前へ、前へと行こうする気持ちは人一倍あると思っていたけど、それは、挑戦や進化、変容でなく、ただ、自分を落ち着かせたかったからでした。いつも恐れていたし、疲弊していたし、楽しみや喜びは遠いもので、未来に希望を持っていませんでした。それでも、前を、前をと目指したのは、そこに行き着くことができれば、きっとその過程で、色んなことが許され、色んなことを経験し、成長し、そしたらきっと落ち着くこと(安心かな?)ができる、肩の上に感じるこの重苦しさも無くなると思っていたようです。
でも、今日、それが辛くて仕方なくなりました。いや、その辛さを自覚できたというか(今まではマヒしていて)。
私は私自身を認めていないし、責めていて、前へ、前へという気持ちは、自分を罰している現れのようなものでした。私自身を認められるように、好きになれるように、もっと自分を精査しないと、もっと精妙にならないと(まるで機械!! 汗)・・前へ、前へを紐解けば、そういうことだったのかと思います。
そして、もうこのやり方では、いつまで経ってもこの不毛が終わることはない、ではどうすれば良いのかと考えたとき、答えは「立ち止まる」ことでした。私は私自身を認めてないし、受け入れてない。ダメだと思ってるし、すごく落ち度がある、機能不全な人間だと思っているのです。
でも、それを良くしようと努力することはしない。
もう、この全く受け入られない自分のままでいるしかない、と。
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できないし、それしたくないし。
興味持てないし、持ちたくないし。
それを大事だと思わないし、それではいけないと思ったけど、無理だったし。
・・など、「それ」とは世間一般的なことで、私には、そこに興味が持てない、テクニックとしても出来ないってことが割とあるのです。その自分をずっと責めてきたのだろうと思います。でも、仕方ない、それが私なんだものと、立ち止まることにしました。その瞬間はとてもイヤでした。体感としても、何だかゴワゴワした布で、全身を包まれたイヤな感じがしましたもの。
実はこの伏線はあって、先日、とあるドラマを観ていたときに、
「もう、いいんじゃない?」というセリフがあって、その時もね、すごく心に刺さったんですよね。
「もう、いいんじゃない?」・・・そうだねよ。もう、いいよね。
何だか、澄み渡る空のように、そう思えたような気がします。
その時、まるで、ずーっと、ずーっと先にしか存在しないと思っていたことが、今、すでにここにあるという感覚を覚えました。
この一瞬と永遠(ずーっと先)は同じなのだと。
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
今日も皆さんの愉しく、健やかな一日でありますように。