辻総合研究所ーTsuji Consulting

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フランスボルドー地方のクリスマス(ノエル)

2006-04-27 00:23:52 | Weblog
親友ミシェルの家族と過ごしたフランスボルドー地方のクリスマス

親友ミシェルとはUNESCOのときにであってからの、仲良しだ。

彼女とは、UNESCOで仕事をしていたときにたすけてくれたひとだ。資料をさがしていて、困っていたときにたすけてくれたひとだ。その後、お茶をのもうとしてさがしたら、彼女の同僚からは、彼女は病気だときいた。でも住所も電話番号もきいていないので、
居場所がわからない。しばらくして、病気休暇がおわってから、オフィスへもどってきた彼女はとは、日曜日ごとにあい、映画をみるようになった。それからは、よくわたしの自宅へきてくれて、日曜日の午後、数枚の手紙をフランス語でパソコンを使って清書をしてもらった。当時博士号の一年目で、仕事と学位取得で大変だったわたしは、彼女から気分転換をするたいせつさを学んだ。

その後、1年くらい、バングラデッシュでの現地での調査研究で、途上国へ出発したのは、1997年4月。その後かえってくるまでは、パリには4回くらいかえってきたが、いずれも4-5日、長くて1週間くらいだったため、あまりあえなかった。

彼女は、今でも親友で、1996年からの友情は、9年続いている。
2002年のクリスマスに、彼女の家族をおとずれて、3日くらいとまった。

クリスマスはほとんどの友人がクリスマス休暇で、実家へ帰る。


その後、もう一度、彼女の家をおとずれたのは、母が、パリへきて、博士号取得のために、様子をみにきてくれて、一緒にミシェルの実家と彼女のお母さんにあいにいったのが、2回目だった。
そのころ、博士論文で、マダムニコルという、協力してくれた友人にであって、アルデッシュという、南フランスに位置する、ニコルの家に、論文しあげのために1週間くらいとまりがけでいったときに、ミシェルの家から近い、TGVの駅の、アジャンという駅で、2分くらい車がおくれたので、TGVにのりおくれてしまったので、駅で母とカフェにはいいて、論文の続きをパソコンで、書いたのも今となっては、いいおもいでだ。
フランス人は家庭に友人を招待する習慣が強いが、クリスマスという、日本でいえばお正月の一大イベントのような、家族で過ごすのが習慣となっている行事にあたるクリスマスはあまり、友人はよばないようだ。11年のなかで、フランス人の家には何回かよばれていったが、ノエルをすごしたのははじめてだった。

ノエルの木という、木を半分にきった形をしたケーキ。手作りのケーキだった。
彼女のお姉さん(長女)とご主人が30人くらいの、家族を招待しての、セレモニーだった。
料理も、見事だが、かざりつけも招待客のひとりひとりの名前がかかれてある、木でつくった、手作りの、名札をみて座る。わたしは、ミシェルや、ミシェルの、いとこやミシェルの妹やその相手と、話した。お兄さんとも、おねえさんとも話した。12月25日の夜中すぎまで、お祭りは、つづき、12時をまわると、サンタクロースがやってきて、それぞれの招待客に、プレゼントをおいていく。プレゼントは、わたあしにもおいてあって、名前がかいてあった。子供のころにまだサンタクロースを信じていたときを思い出した。ミシェルの家族も、サンタクロースは本当だと、子供たちには、言っていた。

彼女は6人兄弟の4番目でバランス感覚が優れている。彼女とはいろいろなことを話せる。留学1年目に、パリでフランス人で、一人でも何でも話せる友達を持つことは、とても大事で、落ち込み防止に役立つといわれたことがあるが、ミシェルは私にとって姉のような存在である。

12年のあいだ、法務大臣の秘書をつとめてきただけあって、外交的で、しかも、丁寧ないいまわしや、話しぶりで、相手をけっして不愉快な気持ちにはさせない点は、今でも彼女の魅力だ。法務大臣が日本へきたときも、妻で作家のエリザベート、バダンテールとの日本旅行日程は、彼女がすべて組んだものだと聞いた。私の弟がパリにきたときは、ガイドかわりをしてくれて、凱旋門とシャンゼリゼまで連れて行ってくれたし、母がきたときは、ルーブル美術館まで、連れて行ってくれた。今はパリにもどてきてから、定期的にあっている。





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