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癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

★【横浜・小学生列に車】・・・・・・「横転車の下敷き、血だらけに…」⇔1名死亡11人負傷

2016年10月28日 15時16分35秒 | 事 故

  

◇集団登校中の小学生9人が被害 11人が軽傷

 横浜市港南区で28日、集団登校中の小学生9人が車3台の事故に巻き込まれ、1人が亡くなった。朝の通学路は突然の事故に駆けつけた大人たちの悲鳴が響きわたり、騒然となった。28日午前8時ごろ、横浜市港南区大久保1で車3台が絡む事故があり、はずみで軽トラックが横転し、集団登校中の小学生9人を巻き込んだ。
神奈川県警港南署によると、うち男児1人が軽トラックの下敷きになり、搬送先の病院で死亡が確認された。横浜市消防局によると、他の児童8人を含む11人も病院に搬送された。11人は軽傷とみられる。

 事故現場のすぐ近くに住む男性(72)は「ドーンというすごい音」に驚いて外に出た。男児が横転した軽トラックと交通標識のポールの間に挟まれ、出血していたという。集まった大人たちが軽トラックを起こすと、更に子供2人が倒れていた。間もなく夫婦とみられる男女が駆けつけ、女性が泣きながら子供の名前を呼んでいたという。(毎日新聞抜粋)

     
1列に左側歩道を歩いていた小学生の列に飛び込んで来た軽トラックに轢かれ6歳の命を奪ってしまった、11人は幸に軽傷で済んだ。
軽トラックは87才の男の運転していたと言うが、一方通行の道路で道幅の改良を考えていたようだが、前方を走行していた車に追突した事が要因の様だが調査中と言うが、多分軽トラックのスピード出し過ぎで「車は急に止まれない」ことによる要因が考えられる気がする・・・


ドライバーは87才と言う年寄りの運転も気にかかる、十分気を付け運転しなければならない道路であったことは確かの様だ・・・亡くなった子供がクリスマス等を間近に控えどれ程悔しかったことだろうと・・・・合 掌                                   


★【三笠宮さまがご逝去】…100歳、昭和天皇の末弟

2016年10月27日 11時20分44秒 | 安全

                      

三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)親王殿下は、27日午前8時34分、東京都中央区の聖路加国際病院で逝去された。

 100歳だった。昭和天皇の末弟で、天皇陛下の叔父にあたり、明治以降の皇族では最長寿だった。皇位継承順位は第5位。葬儀は文京区大塚の豊島岡墓地で営まれる見通し。

 三笠宮さまは2012年7月、96歳で心臓の僧帽弁を形成する手術を受けられたが、つえをついて歩けるまでに回復。15年12月には100歳の誕生日を迎えられた。港区元赤坂のお住まいの宮邸で百合子さまと過ごされていたが、今年5月、急性肺炎で、同病院に入院。肺炎は治ったが、心臓機能に低下がみられ、入院を続けられていた。(読売新聞)

 三笠宮さまは1915年(大正4年)12月2日、大正天皇と貞明皇后の第4皇子として誕生。学習院中等科4年を修了後、陸軍士官学校予科に進み、太平洋戦争中は陸軍参謀などを務め、中国・南京への赴任も経験された。

 35年12月に三笠宮家を創設され、41年10月には高木正得(まさなり)子爵の次女、百合子さまと結婚。寛仁さま、桂宮さま、高円宮さま、近衛寧(やす)子(こ)さん、千容(まさ)子(こ)さんの3男2女をもうけられた。寛仁さまは2012年6月、桂宮さまは14年6月、高円宮さまは02年11月に先立たれていた。

 戦後は、東大文学部の研究生となり、西洋史や宗教史などを幅広く学び、オリエント学者の道を歩まれた。戦時中の軍部批判や戦前の「紀元節」を建国記念日とする動きに反対する発言で話題を呼んだ。

 著書に「帝王と墓と民衆」「古代オリエント史と私」など。百合子さまとの句集も出版されている。

 三笠宮さまの逝去で皇室の方々は19人、うち皇位継承権を持つ男性皇族は4人となった。昭和天皇の弟宮は3人とも亡くなられた。(読売新聞)

             

三笠宮さまのご逝去を、謹んで哀悼の意を表します。
 ご遺族皆さま並びに皇室一同様に、衷心からお悔やみ申しあげ     ます。  
                         合 掌

 

