ご家族・ご友人・職場の方々など、頸肩腕症候群患者と接する機会がある皆様へ。
少し長くなりますが、一患者よりお話を聞いていただければと思います。
当然、全てのケースを知っているわけではありませんが、頸肩腕症候群患者は
肩こりや腕・肩の痛みなどを我慢し続けて罹患に至っていることがほとんどだと
思います。もしかすると、その罹患過程で仕事に支障をきたすなどのご迷惑を
かけていたかもしれません。
罹患過程・罹患原因や症状(軽症~重症)は人それぞれ異なるため、一概には
いえませんが、少なくとも診断前や診断直後は患者の身体にとって、非常に辛い
時期だということは申し上げられます。
それから、快復過程も人それぞれです。
あの人がこうだったからこの人もこうだろうとは誰も予測がつきません。
患者本人にもわかりません。
お願いできればと思うのは、できれば聞く耳を持って患者の話を聞いていただき、
状況や症状をできるだけ想像していただきたいということです。
人間、自分が経験していないことは想像しにくいものです。
話を聞いてもにわかには信じがたいでしょうし、想像もできないことでしょう。
それでも、話す時の表情や身体の位置の動きなど、言葉以外の見えない言葉にも
メッセージがあります。どうか耳を傾けてみてください。
ある人は痛いそぶりを全く見せずに平然と話すかもしれません。
ある人は痛く辛いのを我慢しているため、ぶっきらぼうな話し方かもしれません。
ある人はわかってもらえないために、ほとんど説明しないかもしれません。
それでも聞いていただきたいのです。
見た目でわかる病気ではないからです。
甘えでこのようなことを申し上げているのではありません。
例えば、その話す相手が「自分は癌だ」と説明し出したらどうなさいますか。
癌専門機関で検査を受けた、そういった方から切り出される話とは受け取るほうも
対応が異なるということは承知しています。
また、軽々しく癌を引き合いに出すなと思われる方もいらっしゃると思います。
頸肩腕症候群は直接死と隣りあわせてはいません。
でも何かの病気であるということは同じです。
そして、確かに命にかかわりはありませんが、この病気はある意味、社会的な死に
直面しているといえるとも思うのです。
治療を受けながら仕事をこなしていても、身体を守るために、残業禁止などの
制約があるかもしれません。
一定期間の休職をせざるを得ない場合、その期間は完全に仕事ができません。
また、復職後すぐに以前と全く同じように働けるわけでもありません。
退職せざるを得ない場合は、完全に仕事から切り離されます。
退職理由も正確には理解されないかもしれません。
どんな理由であれ、療養期間中はどうしても本人に焦りが出ます。
最初はそう見えないかもしれません。
本人も「痛い」「しんどい」が先行してそれどころではないかもしれません。
焦りは療養期間が長引けば長引くほど、強く出てきます。
もう自分は社会復帰できないのではないか、復帰できたとしても以前と同じように
仕事はできないのではないだろうか、自分は社会にとって必要ないのではないか、
そういった焦りが出てくるのです。
ヘタをするとどんどん気が滅入ってきます。
気分転換をすればいいというレベルではなくなっているかもしれません。
患者にはどうか、「なんともなさそうじゃない」「怠けてるんじゃないの?」
「元気?」「元気そうだね」「何もしなくていいなんて羨ましいよ」「気のせい」
などの言葉は投げつけないでください。
一見ささいなこれらの言葉は、時に受け取る側にとっては言葉の暴力となります。
被害者意識で書いているわけではありません。事実です。
挨拶代わりであろう「元気?」という言葉ですら、最初のうちは笑って流せても、
何度も何度も言われると返事のしように困ってしまいます。
誰でも辛いことやしんどいことのひとつやふたつはかかえている、特別扱いしろと
言っているのか、と思われるかもしれません。
でも、そうではないことを知っていただきたいのです。
風邪をひけば、何日か布団に伏せることもあるでしょう。
怪我をすれば、治癒までに痛くて不自由な生活を送らざるを得ないでしょう。
