goo blog サービス終了のお知らせ 

樹の時間

樹木のように ゆっくりと しっかりと 日々を過ごしていきたい

宇宙で見たもの

2006年02月20日 | ひと・言葉
車の中で、とりとめもないことを話しながら小布施へ向かった。
目に映るもの。
最近あったこと。
昔のこと。
そんな中で聞いた話。
母は数日前に、宇宙飛行士の毛利さんのお話を聞く機会があったようだ。


地球から飛び立ち、青い地球全体が見えるようになる。
だんだん遠くなり、どんどん小さくなる地球。
この宇宙の中で、地球はなんてちっぽけなんだろう。

宇宙から見た地球には、人間などは見えない。
むしろ目に入るのは森の緑。
人間は地球上で偉そうに振舞っているけれど、
地球外生物からしてみると、人間の存在など気がつかないのではないか。

もし、地球が夜だけの世界になったら。
国の形がわかるくらいの明かりが灯るだろう。
地球の資源を使って。
昔は火星にも水が流れ、山があったとも考えられる。
いずれ地球が火星のようにならないとは限らない。

宇宙で体の細胞がきちんと機能するかの研究をするために、
毎日顕微鏡を覗く日々を過ごした。
目が疲れたので、休めるために窓の外を見ると
ちょうどオーストラリアが見えた。
さっきまで顕微鏡で見ていた細胞とそっくりだった。
不思議な感じがした。


そんな感じの話を聞いた。
また聞きなので微妙に違うところもあるかもしれないけれど。
雄大な山の中にいると、人間て何て小さいのだろうと感じたけれど、
宇宙規模で感じたこととは規模が違うだろうな。

犬の訓練士

2006年02月02日 | ひと・言葉
知り合いのお父様は犬の訓練士をしている。
以前、近くを通りかかったときに、ちょっと家におじゃましたことがある。

行った時、ちょうどラブラドールの仔犬がいて、無邪気にじゃれていた。まだ何の躾も受けていない仔犬は、嬉しがってじゃれ咬みをした。おじさんは「ちゃんと躾ければ、すぐに咬まなくなる。」と言った。すぐに?どうするのだろう?と思ったら、仔犬がじゃれ咬みした瞬間、口をピシャッと叩いた。びっくりする仔犬。私も驚いた。悪いことをしたらすぐに叱るのが大切だとは聞いたけれど。呆然とする仔犬。おじさんは「悪いことをしたら、すぐに叱らないといけない。しかる時は悪いことをした部分を叩くといい。」と言った。そして、続けて「でも一番大切なのはフォローをしっかりすること。今、叩いたことでこの犬はものすごいショックを受けているから。」と言い、大きな手で優しく仔犬の体をなでた。すると固まっていた仔犬の表情も緩み、また尻尾をふりはじめた。そして、その後は、いくら手を口に近づけても咬むことはなかった。
すごい!プロだ。と思った。本当にすぐに咬まなくなってしまうなんて。

軍用犬などは、とにかくいじめていじめて、フォローもせずに性格をひねくれさせるという。もともとが獰猛な犬を手なづけるのかと思っていたけれど、人がつくりあげるんだ。まるっきり素人の私は、何だかかわいそうな気がした。

おじさんのもとへは、何の躾けもないまま成犬になり、飼い主の手に負えなくなって持ち込まれる犬もいるらしい。そんな時は仔犬のように簡単にはいかず、生傷も絶えないようだ。私の知り合いも父親に習い、学生時代に犬の調教をしたらしい。手には咬まれた痕がいくつも残っている。

人間のように言葉で意思の疎通を図れないのだから、犬の特性を知りつくし、その犬の個性を見抜いて躾けていくのは大変なことだと思う。生き物が相手だし、中途半端な気持ちでは続けられないだろう。
プロとしてその道を歩む人はすごいと思う。
これはどの職業でもいえることだけれど。

そして、小さい頃の躾が大切なのは、人も動物も同じなんだと感じた。
「悪いことをしたから叱ったけれど、大好きだよ」っていうことを伝えることが大切なことも。
同じように生きているんだものね。

