頸肩腕症候群との日々

「けいけんわんしょうこうぐん」とは?「肩こり」レベルを軽く超えています。「目に見えない症状」って意外にやっかいですよ~

空々

2006年09月27日 | 道草


また懲りずに写真ブログと化しております。
最近撮った、初秋の風景をどうぞ。





ねぎ畑の上に広がる空を撮りたくて。
撮ってみたら思ったよりも空が入らなくて残念でした。





朝日に照らされるすすき。

またお目汚し、失礼いたしました。


歩数

2006年09月24日 | 歩数・グラフ
昨日の土曜日までの2週間の平均歩数。約5,000歩。
まあまあの平均歩数・・・かな?
極端に沢山歩いたり、ほとんど歩かなかったりといった片寄りは少なかった。

気候もだいぶ秋らしくなり、雲は天高く、夜には虫の音が聞こえる。
これからは、外を散歩するには絶好の気候・気温だ。
それに、山の幸も海の幸もおいしいものが沢山取れる。
まさに「天高く、馬肥える」季節。
夏に減った体重が少しでも増えるといいな~と思う。(ただし増えすぎは勘弁)
食べて、身体を動かすのが基本だとわかってはいてもなかなか・・・
努力はしよう。
あとは一気に冬がこないことを祈るばかり。

余談。
ふと見たら、今月のブログ更新はかなり怠けていた。
マイペース過ぎ・・・

2006年09月18日 | 頸肩腕





土曜日、何日かぶりで青空を見た。空が高かった。
はるか上空にあるような細かいうろこ雲。すこし大きくなったうろこ雲。
かと思えば、刷毛でさっと描いたような流れる雲。見ていて飽きなかった。

今年の夏は短かった。
梅雨明けは8月に入ってからだったし、暑かったのも9月初旬まで。
台風による影響もあるのか秋雨が続き、朝は寒くて目が覚める。
雨が降ると気温は急に下がり、晴れれば気温が上がる。この時期はやっかいだ。
風邪をひきたくはないけれど、こう温度変化が急激だと身体がついていかなくなる。

頸肩腕だって同じ。
肩や腕の調子は悪くないせいか、このところ服薬だけで湿布薬は貼らずに済んでいる。
これがもっと寒くなってくるようだと、たぶんまた湿布薬のお世話になるんだろう。
数値は順調に上がってきているけれど、痛い箇所が減ったとはあまり感じない。
押されるとやっぱり痛いものは痛い。人混みでは気を使うことに変わりはない。
普段は薬のおかげで、無理さえしなければ(無意識のうちでも)、痛くて仕方ない
状態にはならない。
たまに失敗して、気づかないうちに身体に無理をさせていることがあるけれど。

風邪をひいて寝込まない。(寝込むと色々と面倒)
ストレッチの強化。
この秋の目標。だいぶハードルが低い気がするけれど・・・

診察

2006年09月16日 | 診察
右握力 23㎏
左握力 21㎏
背筋力 52㎏


今回も背筋力は50㎏超。
何かあればすぐに数値はがたっと下がってしまうので、まだまだ手放しでは
喜べないけれど、このまま安定的に50㎏台をキープできればいいな~と思う。
60㎏台は手を伸ばせばすぐ届く位置にあるように見える。
でも、そのわずかな数値の上昇に随分と時間がかかる。
焦っても仕方がない。数値が上昇傾向にあることは間違いない。
少なくとも、去年の今頃よりは伸びている。
地道にやれることをやっていくしかないんだろう。


診察とは直接関係ないけれど・・・
最近ふと気づいたのだけれど、歩く速度が以前と同じくらいに戻ってきた。
一時期症状がひどい時は歩くのもなかなか以前のようにさくさく歩けず、
少しいらいらすることもあった。悪いのは上半身のはずなのに不思議だった。
元々だらだら歩くのは好きではない。割とさくさくと早く歩く方だ。
その日の調子にもまだ左右されるけど、この小さな発見は少し嬉しかった。
ただ、やはり翌日まで疲れをひきずるほど歩くのはよくないとのこと。
気をつけよう。

写真のハイビスカスは今月上旬に撮ったもの。
9月に入っても咲くんだな~と感心していたら、急に秋雨で寒い日が続くように
なってしまった。急激な気温低下は身体にはしんどい。
真夏の暑さも勘弁してほしいけれど、こう寒いと夏はよかったな~などと思う。
人間、勝手なものだ・・・


