この記事を、とても興味深く読んだ。
記事のタイトル。
『ハルビン』は日本の観客が見届けることで“完結”する。韓国社会にインパクトを与えたキャラクター像とクールで崇高な映像美
執筆者は、文/クォン・ヨンソク(一橋大学法学部准教授)
クォン・ヨンソク氏の言わんとしていることは、よく解る。
『ハルビン』上映ということで、監督と主演ヒョンビンが来日し、舞台挨拶のインタビューに応えていた言葉に、日本で公開でき、こんなに観客が来てくれるとは思わなかった、というような文言があった。
それを聞いて、韓国人の監督や主演キャストに、そのような感覚があることが、むしろ意外だった。
だと、すると、リリー・フランキーは、伊藤博文役を引き受けたって、超えらくない? って思った。
日本の観客から受け入れられないかも知れないと思いつつある韓国製作サイドの要請を受諾したのだから。
で、
多分、リリー・フランキーという役者には、日韓の有象無象の背景よりも演じたい表現者の気概があったのだろうとも思った。
それで、この記事を何度も読み返し、改めて日韓関係の歴史について、ではなく現在の、今、ある日韓関係に於いて、韓国人サイドと日本人サイド(それは私個人かも知れないけれど)の感覚のズレを認識させられた。
明日6日に、この映画『ハルビン』を見に行く予定。
さて、私は、なにを感じ、なにを思うのだろう。
興味津々。
大衆、民衆、或いは個人、なんと表現していいのやら、判らないけれど人は、いわばイデオロギー(政治的な意味だけで無く宗教的、民俗的な意味に於いても)による世界観を超えることができるんじゃないのか、と私は思っているらしい、かも知れない。