誓いの日

2006年01月06日 | ひと・言葉
Sさんという深く心に残る人がいる。
私が今まで出会った中で最も尊敬する人だ。
山を愛し、仲間や家族を大切にする。
優しくて温かく、仲間と楽しく酒を酌み交すのが好きな人。

しかし仕事の時は一変して厳しい一面を見せる。
人にも厳しいが、それ以上に自分に厳しい。
山を甘く見ている者には容赦なく気合を入れる。
人と山を愛するがゆえの厳しさである。

山岳救助という人の命を預かるその仕事に関しては何一つ妥協を許さない。
そして山岳の厳しい自然条件の中、わずかなチャンスも見逃さない判断力と行動力を持ち合わせていた。ある人はそれを天性の才能だと評した。
自分の限界や山の特性を知りぬいた上で挑戦をすることも忘れない。
無謀とは違う、経験から培った判断による挑戦。
まさに命を賭けた男の戦いだと感じた。
そしてそれを支える強い精神力。
強いからこそ真の優しさを持つ。
そう感じさせる人だった。


Sさんが帰らぬ人となって今日で4年。
突然で受け入れがたい現実であった。
しかし、あれからもSさんは心の中にずっといる。
もう二度と会えないことを悲しむよりも、たとえ人生のわずかな期間でもSさんと過ごせたことを誇りに思いたい。
広いようで狭く、狭いようで広いこの世界。
生まれてからこの世を去るまでに、世界中のどれだけの人に出会えるのだろう。
そう思うと、Sさんに出会えたことが奇跡に思える。

でもね。本当は心のどこかで、山へ行ったらまた「おお、樹。来てたのか。」ってひょっこり顔を見せてくれそうな気がしている。
もし出会ったら。
いつSさんに出会っても恥ずかしくない自分でいたい。
今の私は未熟で自分に甘いところだらけ。
一生かけてもSさんのような人にはなれないだろう。
Sさんには人として大切なことを、その姿勢をとおして教えてもらった。
立場や持ち合わせているものは違うけれど、人としてSさんを目標にしたい。
強さと優しさを持ち、真剣に立ち向かい続けたSさんに一歩でも近づけるように日々を重ねよう。
今日はそんなことを心に誓う日。

よき出会いを

2005年12月28日 | ひと・言葉
大好きな相田みつをさんの詩に
「よき出会いを」
という一節がある。
出会いによってその後の人生が変わってしまうこともあるのだから、よい出会いをしたいという内容のものだ。
人はいろいろな人と出会い、少なからず影響を受ける。
せっかくならよい出会いをし、よい影響を受けたいものだ。

自分の子どもに虐待をしてしまう親がいる。
ひどいことをしていると思いながらも、自らを制することができずに虐待を繰り返し、苦しむ人もいる。
虐待することに何も感じていない者もいるのかもしれない。
惜しみない愛を与えるはずの親から虐待を受けた子どもは、愛することを覚えるだろうか。
虐待をする者は、自らも幼い頃に虐待を受けた経験を持つものが多いという。
しかし虐待を受けたものが必ずしもそれを自らの子に繰り返すとは限らない。
どこで違ってくるのか。
その後の人生でどんな出会いがあったか、
大切にされ、人を大切に思う気持ちを知ることのできる出会いがあったか
それが大きいと思う。
出会いによって心に負った傷が癒されることがある。
それまでの人生観や価値観が変わることもある。
出会いによって人は変わることができるのだ。
すべての人に、よき出会いがあることを祈りたい。

いつまでも

2005年12月21日 | ひと・言葉
私は某新聞の詩の欄が好きで、その新聞を読むときは真っ先に詩の欄を見る。

何日か前、確か90歳くらいの女性の詩が載っていた。
病院の先生へのメッセージ的な詩であった。
全部は覚えていないけれど、

私に「おばあちゃん、今日は何曜日ですか?」と聞かないで欲しい
「木村さん、○○の詩は好きですか?」と聞いてくれたら嬉しい

という感じの詩であった。
詩の中の名前の部分や詩人の名前は忘れてしまったけれど、この詩の印象は心に残った。
お年寄りとしてではなく、きちんと一人の人として接して欲しいと感じているのだろう。