それと似たようなものだとまずは考えていただきたいのです。
そして、もう少し深く長い目で見ていただきたいのです。
患者はその日によって、痛む個所や痛み方が異なります。
昨日はなんでもなさそうだったのに、今日は急に寝込んでいる、ということも
おそらくあると思います。
身体の状態は正直、その日にならないとわからないのです。
本人は全く意図していません。「よし、明日は寝込むぞ」などと。
むしろ、「寝込みたくない」という思いのほうが強いはずです。
日常生活でありがちな行動。
例えば、少し調子のいい日。部屋をきれいに片付けたとします。
おそらくその晩か翌日には、患者は痛みを訴えるか、痛くて寝込むでしょう。
例えば、たくさん料理をした日。
料理を作っただけで疲れきって、食べられなくなります。
何でもなさそうに動いていたから大丈夫ということではないのです。
癌や心疾患・脳疾患など、有名な病名だけが病気の全てではありません。
世の中にはあまり人に知られていない病気も多数存在するのです。
こんな偉そうな文章を書いている自分も、一体どれだけの病気がこの世の中に
存在するのかは知りません。
知らないものに出会った時。
まず冷静に、じっくり話を聞いて知ろうとしてくださると嬉しいのです。
そこから少し想像力をめぐらせていただければもっと嬉しいのです。
身体の痛みはすぐになくならなくても、こころの痛みはなくなるかもしれません。
あなたにお願いです。
あなたの周りに頸肩腕症候群や聞いたことのない病気の患者がいたら、その患者の
体調が許す限り、その人の話を聞いてください。
見せかけ・口先だけの同情はけっこうです。
あなたがそうされたら嫌だなと思うことは、相手にもどうかしないでください。
一方的な言い分で申し訳ありません。
患者は自分の症状を相手にする他に、わかってもらえるか全く不明な周りの方々も
相手にしているのです。
皆辛いのに何故こいつだけが、ではなく、自分がその人だったらどうだろうと、
ほんの少し想像してみてください。
何かが少し変わるかもしれません。あなたにとっても患者にとっても。
長い文章、読んでいただきありがとうございました。
少し長くなりますが、一患者よりお話を聞いていただければと思います。
当然、全てのケースを知っているわけではありませんが、頸肩腕症候群患者は
肩こりや腕・肩の痛みなどを我慢し続けて罹患に至っていることがほとんどだと
思います。もしかすると、その罹患過程で仕事に支障をきたすなどのご迷惑を
かけていたかもしれません。
罹患過程・罹患原因や症状(軽症~重症)は人それぞれ異なるため、一概には
いえませんが、少なくとも診断前や診断直後は患者の身体にとって、非常に辛い
時期だということは申し上げられます。
それから、快復過程も人それぞれです。
あの人がこうだったからこの人もこうだろうとは誰も予測がつきません。
患者本人にもわかりません。
お願いできればと思うのは、できれば聞く耳を持って患者の話を聞いていただき、
状況や症状をできるだけ想像していただきたいということです。
人間、自分が経験していないことは想像しにくいものです。
話を聞いてもにわかには信じがたいでしょうし、想像もできないことでしょう。
それでも、話す時の表情や身体の位置の動きなど、言葉以外の見えない言葉にも
メッセージがあります。どうか耳を傾けてみてください。
ある人は痛いそぶりを全く見せずに平然と話すかもしれません。
ある人は痛く辛いのを我慢しているため、ぶっきらぼうな話し方かもしれません。
ある人はわかってもらえないために、ほとんど説明しないかもしれません。
それでも聞いていただきたいのです。
見た目でわかる病気ではないからです。
甘えでこのようなことを申し上げているのではありません。
例えば、その話す相手が「自分は癌だ」と説明し出したらどうなさいますか。
癌専門機関で検査を受けた、そういった方から切り出される話とは受け取るほうも
対応が異なるということは承知しています。
また、軽々しく癌を引き合いに出すなと思われる方もいらっしゃると思います。
頸肩腕症候群は直接死と隣りあわせてはいません。
でも何かの病気であるということは同じです。
