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Nicomachusの園 Ⅲ

2007年度総合倫理の課題とコメント

第四回 柴咲コウもしくは中島みゆき「思い出だけではつらすぎる」と「思い出」の意味をめぐって

2007-05-18 13:34:33 | Weblog
今回は、人気テレビドラマ「Dr.コトー診療所」(原作は山田貴敏による漫画作品)の挿入歌である「思い出だけではつらすぎる」という曲です。中島みゆきが柴咲コウに提供した曲ですが、自身でもアルバムでセルフカバーしています。中島による主題歌「銀の龍の背に乗って」の方は、中島自身が唄っているので、「思い出だけ」の曲はドラマのヒロイン役でもある柴咲にあわせて作曲されたものと考えていいでしょう。

このドラマは、沖縄の離島に赴任した青年医師コトー先生こと五島健介(吉岡秀隆)と彼を助ける島の看護師星野彩佳(柴咲コウ)を中心にストーリーが進行します。医療事故で大学病院を追われてきたという過去をもつコトー先生としだいに彼に理解を示す看護師という関係が、この楽曲の隠された物語の背景になっていると思います。もしこのドラマの背景を考えずにこの「思い出だけ」の歌詞の意味を考えるとほんとうに難解です。


「思い出だけではつらすぎる」

作詞・作曲 中島みゆき


むずかしい言葉であなたの居場所を告げないで さがせないから
風のように距離を 雨のように時を わからせて 呼び寄せて

めぐり会えるまでの古い出来事など忘れましょう 波の彼方へ
さまよった足跡 凍えきった涙 引き潮にまかせましょう

寄り添えば温もりはどこにでもあると思えた
なのに幻はどこにでもあると知ったの

(中略)

大切な何もかも たやすくはさがせないのに
寒いニセモノはどこにでもあると知ったの

思い出だけではつらすぎる 今すぐに抱きしめていて
本当の鍵はただひとつ 永遠にあなたが持ってる

恐れを覚えて 大人になりすぎて
あとわずか爪先踏み出せなくなりそうで

思い出だけではつらすぎる 今すぐに抱きしめていて
本当の鍵はただひとつ 永遠にあなたが持ってる

(柴咲コウのPV動画はこちらから)


中島のアルバム「恋文」には、ここに収録された楽曲の歌詞の英語バージョンが添付されている。それによると、この「思い出だけ」のタイトルは「Kiss Old Memories Goodbye」です。(古い思い出にさよならのキッスを、というような意味でしょうか)どうもこの曲は日本語の方がむずかしくてまるで英語歌詞を日本語に訳したのではないかと思うほどです。

たとえば、「寄り添えば温もりはどこにでもあると思えた」というのは、「I thought that warmth would be everywhere if I could just hug someone」であるし、「あとわずか爪先踏み出せなくなりそうで」は、「So I am unable to muster the little courage I have left to reach out to you」という歌詞である。(「あなたに手をさしのべようとしたちょっとした勇気さえ奮い起こせない」というような意味)

余談ですが、中島みゆきの父親は北海道の産婦人科医で、彼女が大学生の頃若くして亡くなっています。離島の医療問題にも焦点をあてたこのドラマの主題歌を中島が引き受けた意味もそこに隠されているのではないかと思います。では、設問を考えてみましょう。


(設問1)「思い出だけではつらすぎる」という「思い出」とはどんなことなのか。また、なぜ「つらすぎる」のか。

(設問2)「大切な何もかも たやすくはさがせないのに 寒いニセモノはどこにでもあると知ったの」という部分は、どういう意味か。

(設問3)ただひとつの「本当の鍵」とは何を意味しているのか。

森山直太朗「さくら」と「桜」のメタファーについての解説

2007-05-10 00:53:01 | Weblog
今週は生徒大会のために授業がお休みですので、第四回の課題は来週に回します。今回は、第三回の解説だけを掲載しておきます。

森山直太朗の「さくら」は、その歌詞の内容から友との別れを歌ったものであると解釈される。そのためにこの歌を卒業のシーンと重ねてとらえることが多い。たしかにそのまま卒業ソングとしても通用する内容だと思う。しかし、この歌の背景と情景に一貫している「さくら」が舞い散る季節と学校の卒業式とは微妙なズレがある。「さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ」という歌詞の情景を忠実に解釈すれば、これは卒業による友との別れではなくて、さくらの散る季節に転校していく友との別れの方が矛盾がない。だから、別れていく友を見送るのは「僕」ではなくて、「僕ら」なのだという方が意味も通じる。(注1)

