マイストーリー⑥
翌日、バラクが経済関係の会合を、ひっきりなしにこなす中、私はロンドンのある女子校を訪ねた。
政府援助によってイズリントンの貧困地域に設立された中等学校だ。
その学校は、イギリスでいう公営住宅団地、いわゆる「カウンシル・エステート」にほど近い場所にあり、
全校生徒900人のうち実に90%以上が黒人やその他の少数民族だ。
さらに5分の1が移民や亡命者の家庭の子供だという。
私がこの学校を訪れたいと思ったのは、
そのように多様な人種を擁し、財源が乏しいにもかかわらず、学業的に優れている点に惹かれたからだ。
それにファーストレディーとして新しい土地を訪ねるからには、
本当の意味で訪れたいと考えていたからでもある。
つまり、行政の偉い人ではなく、実際にそこに暮らす人たちに会いたかったのだ。
こうした海外訪問では、私はバラクにはない機会がある。
なぜなら、私は彼のように演出尽くしの多国間会議や他国の首脳との食事会に出席する必要がないからだ。
代わりに、堅苦しい公式訪問にほんの少しの温かみを加える方法を見いだすことができる。
私はこのイギリス訪問を皮切りに、海外訪問では常にそれを実践していこうと考えていた。
けれど実のところ、エリザベス・ギャレット・アンダーソン校に到着して講堂に案内されている時点では、
まだ完全には自分の行動がもたらす感情を受け止める心構えができていなかった。
講堂には200人ほどの女生徒が集まり、
まずは生徒代表による歓迎のパフォーマンスを観て、
それから私が講演することになっていた。
この学校の名は、イギリス初の先駆的な女医で女性初の首長にも選出されたエリザベス・ギャレット・アンダーソンにちなんでいる。
校舎そのものは特に何の変哲もない。
ありふれた通りに立つレンガ造りの箱型の建物だ。
けれどステージ上の折りたたみ椅子に腰を下ろして生徒たちのパフォーマンスを見ているうちに…
それはシェイクスピア劇の一場面と、モダンダンス、それにホイットニーヒューストンの曲をアレンジした美しい合唱だった、、
私の中の何かが打ち震えた。
まるで自分自身が過去に向かって仰向けのまま落ちていくような、そんな感覚だった。
講堂に集まった顔を見渡すだけで、はっきりとわかる。
この女生徒たちは優秀にもかかわらず、それを世間に認めさせるために多大な努力をしなければならないだろう。
ヒジャブをかぶった少女たち。
英語が第二言語である少女たち。
さまざまな濃さの褐色の肌を持つ少女たち。
私にはわかる。
彼女の彼女たちは将来、押し付けられるステレオタイプと闘わなくてはならない。
これからずっと、本当の自分を示すチャンスを得るより先に他人から決めつけられて生きねばならない。
貧しいことや女性であること、
有色人種であるために世の中から目を向けてもらえないことと闘わねばならない。
自分の声を取り戻すために、ないがしろにされないために、
叩きのめされれないために、多大な努力をしなければならない。
ただ学ぶためにすら、努力しなければならない。
それでも彼女たちの表情は希望に満ちていた。
そして、今や私の表情も。
それは奇妙な、そして静かな悟りの瞬間だった。
この少女たちはかつての私だ。
そして私は、彼女たちの将来かもしれない。
この学校の内側に脈打つエネルギーは障壁とは無縁だった。
それは、まっすぐに努力する900人の少女たちのパワーそのものだった。
生徒のパフォーマンスが終わり、講演のために舞台に立ったとき、私は自分の感情ほとんど抑えることができなかった。
用意した講演用のメモに目を落とす。
だが、急にそんなものには何の関心もなくなった。
私は顔を上げて生徒たちに向き直り、話し始めた。
自分が遠い国から来て、アメリカ合衆国ファストリレディーなどというわけのわからない称号付けられているけれど、
皆さんが思う以上に皆さんとよく似ていること。
私もまた労働者階級が多く住む地区に生まれ、貧しいけれど愛のある家庭に育ったこと。
早いうちから、学校は本当の自分を確立するための基礎だと気づいたこと。
教育は取り組む価値のある大切なもので、皆さんが世界に飛び出す助けになるのだ、ということ。
この時点で、私はファーストレディーとして2ヶ月を過ごしていた。
その間さまざまな場面で、速すぎるペースに圧倒され、
分不相応な華やかさに落ち込み、子供たちのことで気を揉み、
自分の目指すものに不安を感じていた。
公人として生きること、歩いてしゃべる「国家の象徴」としてプライバシーを犠牲にすること。
そうした暮らしの中には、こちらのアイデンティティーの1部を剥ぎ取るためだけに存在するような瞬間もある。
しかし、今こうして女生徒たちに語りながら、
私はこれまでに感じたことのない純粋な何かを感じていた。
それは、「これまでの私」と「新しい役割」とかぴたり一致した瞬間だった。
あなたは十分な人間なの?、、、
ええ、十分よ。
あなたたち、みんな。
エリザベス・ギャレット・アンダーソン校の生徒たちの姿に感動したことを、私は彼女たちの前で語った。
皆さんはかけがえのない存在です、
なぜならほんとにそうなのだから、
と訴えた。
そして講演を終えたあと、私はやはり本能的に動いた。
手の届く限りの生徒一人ひとりを、ぎゅっと抱きしめたのだ。
(つづく)
(「マイ・ストーリー」(集英社)ミッシェル・オバマ著 長尾莉紗 柴田さとみ訳)
