ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ アウシュヴィッツの真相に迫る判事を描いたドラマ!映画『顔のないヒトラーたち』予告編

アウシュヴィッツの真相に迫る判事を描いたドラマ!映画『顔のないヒトラーたち』予告編


ドイツ語の現代は『Im Labyrinth des Schweigens』直訳すると、『沈黙の迷路の中で』。

戦後の西ドイツには、政権の要職にナチの残党も多くいたこともあり、また国民にしてみれば蓋をしたい歴史であり、1950年台は、祖父や父、または兄もナチ党員であった人が圧倒的に多かった。
正義を問うことは、家族を裁くことにもなる。

しかし、西ドイツの検察官たちは、黙々と、同胞のナチの、あるいは身内のナチに犯罪=戦争犯罪と向き合い戦う。
1960年のアイヒマン逮捕が大きな契機となたことは、事実であるが、その前からフランクフルトの地検では、形の見えない障害=妨害にあいながらも、地道に黙々と膨大な捜査を続ける。

映画の主人公の父親は、党員であったし、検事総長はユダヤ人で収容所にいた人である。

フランクフルとで行われたアウシュビッツ裁判以降、ドイツの空気は変わった。

今や、アウシュビッツの問題抜きにはドイツ人のアイデンティティは語れないというほどである。

実際、強制収容所だけではなく、戦争関連施設へ行くと、必ず小学生から大学生までの、現場での授業が行われている。

日本とは国民性の違いだろうか。
旧帝国日本軍の犯罪についての、学習はない。
小学校の国語の教科書には、心情的に描写された物語ばかりで、馬が軍馬に連れて行かれたとか、父が出征する時、ふとどこぞに大根の花がさいてとか、きわめて情緒的な扱いが主流だ。

この映画を見ていると、自分の国と比べないではいられない。

ドイツのように、自国の犯罪を明確にしないし調査もほぼ不可能だ。

映画を見ていて、日本人であることの引目を感じた‥‥‥‥

国民性の違いと言ってしまって、いいのか。
この問題は、我が身に、突き刺さる問題でもある。

主人公の検事とシャーナリスとの友人でアウシュビッツへ訪れた時、死者を思い、石を積むシーンがある。
私も、いくつかの強制収容所へおとづれ、目にした光景は積まれた石だった。
涙がにじんだ。
思わず、両手で顔を覆ってしまった。

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