頸肩腕症候群との日々

「けいけんわんしょうこうぐん」とは?「肩こり」レベルを軽く超えています。「目に見えない症状」って意外にやっかいですよ~

ささやかな主張

2007年11月01日 | 頸肩腕に関する一考察
一患者のささやかな主張です。

このブログを特にご覧いただきたい方は、やはり同じ病気の方。
あなたはひとりではないんです、というメッセージをお伝えしたい。
それから、頸肩腕症候群一歩手前か罹患していても気づかない方。
軽症のうちに気づいていただきたいという思い。
そして、周囲の方々。家族や友人、職場でも。ぜひお願いしたい。
周囲の全くの無関心・無理解は患者に二重の苦痛を与えるから。


それとは別に、このブログは読まなくてもかまわないから「頸肩腕症候群」の
実態を知っていただきたい方々がいる。
非常にささやかな主張。戯言だと流されるだろう。
でも罹患者は重症であればあるほど、言いたくなってくる。

厚生労働省労働基準局。
各都道府県の労働局。
各労働基準監督署。
整形外科医師。

厚生労働省や労働局や労基署の仕事は、労災関係(しかも頸肩腕症候群は少数)
ばかりではないことは百も承知している。
たぶん彼らの仕事上での比率は1%にも満たないだろう。
それでも確実に、業務が原因で罹患する人はいる。
勤務時間中に業務が原因で骨折したなどの、明確な因果関係を立証することが
困難な業務についていた場合、例え業務が原因であろうと、労災認定されない。
仕事が原因ではなく、自分で勝手に罹患したことになってしまう。
何故そのような結論になったかの明確な説明はない。


それに拍車をかけているのではと個人的に思うのは、整形外科での診断。
患者が痛みを訴えて来院した場合、診断過程においてレントゲン撮影などは当然と
納得できる。他の疾患はないか、判断材料が必要だからだ。
写真に写らず他の所見もない場合、頸肩腕症候群と診断されるらしい。

整形外科で診る範囲は広い。
実際、整形外科に行くと様々な症状の人がいる。
結果として忙しい整形外科で、頸肩腕症候群はゴミ箱的診断扱いとなり、せいぜい
リハビリ指示や湿布などを処方して終わる。
原因についての質問は一切ない。職業性の可能性が高いか確認されることもない。
患者はそのまま事実を知らずに放置に近い状態となる。
事実を知りたければ、自分で探すしかない。
何故一言、病院で説明してもらえないのだろう。
ゴミ箱的疾患だからどうでもいいのだろうか。


「少子高齢化で労働力が足りない」と、ここ最近言われている。
頸肩腕症候群に罹患しやすい職種への健康診断を実施し、早期発見ができれば
その分、労働力が減らずに済むのではないだろうか。

専用の健康診断があるのに、専用のガイドラインがあるのに、何故実施したり
周知に努めようとしないのだろうか。
労働人口全体に占める比率は低いからどうでもいいのだろうか。
頸肩腕症候群を含む上肢障害の労災認定基準は旧労働省時代からパンフレットが
変わっていない。
だんだんと労働環境は変化しているのに、何故認定基準はそのままなのだろう。
審査過程にも疑問の余地が残る。
それでも、一度決定したものはよほどでなければひっくり返ることはない。
労働行政に携わる方々はどれくらい罹患の実態・現場を知っているのだろう。
素朴な疑問。


素朴な疑問はたぶんずっと払拭されないだろう。
でも今、何が大切かを考えると、自分に対する答えだけは出る。
自分自身の身体を楽にすること。
痛みも人生もまだ続いているのだから。

昔話シリーズ

2007年05月17日 | 頸肩腕に関する一考察
「昔話1」「昔話2」はあえてコメントできない設定にしました。
現在進行形の話を中心に書いている中で、説明書き以外で罹患前のことについて
触れるのは自分の中で少し違和感があったからです。
それでも突然書こうと思い立ったのは、今現在同じような経緯を辿っている方が
もしいらしたら、自分のようになってほしくないと思っているからです。
2回に渡って、説明書きよりも少し詳しく、自分で思い当たる発症の経緯や原因に
ついて書いてみました。退屈だった方、申し訳ありません。

願わくば頸肩腕症候群罹患者が減りますよう。
誰かひとりだけに負荷がかかる状態は罹患しやすくなると思います。
特に、重症になるまでがんばりすぎないでくださいね。
重症になった者からのお願いです。
こういう話を書けるようになったのも、ある程度の時間が経ったからでしょうか。

昔話2

2007年05月17日 | 頸肩腕に関する一考察
前回、「昔話1」の続きです。


定期的に異動してくる上司は、ほぼ全員がスピードを最重視していた。
そのため、上司からの仕事には速攻で対応することが求められ、どこかでミスが
みつかると速攻で対処しながらの報告も求められた。
誰のミスであろうと、再発防止策を考えるのもたいてい自分に振られた。
上司への「ほう・れん・そう」(報告・連絡・相談)もここで叩き込まれた。
人の分の仕事まで首を突っ込まざるを得ない立場になると、当然自分が担当する
仕事にしわ寄せがくる。ひたすらこなすしかなかった。

