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辻総合研究所ーTsuji Consulting

パリと東京を中心にして素敵な出会いや、いろんな地域の暮らしや文化、経済、新しい夢に向かっての動きをお伝えします。

スリランカ-津波地震復興プロジェクト

2006-04-27 13:15:43 | Weblog
てくてく海岸を歩く一人の女性。スリランカ女性。年代は50代くらいだろうか。
ファチマ、という名前の女性にであったのは、スリランカ、インドネシアの国連のミッションで、コロンボへいったときだ。
3月22日、ミッションの9日目にアポロ病院に急性気管支喘息炎で緊急入院し、その後3月26日に退院できた。その後、コロンボの近くで、そうとおくないところで、被害地をおとずれたいとおもった。1週間くらい休養したのち、まだ健康は100%回復していないのだが、まず、写真撮影と現地のひとにあって話しをしてみようと思った。スリランカでは、ゴール以外には、健康問題のため、ほかの被災地をおとずれることはできなかった。
現場をみないで、プロジェクトを机上で作成したら、国際官僚が、ローマ本部の涼しいオフィスで、コンピューターで、プロジェクトを作成し、現場へ行かない人と同じになるのでは、被災地をみにいったほうがいいというのが、スリランカで活躍している日本のNGOリーダーからの助言だった。

ファチマは、津波地震で、家族もうしない、家もない。毎日海岸を大きな風呂敷つつみを担ぎ、ルンギや、シャツ、ブラウス、よく海岸で外国人がはおっている、おおきな柄の、布地で、外国人がよく、泳ぎの合間にはおっている、おしゃれな洋服がるが、そういったものを、売っている。
グリーンや、赤や、黄色やピンクの布地で、スカートにもできるし、街でも、着ている女性がいる。外国人用のお土産店も津波の被害でなくなった。てくてくと、歩いてく女性が遠くからこちらをみている。最初は不思議だったが、海辺で海をながめて、次の視察場所を検討していた私の、前にきて、にっこりわらった。アシスタントに、中味はなにかときてもらった。彼女はルンギをみせた。きれいな色だった。ピンクの色のは自分用にかい、すると、彼女は、ああ、これで今日のご飯がたべられるわ、といった。きいてみると、すべてを失い、5人いた子供も津波にのみこまれた。ご主人もなくなった。テントでねているが、暑くてねれなし。40度以上なのだ。外でねているといい、津波の被害でこわれたお店に連れていってくれた。あとかたもない。海辺から5メートル。毎日あるき、ひとつでも、うって、いつか海辺沿いのお店を開けたらいいと語った。友人と同僚へのお土産としてかったいくつかのルンギは、将来、どこかで、フェアートレードの、商品になるかもしれないとおもってローマへもちかえった。その後パリの自宅にある。次回日本へ帰国したときに、もってかえることにしょう。300円くらいでひとつのルンギ、スカートで、男性もきている。家できるリラックス用だ。おしゃれにも使いようによっては、使える。


スリランカの海岸は、津波地震災害後にいったときに、自然は美しいが、脅威の前でかたして人間は何ができるのかと思った。スリランカでは、9メートルの津波。ゴールという、南の地方で、すべてのたてものが波につかったと聞いて、町は破壊され、普通の人間の生
活はできないだろう、でもやはり人間はいきていかなければいけないのだから、なんらかの回復力はありのではないかとおもったが、やはりおもった以上に、人間はたくましい。
町も活気をとりもどし、ゴールについたのは夜だったので車のライトで最初の目にとびこんできたのは、テントだった。その後、ごみの山。マーケットらしい、軒先。
海は暗く穏やかだった。翌朝、海岸沿いにたつマーケット。活気があった。4月20日すぎの満月になるとする、新年の、お祝いで、かいものをする、人たちでにぎわっていた。

ゴールでは津波後、3ヶ月たち、外国のNGOがはいって、協力して、現地の住民に、家の修繕、再建を指導していた。現地では、海岸のホテルはほとんど廃業になり、海岸沿いではなく奥にあるホテルはNGOのゲストハウスとなり、外国人スタッフが泊まっていた。

12月26日の時点でとまった、列車。BBCがきて、生存した一人の女性を、インタビューしたと聞いた
私が興味があって、写真をとったのは、破壊後、すげてはめちゃくちゃ、家も家族も財産もうしなって、でも復興、再建にむかうとき、人間は、前向きになり、でも過去はわすれることはできない。事故、災害後、ショック後のいきかたに、興味があるわたしは開発途上国で、内乱、戦争、お金をめぐるごまかし、癒着、など、貧しいひとたちに関わる際のヒューマニズム、それだけでは、解決できない。それから、国際開発、援助を、ビジネスにできるかという問いもでてきた。フェアートレードなどは、フランスでは完全の企業の形でしか存在しにくいし、いくらもうけるかの世界だ。わたしは、日本のNGOは独自な方法で、ビジネスと、ヒューマニズムのあいだで、なにか国際貢献の道はあるとおもっている。日本の援助は、国際機関でもお金を出す国として、有名になっているが、もっと知恵をだして、知的貢献に寄与することができるだろう。あるいは、市民レベルでも経済的貢献をするなら、国際MGOに寄付をする、いらなくなった衣類を預ける、アフリカアジアへ送ることをしているNGOに寄付をする。

国連の、プロジェクトは額が大きい。1億単位で、物事は進められる。人件費が多いのだが、
国連にしかできないことは、各国際機関の、独自なプロジェクトと、国際機関同士の協力とNGOの協力関係で、進められるプロジェクトだろうか。

日本のNGO,は今変わるべき時期にきている。これからは、現地にもいけるリーダー、そして国際会議でも堂々と日本のNGOの代表として、外国語をつかって外国のNGOと交渉できる人材育成が必要かとおもう。そうして初めて、国際的な協力ができるだろう。日本人の感覚では世界がうごいていないことをまずしってほしい。日本文化を相対的にみられるひとがこれから大事だろう。







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