歩数

2006年09月10日 | 歩数・グラフ
昨日の土曜日までの2週間の平均歩数。約4,900歩。
書き忘れていた、8月の月間平均歩数。約5,700歩。
8月は後半に追い上げた?せいか、だいぶ伸びてきた。
9月もこの調子で伸ばしていきたいな~と思っていたら、最初からつまづいた・・・
調子が悪くて外出できなかった日が何日か。最低記録はなんと400歩。
同時に、久々に1万歩超歩いた日もあって、あまりにも両極端すぎた・・・

*****
カメラを持って散歩していると、つい歩きが遅くなったりする。
それはそれで何か新しいものを発見したり、きれいなものを見られたりするので、
まあいいかなと思うことにしている。
それに、そういう時って意外に歩いているものだ。
家に帰って万歩計を見るとびっくり!ということが往々にしてある。
逆に用事で外出の時は、いくつも掛け持ちでもしない限りはたいして歩数が
伸びない。けっこうこの対比は面白い。

と、ここまで書いて矛盾するようだけど、先日所用で外出した。
家に帰って万歩計を見ると、久しぶりに1万歩を超えていた。
さすがに疲れを翌日まで引きずってしまった。
現在翌日まで疲れを引きずらないのは、1日7,000歩程度。
それを超えるとだんだんと疲れてくるのがわかる。

最近の空

2006年09月09日 | 道草



あなたには何に見えましたか。

わたしには向こうの方にゆったりと泳いでいくエイに見えました。





久々に、ふわふわの羽のように見える雲が撮れました。






秋の気配を感じさせるこの頃です。



空を見ていて面白いと思うのは、全く同じ瞬間はないということ。
ふと見上げて雲ひとつない真っ青な空が広がってるな~と思い、またふと見上げると
今度は風に吹かれた雲が踊っている。
次はどんな表情を見せてくれるのだろうと思うと、もうそれだけで空の見せてくれる
表情に嵌まってしまう。それから、草木を通してみる空もやはり表情が違う。
どんどん嵌まっていくのがわかる。上を見ながら歩いている人がいたらきっと
それは自分だろう。

こんなことは以前はなかったことだ。昼間の空をぼーっと見上げている余裕は
全くなかった。とにかく机にかじりついていた。でなければあちこち呼ばれていた。
雲がどんな形をしていようが関係なかった。
せいぜい、帰りに雨が降るかどうかの心配をするくらい。
夜、仕事で疲れた身体で雨の中を帰るのは、余計疲れがのしかかってくる気がした。

仕事帰り。真っ暗なはずなのに妙に空が明るい。見上げると満月だった。
冬の日、真っ暗な中を白い息を吐きながらの仕事帰りではよく空を見上げた。
白い光を放っている星々を見ていると、仕事であった嫌なことや仕掛中の作業は
忘れることができ、気持ちも少し明るくなって帰ることができた。

今、空を撮ることに嵌まっているのは、きっとこんなことの積み重ねが沢山
あったからなんだろうと思う。
じっくり見ることのなかった昼間の空。
ふっと一息ついていた夜の空。
別に感傷にひたっているつもりはない。
過去を冷静に見つめられるようになってきたから、こんなことも書けるのだと思う。

診察

2006年09月03日 | 診察
右握力 21㎏
左握力 20㎏
背筋力 53㎏


とうとう背筋力が50㎏に到達!!
これはまぐれで、次回はまた落ちる可能性も否定できないけれど、かなり嬉しい。
一気に半日勤務可能目安の60㎏への道が近くなってきた感じがする。
少し浮かれる自分。すかさずドクターから釘をさされる。
(毎回同じような注意を受けてるかもしれない・・・学習能力なし・・・)


悪化していく過程での50㎏台は、まだがんばれば仕事ができるレベル。
本当にがんばって仕事を続けるのがいいのかはわからないけれど。
実際、自分も根性で仕事をしていた。(計測はしていないので推測の範囲)
40㎏になるとレッドゾーン。休業・休養が必要なレベルになる。
クリニックで最初に計測した時の背筋力は10㎏台だったから、一体どこまで
自分の身体に無理を強いていたのだろうと振り返ると、怖くなる。

「知識がない」「知らないということを知らない」のは本当に怖い。

逆に、よくなっていく過程での50㎏台は、悪化していく過程での50㎏台とは違うとの
ご指摘。言われてみればそうだ。
「行きはよいよい 帰りは怖い」みたいなものかなと思う。

