳優のチャップリンは「人生に必要なのは勇気と想像力と、ほんの少しのお金である」※と言っている。 後半の〝ほんの少しのお金〟のリアリティがあるから、勇気や想像力にも説得力が感じられると思う。必要を大切と言い替えてなお、私の好きな言葉である。
「○○を大切にしよう」などと啓蒙的に使われることもある。私はなにか一つのことに決めかねてしまう。目の前のものすべてを大切にしたいとも思う。そう模範解答でごまかすしかないくらい、大切なものは言葉に表しづらく、えらぶには難しい深いもののようにも思われる。


※映画「ライムライト」での台詞

                                個人詩誌「風の中へ」第2号 2021.10.8


つながり

2021年01月08日 17時20分01秒 | エッセイ

 ひとくちに「つながり」といっても漠然としているが、ここでは「人とのつながり」を意識してテーマに選んだ。私は人間関係にいちばん小心であり、かつそれをいちばん気にしている。詩を書く理由も、人との出会いを求めているからかも知れない。
 三・一一大震災の後、「絆(きずな)」という語が広まった。困難を乗り越える、助け合い、連帯などを一括りに表したものと解していたが、本来の意味は「馬をつなぐ綱」であり、人の行動や自由を束縛することらしい。古事では、あまり良い意味ではないようだ。
 人をつなぐ言葉にどのような語があるだろうか。「思いやり」、「仲良く」、「縁」など、在り来たりの言葉しか思いつかない。胡散臭い言葉は幾つかある。「共生」、「多様性」など。本意はよく分からないが、白々しく聞こえるのはなぜか。「寄り添う」にいたっては、添い寝レベルならともかく、少なからず優位性や上下関係を感じてしまう。素直さに欠けるからだろうか、
 人は一生の間にどのくらいの人と巡り会うのか。名刺ストックは一冊には届かない。携帯電話のアドレス帳には一〇〇件ほど入っているが、実際に連絡しているのは二、三件だ。消去ならいつでもできると思って、そのままにしている。
 街の雑踏ですれ違ったり、買い物で一言二言の声をかけた人数など、偶然やいっときの出会いまで含めたら、一気に広がる。
 私は街ブラが好きで、駅前の歯医者の帰りに、一時間ほど散策する。町並みの変化を観察するのも面白いが、何か人混みに紛れる安心感のようなものがある。
 萩原朔太郎に「群衆の中を求めて歩く」という詩があるが、あの空気に近いと思う。個々ではなく、人の気配とのつながりとでもいうことか。
 好きな作家、あるいは画家など、会ったこともないが、作品からその作家に憧れるときもある。あるいは映画やドラマの架空の人物といった場合もあるだろう。もっといえば、過去となってしまった死者ともつながっている
 日々の暮らしは寂しいが、意外に自分の中に「つながり」は生まれているようだ。


                                個人詩誌「風の中へ」第1号 2020.12.10

デジタル化は何を変えていくのか?