しかし、そうした歌詞の厳密な解釈とは別に、この曲のタイトルが「さくら」であり、「さくら」のイメージに友との出会いと別れを重ねて描いていることには変わりはない。つまり、さくらが舞い散る情景が大切な人との別れを演出し、わたしたちの情感を増幅させる役割をはたしているということである。

では、なぜ、わたしたちは「さくら」のイメージから人との出会いと別れという情感にむすびつけられるのだろうか。

森山直太朗の「さくら」は「桜ソング」の元祖とよばれているらしい。なぜか、その後、J-POPの楽曲に「さくら」をタイトルにした、あるいは「さくら」をテーマにした楽曲が数多く登場する。ケツメイシ「さくら」、コブクロ「桜」、いきものがかり「SAKURA」など、さらには今年、アンジェラアキ「サクラ色」がヒットしている。
(「Wikipedia」の解説によると、このJ-POPの桜ソングは「桜が散る時期にあわせて友との別れや巣立つ喜びを歌った卒業歌、恋人との思い出を桜が散るさまに重ね合わせた悲恋歌の二つに大きく分かれる」のだそうだ。)

要するに、対象が友であれ、恋人であれ、大切な人との別れの哀感をよりいっそう「さくら」のイメージが喚起する力を持っているということになる。桜が春になると一斉に花を咲かせ、短い期間咲いた後に散っていく、そういう華やかさと同時に移ろいやすい花のイメージが特別な情感を引き起こすのかもしれない。(注2)

しかし、こういう解釈は少し美的で文学的すぎるきらいがある。「さくら」に込めた思い入れが、「さくら」のメタファーを過剰にふくらませすぎているのではないか。

森山の歌詞には、「刹那に散りゆく運命と知って」とか、「いつか生まれ変わる瞬間を信じて」とか、さらには「永遠にさんざめく 光を浴びて」といったフレーズがさりげなくはさみ込まれている。(こういう「さくら」のメタファーは、かつて軍歌「同期の桜」に歌われたメンタリティとどこかで通底する危うさを感じる。)(注3)

わたしたちが出会いと別れに特別な情感を持つというのは、「刹那に散りゆく」さくらによって喚起されるからではない。友とのつながりも、学校での仲間もかならず別れがやってくる。そしてまた新たな出会いがある。そういう現実に向き合うことで人の人生が刻まれていく。ほんとうはいつまでもいまの日常が続いてほしいと思う。今の友だちといっしょにいたいと思う。しかし現実はそれを許さない。だからこそわたしたちは別れや出会いに特別な情感を持つのである。


森山は、昨年のNHK学校音楽コンクール(中学の部)課題曲に「虹」という曲を提供している。この中で、人の出会いと別れをテーマとして歌っている。


「虹」(作詞・作曲 森山直太朗/御徒町凧)

広がる空に 僕は今 思い馳せ
肌の温もりと 汚れたスニーカー
ただ雲は流れ

きらめく日々に 君はまた 指を立て
波のさざめきと うらぶれた言葉
遠い空を探した

喜びと悲しみの間に 束の間という時があり
色のない世界
 不確かな物を壊れないように隠し持ってる

僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ
雨上がりの坂道
僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ
時は過ぎいつか
 知らない街で 君のことを想っている

風になった日々の空白を 空々しい歌に乗せて
未来を目指した旅人は笑う
 アスファルトに芽吹くヒナゲシのように

僕らの喜びを 誰かが悲しみと呼んだ
風に揺れるブランコ
僕らの悲しみを 誰かが喜びと呼んだ
明日へと続く不安げな空に
 色鮮やかな虹か架かっている

僕らの出会いを 誰かが別れと呼んでも
徒(いたずら)に時は流れていった 君と僕に光を残して

(合唱による動画はこちら


ここでは楽曲「さくら」にあった過剰なメタファーは消えている。出会いと別れ、喜びと悲しみは同義であって、人生の一コマ一コマが虹のように輝いて見える、そういう内容の作品である。おそらく「さくら」で表現したかったことはこういうことなのだと思う。


