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芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

政治に興味はないけれど

2016年08月01日 | コラム
          

 鳥越は惨敗した、と言っていいだろう。
 今回の都知事選では、山積する都政の課題に対する政策や、政治と金の問題に対する監視方法の提示等は無論だが、国政に対する民意も示すことにあったはずだ。
 都政と改憲反対、安保法制廃案は無縁にも思えるが、それは現政権が謀り、ひた走る危険な道に対し、反対の民意の大きさ見せるべきところ、その瞋恚の巨大な塊を形成できなかったのだ。
 鳥越を裏切ったのは、ひとつ民進党の電力労組を傘下に置く連合だろう。特に原発反対の鳥越に反発し、増田と小池に流れたのだろう。もう一つの裏切りは、過去二回、宇都宮に入れた共産党系の票が棄権したか、他候補に流れたのだろう。サンダースに似た宇都宮支持の方々を納得させることができなかったのだ。(ちなみに私は前回、宇都宮に投票した)
 
 ひとつは共産党を含む野党4党連携に対する民進党内の拒否反応だろう。大義を思えば、野党4党連携・市民連合共闘は当然だろうに。アレルギーに弱く、大義を忘れ、党利を優先させるセコイ体質なのだろう。
 無論、統一候補選びに手間取った出遅れもあろう。なぜ統一候補選びに手間取ったかといえば、野党4党連携・市民連合共闘の、第一義の大義を忘れた民進党の馬鹿議員どものせいである。

 さっそく党内に鳥越擁立を決めた執行部への批判や、野党4党連携への不満と見直しが噴き出しているという。馬鹿な奴らだ。参院選で野党4党連携がなければ、民進党の議席はずっと減っていただろう。

 何度でも繰り返すが民進党は再分党すべきである。一時的には弱体化、空中分解にも見えるだろうが、有権者にとっては旗幟鮮明となってすっきりする。

 政策のキーポイント、「踏み絵」は次の通りである。
 憲法、原発、沖縄基地問題、TPP、新自由主義・市場原理主義、外交、巨大災害に備えた法整備(決して憲法に緊急事態条項を入れることではない)、福一対策、大義のための共産党を含む野党連携・市民連合との共闘などである。これによって分別、分党する。
 再分党は次の通りである。

 野党というより思想信条が与党に近い「ゆ党」の方、財政政策・経済政策が自民党と同じ方、改憲派の方、原発再稼働・原発推進派の方、沖縄民意何するものぞ辺野古基地建設強行・高江ヘリパッド強行、TPP推進派の方、新自由主義・市場原理主義による格差の拡大やむなし、つまり松下政経塾出身の方々、経済成長を目指し成長戦略として軍学共同、武器と原発輸出の促進、堂々たる軍備拡大、日米同盟強化、国威を示す堂々たる外交等々、…以上の方々は自民党に移動を。同時に日本会議と神道政治連盟にもご参加を。またぜひ山口県に原発特区と数十基の原発新設を、市街地に大規模ヘリパッドの建設を。
 
 連合傘下の電力労組と協定を結び、支援されているが故に原発推進、原発再稼働の方、他に知恵がないので「もんじゅ」継続維持の方、また電力労組ではないがどうしても連合の支援が欲しい方、連合と縁が切れない方、原発反対の共産党を含む野党連携は嫌だという方は「原発連合党」の創立を。原発推進に関しては自民党と共に。

 自分が自分がとお山の大将になりたい方、共産党を含む野党連携は嫌だという方々は「お山の大将党」の創立を。あるいは「ぼくたち世襲党」の創立を。あるいは「僕たちとご飯粒はどこにでもくっつく党」を。そして利権にありつくためなら自民党に対しても是々非々で(非々はないか)。

 憲法改悪反対・護憲派、反原発とクリーンエネルギー促進、沖縄基地大幅縮小、TPP反対、反新自由主義・市場原理主義、平和のための対話外交、メディア言論自由保障のための法の明瞭化、大義のための共産党を含む野党連携・市民連合共闘派の方は「平和新党」を。ぜひ、国谷裕子さんを誘い、山尾志桜里で新党を。
 そしてぜひ、アメリカからニューディール左派と思われるバーニー・サンダースを招聘し、全国で勉強会・講演会・シンポジウムの開催を。ぜひフランスから政策講師を招聘し「いかにして出生率を増加させたか」の勉強会・講演会・シンポジウムの開催を。ぜひイギリスから政策講師を招聘し「いかにして食料自給率・穀物自給率を増加させたか」の勉強会・講演会・シンポジウムの開催を。なにも向こうに視察に行くべきではない。ろくなことはなく、人間、外地ではタガが外れる。


