Graceのスピリチュアル日記

ささやかな日常とスピリチュアルな出来事。その中で得た気づきなどを楽しくシェアする日記。

勉強不足…(善光寺のつづき)

2009-06-01 21:13:52 | Weblog
さっきブログを書き終えてから、あらためて善光寺から持ち帰ったチラシをみていたら、【善光寺縁起】という箇所が目にとまった。

それによると、
その昔、インドで、阿弥陀如来によって娘を病から救われた長者が、不信心を改め仏教に帰依。
そして、如来の姿をこの世にとどめ、終生お仕えしたいという長者の願により、
釈尊と阿弥陀如来が一光三尊阿弥陀如来を出現させたとのこと。
その長者亡き後は、如来像?は百済に渡り、聖明王の手で祀られていたが、仏教伝来とともに日本へ献上される。
その折一旦は宮中に迎えられたものの、
仏教を日本に受け入れるか否かの争いの中、物部氏によって難波の掘江に捨てられてしまう。
そしてそののちのある時、信濃の住人、本田善光が堀江を通りがかった時、
その如来に呼びとめられ、
「お前は天竺の長者、百済の聖明王の生まれ変わりである。」
と言われたそうで、
すべてを悟った善光、如来を背負って自宅に持ち帰り、手厚くお祀りしたのが善光寺の始まりであるとのことだった。

それで、善光寺はいずれの宗派にも属さず、すべての人の往生極楽の門として、
また現世の安穏を与えて下さる、大慈悲の如来を祀る寺として、
広く信仰を集めているのだそうだ。
「如来さまとのご縁を深められ、心に安らぎと、力強く生きる力をいただいて下さい」とチラシには書いてある。


今回のように、7年に1度ご開帳になるのは、【前立本尊】という鎌倉時代につくられた仏像で
本尊は秘仏で見られないため、身代わりとして拝まれるようになったものらしい。
その仏像は、一つの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、独特のお姿。


そして、例のあの柱は、【回向柱】というもので、
前立本尊の如来の右手に結ばれた金糸が五色の糸にかわり、白い善の綱として、その柱に結ばれているということなので、
柱に触れることで前立本尊に触れたことと同じになり、ありがたき結縁が生れ功徳が得られるという図式らしい。


柱に綱が付いていたのはこういうわけで、その先があの【金ぴか】の仏像に繋がっていたというわけだったのだ。


ふ~む、なるほど。
なんか色々、わけがわかった気がする。

ようは人々は、ここに極楽往生を願いにくるわけなのだから、
寺に、我欲を願うパターンの願掛けとは違う空気が流れていても当然。
ひいては、阿弥陀様とのご縁をいただいてより平安に強く生きたいと願うのならば、自ずと落ち着いた神妙な心持ちで列に並ぶのも道理。

もともとの本尊(秘仏)が、仏師によって彫られたものでなく、仏の力で物質化されたものというのも、アリガタミが大きい所以か。
(←実際、そういうエネルギーからの物質化現象は可能と、私は思っている。)


公開されている仏像が、その伝説の本尊でないのに、
それだけの功徳があるのかどうかというところに疑問が残るが、
そこは信じる者は救われるとの言葉もあり、それはそれでヨシということ?

仏像といえど、一つのツールには違いなくて、結局それを通してエネルギーが伝えられたりするわけだから、
人の手で作られたものでも、それなりに役は果たしているということなのだろう。

阿弥陀さまの横に観音さまがおいでになる仏像というところも、ミソかも。
ちゃんと仲立ちしていただけるっていうことだからね。


加えて、恥ずかしながら戒壇めぐりの意味も、このチラシで初めて知った。
なんでも、本堂床下の暗闇の回廊を手探りで巡り、如来の真下にある錠前に触れる
と極楽往生が約束されるのだそうだ。


         

いや~勉強になりました。
お参りに来てた人はみんな、スムーズに極楽に行きたかったわけなのね。
知りませんでした~。

でも、心配しなくてもみんな極楽にいけるんだよ。
というより、自分の波動と共鳴する世界にしか行けないんだよね。
地獄は人の思い込みが作り出したものだから、行かされるところでないし、
ふつうの人は、一番自分にとって居心地のイイ世界に行くことになるから
その人にとっての極楽に行くと言えるんじゃないかな。

と思うけど、お参りしたい人の邪魔をする気はありませんです。ハイ。



        



でも本当のところをいえば、この寺のチラシを読んで、私の心に一番心に引っかかったのは、
仏像を捨てたのが物部氏というくだりだった。

実は現在、(この4月からなのだが)わけあって、『物部白竜神社』に向かい、毎朝祝詞を上げている。
総じて108日間、奏上して欲しいという神様よりのお達しだ。
躊躇したものの、結局、謹んでお引き受けしたのだが
これが中々わけありで、また、日にち的にも長丁場であるので結構キツイ…。

なんせ神様との約束ともなると、「出来ませんでした」は絶対通用しない。
何が何でも、必ず毎日、できる限り決まった時間に遂行しなくてはならない。

(そうか、仏像を捨てたのが物部氏だったのか…)
と思ったとき、それが今回善光寺に行かされた、隠れた真の理由だったのかもと感じた。

なにはともあれ、現在は物部氏とご縁をいただいているようで…。
物部氏は尾張氏の祖先でもあるらしく…。
知らぬこととはいえ、数年前に物部氏の本宮である神社に、ふらりと参拝した経緯もあり、
その時なぜか、身を保護するための光のネットと、金の千鳥を繋げた首飾りをいただいていたということも考えると、
今回のこの祝詞の奏上は来るべくしてきたものとも思われ…。


人間の私にはわからないことだらけだけれど、とりあえずやる事はやらないといけないので、
出来る限りはがむばらせていただきます。

寺から始まっても、なぜだか神さまに行き着いてしまう私だった…。








最新の画像もっと見る