たいてい仕事は同時進行しているので、一応の優先順位をつけて終わらせていく。
終わると即座に次の仕事に取り掛かった。「待ち時間」のある仕事ではなかった。
少しでも進めておかないとまたいつ何時突発的な仕事が入ってくるかわからない。
いつでも時間に追われていた。
肩が痛くなろうが腕が痛くなろうが、ただの肩こりの延長と思い込み、病院に
かかろうという認識を持てなかったのはこの辺りにも原因があるのかもしれない。
肩だの腕だの気にしている場合ではなかったのだから。

とにかく毎日が緊張の連続だった。
仕事は速く・正確に・周囲の空気を察知しながら、依頼物(上司や他課、外部)は
優先的に終わらせる、ミスには速攻で対応する。
そんなことは誰でもがやっているだろうと思う。
別に自分ひとりだけが大変だったというつもりは毛頭ない。
自分より大変な仕事の人は沢山いらっしゃるのは承知している。
そういう話は直接・間接的に山ほど聞いていたので、自分はまだましなのだと
思っていた。
ただ、少なくとも自分の周りだけを見た場合、緊張の連続と時間に追われていた
人はどのくらいいただろうと考えてしまう。
(何かを責めたいのではなく、ただの事実)

当時の口癖は、「暇じゃない」や「今日の明日という仕事を持ってこないで」
だった記憶がある。(他にもあったけど)
「暇じゃない」は自分より大変な仕事をしている人の話を聞いていて、「忙しい」
と自分がいうのはおこがましい、と思った結果。
「今日の明日という仕事を持ってこないで」は、本当に急な仕事ならともかく、
早めに依頼できる仕事をぎりぎりまで持ってこないことに対する怒り。

「今日依頼して明日まで」の類の仕事は、忙しい人からの依頼か、暇な仕事の
仕方をしている人からの依頼か、たいていどちらかだったりする。
不満ばかり持っていても仕方ないので、後者からの仕事依頼には必ず早めに
持ってきて欲しいと、そのたびに言葉を変えてはお願いしていた。
わからない人はわからないもので、たいてい同じ人がぎりぎりになってから
依頼してくるというのは結局変わらなかったけれど。

仕事でいっぱいいっぱいな状態になっていっても、気分転換ができていた時期も
あったと思う。今更考えても仕方ないけれど、その当時に肩や腕の痛みについて
どういうことか気づいていれば、結果はまた違ったものになったはずだ。

肩や腕の痛みだけでなく、休日に休んでも全身の疲れが抜けない状態の頃には
本当に何か別のことを考える余裕はなかった。仕事をするだけで終わっていた。
休日はひたすら泥のように横たわって終わっていた気がする。
年間休日は全てを併せても100日を切っていた。
土・日・祝日・夏季休暇・年末年始休暇が普通に取れる会社ならば、それだけで
100日を超える計算になる。
夏や年末年始休暇はあったけれど、土曜営業もしていたので完全週休2日ではなく、
休みのはずの日・祝日も出勤があった。就職してみないとわからないものだ。
その分は一応振替で休みがとれたとはいえ、休みはコンスタントではなかった。
仕事には季節によって波があった。(忙しい、か、ものすごく忙しい)

「後悔先に立たず」とはよくいったものだなと思う。
今思い出しながら書いてみても、何であんなにがむしゃらに仕事をしていたのか
わからない。そういう状況に置かれていたとしかいいようがない。


長々とした昔話を読んでくださった方、ありがとうございました。
随分凝縮して書いたのでこれが全てではないのですが、こんな感じでした。
感傷にひたりたいわけでも、こんなに大変だったといいたいわけでもありません。
余裕のなさは自分の身体の異変を見落とす危険があると申し上げたいのです。
一個人の体験談なので、これだけで決め付けるつもりはもちろんありません。
ただ、「適度」「ほどほど」という言葉とは無縁の世界にいたから、罹患したとも
いえるかなと思います。なかなかそういう性分は抜けないものですね。
今も実感しています。

昔話1

2007年05月15日 | 頸肩腕に関する一考察
あまり昔の話をしても意味はないと思うので、説明書き以外はどちらかというと
現在進行形の話を中心に書いてきました。
ふと、昔の話を書き出すことも悪くはないかなと思い立ったわけです。
(つまり思いつき企画なわけですが)
自分の中での整理と、読んでくださる方にはこんな経過を辿ってほしくはないので
書いてみます。少しでも何かのご参考になれば幸いです。
感傷にひたっているわけではありません。どうぞご了承ください。


子どもの頃から、謙遜でも冗談でも何でもなく、要領が悪く何をするにも遅かった。
(今でもたいして変わらないだろうけど)
親からは「仕事は素早く手早く」と何度も何度も言われてきた。
また、「気が利かない」とも何度も言われてきた。
「気が利かない」のは周りが見えていないので、何をすればいいのかわからないため
とわかったのは就職してからだった。

学生時代にいくつかアルバイトをした。
そのうちのひとつは学習塾の採点。小学生が中心の塾だったので、問題も小学生用。
量が多かったこともあり、採点にはひたすらスピードが求められた。
経理では、2種類の書類を前にして比較しながら不一致箇所にチェックを入れる
「再鑑」という作業がある。
このアルバイトのおかげで、そのような作業は苦ではなく、さくさく進められた。
とはいえ、経理で扱う数字は当然小学生レベルではなかったけれど。

