花の大きさは10センチで「極大輪」と言うほどではないのだが、非常に整った形の花で、色も形も気に入っているのだが、この花が1000円で手に入るなど、40年前には想像も出来なかったことで、まさに「隔世の感」であるが、これを考えれば「景気が悪くて生活が苦しい」などといっている現在は「贅沢に慣れすぎて感覚が麻痺してしまった」と言えないだろうか?。
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2 コメント
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- まさにそのとおりなのだが・・・・ (へそ曲がりおじさん)
- 2009-01-10 03:26:08
- 団塊の世代が定年を迎え、平成生まれが成人になる時代になっては「戦前戦後の苦しい時代」など御伽噺にしか感じないのだろうが、童話の世界に登場する「お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川で洗濯を」と言うことが「遥か昔のこと」ではなく、僅か半世紀余り前の日本の姿だったと言うことに気が付く人が少なくなっているのです。私自身は終戦当時3歳だったのでハッキリした記憶は残っていないのだが、極度の食糧難で、空腹を満たすことがもっとも重要な問題で「美味い不味い」などと言う事は言っていられなかったのです。当然のことではあるが、床にご飯を一粒落としても「食べ物を粗末にするな!」としかられたものですが、今では「チョット味が悪い」「見てくれが悪い」・・・・など、当時では考えられ無いような理由で簡単に食べ物が捨てられているのですが、「知らぬが仏」と言うように、当時を知らない人にとっては理解するのは難しいかもしれません。「僕たちは恵まれ過ぎて・・・」と言う部分も、相対的な違いが在るために「恵まれていると言う実感が無い」のでしょう。「豊かさを実感できない」と言うことは、ある意味で不幸なことだと思うのだが・・・・。
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- 先日… (河原 真)
- 2009-01-10 01:08:05
- 散歩中に近所の89歳になるおばあちゃんと話す事が出来、とても勉強になりました。そのおばあちゃんが言った事で、とても印象的だったのは「これから景気がもっと悪くなると皆騒いでいるけれど、戦争をくぐり抜けて来たあの体験があるから、何があっても大丈夫。昔は今の様に食べ物もなければ便利な電化製品もなかった。」と言う言葉でした。(僕達はきっと恵まれ過ぎて当たり前になってしまった事を一度見直す必要があると思います。)そして、二十歳で結婚したが、すぐに旦那さんに召集令状が来、手も握らず黙って見送った。きっと帰って来る事を信じて…。フィリピンで戦死した知らせが来ても信じられず、ずっと来る日も来る日も待ち続け、まさに『岸壁の母』の歌の心情だったそうです。僕達ももっと自分勝手な事ばかり言わず、昔の人の体験談から学ぶ事はいくらでもあると思います。もっと昔の人の知恵や体験を今こそ生かすべき時代なのでは…。
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