事件の背景

2016年07月29日 | コラム

 相模原の障害者施設を襲った犯人は、おそらく全く悔悟も反省もしていないだろう。実におぞましい事件だ。重複障害者を対象とした確信的なテロである。
 どうしても、ナチスのファシズム独裁政権下で主要思想となった社会ダーウィニズム、優生学とその優生思想や、その下で実施された障害者安楽死政策を想起してしまう。それはさらに際限もない妄想となって、ユダヤ人の虐殺につながっていく。
 考えたくもないが、このおぞましい犯罪に拍手を送っている輩も
多いことだろう。根底にあるのは差別思想である。その差別意識はヘイトスピーチにもつながる。劣等人間、劣等人種は要らぬ、出て行け、死ねとなる。彼らは人間ではない、モノである。人権なんてない、となる。
 考えたくもないが、このおぞましい犯罪に心の中で同調している政治家たちもいるだろう。
 自民党の憲法改正草案の中に見え隠れする「個」の否定、「公」の強調。公のために役に立て、血を流せ。公の役に立たぬものは要らぬ。国民の生活が大事だなんておかしい、大事なのは国だ、国家なのだ。みなさん国家を守りましょう。国の役に立たぬものは要らぬ。国の役に立つ人たちに選挙権を与えましょう。主権在民なんておかしい、本来日本のお国柄として主権は天皇のものである。基本的人権、民主主義、個人主義なんて西洋から入ってきたもの。漢心(からこごろ)を捨て、大和心の復活だ。
 これは悪夢だろう。今回の事件が、現代の日本に起きたことが気持ち悪い。彼は「安倍晋三先生にお伝えください」と手紙を結んだ。

 おそらく彼は最初から障害者差別や排除の考えを持っていたとは思わない。軽薄で無思慮な自己顕示欲と多少の差別主義的性癖は持っていたであろう。
 施設で働くうちに、その労働のしんどさから、対象に対しどんどん軽蔑、侮蔑、嫌悪と憎悪を募らせて、…この人たちは周りを不幸にする、生きる価値もない…やがてヒトラー、ナチスの障害者安楽死処分を知ったのだろう。

「役に立つ、役立たぬ」で判断すること。それは文化の多元化ではなく一元化も招く。「学問も成長戦略に組み込む。研究者も産学共同・軍学共同で金を稼げ。金も稼げぬ、成長戦略にも組み込めぬ文系は不要だ」…「公の役に立て、役立たぬものは不要」「90歳過ぎてまだ生きるつもりか」「重複障害者は人間ではない。あんなモノに多くの役立つ人材と厖大な予算をかけるのはいかがなものか」…事件の背景にはこうした社会・政治風潮や為政者たちが蔓延させる空気があると思えてならない。

美輪明宏さんの鋭さ

2016年07月19日 | コラム

 昨年の7月14日付けの「リテラ」サイトに、美輪明宏さんの発言が紹介されていた。元の記事はスタジオジブリの小冊子「熱風」8月号で、戦後70年に当たって、青木理氏のインタビューを受けたときのものであるという。その美輪明宏さんの発言に瞠目した。やはりこの人は実に鋭い。

 日本は世界最強のアメリカの手先になろうとしていると青木氏が言った。それに対して美輪さんは言った。
「そんなに甘く考えたら大間違い。…アメリカ国債を世界で一番持っているのは日本だったけれど、それが追い抜かれちゃって、中国が世界一になった。最近、中国がちょっと景気後退して日本がまた抜き返したけれど、それでも中国はアメリカの国債を大量に保有しています。アメリカ経済をガタガタにしようと思ったらできる。なのになんでアメリカが日本だけの味方をしてくれます? 甘いですよ」
 続けて、安倍首相が安保法制で法制化させようとする(その時点で)自衛隊による後方支援について、「要するに兵站でしょう」「その兵站を叩くのは戦争の常識です。そこらへんのシビアさというのは、戦時中の人間でないとわかりません。戦争ってそのぐらい卑劣なものですから」
「もうひとつ、日本は(戦争を不可能にする)抑止力を自分で作っちゃったんです。原発です。日本の沿岸をなぞるように50数カ所も原発をつくっちゃった。今は特攻隊の時代じゃない。ミサイルや無人爆撃機の時代です。原発を狙われたら一巻の終わり」
 実に鋭い。日本は「戦争をしない」と決意した国として、誠実な外交力で世界平和を訴え続け、その維持に努め続けるべきだろう。それしかないのではないか。