就職して経理部門に配属された新人の頃は、
「経理に必要なのは速さと正確さ。優先順位は、何よりも正確さのほうが上」
と叩き込まれた。
スピードと同時に正確さも求められる。
当初、ケアレスミスが多かった自分は、ない頭で考えた。
ケアレスミスをなくすにはどうすればいいか。
ミスの種類にもよるけれど、ひたすら量をこなして慣れる。
特に、入力作業や再鑑作業においては集中力が必要不可欠と思った。

数字は間違えると厄介だ。
特に最後の帳尻が合わないと、最初から見直し・修正をやらざるをえない。
自分の業務だけでなく全体の見直し作業まで担当するようになると、とにかく
時間がもったいなかったので、集中してスピードアップさせた。
目と手は目の前の書類やパソコンや電卓に集中させ、入力や再鑑作業を行う。
また、何度も見直してから書類を提出するといったこともしていた。
(慣れてきても、これは続けていた。スピードは上がったので問題はなかった)

集中力を高める努力をすると、今度は周りの様子がわからなくなる。
本当に要領が悪かった。
年次が上がるにつれて、いわゆる「分散注意力」も求められるようになった。
ある上司の時にその分散注意力という言葉を初めて聞いた。
分散注意力は集中力を欠くという意味ではなく、目の前の仕事をこなしながら
周囲で何が起こっているかも同時に把握しなくてはならない。
目と手はふさがっているけれど、耳は暇なので、これを最大限使う努力をした。
それと、目の端に映る人の動き。
もちろん最初からできたわけではない。
自分はなかなかできなかったので何度も何度も注意された。
というより怒鳴られていた、のほうが合っていたかもしれないけれど。

要領が悪いのは自覚していたので、ひたすら努力でカバーするしかなかった。
(そうすると努力家といわれる。実際は努力しないと人並みにできない人間)
おかげで目の前のことに集中していても、周囲の空気がおかしい時はそれを
感じ取れるようになった。
(おかしい時というのはミスが発覚したり、クレームになりそうな時、クレームを
つけられている時など様々)

もうひとつ、年次が上がると仕事の量も増えることに気がついた。(にぶい・・・)
自分の仕事だけでなく、後輩指導・後輩の仕事のチェックも当然入ってくる。
新人の頃の先輩方は後輩指導もそっちのけ、優雅に仕事をしているように見えた
ものだが、上司が変わると課内の方針・雰囲気も変わる。
各人の担当分野が新人の頃の上司とはだいぶ異なってきた。
自分の業務も上司直属のものがほとんどになってきた。

また、課内のほぼ全ての業務に精通するようになると、別の仕事も入ってくる。
実務担当として、いくつかある経理部門での会議などへの上司のお供で出張や、
他の何だか特殊な仕事なども振られるようになった。
人間、それなりの仕事内容と量を任されるようになると、何とかそれに応えようと
努力するのではないだろうか。
自分も例外ではなく、がむしゃらにひたすら突っ走っていた気がする。


思ったより長くなってしまったので、一旦ここで切り、後日に続きます。

病気に関する一考察

2007年03月10日 | 頸肩腕に関する一考察
何だかもっともらしい記事タイトルですね~

ここは頸肩腕症候群罹患者が書いているブログです。
でも、色々と自分の病気について調べているうちに、病名は異なっていても
症状が似ている病気がいくつもあることを知りました。

まず、線維筋痛症。
これは、自分は線維筋痛症タイプと診断書に記載されていたことがきっかけで
どんな病気なのかを調べ始めました。
それから、脳脊髄液減少症。
これは名称とその主たる原因や主な症状は以前から知っていたけれど、細かな
ところまでは知りませんでした。
そして、先日TVで見た腱板断裂。これはTVを見て初めて知りました。
予告編では、頸肩腕症候群?と思ってしまうくらい思い当たる節があり、
久しぶりに見てしまいました。詳しくは既に記事(こちら)にしています。
もしかすると、症状が似ている病気はまだあるのかもしれません。

症状が非常によく似ていても、罹患原因など、微妙なところがやはりそれぞれ
異なります。だから病名もそれぞれ異なるのだと思います。
医療の専門知識のないただの患者が、自分で時間をかけて色々と調べたことを
元に書いているだけですが。


頸肩腕症候群の場合は発症の原因は人それぞれ違うものの、思い当たる節は
どなたもお持ちではないでしょうか。
特に意識していなくても、上肢を酷使し続けていることはあります。

線維筋痛症の発症原因は不明だけれど、何らかのきっかけとなる出来事はどうも
あるようです。(「ようです」としか書けないのは原因が特定されていないから)
現在の診断方法としては、あらゆる病気の可能性を消していき、圧痛点検査を行い、
確定診断となるそうです。
つまり、「線維筋痛症」に辿りつくまでには様々な病気の検査を行うわけです。

しかし現在のところ、線維筋痛症は厚生労働省に病気として認定されていません。
そのため、便宜上別の病名がつけられたりすることもあるようです。
一日も早く病気として認定していただきたいと切に願います。
そうすれば、堂々と「病気」として受診できますから。
患者さんはそうでなくても目に見えない痛みや理解のなさに苦しみ、ほんの少しの
温度変化にも敏感になってしまいます。他にも、人によって様々な症状が出ます。