2021年01月07日 20時24分08秒 | エッセイ

 新聞やテレビで「デジタル化」という言葉を見るようになった。九月に管内閣が発足し、「デジタル庁」の新設を発表した。コロナ渦においてソーシャルディスタンス(社会的距離)が求められ、遠隔操作が普及されつつある。こうした生活形態が、遅れたデジタル化を進める好機となった。
 デジタル化はあらゆる電子化による効率化である。いまに始まったことではなく、病院や金融機関の電子カード、パソコンや携帯電話など、見渡せば私たちの生活はデジタルの波にたゆたっている。
 たとえるなら、連続した時間の流れがアナログであり、数値化した点を繋げて、視覚化するのがデジタルである。こうして書いている文章もワープロの点集合であり、一筆の字形に見せかけている。身体感覚がアナログならば、人工的な虚構がデジタルだ。はたして私たちの生活は、薄らさむい虚構に満ち満ちていくのだろうか。
 デジタル化はすべての人にサービスが平等に提供され、「生活の豊かさ」という名目がある。いずれ、公共交通の自動化、病院の遠隔診療、介護や行政窓口のロボット化など、想像もできない環境が予定されている。裏を返せば、加速する人口減少、少子高齢化、労働力不足など、いびつな社会構造ゆえに、そうせざるを得ない事情というのも見えてくる。はたしてその行く末は、豊かさと結びつくのだろうか。
 デジタル化は通信を含む先端技術(テクノロジー)の一部である。耳慣れない専門用語が多いので、素人には分かりづらい。公共事業であっても道路工事と違って、やっていることが目に見えない。「情報は二十一世紀の石油」とも形容されている。個人情報の漏えいや流用も心配である。知らぬ間に、個人が監視社会の囚われの身となる危惧がある。
 まるで否定ばかり書き並べているが、私のような障がいをもつ者には、デジタル化は社会参画を可能にする有効なツールとなっている。在宅によるリモートワークや電子機器による意思伝達は、埋もれた能力を開発する選択肢となる。高性能の電動車いすは、生活範囲を広げる一助ともなった。
 先日、テレビアナウンサーが「ハンコをきれいに押したときの快感がたまらない」と脱ハンコ化に意見を述べていた。おそらく今までがそうであったように、便利さへの小さな抵抗は時間とともに回収され、生活の一部に取り込まれるだろう。しかし一度進んだら後戻りできないのが、科学の性質である。そのデジタル化はなぜ必要で、それは何のためにあるのか。そのあたりの本質を、注視していくべきだろうと思っている。

                               「Scramble」第169号 2020.12.20


ネットに見る分断社会

2020年11月03日 01時50分21秒 | エッセイ

 私はふだんから車いすでひきこもり生活をしているので、コロナ渦の自粛もさほど影響がなかった。日々の時間はあるが、詩作に充てることもなく、最近は惰眠とネットを貪っている。平生、社会には疎いのだが、ネットのSNS(ソーシャルネットワーク)の情報に翻弄されている。
 本来、ネットの双方向性は交流という利点があるが、いまや分断の元凶になっている感がある。多様な人たちのやり取りは、右と左、愛国と売国、他民族への差別的発言など、対立軸を作ることで、それぞれのトポス(居場所)を明確にしようとしている。
 身近なところでは、高齢者と若者、無職と労働者、生活困窮や要支援者へのバッシングなどで、どちらかに負のレッテルを貼って、色分けをしようとする傾向である。
 私がいちばん怖さを感じているのは、二〇一六年の「相模原障害者殺傷事件」や、この七月に発覚した「京都ALS嘱託殺人事件」の議論である。ネットでは一定の割合で、むしろ半数以上に見えるほど、犯人を擁護する意見が並んでいる。
「税金で生かして貰っているのだから仕方がない」、「生きる権利があるなら、死ぬ権利も与えるべき」などの意見である。これらの直線的思考は、顔の見えないネットでは過去にも散見されていた。
 ところがSNSの普及は、個人発信でありつつ多くの人が気軽に反応でき、拡散力を飛躍的に高めた。「いいね」数やリツイート(転送)数の多さが、そのまま扇動や片寄った社会風潮に結びつきやすくなった。日常に埋没している個人が、オリジナルであるかのような正義をかざし、注目を集め、英雄にさえなれるプラットホームとなった。
 このような大衆化された中では、道義的かどうかよりも「役に立っているかいないか」という、択一式の発想となる。大量情報の消費に、他者をおもんばかる必要はなく、大勢の側に付けば、自分のトポスが得られるのである。
 先の事件に関連して、ある国会議員は、安楽死や尊厳死の法整備を進めるべきと、記者会見でコメントしている。少し前までは、ネットは特化した集まりの少数派に思えたが、いまやネットの大衆化は現実社会に不吉な影響を与えている。政治がネットの情報を巧みに利用する時代となってきている。
 私は障害者という立場なので、社会的弱者に向けての「命の問題」に敏感にならざるを得ない。さらに、共生をうたいながら、人間関係が希薄になっているという現実。パソコンを前にして、ただ理不尽を問うていくしかない。 


                              「詩人の輪通信」第53号 2020.10.15

もう、絵はこりごり!?