 美輪さんは言う。安倍や石破や麻生にしても、言い出しっぺとして責任を取るべく、また自民党に票を入れた男たちも、年齢に関係なく一兵卒として鉄砲担いで鉄兜かぶって、どうぞ戦地に行ってください、その子や孫も…と。その怒りの発言のニュアンスは、やや投げやりな感じも受ける。本当はもう日本の政治やその先行きを諦めているのかとも思われる。もう80歳を超えたのだ。

 美輪さんはその少年時代、長崎で原爆を体験し、その地獄のような悲惨を目撃してきた。三島由紀夫とは芸術家として互いに深く尊敬し合っていた。芝居や美、ロマンチシズムやスピリチュアルに関しては、二人は稀有な天才の同志だったのだ。しかし憲法に関しては全く相反する、異なる考えであったろう。あの三島由紀夫「豊饒の海」の「奔馬」に描かれたものこそ、日本の不合理で危険な原理主義そのものであった。

                             
            

民主主義の終末

2016年07月11日 | コラム
 
 参議院選挙が終わった。これはそう遠くない後世、「日本の民主主義の終末」と呼ばれるのではないか。

 この国のメディアは愚かだ。官邸、政権とその走狗的支援団体に「公平性、中立」という言葉で脅されて、今回の参議院選挙がこの国の行方を大きく誤らせるかも知れないのに、報道を控えたのである。下手に街の声を拾うと「中立でない、公平性を欠く」と攻撃されるなら、報道しないことに決めたのだろう。各党の公約、政策の紹介や、それを比較することもなく、政権の政策に疑問があっても、そこを突かれることは嫌がるだろうと忖度して、報道しない。
 むのたけじさんの言葉を思い出す。「戦争は新聞の萎縮、自主規制、そして民の沈黙から始まったのだ」
 選挙終了後に「日本の政治はどう動く 徹底討論」だと。また官邸の狗、岩田明子か? 彼女が出ると「公平性を欠く」

 この国の有権者は愚かだ。今回の参議院選挙がこの国の行方を大きく誤らせるかも知れないのに、投票を控えたのである。
 宮崎駿さんの言葉を思い出す。「自民党は過半数以上の支持を得たのではなくて、多くの人間が投票しなかったことによって、天下を取ったんです」
 全議席が確定すると、各メディアは安倍自公民の「改憲は公約」論議に乗って、改憲論議を始めた。都知事選が終われば、やがて改憲フィーバーになり、ふと、いつの間にかこうなった、という事態に気づくのだろう。
 柄谷行人が言っていた。日本の意思決定は「いつの間にかこうなった」

 戦犯は民進党であろう。急遽、民主党を出て行った維新と再びくっつき、民進党となったが、新党に衣替えしてみても、その人事は山尾志桜里を除けば全く清新さを欠いたことである。政党の綱領も政策もその中身は何も見えなかった。また野党共闘の大義を忘れ、党利党略が前面に出て、グズグズと優柔不断に引き伸ばし、徒らに時間を浪費するばかりで、党内すらまとめられなかったことである。
 さらに共闘の選挙争点を明確にできなかった。反対ばかりでなく、新たな政策プランを提示できなかったこと。たとえば「閣議による憲法破壊に異議(違憲)と安保法制(違憲)廃案。自民党的壊憲阻止。原発再稼動反対と将来ゼロに」。たとえば「少子高齢化時代、成熟化時代の『経済』の新パラダイムの提示、経済成長から安定の経済政策提案。タックスヘイブンをはじめとする規制と課税を含む不公平の見直し提案、福一事故の全力収束と被災地復興、少子化と介護に関する提案、一極集中から地方の個性化提案。票につながらないとされる平和外交の提案…」

 民進党は再分党したほうがいい。
 改憲も防衛問題も集団的自衛権もTPPも自民党に近い政策をお持ちの方は自民党へ。また財政再建の名分で財務官僚に手なづけられている方も自民党へ。
 電力各社の電力労組に支えられている連合系の方は連合系の新党を。
 原発再稼動反対・原発反対、再生可能エネルギー促進派の方、TPP反対の方、新自由主義・市場原理主義に反対の方、護憲あるいは改憲派でも天賦人権説を取り民主主義・基本的人権・思想言論の自由を守りたい方(つまり自民党的改憲に反対の方)、大義のために他党とも共闘できる方はそういう新党を。
 三、ないし四分割くらいしたほうが有権者はすっきりする。