自分のブログにリンクさせていただいている線維筋痛症患者さんは、ご自分の病名を
探し当て、治そうと努力している最中の方や、実際に治した方ばかりです。
頸肩腕症候群患者さんにしても、専門の医師の診察を受けていらっしゃいます。
自分自身も病気の原因については、思い当たる節だらけなので納得していますし、
重症化しているため、治るまでには相当長い時間がかかることも承知しています。
仕事をしながら治療されている方であれば、なかなか治りにくいのも止むを得ない
部分があると想像できます。

頸肩腕症候群は基本的に、上肢の使いすぎが主な罹患原因です。
まず身体を休ませてあげることが一番大切なのだと実感しました。
また、五十肩などと一緒にされがちですが、異なる疾患です。


納得して理解して、自分の病気と向き合い、とことん付き合おうとしている時に
なかなか治らないのはこうだからではないかなどと、その道の専門家以外から
言われてしまうのはどうなのでしょう。
その方に余計な不安を与えることにならないでしょうか。
親切とお節介は、例えば1枚の紙の表裏の関係にあると自分は思っています。

もちろん、ご自分の病名に対して疑問を持っていたり、病名がつかない・もしくは
ついた病名に対して何かしらの疑問を抱いてさらに調べている最中の方に、こういう
ものを見ればお役に立つかもしれませんといった、ご案内程度の提案をすることは
悪いことではないと思います。
何がきっかけでそれまでのもやもやが晴れるか、人によって違うと思いますから。
でも、根本的な医学知識のない人間がいくら説を説いてもあまり意味はないと
感じます。このブログで医学的なことはご紹介程度で留めているのはそういった
意味を含んでいます。
医学的なこと以外で、自分が実際に体験したことは書いていますけれど。


人は「よくわからない病気」にかかってしまった時、その原因は何であるか、
どんな病気なのか、治るのかを、とにかく調べられるだけ調べるはずです。
女優の奈美悦子さんがその典型例として挙げられます。
徹底的に調べて、「掌蹠膿疱症」という病名にたどり着き、専門の医師の治療を
受けることができ、今ではきれいな肌にまで治っていらっしゃいます。
それから掌蹠膿疱症が世の中に知られるようになった記憶があります。
(自分もその時初めて知ったクチです)

辿りついて納得した病名でも、治療法が完全には確立されていない場合もあります。
頸肩腕症候群はその典型例です。
誰かには効く薬が、別の誰かには効かなかったりします。
誰かには有効な受ける治療(鍼灸など)・自分でする治療(ヨガなど)が、別の誰か
にはそうでもなかったり。
(これらは頸肩腕に限らず、他の病気にもいえると思いますが)
ひとりひとりが試行錯誤しながら、頸肩腕という病気と向き合っています。
もしかすると、治療法は患者の数だけあるのかもしれません。
自分が受けている具体的な服薬名や治療をほとんど書かないのも、そのためです。


認知度の低い病気の認知度は上げたい。正確な情報も得てほしい。
頸肩腕に限らず、線維筋痛症も慢性疲労症候群も。その他にも。
でも、認知度を上げるため、情報提供のつもりが実はそうではなく、不安だけを
煽るはめになるのは避けたい。
先日の不幸な事件の報道の仕方を見て、改めて思いました。
ブログという形の個人的な情報発信ではありますが、自戒もこめて。

現在病名に納得して、医師と共に治療法を色々と試している人にとっては、不安を
煽るだけの情報はもはや「情報」とはいえないのではと危惧することもあります。

自分はブログを続けるに当たり、人様の不安を無駄に煽るようなことや、その時に
ネガティブ思考状態で書いたものだったり(たまに落ち込むので)、あまりにも
感情的になりすぎてしまったものは、そのままでは記事としてアップしない、と
決めています。冷静になって推敲しなおします。
その結果、ボツにする記事も当然出てきます。(当たり前ですね)
いくら病人のブログだろうが、書いた本人が読んで嫌だと感じたら、それはきっと
読んでくださる方全員もそう思われるだろうから。
(単に自分がブログを書く上での方針というだけの話です)


無理して色々なことを書いているわけではない。
無理して明るい話題を書いているわけでもない。
誰かに押し付けたくて書いているわけでもない。

ただ、こんな病気も世の中にはあります、似たような認知度の低い病気も沢山
ありますとは書き続けていきたいと考えています。
そして、まずは関心を持っていただきたいのです。

自分のブログ内では重い話題も、記録的要素も、体調を書くだけのことも、
写真掲載だけで終わる記事もごちゃまぜです。
特に重い話題の時は、アップまでには何度も推敲しなおします。
くすっと笑えるようなことがあれば、それも書きたいと思います。
何と言っても笑いは細胞を活性化させますから。それに顔の運動にもなりますね。
そんな様々なことを書いて、共感していただけるのならば、本当に嬉しいです。

逆に、どこかで誰かに自分の考えを押し付ける。それだけはしたくないと思います。
個人の考えを書くのは自分自身のブログの中だけで完結させたいし、仮にそれが
展開するのであれば、自分のブログ内で行うことでまとまった形になるはずです。
そのためにブログというツールが存在するのでは、と思うからです。
考えをまとめていく過程には書く・話すなどがありますが、その一助としても
ブログは有効なはずです。以前、それに挑戦したシリーズもあります。
と、えらそうなこと書いてますが、きれいにまとまっているかは自分でも疑問です。

