私は、純粋に(ちょっとこの言葉は大袈裟な様な気がしておりますがお許し有れ)「きのう何食べた」の映像作品のファンです。
ですから「モーニング」や単行本で「きのう何食べた」を読んだことはございません。。
とは申しましても、そのことに確固たる信念がある訳でも無いのですけどね。
ただ単行本購入となるとお金もかかるし、場所もとると言った相当ズボラ人間の
発想からでしかないのですけどね(^^♪
ですから原作にて、ケンジの家族についてどの位語られているのかはまったく解らない状況です。
連ドラの頃からシロさんの家族はちょこちょこ登場されていましたが、ケンジの家庭はお母さんも美容師で自分の店を持っているとしか知りませんでした。
原作の方では、もっとケンジの家庭についても描かれていたのかも知れませんけどね。
私はシロさんが実家に帰るシーンを観る度に、シロさんのお父様はお勤めしていた当時は、然るべき役職に就かれていたのだろうと思っておりました。
おそらくは東証一部上場企業の部長さん、あるいは役員さんであったのかと
勝手に想像しておりました。
築年数はかなり経っているようですが、多分閑静な住宅地にある一戸建ての
広いお庭のあるお宅ですものね。
ケンジの家は父ちゃんがどうしようもないダメ人間で、母ちゃんから顔なじみの空き巣呼ばわりされていました。
ですから父親が亡くなってお骨になって帰って来ても、本当にあっけらかんと
したものでした。
ケンジが父親の遺骨を持ち帰った時、彼氏であるシロさんをひときしり褒めちぎります。しばらくガールズトークで盛り上がってから、母ちゃんはケンジに実家の店を継がないかと打診されます。
シロさんとケンジのカップルも既に50代ですので、親世代も後期高齢者となっています。
ある意味此れから、親の介護の問題が切実になって来るのでしょう。
私がちょっと注目したのは、ケンジが帰宅後シロさんに母ちゃんから美容院を継がないかと言われた話をしたら、しろさんは
「埼玉から仕事に通うのは、ちょっとたいへんかもな。」
と思案しながら答えたのが、ちょっと意外な感じがしたのですが
戸籍上はどうであれ、シロさんにとってもケンジにとっても
お互いがかけがえの無い伴侶であるのは、揺るぎの無いことですものね。
映画にて初めて登場されたケンジの母ちゃんは、鷲尾真知子さんでした。
シロさんのお母さまが梶芽衣子さんであるのと同じくらい
母と息子二人で並んだ姿を見ただけで、親子関係のあり様が思い浮かぶ
ドンピシャの配役であると思っています。
その鷲尾母ちゃんがケンジに言った言葉は
「これからは父ちゃんみたいにひとりで生きて、ひとりで死んで行くひとは
多いと思う。
でもあんたはさみしがり屋だから、今一緒に暮らしている人とこれからも
ずっと一緒なの?」
と問いかけます。
シロさんのお母さまの梶芽衣子さんも、シロさんにとってもケンジは掛け替えの無い存在であるのは、母親として確りと解かっていると思います。
ですが実物のケンジと会った時に、あの50代の髭面のオッサンが
息子の大切な人と紹介された時のショックは、相当のものであったのは
私も分からなくはありません。
もちろんそれを知ったケンジも、深く傷つくのですよね。
そこからシロさんが親御さんに提案した和解案?が、さすが出来る弁護士だと
思わせる提案でありました。
シロさんが最初にご両親と向き合った時に、これから話す事は少々きつい
言い方になるけれど許して欲しいと切り出します。
そして正月には、この家にはもう帰らないと宣言します。
その代わりと言ったら何なのですが、今まで以上に実家には顔を出す様にするからと提案します。
シロさんのお母さまとしては、諸手を挙げての賛成ではもちろん無かったと思います。
ですがシロさんが考えて考えた中で辿り着いた提案ですので、両親としても
受け入れるしか選択肢は無かったと思われます。
後日シロさんは、筧家の肉団子の作り方を教わる為に実家に帰ります。
そしてお母さまから
「あなたは、あなたの家族を一番に」
とのメッセージを受け取ります。
「劇場版 きのう何食べた」のラストシーンはふたりのお花見で幕を下ろします。
お花見弁のメインディッシュは、もちろんシロさん手作りの肉団子です。
お花見の前のシーンでは、あわや美佐子さんとケンジのご対面となるのかしら、なんて予感がしましたが、難なくセーフでした。
シロさんのひとり語りの中で、ただ掛け替えの無いパートナーがいるだけではダメなんだ、職場では信頼出来る仲間たちがいて、偶然出会ったご縁のある人達との繋がりがあるからこそ、確りと生きていけるんだ。
そんな内容の話をされていました。
そして個人的には、美佐子さんのお孫ちゃんの名前が偶然シロさんのお父さまの「悟朗」と命名されたのが、ちょっとニンマリしておりますのよ(^^♪
「きのう何食べた」は同性のカップルのお話だけでは無く、此れから向かうで自らの「老い」の訪れも内包されている様な気がしています。
シロさんとケンジは、親の介護と自らの老いをどの様に受け止めながら生きて行くことになるのでしょうか。
それがどんなに辛い事であったとしても、シロさんの作るフツー食材で調理された、でも確り手間をかけた食事を「いただきます」との言葉と共に
ふたりで出来る、平穏な日常があれば乗り越えられる予感がしておりますのよ。