(注1)学校の桜や桜並木の桜は一様に「ソメイヨシノ」である。3月末から4月初めに一斉に開花する。これは明治期に生まれた新種で、接ぎ木によって全国に広まったからだという。学校にかならず桜が植樹されているのも、明治期の教育政策によるものらしい。(詳しくは、『桜が創った「日本」』佐藤俊樹著を参照)
(注2)古来万葉の時代から桜は歌に読まれてきた。桜の花が散る様をいのちのはかなさととらえる観念は、仏教的無常観が広まった中世以降のことで、もとより日本人の感性に桜と無常が結びついていたわけではない。
(注3)「咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため」と歌う軍歌「同期の桜」に象徴されるように、戦争期に桜に特別な観念が押しつけられた。戦争で死ぬことが桜の花のように散ること(散華)として美化された。

第三回 森山直太朗「さくら」と「桜」のメタファー

2007-04-27 00:16:41 | Weblog
校内の合唱コンクールでクラスで歌う曲がなかなか決まらなかった。わたしは密かに森山直太朗の「さくら」を推奨してみたのだが、支持を得られず結局別の曲に決まった。あとで知ったのだが、森山の「さくら」は中学校の合唱コンでもけっこう歌われているらしい。また、卒業式で歌いたい歌の中にも出てくるほど人気曲なのだそうだ。

わたしがこの曲を推奨したのは、たまたま昨年、NHK学校音楽コンクールでこの曲がアトラクションで使われているのを見たからである。このときの松下耕編曲の楽譜を手に入れ、混声四部合唱でのハーモニーを聞きたいと思ったからだ。

森山の「さくら」には、宮城県立第三女子高等学校合唱部のバックコーラスが入る「さくら(合唱)」もリリースされている。(ちなみに宮城第三女子高校は全日本合唱コンクールの金賞校である。この「さくら」を自分たちの持ち歌にして手放したくないというほどほれ込んでいたという。)

さて、本題に入りたい。第一回の解説にも書いたが、わたしたちが「出会いと別れ」に特別な情趣や情感を持つのはなぜなのか、この森山直太朗の「さくら」を素材として考えてみたい。


さくら  作詞 森山直太朗・御徒町凧 作曲 森山直太朗

「僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる

さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻
変わらないその想いを 今

今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉
移りゆく街はまるで 僕らを急かすように

(中略)

さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく 光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で」

(歌詞はこちらから。動画はこちらから)

(設問1)「僕らはきっと待ってる」で、「僕」ではなく「僕ら」としたことの意味上のちがいは何か。

(設問2)「変わらないその想い」とは、どのような「想い」か。

(設問3)この曲で「さくら」のイメージがどのような情感を引き出していると思うか。


コブクロ「蕾」と母の物語についての解説

2007-04-26 22:29:33 | Weblog
コブクロの曲「蕾」では、母(オカン)を「蕾」に喩えていると言うが、イメージ的には少し無理がある。「蕾」から母を想起するというのは一般的ではないからだ。かりに、冬の寒さに耐え抜いている「蕾」の姿を「意味的」に苦労をいとわない母の像と重ねるという解釈もできないわけではないが、そういう意味的な比喩が「蕾」でなければならない理由はない。

やはりこれは、作者である小渕の個人的な経験でしかないのだろうと思う。つまり、コブクロの小渕が、亡き母と歩いた桜並木の「蕾」を見るとき、母の姿を想起する、そういう個人的な経験の歌なのである。

だから、わたしたち聞く者が作者の「蕾」に対する思いや母の物語を共有するというのは無理がある。(そういう意味では、この「蕾」に託した母の物語はあまりに私的で、「蕾」から母を想起させるということには失敗していると思う。)

しかし、それでも作者の「蕾」に対する思い入れや母への思慕の念は伝わってくる。それは作者の亡き母への思いがある普遍性をもって伝わってくるからだろうと思う。

「散り際に もう一度 開く花びらは あなたのように
聴こえない 頑張れを 握った両手に 何度もくれた」

こういうフレーズは過剰に美化されすぎていて、へきえきするという人もいるだろう。実際に、自分の母親が存命ならばちょっとひいてしまうかもしれない。しかし、これが亡き母への思いであり、母の物語が込められたものならば、けっして過剰なものではない。なぜなら、わたしたちは作者の思いを追想することによって、ある理想化された母の像に共感できるからだ。