2020年04月29日 04時24分35秒 | エッセイ

 30代の時、毎日絵を描いていた。展覧会では100号の大きな絵を並べ、そこそこ褒められた。けれど、絵は売れなかった。今思えば、障害者という劣等感を払しょくしたい一心だった、
 父からは「道楽息子」と叱られた。幼少から体が不自由だった私の将来を一番心配していた。障害はあっても、お金の稼げる仕事に就く。そんな人並みな生活を望んでいたのに、過去の就職の苦い経験が、再就職を思いとどまらせていた。
 その反省もあって、画家気取りだった30代の日々を、もう一度やり直したい。ただ、他の何をしていたとしても、飽きっぽい私のことだから、続いていたかどうか……。
 今は通信大学で勉強し、ネットで情報をチェックしては、美術館にも足を運ぶ。いろいろなことに興味を持つことが増え、感じ方も変わってきた。やり直したいという日々も、現在と地続きなので、意味がなかったとは言えない。むしろ、そう思うのはナンセンスだ。
 しかし、手狭な物置にある「あの頃の絵」を処分しながら、「もう一度やり直せたら」という思いがよぎる。人並みに、仕事も家庭も持てたかもしれないと、想像してみたりする。

(上毛新聞「ひろば欄」2020/3/20付)

電動車いすで世界広がる

2020年02月17日 03時21分01秒 | エッセイ

 子供の頃から障害があり、車いすを腕の力でこいできた。最近は加齢で筋力が低下し、2年前に電動車いすに乗り始めた。
 ひと昔前、私にとって電動車いすは「動けない人が乗るもの」というやや暗いイメージだった。最近は行動範囲を広げるために、残存能力のあるうちから利用するという前向きな捉え方で普及してえきた。電動車いすの性能が良くなったほか、シニアカーも含めて種類が多くなったことにもよるだろう。それぞれの障害に合わせて選びやすくなった。
 一方、不規則な路面は転倒の危険性もあり、操作の練習や注意力が必要となる。私も初めは怖かったが、近くで練習してだんだん慣れていった。今では、コンビニや隣町のスーパーまで、一人で買い物に行けるようになった。
 近所には、花が群生する場所があれば、住宅街や公園に茂るさまざまな木々など、初めて見る風景も多く、新しい発見もある。カメラを持って出かけるのも、楽しみの一つだ。小型のものだったらノンステップバスにも乗れる。ユニバーサルデザインタクシーや電車などの公共交通も試してみたい。体力をつけて旅行に行ければ、と夢はふくらむ。

(上毛新聞「ひろば欄」2020/1/16付)

国会に流れる新しい風

2019年07月29日 15時25分12秒 | エッセイ

 「相模原殺傷事件から3年」のテーマでノンフィクションライター、渡辺一史さんの寄稿(7月21日付)が掲載されていた。私も障害者であるがゆえに、事件のむごたらしさ以上に、殺人罪で起訴され拘留中の植松聖被告が発した「障害者は役に立たない」に対する答えを、自分なりに考えつづけた。同時に事件が風化して語られなくなるのを危惧していたので、記事に心なしか安心した。
 ちょうどその日の夜、参院選で2人の重度障害者が当選した。バリアフリーや障害者施策は、当事者が参加してこそ充実していく。「地域で当たり前の生活を送りたい」。当選者の1人、木村英子さんの語りは、ささやかなものであった。
 私は福祉の支援を受ける側で、介護現場や障害者との接点も限られる。日々の情報はネットが中心だ。そうした中で「多様性」「共生」といった言葉の気味悪さや、「生産性」が用いられる意味をどう解釈すればいいのか、考えることも多い。
 今回の2人の当選に、言葉には表せないうれしさを感じた。国会から新しい空気が流れ、福祉という枠を越えて社会に広くそよぐのではないか。その風が優しいか、厳しいかは分からないが、机上では考えも及ばない新しい変化を感じている。

 (上毛新聞「ひろば欄」2019/8/1付)