そして、その詩を読んだとき、数年前に老人福祉施設で出会った女性のことを思い出した。
その当時、勤務に余裕があったので老人福祉施設でボランティアをしていた。その女性はその施設に入所していた人。新年を迎えたある日、お正月だからちょっとおしゃれをしましょう、と簡単にだけれど化粧をすることになった。私が化粧をしたその女性は、日に当たると体が融けてしまうと思っていて、普段日に当たることを恐れ、決して外へは出ることがなかった。それゆえ、とても色白であり、口紅をさしたとき白い肌に紅が映えた。私は美しいと感じ「すごくきれいですよ。」と言うと、その女性は、はにかんだように微笑んだ。いつまでも女性なのだ。その微笑をとても愛おしいと感じた。そして体力的な衰えを支えるのは当然だけれど、精神的な面では年齢で扱いを変えるのは失礼なことだと感じた。

一人の人として接する大切さ、数日前の詩がその思いを思い出させてくれた。

入口

2005年12月06日 | ひと・言葉
久しぶりに無伴奏を聴いている。
思えばオケに入ってから最初の3ヶ月は定演の曲を、この1ヶ月は第九を毎日聴いていたので、他の曲はかけていなかった。
車の中で聴いた1000人チェロのCDの除いては。
4ヶ月も聴いていなかったのか。
月日が流れるのは早い。

2回目の本番後、打ち上げを兼ねて忘年会があった。
H先生は最初に合唱団の打ち上げに顔を出してから来たので、会場に着いたころはもういい具合に酔っていた。
だいぶ嬉しそうだった。
バスが走ってしまった部分は残念がっていたけれど、総合的には成功だったと喜んでいた。
酔って上機嫌ながらも、今回2週連続の本番といった厳しい日程で予定を組んでしまったことを申し訳なさそうにしていた。
そして「最後のわがままを聞いて。」と切り出した。

オケを指導してくださっているH先生は、かつて東京フィルの主席ヴィオリストだったこともある方で、現在は高校の先生をしている。
その高校では毎年第九を歌っているらしい。
来年は創立100周年。
そして教師として最後の年。
その第九をぜひ、このオケの伴奏で歌いたいというのだ。
「第九は音楽の入口なんだよね。」とH先生は言った。
確かに第九の合唱部分はほとんどの人が耳にしたことがあるだろう。
それを歌えたら音楽がどんなに身近になるか。
弾く側にするとすごい難曲だけれど、音楽全体として考えると親しみやすい曲なのかもしれない。
その後、ある団員が「担任が数学の先生で、大嫌いだったんだけど、卒業してから会った時、自分が第九を演奏することを話すと『そうか!じゃあ俺が歌ってやる』って歌ってくれたんだよね。」と第九の思い出を話してくれた。オケにはH先生の教え子も何人かいる。それぞれが第九に思い入れがあるのだろう。

みんなに音楽を好きになってもらいたい。
オケもレベルに関係なく、音楽がやりたくてオケに入りたい人をどんどん入れたい。
とにかく音楽を楽しんでもらいたい。
というのがH先生の考え方。
普段の指導にもそんな気持ちが表れている。
H先生の人柄に惹かれてエキストラに来てくださる方もいる。
この先生のいるオケに入れて幸せだと思った。

定演後は確かに厳しいスケジュールだったけれど、その分楽しさも2倍だったように思うし、H先生のもとでならへっちゃらと思える。
そんな先生のわがままなら何だって聞いちゃうよ!という気分だ。
大口たたけるほど上手に弾けないけれど、音楽が好きな気持ちは大きくなっていく。