まだ先の話でしょうが、頸肩腕が治って「ブログを卒業します」宣言をする時に、
何か自分なりにまとまった考えを書ければいいな~と今から夢見ています。
「病気に関する」というよりも、何だか途中から「病気ブログに関する」一考察に
なってしまいました。
長々と失礼いたしました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。お疲れさまでした。

労災

2006年11月11日 | 頸肩腕に関する一考察
今まで現在進行形だったこともあり、労災申請について触れたことはあっても
あまり詳細に記述しないようにしてきた。
特に、労基署で「不支給決定」が下されたことを書いてからは、ブログ中で
自分の労災申請について触れた記憶は全くない。
実は不支給決定後、上位組織に審査請求(不服申立)していた。
先日、審査請求を棄却するという分厚い結果通知が届いた。
この際なので、頸肩腕症候群の労災申請の実態について少し書いてみようと思う。

結論から書いてしまうと、自分の業務量を明確に数値化できない仕事(職種)に
ついては、まず認定されることはないのではないかと実感させられた。
それから、長期療養(重症)の場合も。

もちろん認定されている方もいらっしゃる。
自分の業務負荷についての説明が、相手を十分に納得させる内容ではなかった
だけなのかもしれない。
申請前も申請後も、上肢障害の認定基準を何度も何度も読んだ。
でも何度読み返してみても、それは実態とはかけ離れている内容だった。

労災申請は勝ち負けではないけれど、勝算は最初からなかったのだろう。
それを覚悟の上で自分は労災の申請をした。
罹患の原因は過重業務以外には全くなかったから。申請理由はそれだけだ。
やるからには全力を尽くしたいと思い、資料を大量に作成し、聴取に臨んだ。
そして「認定基準が全て」という認識下での、巨大で厚い壁を乗り越えることは
できなかった。


自分は経理の仕事だったけれど、毎日毎日決まりきったことを繰り返していた
わけではなかった。
というより、毎日異なる仕事が山のように発生し、それが降ってきた。
もちろん、月単位・年単位での自分の仕事も沢山かかえている。

「今日この仕事を片付けなければ明日はまた別の仕事が降ってきて、結果的に
自分自身の仕事がまた進まないかもしれない」という焦りが常にあった。
自分の仕事が進まなければ色々な部署や外部などに迷惑をかけることになる。


ある時は1日中あちこちに電話をかけては話し続け、メモを取り、調整をはかり、
謝罪したり。ある時は提出書類のチェックに追われ、机の前にしがみつく。
ある時は1日中会議や打ち合わせが連続し、対策を練り善後策も考える。
問題が発生すれば対応策を考え、速攻で対処することを求められる。
書類をめくり、電話をかけ、パソコンに向かって案を書き出し、報告する。
突然、この資料を作成するようにと指示されることもしばしば。
即座に帳簿とパソコン画面に向かい、資料作成を始める。
そういう時は、時間との勝負の資料作成が大半だからだ。
日帰り出張がやたらにある時期もあった。

ある時は1日中パソコン画面とにらめっこ。にらめっこするほどにテンキー操作は
早く、正確になっていく。結果的に、時間短縮を図ることができる。
そして、次の仕事にそれだけ早くかかることができる。
修正する時間がもったいないから、早く正確になっていくのが実態だ。
ある時は1日中帳簿とにらみ合い、電卓をたたき、またパソコン画面で操作する。
電卓やパソコン操作後にはその内容チェックが必ず待っている。
支払日前や決算期はその繰り返し。全ての関係書類に目を通し、ミスがあれば
それを見つけ出して修正するのに余計な時間を費やす。
極力そんな時間は少なく抑えたいので、作業は非常に集中力を要する。
ひたすら机の前にかじりつく。残業はあって当然の世界だった。
その合間にはまた打ち合わせが入ったりする。
経理の締切は決まっているので、そのしわ寄せは丸々残業時間となる。
嵐のようなこれらは、業務のほんの一部だ。
一体これらを相手の望むように、どう数値化すればいいのか。
非常に悩んだ。


業務を理解していただくためにできうる限りの資料を作成し、作成できない資料は
資料名を明示してこれをご覧くださいとリストにした。
自分で選んだ道だったけれど、かけた労力と時間は半端ではない。
療養とは正反対のことをしているのではないかと自分でも思うくらい、提出資料や
聴取用資料は作成しまくった。

別に、これだけ労力と時間と自分の身体を犠牲にしたから認定してくださいと
言いたいわけではない。
ただ、日常生活では全く罹患する要因はなかったことと、業務の過重さ以外に
罹患する原因はなかったと断言できる。
だから、「罹患原因は業務によるもの」という結果を求めて必死に資料を作成し、
誠実に聴取に臨んだ。
聴取では重箱の隅をつつくような質問も非常に多くされる。
言葉尻をとらえたような質問もされる。ひとつひとつ、真剣にお答えした。
その結果は冒頭のとおりである。
「不支給決定」「原処分を支持する決定」という結論が先にあり、それに向かって
いるかのような決定通知の内容だった。

