ディスカスな休日 自転車編

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史跡ポタ「どうする家康 (17)(18) 」三方原~浜松城

2023-10-13 03:50:00 | どうする家康
シリーズで史跡巡りしようと思っていたのだが。

既に10月、番組での家康は岡崎/浜松/駿府を離れ関東へ。

もうシリーズとは言えないが、5月に放映された三方原古戦場から浜松城へのポタ。

我が家から西へ10km程の三方原古戦場


番組では確か三方原台地を見渡すCG場面があったかと。

少しばかりの高台から見渡すと


今は霊園、惨敗の徳川軍のCG場面が思い浮かぶ。

どのようなルートで浜松城へ逃げ帰ったか定かでないがほぼ直線の最短で。

途中の茶店で小豆餅を食べたと言われる由来の町名「小豆餅」


武田軍追手の気配から代金を払わずに逃げ茶店の老婆に銭を払わされた言われる「銭取」


そもそも命からがら敗走しているのに小豆餅を食べている場合か、

2km程走って老婆に追いつかれる様ではとっくに武田軍にやられているだろうに。

まっ、そんな野暮な事は考えずに。

夜の暗闇に布の橋で武田軍を誘い崖へ突き落したと言われる町名「布橋」


そしてその崖での合戦場「犀ヶ崖」


「犀ヶ崖」は三方原台地が水蝕によって亀裂陥没して出来たとの事、かなり深い。


三方原合戦場から南へ約10kmの浜松城へ。


天守閣から三方原合戦場方面を眺める


もっとも家康が当主だった頃は天守閣は無かったとの事。

城内(館内)に家康の肖像が有り、なんかイメージが違うなって感じ。


大河ドラマ館へ


入場すぐにあった門は期待させたが、800円の入場料は高過ぎだよね。


浜松城の前身 引間城(曳馬城)跡、東照宮へ。


なんと豊臣秀吉16歳頃に引間城で使えた事があるとの事。


ほんまかいな、と思いながら今回最後の史跡へ。

浜松八幡宮境内にあるクスノキ「雲立の樟」


敗走の家康が武田軍からこのクスノキ根元に身を隠したとの事。

身を隠すにはちと小さく、浜松城への敗走ルートとしてはちと寄り道かな。

そんなかんなで久しぶりの史跡巡りのルートはこちら

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