Graceのスピリチュアル日記

ささやかな日常とスピリチュアルな出来事。その中で得た気づきなどを楽しくシェアする日記。

じっくり淹れたコーヒーは美味しい。

2009-02-06 20:37:53 | Weblog
じっくり丁寧に淹れたコーヒーは美味しいって、当たり前だけど、
でもホントだよね~。

うちは最近ティファールの小型の電気ポットでお湯を沸かすことが多いんだけど、それでコーヒー淹れても実はイマイチ美味しくない。
コーヒーメーカーが壊れてからは、もっぱら《モンカフェ》とか買ってきて、手で淹れてるんだけど、お湯の熱源が違うだけでも全然味が違う。

今の所うちで一番美味しいのは、ストーブのヤカンのお湯で淹れたヤツかな。
電気よりガス、ガスより石油ストーブ、そして多分、石油ストーブより炭とかの
直火で沸かしたお湯で淹れたものの方が美味しいんだろうね。

豆はさ、毎回コーヒー豆を挽いて使ってた時もあったけど、残りの豆がどうしてもだんだん酸化してくるので、
最近はお手軽に1回ずつの《モンカフェ》か、同じタイプの《キーコーヒー》のを飲んでるかな…。スーパーで売ってるアレですよ。

まあね、うちの連中は私を含めて、全然、コーヒー通とかではないからこれで十分なのよ。


さっきも、夕飯の後にストーブのお湯で自分用にトポトポ淹れてね、
苦いのヤダからミルク加えたら、まあ、なんていい香り!!ささやかな幸せタ~イム!

そんで、美味しいなぁ…って飲みながら、ふと考えた。
(いつかは最後の1杯を飲む時が、来るんだよなぁ誰でも…)って。



毎日のことだと、何でも当たり前のことになって、人ってコトサラ注意を向けなくなるものだけど、
ホントは当たり前のことは一つもなくて、例えばコーヒーにしたって同じ状況で飲む同じ味のコーヒーなんてないんだよね。

そんで、その飲んでる一瞬ていうのも、過ぎてしまうとみんなイッショクタの【過去】になっちゃうから、あんなこともこんなことも、
振り返れば【すべて夢のごとし】となってしまうわけだ。曖昧で形のない【記憶】でしかなくなる…。


だからこそ【今】が大事?!【今どれだけ、肉体をして味わえる感覚を体験していられるか】ということ?!この有限の時間の中で?!



私たちは肉体に宿り、この世界を旅している存在だから、いつかは必ず帰るべき時が来る。
そして誰だって、旅行に来てると思えば、それなりに充実した時を過ごして、色んな体験をしたいと思うでしょ?!


ちょっと話はそれるけど、チベット仏教なんかによると、人間界に生れることは、神界に生れるより幸運なことなんだって。
神界は何でも思いのままだから、それに溺れて堕落したり、自我的な執着を育てたりしちゃうことがあるらしい。幸せ過ぎてダラケルって感じかな?!

そもそも神通力のあることと、悟りが開けてることは別のことなんだよね。

悟りが開けてる状態とは、神界も含めた六道の転生輪廻の輪からはずれた状態のこと。
次元でいくと、4次元まではまだ【善悪】が存在するので、それを超えた世界である【5次元以上に住まう状態】であるらしい。
光でいうと、【分極しない光の世界】【絶対的愛の世界】とも言う?!

だからお供え持って来ないと怒る神様とか、信者だけ護ってくれる神様というのは、悟りの状態にいらっしゃるとは言えないらしい…


人間は確かに愚かなところもあるけど、本人のやりようによっては、自分育てをして意識を拡大し、ついに5次元の存在に仲間入りできるチャンスのある、
稀有な機会を与えられた状態にいるらしいよ。

だから、チベットのお坊さん、ラマ達は、働くヒマがあったら修行しなさいとまで言うんだって。
人生は短い、与えられたチャンスは短いからまず修行して、残った時間で仕事したり生活したりしなさいって。

まあ現代の日本に生きてる私たちには、そう言われても中々実状にそぐわないことではあるけどね。
だからせめてもこの旅行を楽しもう、輪廻の輪から外れるにしても外れないにしても、十分満喫できたらって思うんだよね。


魂は永遠であっても、この身体でこの環境、家族で生きられるのは1度きり。もちろん時間も1度過ぎ去ったものは2度とは戻らない。
逆に【すべては常ならず。故にまた、救われることも有り。】なんてこともあるわけで…。
だからたかがコーヒー1杯だって、時間のある時だけでも丁寧に淹れて、心から味わって飲むって、意外にスゴイことかもっても思う。


そしてこの、現代ニッポンで、
いつでも、どこでも、何にでも、それくらいの集中した意識を向けて生きられたら、それだけでも大修行、
人生としては大成功なのかもと思ったりするんだけど、いかが?






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