「業務外」とするならば、自分の罹患理由が知りたい。
でも通知書のどこにも書かれていない。
日常生活において、上肢を酷使する要素は皆無だったことは、具体例を挙げて
書面でも口頭でも説明した。
業務の過重さについては、過去数年分にも遡り、説明を書面と口頭で行なった。
でもどうやら、重症になるまで病院に行かなかったこちらが悪いらしい。
重症者は業務による罹患だということすら認めてもらえない。
担当調査官・所轄労基署・地域などによってもたぶん差があるのだろう。
それに労災申請するのは何も頸肩腕症候群の人ばかりではない。むしろ少数だ。

ただ、骨折などの目に見える形ばかりが、業務による労災の申請理由ではない。
頸肩腕症候群は圧倒的多数の中での少数派なのだろうけれど、それでも申請が
あることは事実だ。
労災申請対象である上は、頸肩腕症候群についても「正確な知識」を得ること、
「罹患までの実態」をきちんと知ってこその調査・審査になるのではと思う。


「肩凝り」「肩が痛い」で病院に行くという発想がありますか?
巷の薬局には肩凝り対策の湿布や飲み薬が氾濫し、TVでは製薬会社のCMで
「肩凝りにはこれ!」「肩が痛くなったらこれ!」といった宣伝が溢れている。
肩凝り・痛みは日本人の国民病だと広く認識され、自己対処を推奨される。
一体どこに肩凝りで病院にかかるという発想が生まれる余地があるのだろう。
少なくとも自分にはなかった。
そもそも何科にかかるのかすらも知らなかった。
整形外科だということがわかり、かかってみれば「そんな程度でくるな」扱いだ。
他にも様々な症状を扱っている科だから仕方ないかもしれないとは思ってみる。
でも職業的なものか疑いもせず確認もしなかった整形外科に、労災申請用紙を
出すのは非常に気が重かった。


重症になるまで働き続けて罹患した挙句、公的機関では「業務外」と判断される。
一体これをどう受け止めればいいのだろうか。
「頸肩腕症候群」という言葉を知らなかった自分が悪いのか。
「VDT作業」という言葉も知らず、パソコンを使う人向けの健康診断があることを
知らなかった自分が悪いのか。
自己対処ばかりで病院に行くという発想がなかった自分が悪いのか。
そもそも、重症になるまで必死に働き続けた自分が悪いのか。
(正当化や美化したいわけではありません)
申請することで学んだことも、もちろん沢山あった。
しかし覚悟の上とはいえ、労災申請の結果は自責の念ばかり思い起こさせる。


業務による罹患でないと言い切るならば、何故自分は頸肩腕症候群になったのですか?


これが今、一番知りたいことだ。



※非常に長くなりました。
なるべく感情的にならないように気をつけましたが、
わかりにくい箇所や読みにくい箇所がありましたらお詫びします。
また、何かを責めたり、同情がほしくて書いたわけではありません。
事実とそれに基づいて自分が感じたことを書いたまでです。
(その事実も、やはり全部書けるわけではありませんが)
最後に、もうひとつ。
「目に見えない疾患」は本当に不利です。あらゆる場面で。

関連記事:頸肩腕考 2  頸肩腕考 3

名称

2006年11月02日 | 頸肩腕に関する一考察
名称については以前も書いたことがあったと思う。
ずっと気になっていたことがある。
「頸肩腕症候群」と「頸肩腕障害」の違いについて。
非常に些細なことかもしれないけれど、この言葉を知った人に与えるインパクトは
違うのではないのかなと。

たまたまあるHPを見ていた時。
整形外科分野では「頸肩腕症候群」
労働衛生分野では「頸肩腕障害」
と、表記するらしい。

つまり、整形外科的には部位を特定できない不定愁訴に当たるので「症候群」、
労働衛生分野では仕事に差し支えるという意味で、「障害」としたのだろうか。
そのHPでは、理由までは書かれていなかったので、この辺りについては
ただの自分の推測だ。

傍目には「どっちでもいいじゃん」となると思う。
だから非常に些細なことと最初に書いた。
でも当事者からすると、「症候群」と病名についていると、誰かに説明する時の
説得力や緊迫感に欠けるな~と感じる。
今はやりの「メタボリック症候群」と同じようなものだと思われかねない。

メタボリック症候群は病気一歩手前で、放置すれば病気へと進む状態。
つまりその名称自体は病気とは見なされない。
その考え方でいくと、頸肩腕「症候群」も病気一歩手前ということ??
というか、そういうことになってしまう。
実態は、重症者は労働もできずに療養に専念せざるを得ないというのに。
メタボリック症候群はそうではないでしょう?
「名は体を表す」ではないけれど、実に素朴な疑問。
本人も周囲も病気だと認識できる名称になればいいなと密かに願っている。

頸肩腕考 3

2005年10月31日 | 頸肩腕に関する一考察
「職業性頸肩腕症候群を患者の目線から考える」第3弾です。
前回、労災申請にあたっての悩みなどについて触れました。
その続きを書きたいと思います。

労災申請をするかどうか迷っている時、「頸肩腕症候群」での申請において、
何か参考になることはないかと、人事担当者向けの労働基準法解説本など、
労災に関する事柄について記載されている本を図書館で手当たり次第借りて読みました。
書店の棚では自分の知りたい情報を見つけられなかったためです。
結論からいうと、図書館で借りた本で参考になった本はひとつもありませんでした。
弁護士・社会保険労務士などその道のプロがそれぞれ解説しているのですが、
他の労災申請のケースとは異なり、明らかに頸肩腕症候群は軽く扱われていました。