最初

2005年11月29日 | ひと・言葉
スノーボードをする人が少しずつ現れはじめた頃、職場の先輩から楽しいから行こうと誘われた。何事も一度はやってみなきゃ。そう思って次の週末に近くのスキー場に行った。
スキーとは違うバランス。何度も転倒する。上手な人の指導どおりにやっているつもりが転ぶ。転倒する姿を見られるのがはずかしくて「あれ?今、バランスがつかめたと思ったのに。おかしいな。」と、照れ隠しに言葉が出る。そんなことが何度が続いた時、先輩が「初めてなんだから、最初からうまくできるなんて思ってないよ。」と言った。何だかホッとした気がした。
そうだよ。初めてなんだもん。

仕事にしても何にしても、早くできるようになりたい、よりうまくできるようになりたい、と思う。でも、それは私の中では「早くできるようにならなければいけない」という焦りにもつながる思いに変わる。けれど焦る時ほどいい結果は出ない。

その後、何か初めてやるときは先輩の言葉をふと思い出すことがある。
自分を追い詰める必要はない。そう考えられるようになって、昔より力を抜くことができるようになった。(そうは言っても、オケで弾けないところを突きつけられるとやはり焦りを感じるけれど。でも時には必要だろう。)
何気ない先輩の言葉が、ずっと支えになっている。

一生懸命覚えようとしても覚えられないことがあるのに、何気ない言葉や、通りすがりの人の言葉が心に残ることがある。自分にとって大切な言葉は、無意識のうちに心にきざまれるのだろう。

職人さん

2005年11月21日 | ひと・言葉
ローカル紙を見ていた隣のK課長。
「お。地元の人が載ってるぞ。この人知ってるか?」と聞いてきた。
ローカル紙なので割と近いエリアのことが記事になっているけれど、見ると同じ町の人のことが載っていた。私は職場で窓口業務も兼ねていて、その人も何度か訪れたことがあったので言葉を交わしたことがある人だった。その人が職としている分野の職人さんの全国大会で2位になったという記事だった。1位との差はたったの1点。おしい。にわか住人の私だけれど、地元にそんなすごい人がいるなんて何だか嬉しい。同じ町に住んでいるというだけで親近感がわいてしまう。仲良しという訳ではないのに、新聞に載っているのを見て嬉しくなるのは不思議だ。

窓口で会話をする程度で相手の全てを知ることはできないけれど、その話し方、態度、表情などでその人の人柄をうかがうことはできる。優しい感じの人、明るい人、横柄な人、シャイな人。いろいろである。

その職人さんは、優しいけれど芯のとおった声ではきはきと話す人で、言葉使いや対応から誠実で温かい人柄だと感た。
私がK課長に「すごいですね。人柄もいい感じの人でしたよ。」と言うと「そりゃそうだろう。職人は、人がよくなきゃいい仕事なんてできないよ。」と当然のように言った。うん。そうだよね。すごく納得。

大会で競われた技術の中には、今では使われることの少なくなった伝統的な技術もあったという。また新しい職人さんをとおして伝統的な技術が受け継がれていく。それも嬉しい。

おかげさま

2005年11月16日 | ひと・言葉
おかげさま、という言葉。
よく耳にするし、自分でもよく使う。

この言葉の意味については今まで何度か耳にしたけれど、初めて聞いたのは高校生の時。
親戚の法事で和尚さんがお話してくれたのだ。

何か事を成しえたとき、無事に乗り越えた時、もちろん自分の努力もあるだろうが、それは周りの支えがあってこその結果である。表立って支えてくれた人はもちろん、見えないところで支えてくれた人もいる。そんな陰で支えてくれた人。おかげ様。そういう方に感謝を込めて使うものである。
と。

本当に、自分では気づかないところで支えてくれている人がいる。
そういう人の存在を忘れてはならないと思う。
仕事に打ち込めるのも、直接サポートしてくれる仲間の支えばかりでない。
笑顔で帰りを迎えてくれる家族もどれほど心の支えになっていることか。

