辻総合研究所ーTsuji Consulting

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パリの日本伝統文化とお茶会

2006-04-27 00:08:24 | Weblog
パリの日本の伝統文化とお茶会

2003年、春、浴衣を着て、友人宅で、お茶会をすることになった。親友の内藤美知子さんから電話があり、今度友達のところで、お茶会とコンサートをするので一緒にいかないかと誘われた。ゆかたを着てきてくださいといわれ、友人の、小島玲子さんに頂いた花火の浴衣があったので、浴衣を披露するいい機会だと、簡単に承諾したものの、お茶自体本当は、はじめてだった。

テスト前の一夜漬けと同じで、急いで、お茶の本を読み、着物の先生であり、友人の岡部美里さんの電話で浴衣の着付けとお化粧を、お願いして、電話で、やりかたをきいて、着付けをしてもらっているあいだに、お茶碗のもちかたや、まわしかたをおしえてもらうという、それで、いきなり本番で、フランス人にやりかたをおしえることになったというハチャメチャなやりかただった。

パリでは日本の芸者の本やマリーアントワネットの日本の漆器のコレクションがかくれた日本ファンに、売れるように、フランスでは浮世絵が印象派以前からフランス絵画へ影響を与えた歴史があるためか、フランス人の美意識にかなったものが日本文化のあるのか、あるいは、まったく異質のものだからひかれるのか、まだ分析する時間がないが、これからのテーマとしたい。

3時間くらいのお茶会はアパートにジャンバチストという、フランス人の友人に、迎えにきてもらって、座布団とお茶会に必要なもので最小限のものを、風呂敷でつつみ、タクシーにのっていった。美知子さんもゆかたをもってきたので、着物の先生にきつけてもらって、お化粧してもらって出来上がり。

ゆかたと着物の区別や、帯はなぜ前にしないか、うしろだと、大変だろうとか、訪問先の、フランス人の子供に質問された。

花火をあしらったこの浴衣は夏にふさわしく、春だったが、よい天気で、音楽コンサートはバイオリン、ピアノと歌だった。わたしは、十八番の、シャンソンを浴衣すがたでうたった。きかせてよ、愛の言葉を、という、シャンソンだ。

フランス語で、さっきならったばかりの簡略なお茶の方法を説明し、日本人がみたら、きっとわらうだろうとおもいながら、でも入門の入門で、たのしかった。

静か、にというとフランス人は、なかなかできない。正座もつらいので楽にし、質問もうけながらやった。そうでないとフランス人に沈黙というにはつらいだろう。

抹茶と、どら焼き、と羊羹でお茶を頂く。

お茶会のあと、8人くらいだったが、ブーローニュの森を散歩し、日本の映画の撮影かとおもわれたくらいだ。

自宅へかえってから、美知子さんとジャンバチストと一緒に、7区と6区のリュ、ドウ、バックと、サンジェルマンデプレを散歩した。

その後、機会あるたびに、着物、浴衣、お茶、かけものについて、質問をうけているうちに、2003年6-9月まで、友人をたよって、お能の狩野先生の、稽古場をみせていただき、お能を、松隈昌子さんと、花小町だったかとおもうが見に行った。

お茶の師匠である、浜野先生のお母さん、浜野孝子さんは、私の母の同級生のお姉さんという関係で、1ヶ月ほど、東京近郊にあいているアパートにお世話になった。そのときお茶の先生で、アパートのとなりにある、教室をみにいき直接教えていただいた。裏千家流で、ポットを使ってする簡略式だった。浜野孝子さんは、書道が上手で、すばらしい書の作品をみせてもらった。亡くなったご主人と一緒に歌った、民謡大会で優勝した話など、面白かった。最後の日は、屋根から見た花火。きれいだった。


座禅を組みに、これは福井の宝鏡寺へ父といき、1日修行入門をしてきた。何回か父と座禅をしたが、フランス留学も、この座禅で決断したものだ。

三国節はパリでの友人にたのまれて、福井で、近藤みちぇさんのところに泊まったときに、三国祭りで、おしえてもらって、夜踊った。笠をかぶり、日本のお盆では、先祖の霊をなぐさめるために、本来は死者が踊るのだから、顔は隠して踊る、あまり笑顔は似合わないといわれ、おどろいた。

パリでは日本文化、浮世絵、日本語、茶の湯、いけばな、書道、日本料理もこの10年―15年くらいさかんだ。テレビでも日本料理のふぐの紹介、大阪の日本料理店が紹介されるなど、日本への理解が深まることはうれしい。私も、やっとパリへかえったのでこれから日本人であることを誇りにおもって、パリ、フランスで、真の日本の今と歴史を伝えたいと思う。

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