うろ覚えですが、こんな例がある本に載っていました。
社員食堂での会話。
A「Bさん、頸肩腕症候群で労災申請することにしたんだって?」
B「そうなのよ。毎日仕事で入力作業などをやっていたら、腕がおかしくなってしまって」
A「大変だね。認められるよう祈ってるよ」
B「ありがとう。わたしも認められるといいと思う」

・・・労災を申請するほどひどい症状のはずの人です。にもかかわらず、社員食堂で
気軽な会話をしています。
社員食堂にいるということは、仕事を休まず働き続けているということです。
症状が軽症であれば働き続けることはもちろん可能です。
Bさんの症状は勤務時間短縮レベルで、働けない時間部分の申請をしたのかもしれません。
しかし、その会話部分にはそういったことは一切書いてありませんでした。
また、その解説でもBさんがどの程度の症状であるのか知ることはできませんでした。

この事例からも、労災申請における頸肩腕症候群の症状の認知度は相当低いと
受け取れます。
例えば、ただの腱鞘炎のようなイメージを持っているとか。(腱鞘炎の方、すみません)
「ただの肩こりなんでしょ?そんなの誰だってあるじゃない。なんで労災申請?」
と思う方もいらっしゃるでしょう。
名称が「症候群」であること、ある特定部位のみに症状が出るわけではないこと、
レントゲンなど目で見てわかるものではないけれど、患者が痛みなどを訴えるため
「頸肩腕症候群」と一応病名をつけた、この程度ではないかと思われます。
これは職業性に限ったことではないのですけれど。

このような認知度の低さが、労災申請や認定、その後の療養補償請求・休業補償請求の
足かせになっている部分もあるのではないかと考えます。
(この辺りはあくまで自分が勝手に考えていることですが)
労災は認定していただければ解決なのではなく、その後の補償期間に不確定な部分も
あるようなのです。

自分もクリニックの先生やケースワーカーさんをはじめとするスタッフの方々が
いらっしゃらなければ、そもそも「労災申請」という言葉にも出会わず、
申請資料の作成や聴取まで辿りつくこともできませんでした。
本当に感謝しきれないくらいです。

「職業性頸肩腕症候群」は労災申請をする・しない(もしくはできない)という問題が
必ず絡むはずです。
自分の症状は労災申請にあたるという認識を持つためにも(認定はまた別の話ですが)、
また、そこまでひどい症状にならないためにも、もっと「頸肩腕症候群」の認知度が
上がって欲しいと切に願います。

業務が主な原因なのに様々な事情により申請できない方や、仕事以外で罹患された方には
申し訳ない書き方だと思っております。どうかご容赦くださいませ。
この記事も、不適切な箇所がありましたらご指摘いただければ幸いです。

※ひとまずこれで「頸肩腕考」は終わりたいと思います。
また何か考えがまとまったら続きを書くかもしれません。

頸肩腕考 2

2005年10月30日 | 頸肩腕に関する一考察
「職業性頸肩腕症候群を患者の目線から考える」第2弾です。
前回、発症前の立場について書いてみました。
今回は単純作業以外の仕事での、労災申請における悩みなどについて書きたいと思います。
(単純作業を否定するものではありません。犯罪にかかわるもの以外は、全て大事な
仕事と考えています)

ノルマとして1日何百件・何千件と正確に入力しなければならない、荷降ろしや
積み込み作業を毎日繰り返さなければならないなど・・・
これらは比較的量的な結果が目で見てわかりやすく、負荷が増えた時の把握も比較的
容易だと考えられます。

問題は「その作業だけを毎日行う」わけではない仕事の場合です。
自分の話で恐縮ですが(他の方の場合が正確にわかりませんので)、経理は
1日中机に向かって電卓やキーボードの操作をしているだけでは務まりません。
もちろん決算期などは、1日中机に向かっている日が非常に多いことは確かです。
数字が合わなければ、1から全て見直して原因を追求するなど、電卓もパソコンも
帳票も、全て放り投げたいくらいです。
経理の方でしたらおそらく経験のあることだと思います。

ただ、決算期以外の時期や、たとえ決算期であっても「その作業だけを毎日行う」ことは
できないのです。
自分の担当している仕事に加え、何かの打ち合わせ、何かの下調べ、出張、他課からの
依頼物処理などなど。
はっきりいって毎日異なる作業をしていることの方が多いです。
仕事の量・内容に波があり、自分の業務へのしわ寄せもきます。
経理の仕事は単調だというイメージを持たれる方もいらっしゃると思います。
しかし全部署との繋がりがありますし、外部の業者さん等とのやり取りもあります。
極力円滑に仕事を進めるためにも、人間関係や迅速な対応を取れるよう心がけていました。
そんなに気が利く性格ではないのでよけい気を使います。

極端な話と思われるかもしれませんが、ほぼ毎日がサバイバル状態だったのです。
「そんなのは誰でもこなしていることだ。それは単にお前の仕事の要領が悪いだけだ」
と仰る方もおそらくいらっしゃるでしょう。
そういう面も確かにあったかもしれません。
しかし、緊急性を伴う突発事項には速やかに対処する必要があります。
そして対処することによって、また自分の業務にしわ寄せがきます。
「事件は現場で起きてるんだ!」という有名な台詞がありますが、正にそんな状態でした。

