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原宿駅 その2

2013年02月12日 | 地域

設計者 長谷川 馨とハーフティンバー様式

 

 原宿駅駅舎を設計した長谷川 馨は、明治20(1887)年に福井県に生まれ、明治43(1910)年、名古屋高等工業学校・建築科を卒業した後、鉄道院(後の鉄道省)に採用され、大正5(1916)年に東部鉄道管理局で横浜駅(2代目)・川変電所などを設計しました。横浜駅は中央の八角塔やアシンメトリーな平面などに原宿駅との共通点が見られるそうです。そして同時期に鎌倉駅改築工事の現場監督を務め、ハーフティンバー様式の駅舎を手掛けた事が、ハーフティンバー様式を原宿駅に採用したきっかけの様です。

 完成当時の原宿駅はハーフティンバー様式の木造平屋建てで改札口と車寄を竹下通り側と表参道側に設けたアシンメトリーな外観となり、屋根はスレート葺きで中央に換気を兼ねた八角塔が立てられ、屋根にはドーマー窓がありました。竹下通り側改札口を常用とし、表参道側は混雑時のみ使用されていたようです。

 

         

 完成当時の駅舎

               

ハーフティエンバー様式は中世にフランス北部ノルマンディー地方で誕生し、北ヨーロッパ(英・独・仏)の木造建築に多く見られる建築様式で名前の由来は壁と木造の部分が半々になる為とも材木を外部に見せる為とも言われています。木骨により軸組(柱・梁・斜材など)を構成し、その間を塗壁や煉瓦で埋めて軸組を装飾材として半分、外部に露出される建築様式です。

 前述の様にハーフティエンバー様式が、原宿駅に採用されたのは設計者・長谷川 馨の経験がきっかけですが、その他に大正に入って海外の田園都市思想が紹介され、郊外や自然、健康的住環境への関心が高まったこと、また大正デモクラシーのような民主主義的思想や大正浪漫に代表される理想主義的な考え方の普及により明治時代より自由な気風が尊重され、鉄道省建築課が若手技術者を積極的に起用し、その自由な発想を尊重した事も採用された理由の様です。

ハーフティエンバー様式の木造駅舎は、原宿駅以外では日光駅(JR日光線)、奥多摩駅(JR青梅線)などがあります。

〔参考・引用文献〕

 『鉄道ファン 2011年1・2月号 大正浪漫の駅』  S72  中央図書館所蔵

 『見直したい日本の「美」 日本の駅100選』 主婦の友社編  686/ニ 中央図書館所蔵

『にっぽん木造駅舎の旅100選』 萩原 義弘著  686/ハ 中央図書館所蔵

ウィキペディア「ハーフチェンバー様式」

 ウィキペディア「原宿駅」 

 〔掲載写真〕

 『鉄道ファン 2011年1月号 大正浪漫の駅』より転載

 


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