今、当時と同じように働けるかと聞かれれば「できません」としか答えられない。
少し身体に無理をさせただけで、1週間程度は反動がきて痛みを我慢するはめになる。
ほんの些細な、「この程度なら大丈夫かな?」と思うような内容でもだ。
だから心当たりがないのに、右上半身が痛くてしょうがないという時もある。
少なくとも数値は落ちてはいないのだから、あまり気にし過ぎないようにしよう。


写真のかぼちゃに特に意味はなかったり・・・
観賞用のミニかぼちゃがかわいかったので。

3年

2006年09月01日 | 頸肩腕
頸肩腕症候群と正式に診断されてから、この9月でちょうど3年になる。
過ぎてみればあっという間だった。
未だに、結果的に3年近くも療養生活をしている気がしない。
去年の今頃も2年経ったことを書いていたはずなので、探して読み返してみた。
「人生はこれからも続く」と最後に書いていた。

労働できないことに対する負い目というか悔しさは未だに抜けきらない。
働いている人たちからすると、自分は優雅に生きているように見えるらしい。
でもそれは外見上の話。
内側には、焦りや不安や理不尽な思いなどを常にかかえている。
働けないと、働けないことに対するストレスもある。これは自分でも意外だった。
それでも、働いていた時よりは格段にストレスのかかり具合が違うのも事実。
だからストレスがなくていいねと言われても、黙って流す。反論できないからだ。
これらは自分のネガティブな部分。自分で消化するしかない。
なんだか原作『ゲド戦記』1巻のゲドみたいだ。
ネガティブな部分に飲み込まれたくはないなと思う。


病気に関することで今まで主にやってきたことや思ったこと。

腕・肩・背中の痛み、手先の痺れ、睡眠障害などなど。
これらの症状と闘うだけでなく、周囲に関心を持ってもらい、少しでも理解して
もらえるよう話したり、動けない状態を見せたりした。
わかってもらえそうにない人には最初から説明するのを避けてしまう。
ずるいようだけど、説明するのには非常に労力がかかる。
相手に関心がなければ説明しても無駄になるだけだ。
それならその分の労力は別なところに割きたい。

また、自分でもこの病気に対する理解をより深めるために(自分が理解していないと
周囲に説明もできない)、クリニックのHPの論文や解説を片っ端から読み、自分でも
参考になりそうな本を探した。
まだまだ勉強は不足しているのだろうけれど。
他には、同じ病気の方や似たような病気の方と交流を持ったり。

同じ病気や似たような病気の方と交流を持つのは、非常に励みになった。
ネット上だけでも、実際お会いした方でもそれは変わらない。

単なる傷の舐めあいではない。
自分だけだと思っていた悩みが実は他の人にもあったという発見や、他の人が
実践されている方法を教えていただいたり、やはり愚痴も言ってしまったり、
病気とは何の関係もない楽しい話もあったり。
自分一人だけで勉強する以上に、他の方との交流は収穫があったと思う。
何よりも、自分は一人ではないという意識を持てたのは大きかった。


「愚痴」を言うことは悪いことではないと思う。
何か問題にぶち当たった時や、やりきれないと思う時に出てくるものだから。
吐き出してすっきりして、また前を向こうと思えるのならば、吐き出したほうがいい。
前を向いて進んだ結果、また同じ位置に戻ってしまったら、少し方向を変えればいい。
視点がきっと違って、何か別のきっかけが生まれるかもしれない。
そういうための愚痴ならばいいのではないかと思う。
逆に、その場に踏みとどまってばかりでぐずぐず言うだけならば、正直あまり
聞きたくはない。何も発展性がないからだ。

どうにもやりきれないから、愚痴を言う。言ったら少し何かしてみる。
その問題にまた取り組みなおすのでもいいし(少し方向を変えて)、全然別のことを
やってみてもいい。
そうやって目の前にある問題が、少しずつでも一気にでも解決したら万々歳だ。
仮に、完全解決はできなかったとしても、その過程で何か得ることはあったはず。
必死にやっていたら、収穫は全くのゼロではないはず。

ぼーっとするのだって、必要なこと。
いかに手抜きするのに頭を使うのだって、今は必要なこと。
無駄・暇に見えることだって、今はたぶん無駄でも暇でもない。
必ずどこかの道に通じていくはず。


3年近く療養生活を送ってきて、なんだかこんな風に思えるようになってきた。
これは進歩?逃げの一手?
この際、どちらでもいいかな・・・
まずは身体を治すことが大事だと思うから。
自分の人生、まだあと何十年かは続いていくはずだから。