我が家の冬の毎年の景色です。
北海道、オホーツク海にある紋別市から送られてきた牡蠣。
道立紋別病院で一緒に仕事をしていた
放射線技師の建田さん。
牡蠣を送ってくれた。

いまも彼は紋別にいる。
殻付き牡蠣が送られてくると
一家総出で牡蠣むき。
嫁さんが娘達に牡蠣の剥き方指導をしている。

さぼっているのは私だけ。
ビールを飲んでいます。
牡蠣の殻むき。
嫁さんが紋別で覚えました。

生のまま剥くのは難しい。

道立紋別病院。
私の大切な思い出。
いつか立派な医師になって紋別の人へ恩返しを。
紋別でまた医師として勤務したい。
そんな夢は結局いまもかなわず。
その後勤務した病院で様々な医療手技を覚えた。
常にすべての手技を自分でできるように。
1人だけでも最高の医療を提供できるように。
紋別病院在職時にこんな事ができたら
患者さんのためになった。助ける事が出来たかもしれない。
こんな事をよく考えていた。
助ける事ができない患者さんがいた。
もっと上手い医師が私の代わりにいたら。
そんな風に考えて自分を責めていた。
忘れません。
私がここにいたから悪いのか。
前任者が医療事故を起こしていた。
教授からは赴任前に
「無理なことはするな、
何もしなくてもかまわないからな。
とにかく危ないことに近づくな。」
そんな指示を受けていた。
患者を目の前にそんな事はできなかった。
地方の基幹病院。様々な患者さんがきた。
胃潰瘍の手術を外科で受けた患者さん。
血が止まらないと連絡を受ける。
肝臓が悪く血が止まらない。
外科の医師はもう無理だからあきらめなよと言う。
全身状態不良。転送もできそうない。
癌の患者でなく消化管出血の患者さんなら助けたい。
内科に転科、治療を行う。
消化器内科の医師は私一人。
内視鏡を行い止血処置を行う。
病院中の血液を集めて輸血。凍結血漿。
出来るだけの治療を行う。何とか出血が止まる。
夜中に再度血が出始めるとまた止血を行った。
止血をして病棟に上げるとまた吐血したとコール。
また止血処置を試みる。
結局血が止まらず患者さんは亡くなってしまった。
朝日が昇るころ患者さんを裏口から見送った。
助けることもできずこの患者さんを苦しめるだけになってしまった。
非難を覚悟した。
明日、医局に移動を願い出ようか。
そうではなかった。職員の方も同僚の医師も。
非難はされなかった。
その後も同じように仕事を続けられた。
みなが応援してくれたような気もした。
職員の方は辞職時に盛大に送別会をしてくれた。
車の中が花でいっぱい。
乗るところがなくて困った。
今でも当時の紋別病院の職員の方とお付き合いがある。
もっとも年賀状だけの付き合いですが。
その後各地の病院で勤務をした。
でも紋別だけは格別。
年賀状を見て新年にまた名前を思い出させてもらえる。
その後も消化器内科の医師として2011-02-01
技術を高めるように努力をした。
完成することはない技術。
結局紋別でまた医師として仕事をする
夢はかなわいような気がする。
最近、私の子は医師になれれば
北海道で仕事がしてみたいと言う。
美味しいものが食べたいという
不純な動機ですが。
旭川医大に入学して紋別に赴任してくれないかな。
そのときは医院を閉めて
一緒に行きたいものです。
紋別港で釣りも悪くないですね。
そのときは料理手伝いますよ。
平原内科消化器科