「これピッケルじゃないですか??」
現在93歳の方「そうよ~~若けい頃使ちょったつよ」
知り合いのお宅に所用でお邪魔した時
納屋の片隅に
スコップや鍬やツルハシに混じって錆びた小さなツルハシ風な道具が見えた
「あれは・・・・ピッケルじゃないですか?」
「じゃあよ!若けい頃山登りしちょったちゃ」
よく話を聞くと1960年台彼方此方の山に登ったと
韓国岳に登るのに1955年ごろまでは
現在の鹿児島県道1号線も宮崎県道1号線もまだ無く
鹿児島県側からは硫黄谷温泉からで1日で往復は無理で1泊2日だったとか
宮崎県側からも白鳥神社の手前から現在のえびの高原経由だったとか
私の韓国岳初登山は約55年前小学生4年生の時だった
しかしその時は現在の県道1号線が
『えびの高原スカイライン』有料道路として開通していてバスでえびの高原まで行けた
登山道も3合目付近や7合目付近が現在と少し違っていたと記憶している
それよりまだ20年も前、
70年位前の久住連山や霧島連山の話で盛り上がりました
作業道具と一緒に、錆びてほったらかしてあるピッケルを
「綺麗に磨いて飾っておかないといかんですよ」
「う~~?・・やるから綺麗して飾っちょけ!」
「え~~~~~良いんですか?頂きます大事にします」
と言う事で・・・・
余りのうれしさに錆びて真っ茶色の画像を撮る事も考えず
持ち帰るとすぐにサンダーをかけ錆を取り木製部を磨き
さび止めにクリヤラッカーを吹き付け~~~
紐を付け~~~
綺麗になったのがこれ
最初何処の製品か?など・・そんな事どうでも良かったのですが・・・
磨いていくと刻印が『EVERNE・MADE IN TOKYO』と浮き上がってき
調べると現在のアウトドアメーカーエバニューが国内で初めて作り販売した国産ピッケル第1号だったのです
溶接製品ではなく炭素ニッケル鋼の鍛造品でした
鍛冶屋さんがハンマーでたたき出したこの造形~~すごいですよね
現在のリーシュを付ける金具も良いですよね
カメラのストラップを付けて見ました
雪山はハイキングレベルの私が現在持っているピッケルのブレードは
鉄板を90度に組み合わせ溶接して作られています
しかしこのピッケルは鍛冶屋さんが鉄の塊から金槌で叩いて作り出した鍛造品
かっこいいでしょう~~~
石突き部は
修理していて判ったのですが
木製部の先端の保護管は溶接無し、これも鍛冶屋さんの仕事
石突き本体は見えている部分と同じ長さがに打ち込んであるだけです
このピッケル!とにかく長い!83cm有ります
現在の60cmと比べると・・長いし基本形状が違います
私の腰まで有り、今のストックの感覚もあったのでしょうか
私達が若い頃ニッカポッカに、どでかい手縫いの革靴を履いて、
頭に日本手ぬぐいでハチマキをして登っていた、
俗に言う『山屋のおやじ』がこんな感じで持っていた事を思い出しました
それを知っている世代は団塊の世代から私達ぐらいまででしょうね
このピッケルを山で使うつもりは有りませんが
たまにこの造形美を見て楽しんでいます
ところで週末のお山歩は、お天気も数週間ぶりに回復し
大雨で火口湖が出来たであろう
韓国岳の予定でしたが中止しました
理由は土曜日夕方発熱!
このご時世!発熱は今最も深刻な症状!
自宅隔離でした
熱は1日ほどで回復しましたが
念のためPCR検査を受け・・・・陰性でやれやれ
今どこで誰から感染するか全く判らないご時世
自然災害に対し『自分の身の安全は自分で守る行動を』は
自分の事は自分で、です
しかしコロナ災害は、無症状感染で他人を侵害する可能性があり
『自分も他人も守れ』です
山登りは街中より感染リスクが少ないはずですが、
行動が難しくなってきましたね