天皇陛下とフィリピン・ドゥテルテ大統領との面会は中止に

三笠宮崇仁さまの逝去を受け、天皇皇后両陛下は、27日から7日間、喪に服される。夕方予定されていた、陛下とフィリピンのドゥテルテ大統領との面会は、中止となった。(フジテレビ系(FNN))

[動画を見る]


★【南シナ海問題】・・・・・「日本の側に立つ」=安倍首相との会談で比大統領

2016年10月26日 20時31分23秒 | 【國  際】

      

安倍晋三首相とフィリピンのドゥテルテ大統領の首脳会談が26日夕、首相官邸で始まった。ドゥテルテ氏は会談の冒頭、中国が領有権を主張する南シナ海の問題に関連し「法の支配をもとに平和に問題を解決したいと思っている。我々は常に日本の側に立つつもりだ」と語った。

 安倍首相は南シナ海の問題で、中国側に中国の主権主張を否定した常設仲裁裁判所の判決を受け入れるよう求めている。一方、ドゥテルテ氏は20日に行われた中国の習近平(シーチンピン)・国家主席との首脳会談で、経済協力を優先して南シナ海の問題は棚上げする姿勢を示していた。

ドゥテルテ氏は安倍首相との会談で「時が来たときは皆さまの側に立つと、はっきり申し上げる。仲裁裁判所の判決が出た中で、日本とフィリピンは似たような状況にある。安心して下さい」とも述べた。(朝日新聞)

    

何を考えているのか分からない大統領、民放TV等は日本に何を求めてくるかと思いきや、安倍首相に「何も心配すること無いから」となだめられるような場面で、「日本側に立つから」などとドゥテルテ氏らしく無いようなおとなしい場面しか報道されなかったが、日本になだめられる温厚さに大統領らしさの姿もみえかくれした。
それにしても、自国民には大歓迎される場面に驚くと同時に信頼されている一場面に頼りにされている大統領を見たような気がする。南沙諸島問題もアジヤの守備も十分やっていけるような気がする。
ガムを噛んでの交渉するかと思ったが、中国での様子とは大分態度が違うような気はしたが時間のルーズさは有ったが所要のところで一応スーツ姿に変えるなど噂の様な悪の先達に思え無かったが・・・


★【大川小津波訴訟】・・・・・・市と宮城県に14億円賠償命令⇔祈 り!

2016年10月26日 15時15分59秒 | 祈   り

  

東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県を相手取り23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、市と県に約14億円の支払いを命じた。【百武信幸】

◇ことば「大川小津波訴訟」

 2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波で、宮城県石巻市を流れる北上川の河口から約4キロにあった市立大川小(当時の全校児童108人)の児童74人が死亡・行方不明となった。このうち23人の遺族が市と県に計23億円の損害賠償を求め、仙台地裁に提訴した。

地震発生後、約50分間校庭で待機した後、校庭より約6メートル高い北上川に架かる橋のたもとへ避難を始め、津波にのまれたとされる。学校にいた教職員10人も死亡。唯一助かった教務主任の男性は病気休職中で、訴訟では遺族側が証人尋問を求めたが採用されなかった。(毎日新聞)

                                                                   学校裏は山あり

何故海方に移動? 

   50分間の行動は?


★【青森県津軽ダム観光】・・・・・・水陸両用バスの乗車体験会⇔紅葉見ごろ!

2016年10月25日 19時53分14秒 | 癒    し

 

青森県西目屋村の津軽ダムで22日水陸両用バスの乗車体験会(村主催)があった。家族連れなど約140人がダム湖の水上から周囲の紅葉を満喫した。村では津軽ダムに観光客を呼び込もうと、来春の本格運行を目指している。

 バスは全長約12メートルで定員39人。体験会は、スクリューを稼働させる約20分の水上走行を含め約1時間。参加した同県野辺地町の小学4年及川敦司君(10)は「バスが湖に入る瞬間が面白かった」と満足そうだった。

 漂流物に阻まれて水上を進めなくなるトラブルもあった。予定していた体験会計5回のうち2回が中止になり、本格運行に向け課題を残した。

 西目屋村では津軽ダムを観光資源にしようと、2012年から水陸両用バスの実証実験を実施している。村の担当者は「参加者の感想は良好。トラブルの再発防止も含めて本格運行に備えたい」と話した。(河北新報)

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 チョイと違う津軽の紅葉