人間関係はおかげ様であり、お互い様。そう感じる。

再会

2005年11月02日 | ひと・言葉
今までたくさんの出会いがあった。
今年も素敵な出会いがあった。
どれも私にとって嬉しいものであり、
出会った方々からたくさんの元気をもらった。
出会う喜びと同じく、普段なかなか会えない人と再会することもまた嬉しい。

今年の出会いや再会は充実していて書ききれないものがあるけれど、今日はある女性との再会について書こうと思う。

1000人チェロの機会に神戸で再会を果たした方がいる。彼女とは3年前、ある講習で知り合った。東京で行われたその講習には、全国から受講生が集まっていた。4回に渡って行われ、彼女とは最終の講習会で初めて言葉を交わした。とても元気のいい女性であった。ちょっとした話題から私がチェロを弾いているという話になった。その方は「うわー。ええな。私もチェロやりたいの。」と話しており、その日の講習の後、銀座へ楽器を見に行った。たった3日間の講習であったので彼女とはじっくり話をしている時間はなかった。しかし、チェロの話がきっかけで彼女は自分の携帯の番号とメールアドレスを私に残してくれた。とても楽しい方だったので、また話をしたいと思っていた。しかし、長野に戻ってから忙しい日が続き、連絡をとるきっかけを失っていた。その後ものんきな性格が災いして、連絡をとらないまま3年の月日が流れてしまった。なんて失礼な私。でも、彼女のことはずっと心に残っていた。

神戸から来たと話していた彼女。チェロを始めて1000人チェロに出るのが夢だと話していた。1000人チェロの申し込みをしたときから「あの後、彼女もチェロを始めたのだろうか」「彼女も1000人チェロに参加していたらいいな」と思っていて、これを機に彼女と連絡をとってみようと思っていた。
そして神戸に到着した日、彼女にメールを送った。「念願の1000人チェロに参加することになり、今神戸に来ています」と。もう3年も経っているので、アドレスも変わってしまったかもしれない。その不安もあった。しかし、送信後まもなく彼女から返事が届いた。「あの後私もチェロを始めた。それをずっと報告したいと思っていた。神戸に来ているなら会いたい」と言ってくれてた。そして翌日、会うことになった。急に連絡をしたのに、まさか会ってくださるとは思わなかった。お忙しいのに、わざわざ時間を作ってくださったのが嬉しかった。そして「花束をと思ったけれど、ホテル泊まりだし遠くから来ているので、邪魔になってもいけないから花束の代わりに」と言って、ブローチをプレゼントしてくださった。薄い黄緑色のバラ。もう一つ水色のガーベラのような花のものも。彼女の心遣いとともに、とても嬉しい贈り物であった。

相変わらず元気で活発な方であった。3年前の講習を活して仕事を始めたという。その傍ら、より専門的な知識を身につけるため大学で勉強をしている。その行動力はすごいと思った。彼女は何かやりたいと決めたら、まずそのことを強くイメージするそうだ。そして、それに向けて何が必要かを考え、こつこつと夢に向かって準備を始める。決して焦らない。しかし怠けもしない。着実に夢に向かって前進している。素敵だと思う。彼女と話していると、ものすごいパワーを分けてもらっている感じがした。彼女のいうとおりにしていると、本当に夢は何でも叶ってしまうような。そんな気さえしてくる。

「樹さんと楽器を見に行った時、絶対にチェロを始めると決めた。チェロを始められたのは樹さんのおかげ。」彼女はそう話していたが、彼女の行動力を考えると私に出会っていなくてもチェロを始めていたと感じる。
チェロを始めるに際し、まずは移動のために車の免許を取ることから始めたという。そして、お金を貯めて車を買い、またお金を貯めてチェロを購入。そうやって数年がかりで夢に近づいていった彼女。今回はチェロを始めてまだ1年程なので1000人チェロへの参加は諦めたと話していた。次回の1000人チェロではぜひご一緒したい。

いただいたブローチを見ると、神戸での彼女との再会を思い出す。また彼女からパワーももらった気分になる。まずは夢に思うことを強くイメージする。その彼女の言葉を胸に、私も自分の夢を目指そうと思う。