それにしても、若いJ-POPのアーティストが母をテーマとするのはむずかしい。ほとんどの者にとって、母なる存在は思慕するよりも自分にとっての桎梏であり、そこから逃れ乗り越えるべき存在だから。「東京タワー」の作者であるリリー・フランキーも、母を亡くしてはじめて母親の半生を書きつづることができた。そういう意味では、若くして母を亡くしたコブクロの小渕の経験があってこそ可能であった作品であると言えるのではないだろうか。

レミオロメン「3月9日」と「旅立ちの日に」の共感についての解説

2007-04-19 12:26:31 | Weblog

合唱コンクールというと、クラスでひとつの曲を仕上げて行くにはけっこう苦労がいる。なかなか練習に集まらなかったり、声がそろわなかったりして不協和音も生まれる。それでも生徒たちが熱中するのは、学校でみんながひとつのことに取り組むという機会はそうないからである。もちろんそういうのが苦手だったりきらいな生徒もいるわけで、みんなが熱中しているわけではないのはわかっている。それでもクラスでひとつの曲をみんなで苦労して仕上げたことの達成感は大きい。



合唱の特徴は、声質も声域も異なる音(声)が重ね合わされてひとつの音として表現されることにある。自分の声が他者の声と重なって、全体の音声がまた別次元の音声となって返ってくる。この過程が、いわゆるハモりということなのだろう。そういえば、だれかが、「旅立ちの日に」は歌詞ではなくて、ハモるところがグッとくるのだ、というようなことを言っていた。「共感」ということを分析すれば、合唱は、言葉が喚起するイメージよりも、このハモりの感覚の方が大きいのかもしれない。自分の声が他者の声と重なって、全く別な音声となって返ってくる、そのような感覚が「共感」を構成するというのだ。



「ハーモニー」というと、古代ギリシア人の理想が「ハルモニア(調和)」であった。この理想的に調和した世界がコスモス(宇宙)というものだった。(コスモスの反対、カオス(混沌)はつまり調和しない世界ということである)実は、古代ギリシアの劇で、役者と観客を結び、劇世界の展開を導き出すのが、舞踊合唱隊(「コロス」…コーラスの語源がこれ)であった。古代ギリシアの人たちは、コロス(合唱)が劇世界の調和と不協和を創り出し、観客を劇世界へと導く担い手であると認識していたのだと思う。



わたしたちもまた、合唱において混沌としたカオスから調和した音声(ハルモニア)を創り出したときに美を感じ、共感するのかもしれない。



もちろん言葉が喚起するイメージの力も無視できない。みなさんも指摘しているように「旅立ちの日に」の歌詞は、過去を振り返りながら、未来へ向けて前向きに進んでいこうとする気持ちを表現している。しかし、言葉に対するイメージや認識はみな同じというわけではないだろう。



昨年、授業で「Believe」(杉本竜一作詞・作曲)を取り上げた。小中学校で合唱コンや卒業式でもよく歌われる人気曲である。この中で、こういう一節がある。


「たとえば君が 傷ついて
  くじけそうに なった時は
  かならずぼくが そばにいて
  ささえてあげるよ その肩を」



こういう言葉に共感するこどもたちなら「いじめ」もなくなるのではないかと書いた。すると、ある人から「それは甘いのではないか。いじめっ子なら、こころ中で舌を出しながら歌っているのではないか。」と言われたのである。たしかに現実の世界と歌の世界はちがう。現実は歌のように理想的でもきれい事でもいかない世界だ。それでもわたしはこの歌の世界、言葉の力を信じたい思いにかられる。



さて、レミオロメンの「3月9日」の方であるが、 このフレーズは実にうまいと思わずにいられない。



「瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう」



まぶたのうらにあなたがいることで、わたしが強くなれるとは、自分がひとりではないということだろう。人はだれもひとりでは生きていけないのだから。大切な人がいるということが生きる支えになる。そして、「私」もその人の支えになれるような存在でありたいと。こういう関係性をそのままストレートに言葉にして表現している歌はほかにはない。



「新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと」



このメッセージはなるほど卒業式のイメージと重なる。出会いと別れ、そして新たな出会いと新しい生活への期待と不安がそのまま卒業する生徒たちの思いと重なる。だれにも人生の中で出会いと別れがあり、新しい環境への期待と不安が訪れる季節がある。それにしてもわたしたちはこういう出会いと別れにどうしてこんなにも情趣や情感を感じてしまうのだろうか。それについてはまた検討してみたい。