そして、確かに命にかかわりはありませんが、この病気はある意味、社会的な死に
直面しているといえるとも思うのです。
治療を受けながら仕事をこなしていても、身体を守るために、残業禁止などの
制約があるかもしれません。
一定期間の休職をせざるを得ない場合、その期間は完全に仕事ができません。
また、復職後すぐに以前と全く同じように働けるわけでもありません。
退職せざるを得ない場合は、完全に仕事から切り離されます。
退職理由も正確には理解されないかもしれません。
どんな理由であれ、療養期間中はどうしても本人に焦りが出ます。
最初はそう見えないかもしれません。
本人も「痛い」「しんどい」が先行してそれどころではないかもしれません。
焦りは療養期間が長引けば長引くほど、強く出てきます。
もう自分は社会復帰できないのではないか、復帰できたとしても以前と同じように
仕事はできないのではないだろうか、自分は社会にとって必要ないのではないか、
そういった焦りが出てくるのです。
ヘタをするとどんどん気が滅入ってきます。
気分転換をすればいいというレベルではなくなっているかもしれません。
患者にはどうか、「なんともなさそうじゃない」「怠けてるんじゃないの?」
「元気?」「元気そうだね」「何もしなくていいなんて羨ましいよ」「気のせい」
などの言葉は投げつけないでください。
一見ささいなこれらの言葉は、時に受け取る側にとっては言葉の暴力となります。
被害者意識で書いているわけではありません。事実です。
挨拶代わりであろう「元気?」という言葉ですら、最初のうちは笑って流せても、
何度も何度も言われると返事のしように困ってしまいます。
誰でも辛いことやしんどいことのひとつやふたつはかかえている、特別扱いしろと
言っているのか、と思われるかもしれません。
でも、そうではないことを知っていただきたいのです。
風邪をひけば、何日か布団に伏せることもあるでしょう。
怪我をすれば、治癒までに痛くて不自由な生活を送らざるを得ないでしょう。
それと似たようなものだとまずは考えていただきたいのです。
そして、もう少し深く長い目で見ていただきたいのです。
患者はその日によって、痛む個所や痛み方が異なります。
昨日はなんでもなさそうだったのに、今日は急に寝込んでいる、ということも
おそらくあると思います。
身体の状態は正直、その日にならないとわからないのです。
本人は全く意図していません。「よし、明日は寝込むぞ」などと。
むしろ、「寝込みたくない」という思いのほうが強いはずです。
日常生活でありがちな行動。
例えば、少し調子のいい日。部屋をきれいに片付けたとします。
おそらくその晩か翌日には、患者は痛みを訴えるか、痛くて寝込むでしょう。
例えば、たくさん料理をした日。
料理を作っただけで疲れきって、食べられなくなります。
何でもなさそうに動いていたから大丈夫ということではないのです。
癌や心疾患・脳疾患など、有名な病名だけが病気の全てではありません。
世の中にはあまり人に知られていない病気も多数存在するのです。
こんな偉そうな文章を書いている自分も、一体どれだけの病気がこの世の中に
存在するのかは知りません。
知らないものに出会った時。
まず冷静に、じっくり話を聞いて知ろうとしてくださると嬉しいのです。
そこから少し想像力をめぐらせていただければもっと嬉しいのです。
身体の痛みはすぐになくならなくても、こころの痛みはなくなるかもしれません。
あなたにお願いです。
あなたの周りに頸肩腕症候群や聞いたことのない病気の患者がいたら、その患者の
体調が許す限り、その人の話を聞いてください。
見せかけ・口先だけの同情はけっこうです。
あなたがそうされたら嫌だなと思うことは、相手にもどうかしないでください。
一方的な言い分で申し訳ありません。
患者は自分の症状を相手にする他に、わかってもらえるか全く不明な周りの方々も
相手にしているのです。
皆辛いのに何故こいつだけが、ではなく、自分がその人だったらどうだろうと、
ほんの少し想像してみてください。
何かが少し変わるかもしれません。あなたにとっても患者にとっても。
長い文章、読んでいただきありがとうございました。