腕や肩が痛いのを何年も我慢し続けて発症しました。
仕事以外に上肢を酷使する要素は、自分にはありませんでした。
「自分なんかが労災を申請してもいいものだろうか」と随分悩みました。
自分と同じ経理の仕事の方々や、自分よりも長時間労働でハードワークの方は大勢
いらっしゃるわけですから。
「しんどいのはお前だけではない」と仰る方もいらっしゃるのではとも思います。
それでも仕事が原因で罹患し、快復は数年単位でとらえなければならないとなると、
労災を申請し、罹患の事実を訴えたいと考えます。
ところが前述したような状況下での仕事でしたので、具体的なキータッチ数など聞かれても
答えられません。
認定要件を何度読んでも、単純に自分に当てはめられないのです。
しかも療養期間が長いということも問題視されるのです。
これらは申請当初から何度も指摘されてきました。
むしろ、いくらこちらが仕事が原因ですと訴えても却下される要素の方が強いのです。
だから、ダメもと覚悟の申請になるのです。

それでも、労災を申請できる自分はまだ恵まれているといえます。
(認定されるかどうかは別の問題)
業務が原因であっても会社との関係を考えると申請できなかったり、ハードワークに
加えて仕事以外のこともやらなければならないなど複合的な理由が重なって、申請を
断念せざるを得ない場合もあると思います。

矛盾するかもしれませんが、半年か1年くらいで完治するのであるなら、もしかすると
労災申請はしない方がいいのかもしれません。傷病手当金の支給期間内でもありますから。
その方の状況や判断にもよりますので、一概に何がいいとは自分には言えませんが。

申請資料作成にかける労力・気力は半端ではありません。
健康体での作業ではなく、罹患した箇所である、上肢を使った作業でもあります。
過去の嫌なことも(直接資料作成に関係ないことでも)沢山思い出します。
弱気になって投げ出そうとしたことも、嫌な夢ばかり見ることも、作業しているうちに
涙が出てとまらなくなったことも、自分でも呆れるほどありました。
それでも資料を作成し終えた時に、自分は少しだけ以前より強くなれたかなと思えました。
労災申請をしてよかったと思えた、唯一といってもいい収穫です。
もちろん認定していただき、療養に専念できれば最高です。

※なんて自分は可哀相なんだと感傷に浸って書いているわけではありません。
自分の例を出していますが、あくまで一例です。支離滅裂になっていたり、
不適切なことまで書いていないかなと自問しながら、書いたつもりです。
不適切な箇所がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。

頸肩腕考 1

2005年10月23日 | 頸肩腕に関する一考察
「職業性頸肩腕症候群を患者の目線から考える」の略です・・・
医学的なことについては専門医の先生の解説・論文をご覧ください。

何故「職業性」に限定するかといえば、自分が職業性なのでそうでないケースは
ちょっと書きにくいのです。ご了承ください。
発症の経緯については既に書いておりますので省略します。
発症の原因については人それぞれです。
ひとつのケースとして考えてみた、と捉えていただければ幸いです。

まず、発症する前の立場について書いてみたいと思います。
他の方のお話を伺った範囲でも自分の場合でも、これは共通するかなと思うのですが、
「既にその状況から抜け出すことが不可能(もしくは困難)」なため、
「休みたい」「仕事の負荷を減らしたい」と言いにくく、申し出たとしても、それはまず
無理な相談だと却下されるということが挙げられるのではないでしょうか。
これは特に重症者のケースで考えられると思います。
仕切る立場であったり、絶対的な人数が少なくて負荷を減らしようがないとか、
新規システムの立ち上げに携わっていたり・・・様々です。

例えば・・・
現在の仕事と同時進行で効率化を図るための作業を行う新規プロジェクトがあるとします。
その過程ではむしろ仕事が増え、当然負荷も増します。
それでもやらなければ効率化を図るという目的は果たせませんし、新規プロジェクトが
軌道に乗るまでは現在の仕事も続けなければなりません。
効率化を図るためのシステムを導入しさえすれば解決、と上層部は考えますが、
実際現場で作業する人間にとっては、そう簡単にことは運びません。
どこをどうすれば効率化を図れるか考えて仕様書作成の依頼や打ち合わせから始まり、
実際の新しい画面や帳票類の内容チェック・カスタマイズの依頼、既存データのスムーズな
移管作業。
新システム導入後も問題なく作動するか確認し、作動しなければ問題点を探し出す。
現在の仕事の他にこれらの細かな作業をこなす必要があるのです。
基本的なフォーマットは当然ありますが、会社独自に設定・入力しなければならない
データも何らかの形で必ずあるはずです。
基本フォーマットを全くカスタマイズせずに使えるというケースの方が、おそらく
少ないのではと考えます。
会社全体でのチームはもちろん組むでしょうが、事業所ごとに必要なデータや設定などが
微妙に違い、個別にやらざるを得ない部分があるとしたら?
その事業所で必要なシステムの最終的な青写真を描けるのは自分しかいないとしたら?
(そこでの必要な仕事を網羅して覚えているのはたまたま自分しかいないという状況)
そしてその事業所での作業の中心的な役割を任されたとしたら?
もうやるしかないです。

そしてそれは、頸肩腕症候群への入口のひとつです。