「笛吹公園」とその界隈

2018年10月29日 18時13分36秒 | エッセイ

 家から直線で六〇〇メートルほどの距離に「笛吹公園」がある。いつから存在しているのかは不明だが、幼少のころは田畑ばかりの地だったので、工業団地が造成されはじめた五〇年ほど前ではないかと推測している。
 高校を卒業して家で暮らすようになってから、車いすで散歩がてらこの公園にはよく寄るのだが、とくだん遊具らしいものはなく、ふじ棚といくつかのベンチがあるくらいである。けれどその意義は運動公園としてのグラウンドであり、少年野球や高齢者のボールスポーツなどをときおり目にする。
 公園の形状は東西にのびた長方形で、ほぼ中央にケヤキ並木の通路があり、大小二面のグラウンドに隔てられている。南側のフェンス沿いにはサクラの木も並び、時期には花びらの散る様を、新緑から夏にかけては葉ずれの音を、秋には色づく紅葉の舞いを感受することができる。樹木は地を覆うようにやけに上へ伸びている。
 公園を外周する北面では、最近流行りの瀟洒な住宅が点在し、メゾンとかいう建物や工場の看板が見え隠れしている。南面では信越線が並行に沿っていて、一時間に二、三本ほどの電車が通過する。公園内には「電車が通過中はピッチングを中断すること」と注意書きが立っている。
 ホームベースから線路内まで目測で百メートルは満たないので、場外へ弧を描く少年の飛球を思わず想像してしまう。
 線路の向こう側に目をやると、丘陵を背景に石けんを製造している工場が見える。幼少のときに八幡駅で見たときは、縦横の鉄パイプが巨大ロボットのようで怖かったが、それだけにどこか愛着もあり、郷愁を誘うような感慨が湧いてくる。すでに煙突から煙は見えないが、その要塞のような外観に魅せられて、ここでスケッチした画を最初の詩集に挿し絵として載せてもいる。
 他所と違わず、午後になると路肩では休憩中の車両がぼんやり止まっている。そのトラックを横目に、踏み切りの警報音が鳴ればガードレールに近づいて左右に目を凝らし、ときに小中学校の終業チャイムや吹奏楽らしき音色に、見えない聴衆として参加する。
 公園がお気に入りスポットかというと、じつは今まで公園の中央付近まで入ったことはなく、周囲の金網からグラウンド内を眺め入るか、入口に近いベンチ脇で休憩したくらいである。だから樹木が繁っていること以外、公園の細部についてはあまり知っていない。
 どうやら私はこの公園が好きというよりは、この公園の南面に特化した一帯の、人気のない雰囲気が気に入っているらしい。とはいえどこからか歓声や機械音、あるいは自然の木霊も聞こえてくる。公園と周囲が相まって一つになった風景は、現実からはなれた曖昧な空間を醸し出している。また、四季を感じられる唯一の身近な場所にもなっている。
 一年前に電動車いすを購入し、しばらく遠ざかっていた公園までふたたび足を運べるようになった。急坂を迂回すると実質一キロメートルの距離だが、テクノロジーの恩恵で楽に行けるようになった。コンビニまでわざわざ遠回りをして、ジュースを買って公園で一服する。心身の余裕からか、樹木のそよぎがいっそう気持ちよい。こんなとき詩の一編でも書ければと思うが、それさえも煩わしく感じられる。
 「笛吹公園」という名称の由来をネットで調べてみたのだが、そのむかし、牛若丸が笛を吹いた場所という伝説があり、中学校の近くの「笛吹塚」から来ているらしい。
 一方で「笛吹(ふえふき)」は「うすい」という読み方もあり、この場所が碓氷(うすい)郡に属していたことや、近くを碓氷川が流れていることなどから、「うすい」が「笛吹」になったのではないかとの説がある。ややこしい話しだがこちらも信憑性のある説で、いつか近隣の詳しい方に聞いてみたいと思っている。
 なんの変哲もなく、どこにでもありそうな公園だが、通りなれた路地を、旧知の友に逢いに行くような楽しみを、この公園には感じている。

    会誌「Scramble」156号より