(その2からの続き)
先に左折していた車が、バックで戻ってきたのです。
まさかと思い、向こうで信号待ちしている車のタイヤを見ると、
すでに半分ほど水に浸かっていました。ここも駄目かと思い、次の交差点で左折し、
その道は冠水していなかったので、何事もなく通れました。
家に帰るには、絶対に河を横断しなければならないのですが、その河を渡る橋まで来て驚きました。
河は泥水が轟々と流れ、水位は橋の下すれすれだったのです。
橋のところはT字路になっていて信号があるのですが、
もし今河の水が溢れたらどうしようと信号を待っているのも恐ろしくなり、
車がほとんど来ないので、無視して進もうとしたところ、青になったので、
とりあえず進んで別の河の橋を渡り、その渡った河の堤防の上の道を進んで、
後はバイパスにさえ出れば大丈夫だと思っていました。
しかし、そのバイパスへ出る道も冠水していたのです。
私の前にいた車は上手くきりかえして戻っていきましたが、
狭いことと、焦りできりかえすことができなくなり、後ろにも車が4台ほど待っているので、
仕方なく進むことにしました。
車はバッバッバッバッと今にも止まりそうな音を上げ、
水の中ではサード(マニュアルミッションです)では進まず、セカンドにしたり、
ファーストにしたりしないとほとんど進まないのです。
そのうち、壊れていたCDチェンジャーのスイッチが勝手に入り、
この時点でオーディオは完全におかしくなってしまいました。
頼むからエンジンは止まらないでくれと必死で思いながら、なんとかそこを脱出しました。
バイパスでは、冠水して進めなくなった車が3台ほど停車していました。
そして今度こそ後はもう大丈夫だろうと思っていたら、
バイパスの坂(下は線路)を越えた所も冠水していました。
そう、もう至る所冠水状態だったのです。
そばには高い所に車を避難させ、冠水した道路を歩いて行く人達もいました。
とにかく冠水した道路を進み、国道11号線に出て家に続く旧道へ入りましたが、
側溝から水が溢れている箇所もあり、家に着くまで必死でした。
そして、無事家に着いたのですが両親はまだ帰っておらず、
心配していると、しばらくして母が帰宅したので無事を喜び合いました。
父は、公民館に泊まった(公務員です)ので、家には帰らなかったのですが、
父も母も必死で帰ってきたとのことでした。
当日の夜のテレビでは、町中が冠水していることぐらいしかわかりませんでした。
そのうち、新居浜市の大生院(愛媛総合科学博物館の近く)で、
土砂崩れに家がのみこまれ、生き埋めになっていることや、
避難しようとして流された人がいることなどが報道されていました。
しかし、一夜明けると、町中が壊滅状態であることがわかったのです。
先に左折していた車が、バックで戻ってきたのです。
まさかと思い、向こうで信号待ちしている車のタイヤを見ると、
すでに半分ほど水に浸かっていました。ここも駄目かと思い、次の交差点で左折し、
その道は冠水していなかったので、何事もなく通れました。
家に帰るには、絶対に河を横断しなければならないのですが、その河を渡る橋まで来て驚きました。
河は泥水が轟々と流れ、水位は橋の下すれすれだったのです。
橋のところはT字路になっていて信号があるのですが、
もし今河の水が溢れたらどうしようと信号を待っているのも恐ろしくなり、
車がほとんど来ないので、無視して進もうとしたところ、青になったので、
とりあえず進んで別の河の橋を渡り、その渡った河の堤防の上の道を進んで、
後はバイパスにさえ出れば大丈夫だと思っていました。
しかし、そのバイパスへ出る道も冠水していたのです。
私の前にいた車は上手くきりかえして戻っていきましたが、
狭いことと、焦りできりかえすことができなくなり、後ろにも車が4台ほど待っているので、
仕方なく進むことにしました。
車はバッバッバッバッと今にも止まりそうな音を上げ、
水の中ではサード(マニュアルミッションです)では進まず、セカンドにしたり、
ファーストにしたりしないとほとんど進まないのです。
そのうち、壊れていたCDチェンジャーのスイッチが勝手に入り、
この時点でオーディオは完全におかしくなってしまいました。
頼むからエンジンは止まらないでくれと必死で思いながら、なんとかそこを脱出しました。
バイパスでは、冠水して進めなくなった車が3台ほど停車していました。
そして今度こそ後はもう大丈夫だろうと思っていたら、
バイパスの坂(下は線路)を越えた所も冠水していました。
そう、もう至る所冠水状態だったのです。
そばには高い所に車を避難させ、冠水した道路を歩いて行く人達もいました。
とにかく冠水した道路を進み、国道11号線に出て家に続く旧道へ入りましたが、
側溝から水が溢れている箇所もあり、家に着くまで必死でした。
そして、無事家に着いたのですが両親はまだ帰っておらず、
心配していると、しばらくして母が帰宅したので無事を喜び合いました。
父は、公民館に泊まった(公務員です)ので、家には帰らなかったのですが、
父も母も必死で帰ってきたとのことでした。
当日の夜のテレビでは、町中が冠水していることぐらいしかわかりませんでした。
そのうち、新居浜市の大生院(愛媛総合科学博物館の近く)で、
土砂崩れに家がのみこまれ、生き埋めになっていることや、
避難しようとして流された人がいることなどが報道されていました。
しかし、一夜明けると、町中が壊滅状態であることがわかったのです。