「ヤクザと家族」テーマ曲のミュージックビデオが公開されました。
本当に重厚な演劇を観ている様な感動を、動画を見る度にかみしめております。
私はその動画を観ておりますと「補陀落渡海」と言う言葉が浮かんで来ました。
とは申しましても、「補陀落渡海」と言う言葉はしばらく忘却の彼方にありました。
でもインターネットのある時代は、本当に便利になったもので
グーグルで「熊野 生きたまま 海」と検索致しますと、すぐに
「補陀落渡海」が出てきました。
「補陀落渡海」とは、修行を重ねた僧侶がわずかな食糧と灯り用の油を携え
小さな屋形船に乗り
(その船は外側から釘を打たれ、二度と外には出られ無い様になっています。)
その屋形船は、海を漂い、最後には命を終えるえる「運命」と
なっているのでしょう。
何故私の中で、「ヤクザと家族」と「補陀落渡海」が結びついたかと
申しますと
組長が納められた白い布の棺と、その組長を父と崇拝する
綾野剛さんが舟に乗っているシーンがあるから、なのかも知れません。
綾野剛さんが、スモークがゆらゆら漂う中で、少し離れた処から
幼子を見守るシーンがあります。
何故か私には、賽の河原で無心に石を積み重ねている
亡くなった愛児を見守る父親の様に思われました。
この動画を撮影された監督さんや、作曲をされた常田大希さんからすれば
そんな意図は無かったですよと、おっしゃるかも知れませんが
優れた表現作品の中には、それを受け取った側の人間が
心の中にずっと気付かずに守り続けていた種を、一挙に殻を破り芽を出す
パワーがある様に思われます。
組長の舘さんの棺を運ぶジルベール航君こと、礒村勇斗君
(ご本人からすれば、今更ジルベールと呼ばれてもねと思われていますよね。
すいません。)
本当に良い表情をされていますよね。
悲しさを前面に出すのでは無く、ある意味これも運命なのだと受け入れつつも
その喪失の大きさを受け止められずにいて
すべて吐き出しそうになる寸前に、やっとの思いでその感情を押しとどめて
いる様に、私には受け取られました。
それらをすべて受け止める綾野剛さんの表情が忘れられません。
わたしにはその映像の綾野剛さんは、実際の年齢よりも随分年上に見える様に思われました。
それが映画の中で綾野剛さんが背負って来られた運命の過酷さの様に
思われました。
この印象深い容貌を拝見しながら、演じる人の素晴らしさは
決して実年齢より若く見える事ではもちろん無く。
皺のひとつひとつに人生を刻み、それを表現する力そのものに
思われました。
何度も綾野剛さんを実年齢より老けて見えると書きましたが
実際に綾野剛さんが実年齢よりも老けている、と言う意味合いでは
ございませんよ。
たぶん照明担当の技術者の方がとても有能で、見る側に自然に年齢を重ねた
綾野剛さんを写し出している賜物であるからこそと、思っております。
ですが綾野剛さんのファンからすれば、実年齢よりもずっと年上に見えると
何度も書かれるのは、気分の良いものではございませんよね。
綾野剛さんのファンの方、いらっしゃいましたら誠に失礼致しました。
本当にごめんなさい。
でも自然体で年上の年齢を演じられるのは、確かな演技力があるからこそと
心から思っています。