 月曜日に日本の民主主義の終末を思う。


                                                       

鬼胎は生きていた

2016年07月04日 | コラム
                                                                                                                  

 つい先日、明治神宮の休憩所で友人たちと語らうなか、そのうちの一人が言った。「まだ司馬遼太郎さんが存命なら、今の日本をどう言うだろうか?」
 
 司馬遼太郎は「異胎」「鬼胎」と呼んだ。異形の、異界の、あるいは鬼の子を孕み、それと知らず産み出してしまった、という意味だろう。司馬は日本の連綿と続いた歴史や文化は、それなりに美しい伝統と継続性があったが、その鬼胎は日露戦後に産み落とされ、「日本ではない」日本を現出させたたというのである。
 鬼胎は調子狂いの産声をあげたのである。それは異様に肥大化した忠君愛国と帝国主義の妄想に囚われ、昭和期に「参謀本部」という異形の鬼胎となったのか。ボルヘスが言った。「愛国心は限りなく妄想を生む」
 その鬼胎の物狂いの最も酷い時代は、1935年から45年までで、敗戦まで続いた。ちなみにこの時代を、今の安倍自民、彼らを支援もしくは操る日本会議らは、日本の臣民が一丸となった最もピリッと引き締まっていた美しい時代と言うのである。その美しい時代の「日本をとり戻す」と言うのである。

 話を戻すと、司馬はその時代を「日本ではない」と言った。「参謀本部」は「明治憲法下の法体制が、不覚にも孕んでしまった鬼胎のような感じ」があるが、それは不正確で、参謀本部にもその成長歴があって、当初は陸軍の作戦に関する機関として、法体制の中で謙虚に活動した、と言う。
 しかし、日露戦争が終わり、明治四十一年(1908年)、関係条例が大きく改正され、内閣どころか陸軍大臣からも独立する機関になった。やがて参謀本部は〝統帥権〟という超憲法的な思想をもつにいたる。
 大日本帝國憲法は三権分立だが、それとは別に統帥権という鬼胎を孕んでいたのである。統帥権は天皇の大権であり、天皇の裁可を受けずして一兵たりとも動かすことができないのである。
 しかし天皇に帷幄上奏、補弼するのは陸軍の参謀本部、海軍の軍令部なのである。統帥権はやがて「拡大解釈」され、「超法規」として国務大臣は無論、内閣の一員である陸海軍大臣すら容易に口出しできぬものとなった。国際軍縮会議で陸海軍大臣や外務大臣は、交渉すらままならぬのである。すぐ、参謀本部や軍令部から「統帥権干犯」と怒鳴られるからである。参謀本部や軍令部の若造の軍官僚たちは「統帥権干犯!」と軍刀のつかに手をかけて脅した。ちなみに今の世の中は、自衛隊のエンブレムにこの「軍刀」がデザインされる時代なのである。
 
 鬼胎は敗戦で死んだわけではなかった。あの悲惨な戦争の武官の最高責任者は東条英機で、文官の最高責任者は岸信介である。岸信介は侵略戦争を全く反省することもなく、A級戦犯で巣鴨に収監されていたとき、「名にかへてこのみいくさの正しさを 来世までも語りのこさむ」と歌を詠んでいる。「聖戦」だったと言うのである。
 岸はG2のウィロビーと何がしかの取引をして釈放されたが、あのまま「鬼胎」とともに息の根を止めるべきだったのだ。
 まるで江戸時代以前の日本の政治制度のように、政治を世襲化、家業化し、その孫の安倍の時代に閣議ごときで憲法を「拡大解釈」して踏みにじり、さらに改憲を目論んでいる。
「統帥権」のように悪用される恐れのある危険な条項は、東日本大震災や熊本地震のどさくさにショックドクトリンのように持ち出された「緊急事態条項」であろう。これが入ってしまえば、いつでも内閣独裁条項に変じてしまうだろう。すでに、もう誰も安倍を止めるものがなく、独裁状態に入っているのではないか。
 今日、もし司馬遼太郎が存命なら、深い失望の溜息を吐き、激しい言葉で安倍晋三と自民党、公明党、改憲勢力を批判するであろう。「鬼胎はまだ生きていたのだ。愚行を繰り返してはならない。一日も早く、その息の根を止めなければならない。『日本ではない』日本を呼び戻してはならない。」と言うにちがいない。