翌日、バラクが経済関係の会合を、ひっきりなしにこなす中、私はロンドンのある女子校を訪ねた。
政府援助によってイズリントンの貧困地域に設立された中等学校だ。
その学校は、イギリスでいう公営住宅団地、いわゆる「カウンシル・エステート」にほど近い場所にあり、
全校生徒900人のうち実に90%以上が黒人やその他の少数民族だ。
さらに5分の1が移民や亡命者の家庭の子供だという。
私がこの学校を訪れたいと思ったのは、
そのように多様な人種を擁し、財源が乏しいにもかかわらず、学業的に優れている点に惹かれたからだ。
それにファーストレディーとして新しい土地を訪ねるからには、
本当の意味で訪れたいと考えていたからでもある。
つまり、行政の偉い人ではなく、実際にそこに暮らす人たちに会いたかったのだ。
こうした海外訪問では、私はバラクにはない機会がある。
なぜなら、私は彼のように演出尽くしの多国間会議や他国の首脳との食事会に出席する必要がないからだ。
代わりに、堅苦しい公式訪問にほんの少しの温かみを加える方法を見いだすことができる。
私はこのイギリス訪問を皮切りに、海外訪問では常にそれを実践していこうと考えていた。
けれど実のところ、エリザベス・ギャレット・アンダーソン校に到着して講堂に案内されている時点では、
まだ完全には自分の行動がもたらす感情を受け止める心構えができていなかった。
講堂には200人ほどの女生徒が集まり、
まずは生徒代表による歓迎のパフォーマンスを観て、
それから私が講演することになっていた。
この学校の名は、イギリス初の先駆的な女医で女性初の首長にも選出されたエリザベス・ギャレット・アンダーソンにちなんでいる。
校舎そのものは特に何の変哲もない。
ありふれた通りに立つレンガ造りの箱型の建物だ。
けれどステージ上の折りたたみ椅子に腰を下ろして生徒たちのパフォーマンスを見ているうちに…
それはシェイクスピア劇の一場面と、モダンダンス、それにホイットニーヒューストンの曲をアレンジした美しい合唱だった、、
私の中の何かが打ち震えた。
まるで自分自身が過去に向かって仰向けのまま落ちていくような、そんな感覚だった。
講堂に集まった顔を見渡すだけで、はっきりとわかる。
この女生徒たちは優秀にもかかわらず、それを世間に認めさせるために多大な努力をしなければならないだろう。
ヒジャブをかぶった少女たち。
英語が第二言語である少女たち。
さまざまな濃さの褐色の肌を持つ少女たち。
私にはわかる。
彼女の彼女たちは将来、押し付けられるステレオタイプと闘わなくてはならない。
これからずっと、本当の自分を示すチャンスを得るより先に他人から決めつけられて生きねばならない。
貧しいことや女性であること、
有色人種であるために世の中から目を向けてもらえないことと闘わねばならない。
自分の声を取り戻すために、ないがしろにされないために、
叩きのめされれないために、多大な努力をしなければならない。
ただ学ぶためにすら、努力しなければならない。
それでも彼女たちの表情は希望に満ちていた。
そして、今や私の表情も。
それは奇妙な、そして静かな悟りの瞬間だった。
この少女たちはかつての私だ。
そして私は、彼女たちの将来かもしれない。
この学校の内側に脈打つエネルギーは障壁とは無縁だった。
それは、まっすぐに努力する900人の少女たちのパワーそのものだった。
生徒のパフォーマンスが終わり、講演のために舞台に立ったとき、私は自分の感情ほとんど抑えることができなかった。
用意した講演用のメモに目を落とす。
だが、急にそんなものには何の関心もなくなった。
私は顔を上げて生徒たちに向き直り、話し始めた。
自分が遠い国から来て、アメリカ合衆国ファストリレディーなどというわけのわからない称号付けられているけれど、
皆さんが思う以上に皆さんとよく似ていること。
私もまた労働者階級が多く住む地区に生まれ、貧しいけれど愛のある家庭に育ったこと。
早いうちから、学校は本当の自分を確立するための基礎だと気づいたこと。
教育は取り組む価値のある大切なもので、皆さんが世界に飛び出す助けになるのだ、ということ。
この時点で、私はファーストレディーとして2ヶ月を過ごしていた。
その間さまざまな場面で、速すぎるペースに圧倒され、
分不相応な華やかさに落ち込み、子供たちのことで気を揉み、
自分の目指すものに不安を感じていた。
公人として生きること、歩いてしゃべる「国家の象徴」としてプライバシーを犠牲にすること。
そうした暮らしの中には、こちらのアイデンティティーの1部を剥ぎ取るためだけに存在するような瞬間もある。
しかし、今こうして女生徒たちに語りながら、
私はこれまでに感じたことのない純粋な何かを感じていた。
それは、「これまでの私」と「新しい役割」とかぴたり一致した瞬間だった。
あなたは十分な人間なの?、、、
ええ、十分よ。
あなたたち、みんな。
エリザベス・ギャレット・アンダーソン校の生徒たちの姿に感動したことを、私は彼女たちの前で語った。
皆さんはかけがえのない存在です、
なぜならほんとにそうなのだから、
と訴えた。
そして講演を終えたあと、私はやはり本能的に動いた。
手の届く限りの生徒一人ひとりを、ぎゅっと抱きしめたのだ。
(つづく)
(「マイ・ストーリー」(集英社)ミッシェル・オバマ著 長尾莉紗 柴田さとみ訳)
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